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〈寄稿〉9・8「日中国交正常化提言」発表から52年
中国作家協会会員 李佩氏
●忘れ得ぬ創立者の真心
翌75年、創価大学は中国の留学生の受け入れを開始しました。第1期留学生の私たちの受け入れには、多くの困難がありました。
両国の国交正常化が実現した72年、私は、政府通訳の候補生として、中国外交部(外務省)から日本へ留学する準備に明け暮れていました。ところが、国交正常化したとはいえ、中日の関係が厳しい状況に変わりはなく、日本での受け入れ先はなかなか見つからず、学習環境に恵まれませんでした。
そんな中、中国大使館から私たちの存在を聞かれた池田先生が、自ら身元保証人となり、創価大学に迎え入れてくださったのです。
75年4月7日、私たちは桜花爛漫の美しき創価大学のキャンパスに到着しました。入寮式に出席された池田先生は、「青年時代の一年一年は貴重です。黄金にも匹敵します。どうか、留学生の皆さんは、在学中に広く日本文化を学習するとともに、人格の完成をめざし、有意義な学生生活を送ってください」と、励ましてくださいました。
また、日本の新入生には、「日本の皆さんは、この留学生との友情を軸にして、未来永劫にわたって中国の友人となり、強く美しい絆で結ばれた、友誼の歴史を築いていっていただきたい。それこそが、この寮で学ぶ、人生の大きな財産となります。もはや、友情は世界に広がらねばならない時代です」と語られました。
●池田先生を迎えて行われた「日中友誼農場」の開園式(1976年6月)。この農場を記念する碑が創大構内に設置されている
池田先生の励ましを受け、留学生の私たちは、日本人寮生や中国研究会の方々と、毎日のように理想を語り合い、両国の言葉や文化を教え合い、兄弟姉妹のような交流を重ねました。中国研究会の皆さんと畑を耕し、収穫したこともあります。
池田先生は、多忙を極める中で畑まで足を運ばれ、私たちに「今は何でもない小さな会合でも、歴史的な会合になるのだ。源が大事である。日中両国青年が日中友好と平和を断固として守り抜き、21世紀の立派な人材になってもらいたい」と語られ、「日中友誼農場」と命名してくださいました。今も大学構内に、碑として残っています。そうした創立者の配慮は、今でも忘れることができません。
●青年が友好の主役に
先生は入学したばかりの私たちに、“この中から大使や創大の教授が出るよ”と、期待を込めて語られたことがありました。その言葉通り、同じく1期生だった程永華さん(現・中日友好協会常務副会長)が、2010年から19年まで、中国の駐日大使を務められました。
私も、15年から約5年間、創大で講師として勤務させてもらいました。先生のご期待に添って、少しでも母校に貢献できたことは、一生の「金」の思い出となりました。
私が行った授業に「創立者の中国との対話」があります。先生の中日友好の取り組みを通して、先生の平和思想を学ぶとともに、時代背景や中国文化の理解を深める内容でした。教員として、創大生の受講態度や学習意欲に、非常に感銘を受けました。その姿は、先生が中日に築いた「金の橋」を受け継ぐ志の表れと感じられてなりませんでした。
1960年10月、北南米への旅を皮切りに、池田先生は平和の旗を掲げ、世界を駆け巡り、各国の首脳や学者等と語らいを重ねてきました。宗教やイデオロギーなど、あらゆる差異を超えた対話は、中日友好だけでなく、世界平和の構築に偉大な貢献をされたと思います。
本年は、その平和旅から60年の佳節。先生の後を継がれる青年の皆さんは、次世代の中日友好、そして世界平和の主役になっていただきたい。必ずそうなれると、私は確信しています。