第3代会長就任60周年記念
師弟凱歌の記憶
第14回「平和運動の原点 原水爆禁止宣言」
●原水爆禁止宣言を発表する戸田先生
「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私は、その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」
台風一過の秋晴れの下、横浜・三ツ沢の競技場に、戸田城聖先生の大音声が響いた。
1957年(昭和32年)の9月8日、青年部の東日本体育大会の席上、5万人の参加者を前に、満を持して発表された「原水爆禁止宣言」である。
宣言は、こう続いた。「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」
●宣言が発表された東日本体育大会で。戸田先生と若き池田先生(左から2人目)が、愛する青年たちを見守る
この時、広島・長崎に原爆が投下されてから12年。世界を東西に二分する冷戦下、大国は“核抑止論”を根拠に軍備拡張にしのぎを削っていた。核抑止論とは、核兵器を持つことによって相手国に恐怖を与え、攻撃をやめさせることができるとする“恐怖の均衡”の上に成り立つ悪魔的理論である。
戸田先生は、核軍拡競争の背後にある、その魔性の思想の“爪”をもぎ取るため、思索に思索を重ねた末に、愛用していた銀行の手帳に草稿をつづっていった。そして、人間の生存の権利を奪う核兵器を「絶対悪」と断じたのだ。
この前月には池田大作先生との語らいの中で、「なんとしても、原水爆の廃絶への道を開かねばならぬ。そこに創価学会の使命もあるんだよ」と述べている。
●戸田先生が宣言の草稿を書いた手帳
戸田先生は宣言で、原爆を用いるものは悪魔であるとの思想を世界に広めることが、全日本青年男女の使命であり、この宣言こそ「遺訓すべき第一のもの」と訴えた。
「原水爆禁止宣言」の発表から今年で63年。時代によらず、国やイデオロギーにもよらず、誰人も核兵器を持つことを許さないとの叫びは、一段と重く響く。生命の次元から核兵器の“悪魔性”を明らかにした宣言に、賛同の声はやまない。ノーベル平和賞受賞者のジョセフ・ロートブラット博士は道義的側面から核兵器を糾弾したことを高く評価し、戸田先生は「平和の英雄」であったと述べた。
恩師の厳たる師子吼を胸に、池田先生がリーダーシップを執り続けてきた創価の平和促進への行動は、たゆみなく水かさを増してきた。核兵器廃絶を求める青年の連帯は今、世界中に広がる。戸田先生の「原水爆禁止宣言」は、学会の平和運動の原点である。