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〈随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 永遠の師弟旅を共に
コスモスの笑顔が秋を彩る。小さな宇宙<コスモス>に輝く星々や星雲のように(池田先生撮影、9月20日、都内で)
世界広宣流布へ大いなる誓火を掲げて
秋の彼岸にあたって、私は妻と勤行・唱題し、広宣流布の聖業に連なる全ての方々の追善回向を懇ろに行った。さらに、社会に災難が打ち続く渦中であり、全宝友の無事安穏を強盛に祈念した。
御本仏は宣言された。
「妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけ(魁)したり、わたうども(和党共)二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし」(御書九一〇ページ)
この日蓮大聖人の「一閻浮提広宣流布」という「人類の幸福・世界の平和」の大誓願を師弟の誓いとして、一九三〇年(昭和五年)十一月十八日、初代・牧口常三郎先生と二代・戸田城聖先生は、創価学会を創立された。
それから三十年後の十月二日、先師・恩師と不二の誓いを掲げ、私は世界への師弟旅に出発した。
東西冷戦下に、「人類の宿命転換」という遠大な未来図を描きつつ、アメリカで、カナダで、ブラジルで、苦悩に喘ぐ庶民の人間群に飛び込んでいったのである。
孤独と失意の境遇で、悲嘆にくれる母がいた。
仕事の失敗の連続で、立ちつくす父がいた。
私は祈りを込め、その一人ひとりの命の奥底から「地涌の菩薩」の誓いを呼び覚ましていった。
私たちは、日蓮仏法の祈りは「誓願」の唱題であると語り合った。
すなわち、自らの「人間革命」と、わが縁深き天地の「広宣流布」の誓いを立て、そのために最大の力を発揮できるよう題目を唱える。この信力から智慧を湧かし、創意と努力を重ね、勝利の実証を示すのだ。不屈の行力であきらめの壁を破り、「宿命」をも「使命」に変えていくのだ。
それは、いわゆる“棚からボタモチ”の利益を欲し、また祈願を聖職者頼みにする、“おすがり信仰”を一変させる革命でもあった。
誓願とは“自ら発す”ものだ。生命内奥から烈々と響かせゆく誓願の題目こそ、元品の無明を打ち破り元品の法性を顕す音声といってよい。
世界広布への第一歩から六十星霜。「誓願の題目」は地球という星を大きく強く包んでいる。
そして今、全世界の青年と共々に「広布の誓火」を赤々と燃え上がらせ、新たな師弟旅へ出発する時を迎えたのだ。
地涌の負けじ魂
思えば、法華経の会座は、釈尊に対して弟子がそれぞれに妙法の弘通を誓う「師弟の誓願」に貫かれている。
「一切衆生の成仏」という仏の大願を、自らの誓いとする生命にこそ、「仏界」の智慧と力が脈々と涌現するのである。
なかんずく地涌の菩薩は、「六難九易」さらに「三類の強敵」が説かれ、末法の広宣流布が難事中の難事であることを明かされた上で、決然と、また悠然と誓願を起こす。
七十五年前、戸田先生は法難で獄死された牧口先生の遺志を継ぎ、「地涌の負けじ魂」を滾らせて、出獄された。
そして――
「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」
「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(同二三二ページ)との「開目抄」の仰せのまま、「大法弘通」に挑み抜かれたのである。
これが仏意仏勅の学会精神である。
「慈折広宣流布」に生きる創価の地涌の陣列は、まさしく時空を超えて、三世十方の仏菩薩と壮大につながりながら、何ものをも恐れぬ最強無敵の境涯で誓いを果たしゆくのだ。
青年を先頭に 前進また前進!
人類の希望たる青年の勝利の舞を、師は見つめ待つ(2002年4月、八王子市の東京牧口記念会館で)
華陽の友の「声」
過日、聖教新聞に投稿されていた華陽の乙女の「声」を、妻が感動を込めて語ってくれた。
一九五二年(昭和二十七年)の八月、私が関西初訪問の折に出席した堺市内の座談会で、曽祖母が入会を決意された歴史が綴られていた。
あの座談会は、私にとっても忘れ得ぬ関西での初陣であった。師匠・戸田先生の偉大さを語り、肺病を乗り越えた自身の体験を紹介した。さらに、この仏法が必ず全世界に弘まること、やがて「創価教育」の学校を建設することも訴えた。
広布の語らいは、どんな小さな会座も「仏種」を芽吹かせる幸の縁となり、宝珠と輝く「今生人界の思出」(御書四六七ページ)となる。
聖教への投稿にも、曽祖母を源流として四世代が営々と師弟共戦の道を歩み、今、後継の乙女が「世界青年部総会」へ異体同心の信心で前進しているとあった。
草創の父母たちが言い知れぬ悪戦苦闘に歯を食いしばり、「負けたらあかん!」と貫き通してきた誓いを、宝の青年が継承している。そしてコロナ禍の苦難に立ち向かい、若き広宣の世界市民の熱と力で常勝新時代の価値創造に挑んでいるのだ。
「世界青年部総会」では、若人たちがオンラインで五大州の友を結んで、“霊山一会”さながらの地涌の大連帯の会座が現出する。
身体的、地理的な距離を飛び越えて、人と人を結合するものは何か。それは宇宙をも包み返す、無限の可能性を秘めた生命の広大な一念である。
あの人を励ましたいという真剣な情熱、この人と心を通わせたいという誠実の対話ほど、強く尊いものはない。幸福を願う随縁真如の智が、必ず命を結ぶ道を開くのだ。
幾歳月を超え、幾世代を超え、さらには国境も超えて広布誓願のバトンをつなぎ、この青き地球の大空に希望の虹を懸けゆく挑戦である。二十一世紀を担い立つ青年部が“負けじ魂ここにあり!”と胸を張って、創立百周年の勝利の因を刻みゆく実験証明と讃えたい。
関西から帰京の途次、一瞬のドラマが。悠然たる富士の英姿が水面にも(池田先生撮影、2007年11月12日、静岡・富士川付近で)
「立正安世界」へ 平和の柱・教育の眼目・文化の大船たれ
私が世界へ踏み出した一九六〇年(昭和三十五年)は、奇しくも「立正安国論」の諫暁から七百年の節目である。それは、いわば「立正安世界」への師弟旅の始まりともなった。文明も人種も宗教も超え、「四表の静謐」(同三一ページ)へ地球民族を結ぶ対話を重ね、民衆と民衆の心に揺るがぬ信頼の橋を築いてきたのだ。
その中で友情を結んだローマクラブの創立者、アウレリオ・ペッチェイ博士との語らいも蘇る。
地球環境の危機にいち早く警鐘を鳴らした博士であったが、人類の未来を決して悲観していなかった。なぜか。無尽蔵の可能性を備えた宝庫として「人間」自身に注目していたからである。
博士は、私との対話の中で、人類の奥深い潜在力を開発する「人間革命」こそが、地球社会の前進をもたらすことを確信されていたのである。
そして嬉しいことに、南アフリカ出身で、現・ローマクラブ共同会長のマンペラ・ランペレ博士が聖教新聞の取材に応え、今日の地球的危機を乗り越え、“「新たな人類文明」を創出する鍵は「人間革命」である”と強調されていた(九月十七日付)。ペッチェイ博士も、志を継ぐランペレ博士も、共に青年に希望を託しておられる。
今、全世界の青年部が、国連を中心に多くの団体と連帯し、SDGs(持続可能な開発目標)の達成に挑み、「平和の柱」「教育の眼目」「文化の大船」として行動しゆく姿を、両博士もさぞかし喜んでくださるに違いない。
さあ出発しよう!
新たに誕生した「世界青年部歌」には――、「さあ 共に出発しよう! 命ある限り戦おう! 前へ 前へ 前へ」と謳い上げられている。
法華経にも、「前進」と記されている。
――険難悪道を越える長旅に疲れ果て、あきらめて引き返そうとする人びとに、一人のリーダーが聡明な指揮を執って、身近に到達可能な目標(化城)を示し、皆に歓喜と休息を与えた。そして活力を回復させながら、力強く呼びかけるのだ。
「汝等は当に前進むべし」(創価学会版法華経三二〇ページ)――共々に、本来の目的地である宝処(成仏の境涯)へ今再び出発しよう!と。
大聖人は、この譬えを通して「日蓮に共する時は宝処に至る可し」(御書七三四ページ)と、厳然と仰せくださっている。
「法華経の命を継ぐ」青年たちと共に前進する喜びに勝るものはない。
この深き心を青年に贈る――池田先生が中部で認(したた)められた書「誓(ちかい)」
「誓」を君たちに
一九八五年(昭和六十年)の十月、中部の三重研修道場を訪れた時、若人たちが手づくりで研修のための「青年塾」を設けてくれていた。
そこで、「道」「師弟山」などの書と共に、私が感謝を込めて認めた一枚が「誓」である。
この書を、今、総決起した世界の青年部・未来部に贈りたい。
「誓」は翼なり――
誓いを立てる時、最も誇り高き「青春の飛翔」が始まる。
「誓」は道なり――
誓いを結び合う時、最も美しき「人間の連帯」が広がる。
「誓」は光なり――
誓いを果たしゆく時、最も荘厳な「生命の太陽」が未来を照らすのだ。
わが不二の愛弟子が、一人ももれなく、不退の「誓」に生き抜いて、最極の幸福栄光を勝ち取る前途を、私は信じ祈っている。創価の師弟共戦の旅に、生命の勝ち鬨が轟き渡ることは絶対に間違いないからだ。
(随時、掲載いたします)