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2020.9.22-6(3)

2020年09月21日 (月) 22:30
2020.9.22-

〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く?部〉
第4回 「青年学会」を築いた若き日の闘争?

 戸田先生と共に青年の躍動を見守る池田先生。青年室長として、師の構想実現のために次々と新たな広布の運動を推進していった(1957年8月、北海道・札幌で行われた体育大会で)

●烈々たる気迫で拡大に猛進 師の願業達成の原動力に

◆西方 1953年(昭和28年)1月2日、25歳の誕生日を迎えた池田先生は、男子部の第1部隊長に就任されます。会員75万世帯達成という戸田先生の願業に向けて、池田先生は烈々たる気迫で戦いを開始されました。
  
 ◇原田 男子部が掲げた目標は、年末までに「各部隊1000人」の達成でした。池田先生が率いる第1部隊は、当時337人。先生は、3倍の拡大に向けて、まず、新しい人材を登用し、それまでの六つの班を10班に再編しました。この10人の班長に「部隊十傑」との称号を贈り、「核」となるメンバーの団結を図りました。
 さらに、各班で分隊長10人を登用し「部隊百傑」に。総仕上げとして、100の分隊が、それぞれ部員10人を達成すれば「1000人」の陣列になるという、勝利への明確なビジョンを示したのです。
 そして、新たな人材育成のホシを「信心に励む理由を明確にすること」として、「なぜ勤行をするのか。なぜ折伏をするのか。どうして、信心で人生を勝ち開くことができるのか等々、この根本の目的が納得できれば、決して人にやらされるのではなく、主体的に取り組んでいける。そこに、本当の力が出るんだ」と励まされました。
 「なんのため」――策に走るのではなく、皆が、その目的を心から理解、納得してこそ勝利がある。実は、ここに指導の要諦があります。
  
◇◇

◆志賀 池田先生が室長に就任された当時、戸田先生は、何をすればいいかを明確に示すことはなく「まず、全部、自分たちで責任をもって考えよ」という訓練だったと聞いたことがあります。
  
◇原田 恩師に応え、池田先生は一切の責任を担い、広布の突破口を切り開かれたのです。弟子が立つ。弟子が師匠を頼らない――これは今、最も大切な姿勢であり、先生が青年時代から実践し抜いてこられたことです。先生は「青年と共に、青年の心で壁を破り、広布拡大に生き抜くのが、青年学会の永遠の伝統である」とつづられています。目前に迫った「世界青年部総会」に向け、壮年・婦人部も青年の気概を持って全力で応援してまいりたい。


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