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【核心】菅義偉首相の思想と行動
論説フェロー 芹川洋一
日本経済新聞 朝刊
2020/9/21 2:00
65年の自民党の歴史を振りかえるとき、菅義偉首相はやはり異色だ。名実ともに無派閥からのトップはこれまでにいない。首相辞任でいきなり官房長官から首相の座についた例もない。都市選出の議員なのに地方出身を売りにするのも聞いたことがない。
しかしそれこそがまさに今という時代を反映しているように思えてならない。
連合体である派閥の中からリーダーを選んできた自民党の終焉(しゅうえん)。官僚主導から政治主導への転換。東京一極集中の是正と地方再生。そうしたものの政治的な表現と評することができる。
それは制度がうみだしたともいえる。小選挙区制が派閥をこわし、内閣機能の強化が強い官房長官を誕生させ、首相への道につながった。菅首相は1990年代からの政治改革の落とし子でもある。
首相のものの考え方を整理してみると、いくつかの側面が浮かびあがる。ひとつは都市と地方の共存だ。横浜市議選にはじめて立候補したとき大きな名刺にあえて「秋田県出身」と明記したエピソードに端的にあらわれている。
規制緩和、金融緩和、小さな政府を目指す「上げ潮派」と目されてきた。同時に東京湾アクアラインの自動料金収受システム(ETC)割引からはじまって各種料金の引き下げも促してきた。
市場を重視する立場を取りつつも、自民党政治そのものである「等しくうるおう再分配」の発想もあわせ持つ。そこに、都市と地方がないまぜになった政治思想をみる。
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徹底したリアリストでもある。イデオロギーや理念にしばられない「無思想の思想」の持ち主だ。
自民党の思想の系譜には、安倍晋三前首相へとつづく保守色の濃い清和会と、岸田文雄氏へつながるリベラル系の宏池会という2つの流れがある。中間に位置づけられるのが「現世利益追求型」の田中派・竹下派だ。この強みは柔軟対応ができることである。首相はこの系譜とみてよい。
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第1の軸は競争だ。携帯電話の料金引き下げにしても、新規参入により携帯3社の寡占体制を突き崩そうとする。
農協改革は、全国農業協同組合中央会(JA全中)の権限を縮小して地域農協や農家の競争を促す内容だった。総務相のとき実現したふるさと納税も市町村間の競争という視点からみることもできる。
第2の軸は便益だ。政府が側面から支援することで恩恵がゆきわたるようにする。19年に1兆円を目標にしていた農産品輸出の拡大にしても、最低賃金の引き上げや、批判を招いた「Go To トラベル」にしてもそうだ。
第3の軸は現実直視である。外国人労働者の受け入れ拡大がその典型例だ。事実上の移民政策だとして反対論があったのを押しきった。農林水産業などの切実な現実をふまえたからにほかならない。ビザの発給条件を緩和しての訪日観光客の拡大も、そうした考え方の延長線上だ。
それを実現するための政治手法の特徴は何か。情報と官僚を動かすことである。
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「人事権は大臣に与えられた大きな権限です。……とりわけ官僚は『人事』に敏感で、そこから大臣の意思を鋭く察知します」――。
首相の著書「政治家の覚悟 官僚を動かせ」(12年)の一節だ。
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問題は首相になってそうした手法がどこまで可能かだ。とりわけ情報である。さまざまなところから入ってくる生の情報を、自らの目とネットワークで確認しながら判断をしてきたやり方が、首相になるとできにくくなる。官僚機構を通じ、ろ過された情報があがってくるときに狂いが生じることはないか。
官房長官として当面の問題を処理するのに、高い実務処理能力を発揮したのはたしかだ。ただ一国のリーダーには国家観や長期的な視点、ビジョンもまた求められる。
これまでの思想と行動と政治手法を微修正しながらどんな首相をめざしていくのか、モデルなき挑戦である。