◎きょう3・16 長編詩「青は藍よりも青し」(抜粋)
広布を必然たらしめんとする熱情のありや無しやを常に問え
三類の嵐は
幾度となく
我らの前途に立ちはだかった
卑劣な怒濤の日もあった
邪知の小才子の裏切りもあった
しかし 私たちは
晴れ晴れとして 完勝した
希望の翼をもって
幾多の風雪を乗り越え
若き乙女たちは今
幸の金風に包まれた女王として
青年は偉大なる人間の
尊き平和の砦の柱として
堂々と 揺るぎなき基盤を築いた
久遠に結んだ不思議なる同志の
異体を同心とする団結の力
御聖訓の理想に殉ぜんとする
峻厳なる絆をば
金剛不壊の中心軸として
万年への広布の基盤は できあがった
その広布の大河の流れが
歴史の必然であるか否かを
君よ問うなかれ
汝自身の胸中に
自らの汗と労苦により
広布を必然たらしめんとする
熱情のありや無しやを 常に問え
◎創刊当初は
少年マガジン:40円
少年サンデー:30円
で発売され、創刊号の売上げは、
少年マガジン:20.5万部
少年サンデー:30万部
だったことから、すぐに少年マガジンも30円に引き下げたそう。
昭和34年当時の参考価格
電車の初乗り:約25円
サンマ1匹:約10円
ラーメン一杯:約20〜30円
創刊当初はどちらも連続小説が大半で、漫画の連載はほんの少しでした。
●徳川時代
江戸時代は、一般に、農民・町民には苗字(姓)の使用は許されませんでした。
●平民に姓の使用が許される
明治3年(1870年)9月の太政官布告(注)によって、一般に平民に姓の使用が許されるようになりました。
(注)太政官布告:明治時代初期に最高官庁として設置された太政官によって公布された法令の形式のこと。
●姓の使用が義務化される
明治8年(1875年)2月の太政官布告によって姓の使用が義務化されました。これは、兵籍取調べの必要上、軍から要求されたものといわれています。
ちなみに、明治6年(1873年)1月に国民の義務として国民皆兵を目指す「徴兵令」が施行されています。そして、明治10年(1877年)に、西郷隆盛を盟主とした西南戦争が勃発しています。
●夫婦別姓〜妻は結婚しても姓は変わらず!
明治9年(1876年)3月の太政官指令によって、妻の氏は「所生ノ氏」(実家の氏)を用いることとされました。つまり、妻は結婚しても姓は変わらなかったのです。
明治政府は、妻の姓に関して実家の氏を名乗らせることとし、「夫婦別姓」を国民すべてに適用することとしました。しかし、上記指令にもかかわらず、妻が夫の姓を称することが慣習化していったといわれています。
思うに、当時は男性社会でした。そのため、結婚していっしょに暮らす夫婦の姓が異なることに違和感を覚えた者が多かったからではないでしょうか。
●「夫婦同姓」のはじまり
今を去ること120年前の明治31年(1898年)6月に民法(旧法)が成立します。
そこでは、夫婦は、「家」を同じくすることにより,同じ姓を称することとされました(夫婦同姓制)。
旧民法は「家」の制度を導入し、夫婦の姓について現行の民法とは違い直接規定を置くことはしませんでした。夫婦ともに「家」の氏を称することを通じて同姓になるという考え方を採用したのです(旧民法788条1項)。
(婚姻ノ効力)
旧民法788条1項
妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル
旧民法788条2項
入夫及ヒ壻養子ハ妻ノ家ニ入ル
【一年前】
朝
私「やっぱり冷蔵庫の前でスーッと離れるね」
妻「くっつくのはこれからどっちかが手を取らんといかん時。どっちが先に弱るかわからんけど。それまで待ってて」
?
【二年前】
◎お疲れ様会
皆、弾けていました。
やりきったという満足感。
例のお客さん、どうされた?
税額あきらめて頼まれました?
あ、そう、それはよかった。
逃げられるかと思った。
もう一人一人が大事。
お客さんも一人一人大切だけど、
職員も一人一人が益々大事。
一人でも欠けたらおおごと?
?
【三年前】
国税局電話相談員 最終日
今日一日で48件!
4日合計で約230件
の電話を受けました!
珍しい質問、面白い質問、いい質問!
6人でお疲れさん会をしました。
今日になってもう1件新規あったそうで、
新規は19件、
純増4件の247件、
申告書枚数で279枚、
売り上げは4.9%のアップ!
国税局の分を含めて、なんと初めて
一千万円の大台に届きました!
1,008万円!??????
妹「税理士事務所でも法人主体のところは、こげーん(こんなに)アクセクしてないそうですよ。うちは薄利多売で『間に合うかね!』『フー!』というくらいせんといかんですよね♪」
私「しょんなか(しかたない)たい、好き嫌いの激しいし、器の小さいけん」?
妻「ちょっといいと、すーぐ宇宙の果てまで昇っていかすけん……お客さん、職員さんに感謝!」
私「奥さんに一番感謝しとるよ!」
「ほんと上手になったねえ」
???
明日からスポーツジムと読書とお題目をいつものペースに、少しずつ取り戻します。
地道にコツコツ確実に!?
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
開目抄 0186〜0237
第四章 外道の三徳 0187.08〜0188.05
本文
二には月氏の外道・三目八臂の摩醯首羅天・毘紐天・此の二天をば一切衆生の慈父・悲母・又天尊・主君と号す、迦毘羅・ウ楼僧ギャ・勒娑婆・此の三人をば三仙となづく、此等は仏前八百年・已前已後の仙人なり、此の三仙の所説を四韋陀と号す六万蔵あり、乃至・仏・出世に当つて六師外道・此の外経を習伝して五天竺の王の師となる支流・九十五六等にもなれり、一一に流流多くして我慢の幢・高きこと非想天にもすぎ執心の心の堅きこと金石にも超えたり、其の見の深きこと巧みなるさま儒家には.にるべくもなし、或は過去・二生・三生.乃至七生・八万劫を照見し又兼て未来・八万劫をしる、其の所説の法門の極理・或は因中有果・或は因中無果・或は因中亦有果・亦無果等云云、