◎名字の言 詩人・金子みすゞさんの作品を口ずさんでみよう。
童謡詩人・金子みすゞさんの作品「土」を口ずさんだ。
「こっつん、こっつん、/打たれる土は、/よい畑になって、/よい麦生むよ」
「朝から晩まで、/踏まれる土は、/よい路になって、/車をとおすよ」
「童謡は声を出して書いています。つまり、作家の呼吸のリズムなんです」
「だから、みすゞさんの作品を声に出して読むと、彼女の呼吸が自分の呼吸になるので、作品が読む人の心に深く強く入ってくるのではないでしょうか」
「打たれぬ土は、/踏まれぬ土は、/要らない土か」
「いえいえ、それは、/名のない草の、/お宿をするよ」。
みすゞさんのまなざしには、いつもハッとさせられる。いろいろなことに気付かせてくれる
▼世界桂冠詩人の池田先生は、名もなき花や草木、道端の小石や砂など、地球上の全てのものに、かけがえのない「いのちの輝き」を見るのが「詩人の目」である、と。春の野菜は「芽吹き野菜」という。生命力に満ちあふれる季節は「いのちの輝き」に満ちている。(川)
◎全粒粉(ぜんりゅうこ、ぜんりゅうふん、英語:wholemeal flour, whole-wheat flour)とは、小麦粉の一種。小麦の表皮、胚芽、胚乳をすべて粉にしたものである。
妻に「ぜんつぶこ、てどんなの?」
妻「ぜんりゅうこ、たい?? アハハハ………
仕事以外のことはな〜んも知らんね」
?
栄養成分
全粒粉にはビタミンやミネラルが豊富に含まれています。特に食物繊維、ビタミンB1、鉄分が多いのが特徴です。食物繊維は腸内の有害物質を減らしたり、便通を促したりする効果があり、ビタミンB1は皮膚や粘膜の健康維持や糖を分解してエネルギーを作り出すのに役立ちます。女性に多いと言われている鉄分不足は貧血や冷え、集中力の低下などを引き起こすため、全粒粉で補えるのは嬉しいですね。
ほかにもさまざまな栄養素が含まれており、全粒粉は栄養価に優れた食品であることがわかります。また、小麦粉よりもGI値が低いため、血糖値の上昇もゆるやかです。
血糖値の急上昇、急降下は糖尿病や動脈硬化などのリスクにつながるとされているので、健康面から考えてもおすすめです。
◎琉球処分
1871年(同治9年・明治3年)、明治政府は廃藩置県によって琉球王国の領土を鹿児島県の管轄としたが、1872年(同治10年・明治4年)には琉球藩を設置し、琉球国王尚泰を琉球藩王に陞列して侯爵とした[22]。明治政府は、廃藩置県に向けて清国との冊封関係・通交を絶ち、明治の年号使用、藩王自ら上京することなどを再三にわたり迫ったが、尚泰侯爵は従わなかった。そのため1879年(光緒4年・明治12年)3月、処分官松田道之が随員・警官・兵あわせて約600人を従えて来琉し、3月27日に首里城で廃藩置県を布達、首里城明け渡しを命じ、4月4日に琉球藩の廃止および沖縄県の設置がなされ[23]、沖縄県令として前肥前鹿島藩(佐賀藩の支藩)主の鍋島直彬が赴任するに至り、王統の支配は終わった(琉球王国の崩壊)。地位を失った琉球の王族は日本の華族とされた。しかし琉球士族の一部はこれに抗して清国に救援を求め、清国も日本政府の一方的な処分に抗議するなど問題は尾を引いた。外交交渉の過程で、清国への先島分島問題が提案され、元アメリカ合衆国大統領グラントの熱心な調停もあって調印の段階まで進展したが、最終段階で清国が調印を拒否して分島問題は頓挫、のちの日清戦争における日本側の完勝をもって琉球全域に対する日本の領有権が確定した。
◎和宮 親子内親王(かずのみや ちかこないしんのう、1846年7月3日〈弘化3年閏5月10日〉- 1877年〈明治10年〉9月2日)は、仁孝天皇の第8皇女。江戸幕府第14代将軍・徳川家茂の正室(御台所)。家茂死後には落飾し、静寛院(せいかんいん)の院号宣下を受け、静寛院宮と名乗った。
弘化3年(1846年)閏5月10日、京都御所の東に隣接する橋本邸において、仁孝天皇の第八皇女として生まれる。母は側室・橋本経子(観行院)。閏5月16日、異母兄・孝明天皇より和宮の名を賜る[1]。父・仁孝天皇は和宮の誕生に先立つ1月26日に崩御しており、和宮は勅命により橋本邸で養育された。
嘉永4年(1851年)7月12日、孝明天皇の命により有栖川宮熾仁親王と婚約する。
【一年前】
◎英国ロイヤル・オペラ
世界五大歌劇場とは、ウィーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座、パリ・オペラ座、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場、そしてロンドンの英国ロイヤル・オペラを指します。その中でも、いま一番勢いがあるのがロイヤル・オペラだと言われています。
ウィーンやイタリア、ドイツの歌劇場が自国の作曲家の作品に重点を置いて発展してきたのと異なり、英国ロイヤル・オペラはイタリアもの、ドイツもの、フランスもの、ロシアものなど、幅広い作品をレパートリーとすることで発展してきました。伝統に固執せず、新しいアイデアを取り入れる姿勢は“演劇の国”の劇場文化に根ざした英国ならではのもの。
【二年前】
今日は電話95件!!
たいがい疲れました。
昨夜から少し微熱があり、インフルかもと思いつつ、今ごろインフルなんかにかかってられず、気持ちでもっています?
21時前に事務所前を通ったらまだ明かりがついていて、一人がまだ仕事していました。
【三年前】
中国の王外相はいつもムカムカします。
「日本は心の病なおせ」
心の病はお前だろうが!
自分のことを人に擦りつける!
相当な知日家で日本語もペラペラとのことですが。
こんなのが外相をやっている限り、日中のみならず、中国の外交は良くなる訳がない。
隣接する国全てと問題を起こす中国。その元凶はこいつと習近平のようです。
愚かな指導者に導かれた中国人民こそ哀れ!
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
開目抄 0186〜0237
第二章 儒家の三徳 0186.02〜0186.12
現代語訳
儒家においては三皇・五帝・三王・此等を天尊と号して、諸臣の頭目と仰ぎ、万民の橋梁と尊敬している。三皇以前は父を知らず、自分を生んだ母さえも崇敬することを知らない人で、人々はみな禽や獣と同じであった。しかし三皇・五帝の時代から礼儀・人道が確立され、父母をわきまえて孝行を尽くした。その例として、重華は頑愚な父を敬い、沛公は漢の高祖となって壱国の帝王となったが、厚く父の大公を拝した。また周の武王は父の西伯を木像に刻んで、父の遺志を継いで紂王の征伐に出陣し、丁蘭は幼くして母を失ったが、母の像をきざんで、生ける母のごとく仕えた。これらは孝行の手本である。比干は殷の世のほろぶのを見て、紂王の横暴を諌めたが、かえって殺害された。公胤は主君たる懿公が殺されて死体を恥ずかしめられているのを見て、自分の腹をさいて肝を隠し入れて死んだ。これらは忠の手本である。尹寿は尭王の師であり、務成は舜王の師であり、大公望は文王の師であり、老子は孔子の師であって、これらの四人の師を四聖と号し、天尊も頭を垂れて敬い万民は掌を合わせて崇拝した。