◎寸鉄
「災来るとも変じて幸と
為らん」御書。変毒為薬の
信心。確信の祈りで前進
◇
本紙届ける「無冠の友」に
心から感謝。地道な献身
ありて希望哲学は社会へ
◇
日本人の睡眠時間は世界
最短と。心身の不調の元。
生活リズムの見直し賢く
◎名字の言
心の状態によって現実は姿を変える。御書に「浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり」(384ページ)と。伸びよう、学ぼうという心がある限り、どんな状況も成長の好機に変えられる。
◎全長は3461メートル、工期は21年で総工費は21億円だった。1942(昭和17)年には鉄道トンネルが、1975(昭和50)年には新幹線用の新関門トンネルが開通している。
関門トンネル(かんもんトンネル)は、山口県下関市と福岡県北九州市を結ぶ国道2号のトンネル(海底トンネル)である。山陽本線の同名のトンネルと区別するために関門国道トンネル(かんもんこくどうトンネル)と呼ばれることもある。
◎1796年には、デジレ・クラリーとの婚約を反故にして、貴族の未亡人でバラスの愛人でもあったジョゼフィーヌ・ド・ボアルネと結婚。
◎アダム・スミス(Adam Smith、1723年6月5日[† 1] - 1790年7月17日[1])は、イギリスの哲学者、倫理学者、経済学者である。スコットランド生まれ。主著に倫理学書『道徳感情論』(1759年)と経済学書『国富論』(1776年)[2][† 2]がある。
『国富論』(こくふろん)は、1776年に出版されたアダム・スミスの著作である。全5篇で構成されている本書は、近現代における経済学の出発点と位置づけられているだけでなく、社会思想史上の古典とも位置づけられている。「見えざる手」への言及とともに、あらゆる規制を排したレッセフェール(自由放任主義)を推進した文献と受け止められることもしばしばであるが、20世紀以降の研究ではそのような短絡的な見方は斥けられており、スミスのもう一つの著書『道徳感情論』も考慮に入れる形で、より広い視野から研究されている。
時代背景
スミスが生きた18世紀のイギリス社会は政治の民主化、近代西欧科学の普及と技術革新、経済の発展といった「啓蒙の世紀」であった一方で、格差と貧困、財政難と戦争といった深刻な社会問題を抱えた世紀でもあった。光と闇の両側面を持つ18世紀イギリス社会はアダム・スミスの思想に大きく影響したとされる[3]。
【一年前】
◎朝
布団上げ
私「まだ妻の温もりが………」
妻「そうやろ、私の温もりが恋しかろ、
たまにはそろ〜と布団に入ってこようか、
あんまりびっくりして心臓麻痺起こすかも」
( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
妻「恵ちゃんも豆乳飲むようになったね」
私「お父さんに似てきたたい」
娘「似てないよ」
??
私「ヨーグルトも食べる?………
する事なす事やっぱりお父さんに似てるよ」
娘「ゲー?」
妻「ワハハハハ( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆」
?
◎べっぴんさん
若い夫婦のすれ違い。
彼は「ビジネス」
嫁さんは「ビジネスなんていや」
………
私「うちと同じやん」
妻「男と女は根本的に違う」
「膨らみ続けた風船はいつかは爆発するぞ」
【二年前】
◎朝
私「あ、そうか、今日は昼はおらんとたい…
さみしかね」
妻「そうたい(笑)さみしかね??」
◎支部活動者会19:30猿渡宅H副県長
昔は敵と味方。
学会員か学会員でないか。
今は違う。
すごい時代が来ましたよ。
心は学会員。
心と行動は学会員。
先生、かつて――
私は仏性は信じない。
友情・人格の中に仏性を信じる。
先生の名誉称号・名誉市民。
全部外部ですよ。
折伏をやらないと自分の欠点がわからない。
そのために折伏をやる。
宗門と別れてから世界に広がった。
なぜか?宗門が止めていたから。
ローマ法王ですよ。
だから胸を張って
「信心しないともったいないよ」
◎会合終了後
私「あれ?」
妻「な〜ん、外で食べて来ると言よったやんね、何もしとらんよ」
?→焼鳥屋へ
マスター
「女は持ち上げておくに限る」
私「お、今日のマスターの名言?」
?
【三年前】
人生の最終章で墓穴を掘るスケープゴート(scapegoat・身代わり・いけにえ)が多いですね。注意したいと思います。
南無〜?
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
開目抄 0186〜0237
御書にいわく「法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり、我が心には報ずると思はねども此の経の力にて報ずるなり」(1528-09)と。
われわれが、大御本尊を持つこと自体が、すでに最高の親孝行をしているのだとおおせられているのである。儒教や、それをもとにした道徳教育が、形式的に孝養をおしつけるのに対し、なんと偉大なことであろうか。
また、父母の愛というものは、絶対的なものではなく、愛憎のごとき相対的なものである。ある場合には、かえってその愛が子供の発展を妨げる場合もある。
それに対し、仏の慈悲は絶対であり、なかんずく御本仏の慈悲は、絶大である。本抄にいわく「されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし」(0202-08)と。されば、日蓮大聖人こそ、一切衆生の親なることは明白である。
仏法は、このように、人間として当然すぎるくらい当然の道理を説いているのである。真の人間性確立のためにも、また、社会の繁栄のためにも、偉大なる大聖人の色心不二の大仏法に目覚める必要を力説するものである。