【寸鉄】
打てば響く人たれ―恩師
幹部は同志の悩める声に
即反応。メール一通でも
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国連の「国際家族デー」。
一緒に祈り、語る機会を。
和楽の家庭こそ平和の礎
◎名字の言
身の回りには「誰かのおかげ」で成り立っているものが意外と多い。その“誰か”を実際に目にはしなくとも、心に映し出し、感謝できる人でありたい。また自身も、その“誰か”として他者に尽くす人でありたい。そうした真心に満ちた社会であれば、試練に立ち向かう一人一人の力は増していく。
◎天武天皇4年(675年)4月17日、最初の「肉食禁止令」を発布する。これにより、表向きには獣肉を食べることが不可能となった。
六七五年(天武四年)四月、天武天皇は「肉食禁止令の詔」を出しました。これは牛、馬、犬、猿、鶏といういわゆる五畜(仏教用語で「五畜」は「鶏、羊、牛、馬、豚」とも「牛、羊、鶏、豚、犬」とも言われています)の肉食を禁止しました。その理由としては、牛は田畑を耕す、馬は人を乗せて働く、犬は番犬となる、鶏は時を知らせる、猿は人間に似ているからだとしています。禁止期間は四月から九月までの農耕期に限定されていました。当時は耕作期に狩猟を行い、田畑を荒らす動物を殺して豊穣を祈願したり、雨乞いのために牛や馬を供儀にしたりという、残酷な土俗民間儀礼があったようです。ですから、耕作期に肉食を禁止するというのは、こうした野蛮な民間儀礼における動物虐待行為を禁止する目的もあったと言えます。もちろん天皇制国家としては、古い民間信仰を駆逐しなければならないという政治的使命もありました。
◎レオ10世は1521年に死去するが、2年後、従弟のジュリオ枢機卿が教皇クレメンス7世(在位:1523年 - 1534年)として即位する。クレメンス7世は当時の複雑な政治状況の中、フランスと同盟を結んだことで、1527年に神聖ローマ皇帝兼スペイン王カール5世の報復を受け、ローマ略奪の大惨事を招く。同時にメディチ家も再度フィレンツェを追放されるが、1530年にはクレメンス7世と皇帝カール5世が和解したため、メディチ家はフィレンツェに帰還、復権する。1532年、クレメンス7世の息子(庶子)アレッサンドロがフィレンツェ公となり、メディチ家はついに正式な君主となった。
◎サイクス・ピコ協定(サイクス・ピコきょうてい、英: Sykes-Picot Agreement)は、第一次世界大戦中の1916年5月16日にイギリス、フランス、ロシアの間で結ばれたオスマン帝国領の分割を約した秘密協定。イギリスの中東専門家マーク・サイクス(英語版) (Mark Sykes) とフランスの外交官フランソワ・ジョルジュ=ピコ(François Marie Denis Georges-Picot)によって原案が作成され、この名がついた。
◎平和裏
平和な状態のままで〜
平和のうちに〜
を意味する言葉
国際的な
平和
連帯
調和
の持続が提唱されていると同時に、
国や文化の違いを越えて多様性の中で団結して生き、共に行動したいという願望
を継続的且つ世界的に呼びかける運動が展開されております。
また、生まれや育った生活環境によっても
平和
に対する価値観が異なる中で、他の人との違いを
受け入れること
耳を傾けること
理解し合うこと
尊敬、敬意の念をもって相手に接すること
感謝していくこと
などが根本的に大切な概念であると考えられております。
そのため、例年5月16日を中心とした近日には、世界各地で平和に関する呼びかけが行われております。