【一年前】
◎信濃町『蒸しきんつば』
妻「お、大誓堂のお土産?」
私「これが美味しいとたい」
「最近よー気が利くね」
「うん、出張の時は奥さんのことばかり考えているから」
「よー言うよ」
??
◎福岡で
自由民主党が
『しもの六太』氏を推薦?
◎妻「お父さんの出番たい。
交流に出かける時は連れてってね」
娘「お父さんはロシア人と交流できたからよかったね」
???
妻「あはははは……( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
もうそれ言われたらなんも言えねえね??」
【二年前】
◎北山たけしコンサート?
?
「今日は久しぶり奥さんと一緒で嬉かあ?」
妻「よー言うよ?
好き〜なごつしよるくせに
上手になったね、どこで覚えよる?」
???
サザンクス筑後18:00〜
北山たけし
(きたやま たけし、1974年2月25日 - )
久留米生まれ、柳川育ち
福岡県柳川市出身の演歌歌手
本名は渡辺 毅(わたなべ たけし)
北山は、北島三郎の北と山本譲二の山を取ったものである。身長168cm、体重60kg。
血液型はA型。
幼少時代から演歌を歌い始める。
9歳のときには、KBC「ちびっ子のど自慢」で「風雪ながれ旅」を歌って優勝。
「ちびっ子紅白歌合戦」にも出場。
1988年、柳川高等学校に入学するが、1年で退学。その後上京して大平幸一の芸名で徳間ジャパンから歌手デビューを果たすが芽が出ず帰郷。その後、21歳で再び上京し、北島三郎のもとで内弟子を8年間務めた。
2004年、「片道切符」でテイチクエンタテインメントから再デビュー。同年のベストヒット歌謡祭新人賞、第37回日本有線大賞新人賞、第46回日本レコード大賞新人賞、第18回日本ゴールドディスク大賞新人賞を受賞。
2005年、「男の出船」で第56回NHK紅白歌合戦に初出場。2009年まで、5年連続でNHK紅白歌合戦に出場。
2009年5月8日、北島三郎の次女と入籍
エピソード
北島の弟子になって3年目の頃、北島家の庭の草刈り中、芝刈り機により左手の人差し指の腱をケガしてしまった(本人によるとこのケガのせいで左手の人差し指がほとんど曲げられず、握りこぶしができなくなった)。その時看病してくれたのが北島の次女であり、これがきっかけで好意を持つようになり恋愛関係に発展。ただし、弟子が師匠の娘さんに手をつけるなんて恐れ多くて周りには付き合っていることを8年間隠していたとのこと。
地元の皆さんこんばんは???
親父と共演………正直言って………やりづらいです???
【三年前】
昼は所用で博多行き、帰ってきて夕飯のあと新聞読んでたら、薬のせいか眠たくなり、目が覚めたら10時半、それから夜な夜なスポーツクラブへ。?
昨年までだったら土曜日のこの時間だったら、夜な夜な飲みに行ってたのに、我ながら「俺も変わったなあ」?
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開目抄
第13章 維摩経等に二乗不成仏と定むを明かす
0192.08〜0193.01
講義
法華経、日蓮大聖人の正しき仏教の教えは、煩悩即菩提・生死即涅槃である。悩み、現世の幸福を願って御本尊を拝んでいけば願いはすべて叶うのみならず、最高の幸福境涯を確立できるからである。煩悩の薪が多いほど、菩提の火は大きく燃えるとの教えである。
これを、社会的にみるならば、どうであろうか。もしも、欲のない、悩みを押しこめた人々が社会に充満するならば、その社会は無気力となり、向上、発展のない、停滞せる社会となってしまうのである。悩みがあるところにこそ向上がある。欲望のあるところにこそ発展と前進がある。要は、その欲望を正しく有益に活かしきる正しき理念、哲学こそ求めなければならない。それこそ、日蓮大聖哲の生命哲学なりと主張するものである。