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2020.5.14-3

2020年05月14日 (木) 00:51
2020.5.14-

【一年前】
母の日
奥さんへプレゼント?
娘「お、お父さんの花買うてこらした」
妻「わ、わ〜〜〜??どうしましょ…お父さんから花を貰うなんて思いもよらなかった」
娘「明日雨の降るよ」
私「雨は金曜日くらいよ」
妻「ちょうどよかった、ばあちゃんの前に飾ったら」

【二年前】
◎古代史連続講座(飯塚市13:30-17:00)
畿内説と九州説、お互いに譲らない?
でもやっぱり九州説の方が自然のようだ。
なかなか面白い?
中国・朝鮮半島と九州と互いに交流があったようだ????
交流ではなく拉致かも。

【三年前】
◎銀行から資産査定中!
今日は福岡銀行より電話で、決算内容について、根掘り葉掘り聞かれました。
「借入金について当行以外が増えているのはどちらですか」
「人件費の比率が増えていますが?」
「上海の収益は?」

銀行からすれば「破綻懸念先」でもなく、さりとて「正常先」でもなく、その間のいわゆる「要注意先」でしょうね。結構重石になります。
?



◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

開目抄 

第13章 維摩経等に二乗不成仏と定むを明かす 
0192.08〜0193.01

講義

凡夫の悪は仏になるとも二乗の善は仏にならじ

 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道を輪廻する凡夫は仏になるとも、声聞・縁覚の二乗は仏になることはできないとの権大乗教の教えである。いうまでもなく、これは方便教であって、最後の法華経で二乗も成仏を許されるのであるが、ここに仏法の深さ、偉大さがあることを知らなければならない。
 二乗とは、わが身を修め、君子然として、ひとり高しとしている利己主義の人といえよう。このような衆生は末法においては、天台大師が「市に虎がうろついているようなものである」と喝破したように、表面だけ立派そうな偽善者である。末法の衆生は貧・瞋・癡の三毒が強く、悩み多き人生であるのが当然である。五濁爛漫の末法に、悩みのない、立派な人格者など、いる道理がないのである。
 したがって、こうした二乗の教えをまねたキリスト教・天理教・立正佼成会その他、あらゆる邪教が、慈善行為をすすめているのは、しょせんは二重人格の偽善者をつくることにしかならないと断言できる。


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