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2020.5.14-2

2020年05月14日 (木) 00:51
2020.5.14-

◎楊教授
そもそも「観光」とは、異文化の「光」を見いだそうとする美徳の伴われる行動で、その「光の価値」が分かる教養を身につけていないといけない。残念ながら、中国人観光客には経済力はあっても文化力は疑わしく、真の意味での「観光」は成り立っていない。

中華の伝統的文化を徹底的に壊してしまったのは、ほかでもない中国人自身で、特に中国共産党は抜きんでており、孔子の墓まで暴いてしまった。

日本の伝統文化の奥深さが分かるくらい、観光客の素養が高くなるまで待ってもいいのではないか。

一部では社会主義中国を礼賛することで日本が進んできた近代化の道を否定し、「反省」しようとする進歩主義史観を持つ左派も多い。
(産経)


◎深刻な格差 「共生の道」探れ
仏精神学者 ボリス・シリュルニク氏
コロナ・知は語る
●新たな社会現象
今回は2つのグループに分かれた。新しい階級社会が浮きあがった。
「1つは高学歴で高収入の職に就き、『守られていた』人たちだ。外出禁止令が出てもテレワークを続け、広い家で家族との絆を強められる。封鎖解除後、試練を克服したことを誇りに思い、レジリエンス(回復する力)を発揮する。
もう1つは安定した職がなく、狭いアパートで密集生活を迫られた層。月末の支払いにも困る人たちだ」

『カタストロフィ』(破局)………
は、ギリシャ語の『転覆』に由来する。

●欧州はどう変わる?
『国家重視』の価値観が広がり、極右が台頭するかもしれない。

コミュニティの枠外にいる外国人や異教徒との連帯感が薄れ、不幸な事態が起きても、『それは彼らの問題』と切り捨ててしまうかもしれない。

排外的ナショナリズムは大変危険だ。第一次世界大戦後、フランスは自国の損害をすべつドイツに押し付け、ドイツ再建を阻もうとした。その結果、ナチスが台頭した。


◎スペイン帝国の杜撰な植民地経営
現在のボリビア??にあるポトシ銀山からもたらされる途方もない富みは、いまやカール五世のものだった。

カール五世には、よき宮廷人だけでなく、すぐれた会計専門家も必要だった。スペイン帝国が抱える問題は、想像もつかないほどの富を保有していながら、きちんと計算してみると、往々にして稼ぐ以上にコストがかかっていると判明することだった。領土、港湾、地球上のあちこちにある植民地を維持するにはカネがかかる。彼の打ち立てた偉大な帝国が代々受け継ぐ負の遺産となる。

●カール5世(Karl V., 1500年2月24日 - 1558年9月21日)
神聖ローマ帝国のローマ皇帝(在位:1519年 - 1556年)、およびスペイン国王(在位:1516年 - 1556年)。スペイン国王としてはカルロス1世(Carlos I)と呼ばれる。

カール五世は一五五六年に退位するが、この時点で帝国の負債は三六〇〇万ダカットに達していた。在位期間中にほぼ毎年一〇〇万ダカットの赤字を出していた計算である。そして収入の六八%は外国の銀行から受けた融資の利払いに充てられていた。

◎「書類王」フェリペ2世の死角
カード五世退位後は、息子のフェリペが跡を継ぎ、スペイン、ポルトガルの王、そしてスペイン帝国の支配者となった。

この時期はまさにスペインが耐用の沈まぬ帝国だったときだが、フェリペ2世はその広大な領土に遠征することはなく、エル・エスコリアル宮殿に閉じごもって政務に精を出した。

書類の数は年間一〇万通にもおよび、とても人間業(わざ)で処理できる量ではなかった。

フィリピンからの書状に答えるのに七年もかかったこともある。

「よい帳簿と不正な帳簿を見分けることは私にはできない。いま理解できないことやこれまでずっと理解できなかったことを理解しようとして、頭を悩ませたくはない」

☆これは社長の奥さんや息子にも多い?
経理を軽く見ている経営者、配偶者、後継者………


●フェリペ2世(Felipe II, 1527年5月21日 - 1598年9月13日)
ハプスブルク家のカスティーリャ王国・アラゴン王国(=スペイン)の国王(在位:1556年 - 1598年)。
イングランド女王メアリー1世と結婚期間中、共同統治者としてイングランド王フィリップ1世(Philip I)の称号を有していた。また1580年からは、フィリペ1世(Filipe I)としてポルトガル国王も兼ねた。

◎ドン・キホーテ 第8章
………その中でおいらの名誉を嬲り者にしているんじゃないかと。デブの出っ腹、豚野郎と罵り放題………妬みを買うほどの財産もないし。そりゃあ、小さい悪はいろいろあります。狡いと言われれば、狡いところがないとは申しません。………

嬲………なぶる/もてあそぶ

似たことがカルロス五世大帝とさる騎士の間でもあった。ローマでのことだ。………
『御聖人(ごしょうにん)陛下、さきほどわたくしは何度も何度も陛下に抱きつきたいという衝動に駆られておりました。抱きついたままあの窓から飛び降りて、わたくしの名を永遠に残したくなったのです』
そうであったか、と皇帝はうなずき、抱かれなくてよかった、と一応礼を言った上で、今後も、そちの忠誠心を監視しなければならんとなると、その度に、はらはらしなければならんが、二度とそうならずに済むようにしておきたい、今後は、余に話しかけてくれるな、同席も禁じる、と陛下は仰せになり、よくぞ打ち明けた、と褒美を賜った。サンチョ、拙者が言いたいのは、名声欲の為すところいかに大なるかだ。
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