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2020.5.10-7

2020年05月10日 (日) 00:41
2020.5.10-

【寸鉄】
「南無妙法蓮華経と申さ
ば必ず守護し給うべし」
御書。確信の題目で前進
     ◇
音楽隊の日。師と共に歩
んだ66年。絆強め進む若
き広布楽雄の連帯頼もし
     ◇
自粛続きSNS上に「鬱」
「ストレス」の言葉が増。
励ましの声掛けを今こそ
     ◇
生活ごみが増加の傾向。
“袋はしっかり縛って”と
環境省。皆でルール守り
     ◇
気温・湿度上昇で食中毒
に注意。宅配、持ち帰りは
早めの消費を。油断せず

◎名字の言 「サザエさん」の作者・長谷川町子さん――社会を変える力とは?
本年は、4こま漫画「サザエさん」の作者・長谷川町子さんの生誕100周年。彼女の作品の一つに、こんな話がある▼3人の男性がバケツを持って、火事の現場へ。次のこまは、火を消して帰る男性たちの姿。3こま目、おけを手に走っていくサザエさんが登場し、男性たちは“今ごろ駆けだして”と笑う。最後のこま。サザエさんがおけからおにぎりを出し、焼け出された一家に振る舞う。女性ならではの機転と、その優しさに心が温かくなる▼「サザエさん」の新聞連載が始まったのは終戦の翌年。どんな時も朗らかさを失わないサザエさんの姿が、戦後の日本を明るく照らした。作者の長谷川さんは「常に温かく誠実な一人の女性があるとしたら、社会的にどんなに見映えのしない存在であろうとも、その人こそ、世の中を善くする大きな原動力」と語る(『長谷川町子 思い出記念館』朝日新聞社)▼日蓮大聖人は「大悲とは母の子を思う慈悲の如し」(御書721ページ)と、仏法の根本の慈悲を“母の心”に譬えられた。生命を育み、慈しむ母の心を社会に広げるのが、我らの運動の目的の一つである▼池田先生は「母たちが幸福に輝いていってこそ、平和と希望の園が広がる」と。あす「母の日」。全ての母に感謝の言葉を伝えたい。(剛)

◎804年7月、通訳に門弟の義真を連れ、空海とおなじく九州を出発。9月上旬明州に到着[10]。9月下旬台州に到着、湛然の弟子の道邃から天台法門の書写を受け修学する[10][9]。10月天台山に登り、国清寺に入る[10]。湛然の弟子の行満(ぎょうまん)から付法82巻を受け、翛然(しゅくねん)から達磨禅を受法する[10]。



◎最澄(さいちょう)は、平安時代の僧(766/767年 - 822年)[2][3]。日本の天台宗の開祖であり、伝教大師として広く知られる。近江国(現在の滋賀県)滋賀郡古市郷(現在の大津市)もしくは生源寺(現在の大津市坂本)の地に生れ、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。生年に関しては天平神護2年(766年)説も存在する。中国に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建てて天台宗の開祖となった[4]。なお、最澄に唱える言葉は「南無宗祖根本伝教大師福聚金剛」である。

◎空海(くうかい、774年〈宝亀5年〉- 835年4月22日〈承和2年3月21日〉)は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号で知られる真言宗の開祖である。俗名は佐伯 眞魚(さえき の まお[1])[2]。

◎遣唐使(けんとうし)とは、日本が唐に派遣した使節である。日本側の史料では唐の皇帝と同等に交易・外交をしていたと記して対等な姿勢をとろうとしたが、唐の認識として朝貢国として扱い[1]『旧唐書』や『新唐書』の記述では、「倭国が唐に派遣した朝貢使」とされる。中国では618年に隋が滅び唐が建ったので、それまで派遣していた遣隋使に替えてこの名称となった。寛平6年(894年)に56年ぶりに再開が計画されたが、907年に唐が滅び、そのまま消滅する形となった[2]。遣唐使船には、多くの留学生が同行し往来して、政治家・官僚・僧にも多くの人材を供給した。留学生井真成の墓も中国で発見された。


◎ジャック・カルティエ(Jacques Cartier、1491年12月31日 − 1557年9月1日)
フランス・ブルターニュ地方サン・マロ出身のブルトン人探検家・北米への侵略者。セントローレンス湾とセントローレンス川岸にヨーロッパ出身者として初めて到達し、イロコイ族の言葉からその周辺の土地を「カナダ」と名付け記述したことで知られる。

◎気象協会は1966(昭和41)年に関西気象協会・西日本気象協会と合併し、現在の名称になった。
気象情報の伝達・配布、気象調査、気象知識の普及等を行っている。


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