●韓国の国立忠北大学
池田先生に「名誉教育学博士号」授与を決定
金総長が池田先生を知るきっかけとなったのは、昨年6月、同大学でSGI(創価学会インタナショナル)が他団体と協力して制作した展示「変革の一歩――人権教育の力」が開催されたこと。平和・文化・教育運動に、比類なき貢献を重ねる池田先生に共感を抱いたという。
●忘れ得ぬ旅
大阪
懐かしき
思い出多き
関西は
私の故郷
永遠の都か
〈ロータスラウンジ――法華経への旅〉
第15回 見宝塔品第十一〈上〉
自行化他にわたって妙法を唱えるとき私たちの生命が宝塔となる
「聞・信・戒・定・進・捨・慚」
「聞」とは、正法を求め聞き学ぶことです。
「信」とは、妙法を信受することです。
「戒」とは、末法にあっては妙法を受持することです。
「定」とは、不動の信を確立することです。
「進」とは、精進のことです。
「捨」とは、煩悩などを捨てることです。
「慚」とは、反省し、求道心を絶やさないことです。
つまり、この七つの修行、私たちにとっては、自行化他にわたる唱題行によって、自分自身の生命を最高に光り輝かせていくことができるのです。
●寸鉄
「友情は喜びを二倍にし、
悲しみを半分に」詩人。
電話等で励まし合い前進
●公明北斗七星
「裏を返せば、革新や時代の刷新というものは、それ自体をめざすことでは生まれないのかもしれない」
◎ウォーターゲート事件(ウォーターゲートじけん、アメリカ英語: Watergate scandal )
1972年6月17日にワシントンD.C.の民主党本部で起きた盗聴侵入事件に始まったアメリカの政治スキャンダル。1974年8月9日にリチャード・ニクソン大統領が辞任するまでの盗聴、侵入、裁判、もみ消し、司法妨害、証拠隠滅、事件報道、上院特別調査委員会、録音テープ、特別検察官解任、大統領弾劾発議、大統領辞任のすべての経過を総称して「ウォーターゲート事件」という[注釈 1]。
☆ザ・シークレットマン
ある深夜、5人の男がワシントンD.C.の民主党本部に侵入。盗聴器を仕掛けようとしたところを逮捕された。事件の指揮を担当したFBI副長官フェルトは、背後にホワイトハウスの関係者がいると確信。例え相手が大統領であろうとも、捜査の手を緩める訳にはいかない。しかし長年FBIのトップに君臨したフーバー長官の急死後、長官代理に就任したグレイは、ホワイトハウスの意向を汲み捜査の早期終結を指示する。このままでは真実が闇に葬られてしまう。捜査を続行し、事件の全容を明らかにするため、フェルトは一世一代の賭けに出る。
◎永禄の変(えいろくのへん)
永禄8年5月19日(1565年6月17日)、室町幕府13代将軍足利義輝が、三好義継、三好三人衆(三好長逸・三好宗渭・岩成友通)、松永久通らの軍勢によって京都二条御所に襲撃され、殺害された事件である。永禄の政変と呼称されることもある[注釈 1]。
足利 義輝(あしかが よしてる、1536年3月31日〈天文5年3月10日〉- 1565年6月17日〈永禄8年5月19日〉)
室町時代後期(戦国時代)の室町幕府第13代征夷大将軍(在職:1546年〈天文15年〉- 1565年〈永禄8年〉)。足利宗家第20代当主。
◎沖縄返還協定(おきなわへんかんきょうてい)は、日本国とアメリカ合衆国との間で署名された協定。正式名称は、琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(英:Agreement between Japan and the United States of America Concerning the Ryukyu Islands and the Daito Islands)。1971年(昭和46年)6月17日に調印、1972年(昭和47年)5月15日に発効し[1]、沖縄の施政権がアメリカから日本に返還され、沖縄県が復活した。
◎東ベルリン暴動(ひがしベルリンぼうどう、ドイツ語: Aufstand des 17. Juni 「6月17日蜂起」)
ヨシフ・スターリンの死後の1953年6月16日に起こり翌日6月17日に収束した、東ベルリン地域で発生した大衆暴動である。
事件の発端は、ノルマ未達成者の賃金カットという東ドイツ政府の新政策に反対しての、スターリン=アレーの建設労働者のストライキであった[1]。当初、ストライキの参加者は300人ほどであった。翌日の抗議行動に向けて労働者の数が膨れ上がった。労働者らは「顎ヒゲ、出っ腹、メガネは人民の意志ではない」というスローガンを掲げていた。これはそれぞれ、当時の東ドイツの政治的指導者だったヴァルター・ウルブリヒト(ドイツ社会主義統一党書記長)、ヴィルヘルム・ピーク(大統領)、オットー・グローテヴォール(首相)を揶揄したものだった。