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2020.6.12-4

2020年06月12日 (金) 02:09
2020.6.12-

【二年前】
◎10:00支部発唱題会
朝食していたら
妻「車動かしとったね………
やっぱり昨日の映画が利いとるごたる………
二三日やろうばってんね………」
??

娘も部屋から出てきて一緒に朝食
「恵ちゃん、おはよー」

ちょうど、上海の娘からもwechat
「おはよー??」
???

舘ひろし(夕刊フジ9日)
(カッコイイ男であり続ける秘訣は)
「……あとは女好きっていうことかな」
?


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
0186〜0237 開目抄 0195:13〜0196:01 
第17章 明証を引いて難信の信を勧む

講義

賢王の世には道理かつべし愚主の世に非道・先をすべし

 この御文によって現代を考えてみたとき、憂うべき事件があまりにも多い。わが国は、一応、法治国家として、不正や悪事は厳しく取り締まられているが、法の裏をかいた巧妙な不正は、政界に、財界に、はては教育、学問の世界にいたるまで、常識とさえなっている。そして、その世界の実力者とは、こうした裏道に通じている人の代名詞となっているといっても過言ではあるまい。
「無理が通れば道理引っこむ」「正直者がバカを見る」といった世の中にあっては、真の第一人者は日陰者とされてしまい、文化、社会の正しい繁栄、発展はありえない。その原因は、愚主の世なるゆえなりと喝破せられた御文である。
 それでは、賢王とは何か、愚主とは何か。民主主義の現代においては、民衆である。民衆が無知・無気力であれば、民主主義も衆愚主義となり、非道・不正が幅をきかせるようになってしまう。民衆が賢く、自己の生活向上と社会の繁栄を賢明に考えている世には、道理が勝つのである。
 その民衆をひとりひとり賢明にする法こそ、大仏法によって生命哲理、生活原理を根本より理解し、会得することである。どのように学問が発達し、人知が発展しようと、この根本を忘れたならば、すべて生活に生かされない、砂上の楼閣にひとしいといわなければならない。


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