
【一年前】
 ●私も認知症が確実に進行中??
 佐賀から自宅に戻り………
 事務所に着いたらスマホがない。あれ?
 車に戻ってもない。あれ?
 え? 自宅に忘れたかな? やばっ?
 (ロックかけてたかな………)
 自宅に戻ったら仏壇の経机に…パカッと。
 やっぱり写真を妻が見ていたようだ
 ?
 認知症には割と重い方の『抜け落ち型』と軽い方の『物忘れ型』があるそうで、私の場合は明らかに重い方の『抜け落ち型』の方のようだ。 
 
 ●夜
 妻「お父さん今日は胸いっぱいやろ?
 ………お陰でスマホの写真全部見た
 ………ビックリした
 ………仏壇の前にあったけん、ちゃん〜と御本尊様からのおん計らいで教えてくれらしたとばい」
 
 あとは今日あったことを、喜んで
 弾丸の如く話してくる?
 
 妻「子供が社会的にどんなに立派になっても、信心していないところが多い。
 うちは子供たちも色んなことがあるけど、やっぱり信心だけはしっかり継承されているから、これが一番?」
 
 私「かつてある幹部が座談会で言ってた。
 『信心していても、良くなる人と、悪くなる人がいる。悪くなる人は………
 感謝がない人』」
 
 ………そんな話をしながら
 妻「全然気にしとらんごたるね」
 (全然どころか、いっぱい気にしまくっているのに………肝心な所は見てなかったようだ。
 あ〜良かった????
 ………危機一髪………守られた?)
 ?? 
 
 【二年前】
 ●SGIのみが希望の光? 
 「コリアンにはシナ文化しかなかったので、文化に関心を持たなかった」(古田教授7日)
 −−確かに?
 SGIのみが希望の光?
 「文化大恩の国」「兄の国」とは“覚醒”の言葉なんですね?
 
 例せば震旦・高麗等は天竺についでは仏国なるべし、彼の国国・禅宗・念仏宗になりて蒙古にほろぼされぬ、日本国は彼の二国の弟子なり二国のほろぼされんにあに此の国安穏なるべしや 
 (法門申さるべき様の事1,272ページ) 
 
 ◎11月9日は「119番の日」です。昭和62年(1987年)、自治省(現総務省)消防庁が制定しました。
 
 今では当たり前のように知られている119番通報ですが、現在の番号が使われるようになったのは昭和2年(1927年)のこと。それまでは112番が緊急電話番号として指定されていましたが、誤った接続が多かったため、当時地域番号(局番の第一数字)として使われていなかった119番が新たな緊急電話番号として誕生しました。 
 
 電話番号119に因んで。
 この日から1週間は「秋の全国火災予防運動」が行われる。 
 
 ◎富士川の戦い(ふじかわのたたかい)
 平安時代後期の治承4年10月20日(ユリウス暦1180年11月9日、グレゴリオ暦16日)に駿河国富士川で源頼朝、武田信義と平維盛が戦った合戦である。治承・寿永の乱と呼ばれる一連の戦役の1つである。 
 
 
 ◎大政奉還(たいせいほうかん)
 江戸幕府第15代将軍徳川慶喜が政権返上を慶応3年10月14日(1867年11月9日)に明治天皇へ奏上し翌15日に天皇が奏上を勅許した事。 
 
 ◎三井三池三川炭鉱炭塵爆発
 (みついみいけみかわたんこうたんじんばくはつ)
 1963年(昭和38年)11月9日に、福岡県大牟田市三川町の三井三池炭鉱三川坑で発生した炭塵による粉塵爆発事故である。 
 
 ◎太陽暦について
 太陽暦(solar calendar)とは、地球が太陽の周りを回る周期(太陽年)を基にして作られた暦(暦法)である。1年の日数を1太陽年に近似させている。ユリウス暦や、現在、世界の多くの地域で使用されているグレゴリオ暦は、太陽暦の1種である。
 
 太陽年の周期は、約365.242 189 44日(2015年 年央値)であり、1年を単純に365日とすると4年でほぼ1日(より正確には、約0.968 758日)のずれが生じる。このずれを補正するために閏日(うるうび)が設けられる。
 
 エジプトでは、太陽暦は歴史が始まってから使われてきた。ローマ共和国(ローマ帝国の前身)では、紀元前46年に従来の太陰太陽暦であるローマ暦に代えて導入された。そのとき導入したカエサルの名をとってユリウス暦と呼ばれる。その後、1582年に、ユリウス暦の補正の仕方(置閏法)を改良したグレゴリオ暦がローマ教皇グレゴリウス13世により制定され、世界中に普及した。 
 
 ◎ガイウス・ユリウス・カエサル
 (古典ラテン語:Gaius Iulius Caesar、紀元前100年 - 紀元前44年3月15日)
 共和政ローマ期の政治家、軍人であり、文筆家。
 「賽は投げられた」(alea iacta est)、
 「来た、見た、勝った」(veni, vidi, vici) 、
 「ブルータス、お前もか (et tu, Brute?)」
 などの特徴的な引用句でも知られる。
 また暦で彼の名称が使用されていた(ユリウス暦)時期が存在していた。ちなみユリウスは、現在の英語やドイツ語やオランダ語等のゲルマン派諸語や、ギリシア語、スペイン語やポルトガル語やフランス語等のロマンス語派諸語、ロシア語やウクライナ語やベラルーシ語等のスラヴ語派諸語等、欧米諸国の全域に於いて「7月」(July)の意になっている。 
 
 
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 第十章 良観等の妄語の讒奏を破す 0182.03〜0182.07 
 
 講義
 
  ここでは、良観等が大聖人の破折によって自身の法の誤りであることが明らかにされたので、その邪義を隠すために、妄語を述べて権力を動かし、大聖人及びその門下に迫害を加えてきたことを明らかにされている。そしてこのように妄語によって人を陥れる良観らをこそ、心ある人は驚き怖れるべきであると結論されている。
 
 彼の邪義を隠さんが為に諸国の守護・地頭・雑人等を相語らいて言く
 
 良観等は自分の教法が悪法であると露見するのを恐れ、その邪義を隠蔽するための策謀をめぐらした。「諸国の守護・地頭・雑人等を相語らいて言く」すなわち各地を治めている権力者たち、そして民衆等を扇動して、「日蓮ならびに弟子等は、あなた方の尊敬崇拝してやまない阿弥陀仏を、焼却したり、あるいは水中に投棄しており、あなた方にとって一大怨敵である」と偽りを吹聴して、増悪の心を煽ったのである。そして、「日蓮等の頸を切り、あるいは所領から追放すべきである」等と彼らを煽りたてたのである。良観が鎌倉で活動するようになったのは弘長元年(1261)以後であるから、松葉ケ谷の法難や伊豆流罪にゆいては良観自身は無関係としても、他の諸寺の僧たちは何らかの関係があったと考えられる。