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2019.11.1-3

2019年11月01日 (金) 00:23
2019.11.1-

◎システィーナ礼拝堂
より正確にスィスティーナ礼拝堂
(スィスティーナれいはいどう、伊: Cappella Sistina)
ローマ教皇の公邸であるバチカン宮殿にある礼拝堂。サン・ピエトロ大聖堂北隣に位置するその建物とともに、ミケランジェロ、ボッティチェッリ、ペルジーノ、ピントゥリッキオら、盛期ルネサンスを代表する芸術家たちが内装に描いた数々の装飾絵画作品で世界的に有名な礼拝堂である。とくにローマ教皇ユリウス2世の注文でミケランジェロが1508年から1512年にかけて描いた天井画と、ローマ教皇クレメンス7世が注文し、ローマ教皇パウルス3世が完成を命じた、1535年から1541年にかけて描いた『最後の審判』はミケランジェロの絵画作品の頂点とされている。

◎北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)
天正15年10月1日(1587年11月1日)に京都北野天満宮境内において豊臣秀吉が催した大規模な茶会のこと。

この年の7月に九州平定を終えた秀吉は、京都の朝廷や民衆に自己の権威を示すために、聚楽第造営と併行して大規模な催事を企てた。同月末より、諸大名・公家や京都・大坂・堺の茶人などに10月上旬に茶会を開く旨の朱印状を出し、続いて7月28日に京都・五条などに触書を出した。

◎日本鉄道が国有化された1906年(明治39年)11月1日[19]時点では、品川駅 - 赤羽駅間に貨物列車のほかこの区間を単純往復
する旅客列車も運行された(毎日9往復)。

山手線は元々、日本鉄道が現在の東北本線および東海道本線を連絡するために品川駅 - 赤羽駅間の山の手に敷設した線路であった。東京市街地の拡大に伴い、市街を巡る大都市の基幹交通路線に性格を変えていった。電車が運行を開始したのは1909年[18]、現在のように環状運転が実施されるようになったのは1925年のことである。

東海道本線が東京駅まで延伸開業し、中央線も同駅まで延伸されると、中央線と山手線を接続し、中野駅 - 新宿駅 - 東京駅 - 品川駅 - 新宿駅 - 池袋駅 - 田端駅 - 上野駅間で「の」の字運転が開始され、この頃から現在の赤羽線区間が山手線枝線の運行形態になった。

1925年(大正14年)11月1日に東北本線の秋葉原駅 - 神田駅間が完成し、東京 - 上野間が高架で複線化された時に中央線への乗り入れは中止され、環状運転が開始された。この時、京浜線も田端まで延伸されている。



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第九章 凶徒・兵杖を集めるとの非難に答える 
0181.16〜0182.03

「あるいは山林の静かな寺院で、衣を着て、静寂なところに在って、自ら真実の道を行じていると思って、人間を軽んじ賤しめている者がいるであろう。財産を貪り自己の利益を求めることに貧著しているがゆえに、在家の人々のために法を説いて、世間から恭敬されることは、六神通を得た聖者のごとくであろう。この人は悪心を懐いて、常に世俗のことばかり心に思い、その名を住んでいる静かな寺院にかりて、好んで私たちの過失を数え上げるであろう。しかもこのような言葉をいう。『この比丘たちは、財産を貪り、自己の利益を求めることに貧著しているがために、外道の論議を説き、自らこの経典を作成して、世間の人をたぶらかし惑わせ、名聞を求めようとするためのゆえに分別してこの経を説くのである』と。このように常に大勢の人々のなかで、私たちを謗ろうとするので、国王・大臣・婆羅門・在家の人々およびその他の比丘たちに向かって、誹謗して我が悪を説いて、『これは邪見の人である。外道の論議を説いている』という」(以上現代語訳)


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