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2019.11.5-3

2019年11月05日 (火) 01:37
2019.11.5-

【一年前】
●朝6:30起床
妻「ほ、休みの日に限って早かもん」
私「目の覚めてしもうた」
「その黒は汚れとる、洗濯に出すたい、
丹前(たんぜん)出して来ようか?
デリケートでセンチメンタルでナイーブやろ!?」
?

【二年前】
●徳川家康23巻
??人間の眼の不正確さはこれもよく知っている。未熟な者は眼でものを見ずに感情でものごとを判断する。好きな“もの”の中から美点だけをえぐり出し、嫌なものからは欠点だけを探し出す。
といってみても、実は、不正確な眼しか持たないものが、百人中に九十五人はおり、それが雑然と泣き合ったり、争い合ったりしているのが現実の世界であった。
(そうか。いよいよ大阪の眼も、好悪の感情にゆがみきってしまったか……)

??忠輝、義利、頼宣、頼房……いや、大阪城の秀頼も、秀康の子の忠直も、……みんなもう家康ののぞいて来ている地獄をまるで知らない者どもだった。

(獅子は兎を搏(う)つにも全力をかけるという……)

(−−戦争を駆けくらべだと思っておる……)

(いやはや、何としても戦と遊びのけじめのつかぬ世になったぞ……)
          
                
◎2011年3月11日の東日本大震災を受けて同年6月に制定された「津波対策の推進に関する法律」にて「津波防災の日」として制定。2015年12月国連総会決議により「世界津波の日」となった。

嘉永7年11月5日(1854年12月24日)、安政南海地震が発生し、南海道・東海道を大津波が襲った。このとき、紀伊国広村で濱口梧陵が稲藁に火をつけて津波の襲来を知らせ村人を避難させたという実話を元に小泉八雲が『稲むらの火』という物語を執筆し、後に小学校の教科書にも掲載された。

当初は東日本大震災が発生した3月11日を記念日とする案であったが、震災が起きて間もないことから、被害を受けた方々の心情を考慮して違う日附にされた。
                
                      
◎カローラ(COROLLA)
トヨタ自動車が1966年より製造・販売している乗用車のブランド(商標)、および車名である。

1966年10月20日 - 東京モーターショーで発表され、同年11月5日に発売。発売当初は2ドアセダンのみ。同時にオセアニアにも輸出を開始。

◎大菩薩峠事件(だいぼさつとうげじけん)は、1969年11月5日に共産主義者同盟赤軍派(赤軍派)の53名が凶器準備集合罪で逮捕され、同組織の弱体化に結び付いた事件である。

大阪戦争・東京戦争が失敗に終わった赤軍派は、「11月闘争」と称して刃物・鉄パイプ爆弾・火炎瓶等の凶器で武装し、8つの部隊が大型ダンプカー等5台の車に分乗して首相官邸および警視庁を襲撃し、人質をとって獄中の活動家等を奪還するという作戦を企てた。そのための武装訓練を大菩薩峠周辺の山中で行うべく、山梨県塩山市(現在の甲州市)の山小屋『福ちゃん荘』に潜伏していた。

潜伏とはいえ、情報は事前に外部に筒抜けとなっており、読売新聞に至っては記者を荘に投宿させて特ダネを狙っていた。11月5日早朝、警視庁と山梨県警合同の機動隊が突入、その場に居た53名のメンバーが凶器準備集合罪で現行犯逮捕され、武器なども押収された。逮捕されたメンバーの中には上野勝輝ら幹部や第六中隊長として森輝雄もいたが、幹部らの甘言により何も知らされずに動員された高校生も多かった。また、裁判時には「反革命兵士も見つけ次第銃殺の刑にするのだ!法廷は君達の戦うべき戦場にあるのだ!いたるところに、人民の手で法廷を創り出せ!銃を持て!銃が裁判権を持っているのだ!」などの冒頭陳述もみられた。

これ以降、弱体化した赤軍派は日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(通称、京浜安保共闘)と統合し、連合赤軍を形成。
山岳ベース事件、あさま山荘事件へと突き進むことになる。

◎2010年 - 尖閣諸島問題で、中国漁船衝突映像が流出。
(尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件)


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第九章 凶徒・兵杖を集めるとの非難に答える 
0181.16〜0182.03

だからといって、仏教は「武力主義」かというのは見当違いである。武力専横の時代という背景を考慮しなければならない。悪人が充満し、謗法の者が武力をもって正法を圧迫してきた時、正法を護るためには、武力による以外にはなかったのである。

布教のためか侵略のために武力を用いているのではない。正法を護ることが目的であり、そのための、やむをえない手段として所持を許されているのである。

同じく涅槃経に「刀杖を持すと雖も我是等を説いて持戒と名さん、刀杖を持すと雖も命を断ずべからず」と。すなわち“刀杖は持ってはいるけれども、正法を護るがゆえに、これを持戒と名づける。ただし、刀杖を持すといっても、防御のため、護法のためで、謗法の者の命を断ってはならない”と。



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