11月3日(日)
文化の日
明治天皇の誕生日。
1872(明治5)年までは9月22日に行われていたが、1873(明治6)年の太陽暦の採用にともない、太陽暦に換算した11月3日に変更された。1912(明治45)年の明治天皇の崩御に伴い廃止され、昭和に入ってから「明治節」として復活した。
☆11月3日文化の日が明治天皇の誕生日だとは昨日まで知りませんでした。?
1946年 - 日本国憲法が公布。
1954年、ゴジラシリーズ第1作劇場公開
◎血液自主検査(1ヶ月半ぶり)
妻「上がっとる上がっとる、間違いなし」
「うん上がっとるよ」
病院で先生に「今度は上がっていると思います」
?
◎熊本市内で合同の結婚祝い?????
うちが10月10日で満34年、
親友が10月2日で満32年。
どちらも10月結婚。
16歳から46年?
妻「私まだ誕生日来てないから45年よ?」
?
奥さんの高校の時からの親友夫婦と合同の結婚祝い?
「どちらもよー持ちました?」
親友は還暦過ぎてから地区婦人部長。
「近くびっくりする報告があるけどまだ言えない」
………たぶん支部婦人部長ではないかな。
親友、旦那さんに
「来年はもっと忙しくなるから、信心に関しては文句言わんでね」
ご主人「文句言うても聞かんやろが」
( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
私「財務もお前それだけでいいとか?と言って下さいね」
親友「どんどん言って」
ワハハハハ?( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
財務も頑張られます。
ご主人は三年前の自殺未遂から奇跡的に助かり、奥さんの懸命な看病と題目で見事蘇生され、転重軽受されました。
「あれからもう3年ですね」
ご主人は穏やかな表情になられ、ブロック長の任命を受けられ、毎朝夫婦で勤行をされているとのこと。
「一番大変な時に来てくれたのが今でも一番嬉しい」
◎食事後、水前寺公園へ
私「水前寺公園は私たちのファーストキスの場所?」
ワハハハハ( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
妻「水前寺公園と言ったらすぐそれを言う」
親友「いいじゃないですか。思い出して初心にかえって」
( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
帰ったら、奥さんは二時間の題目をあげていたとのこと。
◎就職氷河期 大卒者の苦悩(聖教11/2一面)
『ダイヤはダイヤ。自分を信じて研き続ける』
私も若いときに就職には少しだけ苦労したので思い出しました。
妻「苦労した?」
「………就職には俺も少しは苦労したとよ」
人生にある程度の苦難や試練は必要なものです。
今いる男性職員二人も就職氷河期の真っ只中の世代。勤務はもう17年と15年になります。
わが息子は大学には二浪してある程度苦労しましたが、その後はとても美人の彼女と出会い、7年付き合って結婚しもう4年。子どもはまだ。
「モテすぎてあまり苦労しとらん?」
妻「それはお父さんのひがみたい」
【一年前】
●朝
私「日曜日は熊本交流で、金・土と車を洗車する時間がないから、今からガソリンスタンドに預けてまたタクシーで事務所に行く」
妻「ぜいたっか(贅沢)??」
「奥さんを車に乗せるのに車内が汚いとでけんもん」
「よか?
心の綺麗かけん車は少々汚くてもよか」
娘「お父さん、彼女でないから??」
妻「ほら、また娘に言われた??」
あははは( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
?
●妹「所長は本当に人に恵まれていますね?」
?
【二年前】
●朝、妻は化粧している
「化粧とかせんでも良かろうもん」
「いやいや見られんもん?綺麗なのはわかっとるばってん、化粧せんと見られんもん……」
?
◎文化の日(ぶんかのひ)
日本の国民の祝日の一つである。日付は11月3日。明治天皇の誕生日にあたり、明治期に天長節、昭和初期に明治節として祝日となっていた日である。
◎日本国憲法(にほんこくけんぽう、にっぽんこくけんぽう、旧字体:日本國憲?法、英: Constitution of Japan)
現在の日本の国家形態および統治の組織・作用を規定する憲法。民定憲法として1946年(昭和21年)11月3日に公布され、1947年(昭和22年)5月3日に施行された。日本国憲法第10章により、同憲法は日本の法体系における最高法規に位置付けられる。
◎『ゴジラ』は、東宝が製作し1954年(昭和29年)11月3日に公開した[注 1]日本映画。観客動員数961万人。モノクロ、97分、スタンダード。
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第九章 凶徒・兵杖を集めるとの非難に答える
0181.16〜0182.03
過去において、像法の末には伝教大師を護命・終円等が誹謗中傷した。今、末法の始め、大聖人御在世当時は良観・念阿等こそ、まさしく第三の強敵である。
「両行は公処に向う」とは、法華経義纉巻5の文をさす。「公処」とは国王・大臣・婆羅門・居士等、社会的権力をもった人々のことで、そうした権力者に訴えることを「公処に向う」と言っているのである。
大聖人は良観らが公処に向かって訴えていることこそ、僭聖増上慢であることの何よりの証拠である、と言われていると拝される。