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2019.10.31-2

2019年10月31日 (木) 01:01
2019.10.31

◎ハロウィンとは、キリスト教の聖人の祝日「万聖節」の前夜祭の事です。
 元々は2000年以上前から行われている古代ヨーロッパの原住民ケルト族の宗教的行事で、秋の収穫を祝い、亡くなった人たちをしのぶ収穫感謝祭がキリスト教に取り入れられ、現在のハロウィンになったと言われています。

ハロウィンお化けについて
 ケルト族の1年の終わりは、12月31日ではなく10月31日です。
 この1年最後の夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出て来ると信じられていました。
 そしてこれらから身を守る為に魔除けのたき火をしたり、自分たちが生身の人間である事がばれない様にと、お化けや動物の仮面をかぶるようになったのです。
 ここから、ハロウィンの夜にはお化けの仮装をする様になったのです。

「カボチャお化け」と「トリック・オア・トリート」
 ハロウィンと言えば、『カボチャお化け』と『トリック・オア・トリート』が有名です。

カボチャお化け
 ハロウィンの夜は、窓辺や玄関などにカボチャお化け(Jack-o'-Lantern)と呼ばれるカボチャをお化けの顔にくり抜いてつくったちょうちんを飾ります。
 これは、天国と地獄を行き来する「うそつきジャック」が持っているカブちょうちんが由来となっています。
 元々はカボチャではなくカブでしたが、アメリカではカブになじみがなく、ちょうどハロウィンの時期がカボチャの収穫時期であったためにカボチャで代用するようになり、今では世界的にカボチャが一般的となりました。


◎95か条の論題
(95かじょうのろんだい、ドイツ語: 95 Thesen)は、1517年10月31日にマルティン・ルターが発表したとされる文書である。

一般的には、ルターがこの文書をヴィッテンベルクの城教会の門扉に貼りだしたのが宗教改革の発端になったとされており、カトリック教会の贖宥状(免罪符)販売を批判したものだとされている。内容は序文と95か条の提題(テーゼン)から構成されており、本来はラテン語で書かれていた。すぐに活版印刷によるドイツ語訳版がつくられて印刷され、ドイツ中に知れ渡ったとするのが定説である。

10月31日は宗教改革記念日(Reformationstag)となっており、ドイツのプロテスタント地方では休日になっている。

◎秩父事件(ちちぶじけん)
1884年(明治17年)10月31日から11月9日にかけて、埼玉県秩父郡の農民が政府に対して負債の延納、雑税の減少などを求めて起こした武装蜂起事件。隣接する群馬県・長野県の町村にも波及し、数千人規模の一大騒動となった。自由民権運動の影響下に発生した、いわゆる「激化事件」の代表例ともされてきた。

松方デフレ(まつかたデフレ)
西南戦争による戦費調達で生じたインフレーションを解消しようと、大蔵卿松方正義が行った、デフレーション誘導の財政政策(デフレ不況)のことである。松方財政(まつかたざいせい)とも。

激化事件と運動の衰退 編集
大井憲太郎や内藤魯一など自由党急進派は政府の厳しい弾圧にテロや蜂起も辞さない過激な戦術をも検討していた。また、松方デフレ等で困窮した農民たちも国会開設を前に準備政党化した自由党に対し不満をつのらせていた。

こうした背景のもとに1881年(明治14年)には秋田事件、1882年(明治15年)には福島事件、1883年(明治16年)には高田事件、1884年(明治17年)には群馬事件、加波山事件、秩父事件、飯田事件、名古屋事件、1886年(明治19年)には静岡事件等と全国各地で「激化事件」が頻発した。また、大阪事件もこうした一連の事件の延長線上に位置づけられている。なお、政府は1885年(明治18年)1月15日に爆発物取締罰則を施行した。

この間、1882年(明治15年)には板垣が保守主義者の暴漢に襲われた(岐阜事件)。 また、1884年には自由党は解党し、同年末には立憲改進党も大隈らが脱党し事実上分解するなど打撃を受けた。


◎世界人口
国連発表にはなっているものの、各国政府の研究者たちによる推計での合算なため、正確な数値ではなくあくまで目安的扱いとなっております。

2050年には97億人 2100年は112億人、
その8割はアフリカで増加


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第九章 凶徒・兵杖を集めるとの非難に答える 
0181.16〜0182.03

講義
また訴状に「日蓮は兇徒をその住まいに集めている」また、「兵杖等を集めている」等と述べ、不穏な動きがあると非難している。これに対して大聖人は釈明するよりも、むしろこのような讒言をする良観らこそその正体は法華経勧持品第13で説く法華経非農の第三類、僭聖増上慢であるとして打ち破られている。

法華経勧持品第13の僭聖増上慢の文は「或は阿練若に有り」の一句のみで、あとは「等云云」と略されているが、詳しくは次の通りである。

「或は阿練若に、納衣にして空閑に在って、自ら真の道を行ずと謂いて、人間を軽賎する者有らん。利養に貪著するが故に、白衣のために法を説いて、世に恭敬せらるることを為ること、六通の羅漢の如くならん。是の人悪心を懐き、常に世俗の事を念い、名を阿練若に仮って、好んで我等が過を出さん。而も是の如き言を作さん、此の諸の比丘等は、利養を貧るを為っての故に、外道の論議を説く、自ら此の経典を作って、世間の人を誑惑す、名聞を求むるを為っての故に、分別して是の経を説くと。常に大衆の中に在って、我等を毀らんと欲するが故に、国王大臣、婆羅門居士、及び余の比丘衆に向って、誹謗して我が悪を説いて、是れ邪見の人、外道の論議を説くと謂わん。我等仏を敬うが故に、悉く是の諸悪を忍ばん」(以上訓読)


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