祝?令和元年
スタート??
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【一年前】
娘との会話
娘「お母さん、今度、映画○○を見に行こうよ」
私、冗談で………
「恵ちゃん、今度、お父さんと一緒に映画を見に行こうか?」
娘「お父さん、『昼顔』見に行こうか」
私「え??」
娘「実地」
妻「あはっ……あはは( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆」
娘「お父さんいっぱい浮気、不倫」
妻「ワハハハハ………( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
どうせ負けるとだから余計なことは言わんがいいよ」
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◎焼鳥の持ち帰り
私「うちの奥さん、このウインナーが好きなんですよ」
マスター「猿ちゃんのが使いもんにならんけんやろ」
「?そうですね??」
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◎創価大学2004年4月入学式
『あえて苦難の道を歩め?』
ブリャート共和国
「学問を修めていない人間が愚かなのではない。学問を修めようと努力しないことが愚かなのである」
「現実の人間社会は、汚らわしい嘘が渦巻いている。なかんずく、正義のために戦う偉大なる人生には、卑劣な嫉妬の嘘が襲いかかってくる。それが方程式です。
そうした嘘を鋭く見破り、痛烈に打ち破る力が、真の知力であり、知性です」
◎INPSが池田先生にインタビュー
条約の第12条には、「条約を普遍化するための努力」が規定されている。そのためには、被爆者の方々が訴え続けてきた原爆被害の実相に対する認識が、国や世代を超えて幅広く共有され維持されることが必要だ。その鍵を握るのは、平和・軍縮教育である。
◎寸鉄(4/30)
書物を1頁読む度に私は豊かにー文豪チェーホフ。良書は心の宝。
◎如説修行抄 502ページ
権実二教のいくさを起し忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ一部八巻の肝心・妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて大白牛車に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ……
『なぜ信心するのか?』
『楽しいから』
◎後藤新平
ごとうしんぺい
[生]安政4 (1857).6.4. 水沢
[没]1929.4.13. 京都
政治家。帰農した伊達藩士の子。当初医師。児玉源太郎のもとで台湾経営に顕著な働きをみせた。のち,1906年南満州鉄道初代総裁。1908年逓信大臣兼鉄道院総裁,拓殖局副総裁,1918年外務大臣,1920〜23年東京市長などを歴任。経世家としてのその才能には一定の評価がある。
◎韓国だけが「日王(イルワン)」
相手国の呼称を尊重するのが国際的慣例。
中国でさえ「天皇」。
「日本の下に立ったようでイヤだ」
話にならん。感情論に支配される韓国。
日本でも大阪の方でそうなりつつあるが…??
沖縄はすでに?
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◎登子(とうこ)【私本太平記一】
「いや、たいへんな人間だの。この鎌倉も、頼朝公の開府から百五十年。それ以前は、わびしき農村と、松の岡と、初夏は、山つつじの色ばかりだったそうだが、こうなるものかなあ、百五十年の年月には」
☆鎌倉幕府1185年〜1338年(153年)
☆室町時代成立1338年〜1573年(235年)
◎鳥合(とりあい)ヶ原(はら)のお犬小屋の狂いであろう。
◎六波羅(ろくはら)
京都の地名。平安時代末期には平清盛の邸宅を中心に,平氏の一族郎党の住い五千二百余戸が集っていた。平氏政権は六波羅政権とも呼ばれ,その時代を六波羅時代と称した。鎌倉時代,承久の乱後に六波羅探題が設置された。現在の京都市東山区松原町付近にあたり,空也上人の創建と伝えられる六波羅蜜寺がある。元弘3年(1333年)、六波羅探題は足利尊氏によって攻められ滅亡する。
◎波まぐれ【私本太平記一】
「おうっ、そなたは」
「ふ、ふじ夜叉。………そなたは、藤夜叉ではないか」
彼女は、とたんに泣いた。うれしいっ、と叫んだのも、その面も、双(ふた)つの袖でつかんでしまった。そして、高氏の胸へ、仆(たお)れかかるように寄って来た。
「し、しずかに」
藤夜叉は、すぐ黙った。
女にとって、恍惚の沈黙は、何にもまさる官能の言葉だった。
「逢いたかった。お逢いしたかった。………もう離れないで」
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十一通御書 建長寺道隆への御状
第二章浄諸宗による蒙古調伏は不可能
諸寺諸山の祈祷
威力滅する故か将又悪法の故なるか 鎌倉中の上下万人・道隆聖人をば仏の如く之を仰ぎ 良観聖人をば羅漢の如く之れを尊む、
諸寺諸山の祈禱の威力がなくなったゆえであろうか。それとも悪法が弘まったゆえであろうか。鎌倉中の上下万人は、道隆聖人は仏のように仰ぎ、良観聖人を羅漢のように尊んでいる。