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読書ノート101- Reeding Note101~

読書目録

読書累計100冊(平成22年~25年の4年間)
最も強烈に心に残る書物は「神曲」(ダンテ)
読書累計100冊

H22年〈30冊〉
1-2ファウスト(2)/ゲーテ
3ゲーテ詩集/ゲーテ
4ゲーテ格言集/ゲーテ
5-9レ・ミゼラブル(5)/ユゴー
10-16モンテ・クリスト伯(7)/デュマ
17-18九十三年(2)/ユゴー
19-21永遠の都(3)/ホール・ケイン
22-24神曲(3)/ダンテ
25-27罪と罰(3)/ドストエフスキー
28-30カラマーゾフの兄弟(3)/ドストエフスキー

H23年〈19/49冊〉
31-32悪霊(2)/ドストエフスキー
33貧しき人びと/ドストエフスキー
34虐げられた人びと/ドストエフスキー
35方法序説/デカルト
36-38アンナ・カレーニナ(3)/トルストイ
39-42戦争と平和(4)/トルストイ
43-44復活(2)/トルストイ
45神様の女房/高橋誠之助
46-48人生問答(3)/松下幸之助・池田大作
49木に学べ/西岡常一(薬師寺宮大工棟梁)

H24年〈20/69冊〉
50老人と海/ヘミングウェイ
51-53草の葉(3)/ホイットマン
54-57大地(4)/パール・バック
58地下鉄に乗って/浅田次郎
59鉄道員/浅田次郎
60-63蒼穹の昴(4)/浅田次郎
64地の底の山/西村健
65古事記/梅原猛
66-67日本書記(2)/宇治谷孟
68阿Q正伝/魯迅
69孔子/井上靖

H25年〈30/99冊〉
70生の短さについて/セネガ
71心の平安について/セネガ
72幸福な生について/セネガ
73霞町物語/浅田次郎
74やさしい移転価格/海外職業訓練協会
75中国の日系企業が直面した問題
76「三人の悪党」キンピカ1/浅田次郎
77「血まみれのマリア」キンピカ2
78「真夜中の喝采」キンピカ3
79実務化のための組織再編マニュアル
80-83中原の虹(1-4)/浅田次郎
84珍姫の井戸/浅田次郎
85かわいい自分には旅をさせろ/浅田次郎
86色彩を持たない多崎つくると、彼の巡業の年/村上春樹
87-94三国志全8巻/吉川英治
95諸葛孔明の戦略と戦術
96永遠の0/百田尚樹
97-98海賊とよばれた男/百田尚樹
99「項羽と劉邦」(上)司馬遼太郎
100 「項羽と劉邦」(中)司馬遼太郎

H26年〈目標50/149冊〉
1)101 「項羽と劉邦」(下)司馬遼太郎
2)102軍師黒田官兵衛/
高橋直樹
3)103
誰も書けなかった邪馬台国
4(104)ネルソン・マンデラ
5(105)小説人間革命第一巻
6(106)ガンジー自伝
7-9(107-109)水滸伝(上中下)
10(110)小説人間革命第二巻

11(111)ガンジー・自立の思想

12(112)ガンディー 魂の言葉
13(113)小説人間革命第3巻

14(114)小説人間革命第4巻
15(115)
ドン・キホーテ前篇上
16(116)平和の架け橋/池田大作
17(117)お金で世界が見えてくる/池上彰著  ↑6月
18(118)
いま親が死んでも困らない相続の話
19(119)今からでも間に合う! 駆け込み実例対策
20(120)大増税でもあわてない相続・贈与の話
21(121)人間革命 第5巻
22(122)人の命は腸が9割/藤田紘一郎
23(123)10人の友だちができる本 ↓7月
24(124)人生を変える対話の力

25(125)家康はなぜ、秀忠を後継者にした
26(126)地球時代の哲学
27(127)白蓮・踏繪
28(128)
・キホーテ前篇下 ↓8月
29(129)王子と乞食

30(130)人間革命第6巻
31(131)
32(132)
33(133)
 

<今後の予定>

1
2-6赤毛のアン
7-8ドン・キホーテ後編全2巻
9文学は、たとえばこう読む

10
 

ドン・キホーテ

ドン・キホーテ


『ドン・キホーテ』(Don Quijote、Don Quixote) は、スペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスの小説。

ただし、スペインでは「ドン・キホーテ」では通じないことが多く(ドンは呼び掛けの称号のため)、定冠詞を付けて「エル・キホーテ」(el Quijote)と呼ばれる。

ドン・キホーテとサンチョ(ギュスターヴ・ドレによる挿絵)

騎士道物語(当時のヨーロッパで流行していた)を読み過ぎて妄想に陥った郷士(下級貴族)の主人公が、自らを伝説の騎士と思い込み、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」(「ドン」は郷士より上位の貴族の名に付く。「デ・ラ・マンチャ」は「ラ・マンチャ地方の」の意で、出身地を表す。つまり「ラ・マンチャの騎士・キホーテ卿」と言った意味合い)と名乗り、痩せこけた馬のロシナンテにまたがり、従者サンチョ・パンサを引きつれ遍歴の旅に出かける物語である。

1605年に出版された前編と、1615年に出版された後編がある(後述するアベリャネーダによる贋作は、ここでは区別のため続編

旧態依然としたスペインなどへの批判精神に富んだ作品で、風車に突進する有名なシーンは、スペインを象徴する騎士姿のドン・キホーテがオランダを象徴する風車に負けるという、オランダ独立の将来を暗示するメタファーであったとする説もある(スペインの歴史、オランダの歴史を参照)。実在の騎士道小説や牧人小説などが作中に多く登場し、書物の良し悪しについて登場人物がさかんに議論する場面もあり、17世紀のヨーロッパ文学についての文学史上の資料的価値も高い。

主人公の自意識や人間的な成長などの「個」の視点を盛り込むなど、それまでの物語とは大きく異なる技法や視点が導入されていることから、最初の近代小説ともいわれる。年老いてからも夢や希望、正義を胸に遍歴の旅を続ける姿が多くの人の感動をよんでいる。

また、聖書の次に世界的に出版されており[要出典]、正真正銘のベストセラー小説・ロングセラー小説でもある。2002年5月8日にノーベル研究所と愛書家団体が発表した、世界54か国の著名な文学者100人の投票による「史上最高の文学百選」で1位を獲得した。

人と日常
人と日常

第1章
いまをときめく郷士
ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ
人と日常

さほど昔のことではない、ラ・マンチャ平原の、どこであったか、さる村に郷士がいた。

郷士の歳はかれこれ五十。…この郷士暇さえあれば、ほぼ年中暇であったが、騎士道小説を読み、日課のような狩猟も田畑の管理もほったらかし、読み耽って、現をぬかし、あげく、騎士道本を手にいれるために幾町歩も人手に渡した。

「我が言問いに答えられし言問いの、余りの理不尽に我が言問いの、事切れんばかりなれば、汝が麗しきの怨めましきも、道理(ことわり)ならん」

騎士のなかの騎士は誰か。

狂ったのである。そして、ここまで狂うものかと呆れる奇想天外を思いつくに至った。遍歴の騎士になろうと考えたのだ。それは自分の名誉を高め、ひいてはお国へのご奉公にもなる。自分の道はそこに定まった。世界が自分の到来を待ち望んでいる。甲冑(かっちゅう)をよろい、馬に跨って騎士道を行かねばならぬ。武者修行の旅に出るのだ。本で読んだ騎士たちも皆やっている。あれに倣おう。世の不埒を懲らし、戦場でめざましく功(はたら)き、艱難辛苦に堪えぬけば武門の誉れ、名は永久(とこしえ)に鳴りひびく。

兜ができれば、つぎは馬。…「ロシナンテ」…「ロシン」で用済み、「アンテ」で先駆、先の用済みから再起した馬の先駆けとして申し分ない名である、と我ながら唸った。

馬の名ができれば、つぎは自分の名である。自分の名をつくるのに八日かかった。出来た名がドン・キホーテである。

第一回目の門出
第一回目の門出

第2章
奇想天外の
ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ
第一回目の門出

準備万端、行動開始である。

自分は正式には騎士になっていない。

これに思い至って出端を挫かれた。

『アポロンの陽は空を茜に染め、髪は黄金の一筋ひとすじ、果てし無い大地のかんばせにぞ輝けり。小鳥は満艦飾(ばんかんしょく)。囀(さえずり)甘く、竪琴の音の妙(たえ)にして、さそわれて出る曙の神は薔薇色。共寝の褥(しとね)に未練の夫を残し、まぶしくもラ・マンチャの地平に扉をあけて露台の上、生きとし生ける者の前に立てば、おりしも、ラ・マンチャにその人ありと謳われるドン・キホーテ、その騎士も、やわらかき羽根の褥を蹴りて出で、雷名轟くロシナンテにこそ打ち跨がり。向かう旅路は、いにしえよりモンテイエルと人の呼ぶその大平原』

「お姫様がた、お待ちください。某(それがし)は騎士道を奉ずる者、怪しい者ではありません。高貴な淑女に無礼をはたらくなど思いもよらぬこと」

「美しいお女中には慎みが似合うもの、些細なことで人を笑うのは不作法でありましょう。こう申すのは、難癖つけるためにあらず、御身らのためになりたいと願えばこそ」

「これはこれは騎士様、手前どもには寝台の用意がございませんので、そこはご辛抱いただくといたしまして、他をなんなりとお申し付け下さりませ」

「城主殿、拙者がなんで場所をえらびましょう。剣と槍さえあればこの身にはもう贅沢。一番の安らぎは戦場と心得ております」

騎士に叙任される
騎士に叙任される

第3章
ドン・キホーテ、
騎士に叙任される。
それに至る滑稽な次第。

「騎士殿、おそれながら、お願いの儀がござる。お聞き届けあるまではここを動きませぬ。騎士殿の名を高めこそすれ、貶めぬばかりか、遍(あまね)く世のためになることでありまする」

「…明吉日、わたくしめを騎士にして下されたく存じまする。…念願叶いますれば、晴れて騎士の身で、天(あま)が下、三千世界に冒険を求めて旅立つ所存にございまする。弱きを助くは騎士の道、遍歴の騎士の努め、そのために尽くしたいと騎士はひたすら願うものであります」

めがねに違わぬ大物の騎士の器。さればこそ、何を隠そう、…後家とみれば口説き、乙女を手折り、小僧どもを騙し、…財産は、自分のものは自分で使い、他人様のものも分け隔てなく使わせてもらい、遍歴の騎士とみれば地位身分を問わず誠心誠意、城でもてなし、謝礼といえばご持参のものをちょっとばかり頂戴するだけ。

今後は路銀をお持ちなさい

「君に心をとらわれし騎士にこそ麗しの眼差しを授け給え。君ゆえにかかる苦難を耐える騎士をお見捨てあそばすな」

触らぬ神に祟りなし。

第4章
さて、旅籠を出た騎士殿は。

騎士殿は旅籠を出た。

「…我輩は、何を隠そう、正義を貫く豪勇ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ、不埒の鬼や羅刹の退治を努めようとする者である。では、さらばじゃ、最後に一言、ゆめ忘れるでないぞ
約束し、誓った一件と、いま申した懲罰のこと」

やがて、道が四つに分かれる辻にさしかかると、ドン・キホーテは手綱を引いた。運命の分かれる十字路である。どの道を行くか。…じっくりと思いを回らした末、手綱を緩め、馬の気の向く任せることにした。と、馬は初心を曲げず、自分の厩への道を行った。

哀れ、ドン・キホーテ殿は、鎧兜の上からではあったが、粉々に裂けんばかりに打たれた。

悲壮な形相
悲壮な形相

第5章
われらの騎士の災難の話が続く。

身動きできない。そう分かると、ドン・キホーテはいつもの手に訴えることにした。

息も絶えんばかりの名調子である。
「いとしの君よ、いずこにありや、この痛みが、君には痛みませぬか、みどもの苦境をご存じないか、それとも、うわべばかりの不実のお方であったか」

「気高きマントウア侯よ、伯父うえにして骨肉の殿よ」

「キハーナ様」

「旦那様をこんな目に、一体誰が」

農夫はしぶしぶ。
「まったくなさけない。旦那様、何がドン・ロドリーゴ・デ・ナルバエス殿ですか。おらは城主殿じゃありませんよ。…」

「ばかこけ。自分がだれであるか、分からんでどうする」とドン・キホーテ。

「学士様、ペロ・ペレス様」神父の名である。うちの旦那様、ほんとうにどうなさったのかしら、心配ですわ、…」

姪も同じようなことを、もっと激しく、延々と連ね、
「そうなのよ。まったく、親方、ニコラスさん」髪を切り血も抜く床屋に言った。「人を狂わす無茶修行の本ばっかり。そうなんです。…」

「騒ぐほどのことではない。申しておくが、深傷を負ったは我輩のせいではないぞ、馬のせいだ。それはそれ、とにかく、早く横にならせてくれ。それから、出来ることなら、女賢人ウルガンダを呼んでくれ、体を診てもらって、手当ても受ける」

「なんたることか」神父がぼやいた。「羅刹族まで絡んできよったか。いよいよ放っておけません。何がなんでも、本はあした、明るいうちに焚いてしまおう」

神父と床屋
神父と床屋

第6章
空想の達人、
用済み侍の書庫において
神父と床屋が本を吟味する。

侍はまだ眠っていた。神父は侍の姪に頼んで有害書籍の書庫の鍵を持ってこさせた。

「とんでもない」と姪。「一冊も見逃しちゃいけませんわ。寄って集って伯父様を狂わしたんですから、どいつもこいつも庭へ放り出してください」

名前からして嬉しくなる、悦楽局(えつらくのつぼね)プラセール・デ・ミ・ビダなんて御殿女中がいて、これが煥発無類(かんぱつむるい)、いい女なんだ。さらには、名前がレポサーダ、すなわち多情という、百戦錬磨の寡婦(やもめ)の手練手管も見物でね。皇帝の奥方がテイランテの従者に蕩(とろ)ける濡れ場も盛り込まれている。それはもう、この種の読み物では世界の最高傑作といって過言ではない。

「『アンリヘンカの涙』」
「泣いちゃうよ」題名を聞いて神父が興奮した。「そんないい本を焼けと言ったんだ拙僧は。作者はイスパニアのみか世界屈指の大詩人だよ。オウデイウスの寓話の翻訳をさせても絶品だし」

馬の下敷きに
馬の下敷きに

第7章
我らの騎士殿、
ドン・キホーテ・
デ・ラ・マンチャの再出発

「騎士諸君、今こそ、勇士の腕の見せどこりでありますぞ、このままでは、試合の勝利は腰抜けの都侍に拐(さら)われまする」

「書庫ですって、あらまあ、何のことかしら。この家には、とっくに、書庫もなければ本一冊もありませんよ、悪魔がごっそり拐(さら)っていったんじゃありませんか」
「悪魔ではなくて」姪が傍から補正した。「魔法使いよ。ある晩、雲に乗ってやって来て、そう、伯父様が家をお出になった翌日(あくるひ)ですわ、…」

第8章
風車に立ち向かう勇士ドン・キホーテ。
驚天動地、想像を絶する大冒険である。
その大成功の壮観と、
感銘とも深い出来事のあれこれ。

「もう、嫌だなあ」従者がこぼす。「言ったじゃありませんか、風車だと。見れば判ることなのに、頭中でも風車が回ってるんですか、くるくるぱーと」

「吐けませんか、左様でございますか」とうなずくサンチョ。「騎士は泣かないということでありますね。それについては一言も御座いませんが、正直申し上げますと、痛けりゃ、痛い、と声をあげてくださるほうが、家来といたしましては気が楽であります。盾持ち従者のおいらなどは、蚊が刺して飛び上がって、痛いと申します。遍歴の騎士ではなくて家来ですから、家来は家来らしく弱虫でなくちゃいけません、そうではありませんか」

「くれぐれも申しておく。わたしがどんな目に遭おうと助太刀はならん。相手の身分が下司下郎であれば手を貸してもよいが、騎士の場合、手出しは無用。騎士にあらざるおまえが手を出しては掟破り、それが騎士道というものだ」
「貸すものですか、鐚一文(びたいちもん)」とサンチョ。「おおせの通りにいたします。わたくしは生まれつきの平和好き、他人様の喧嘩騒動に首を突っ込むなど、真っ平御免こうむります。…神の掟も人の掟も、人を人と思わない奴に対しては咬(か)みつけ、と言っております、それが自衛というものでありましょう」

二の巻 第9章
戦闘の図


かたやビスカヤに勇、
こなたラ・マンチャの剛、
竜虎相打つ激闘が終結、幕となる。

命知らずのビスカヤ男と、いまをときめくドン・キホーテ。両者、抜き身を振り翳(かざ)しての勝負である。いずれも大上段、真っ向から唐竹割に切り下げる必殺の構え。

ちらと見せてその気にさせておいて、先が見たけりゃ勝手に捜せ、とはあまりにも酷い。

ある日のこと、我輩はトレドの繁華な小間物屋であるアルカナ通りにいた。

何がそんなに可笑しいのか、と問うと、余白の添え書きが、と言う。何と書いてあるのか、と訊くと腹を抱えた。
「ここですよ。こう書いてあります『名が頻繁に出るこの女、ドウルシネア・デル・トボーソは、豚の脂身の塩漬け作りにかけては、ラ・マンチャで、右に出る者がないとの評判』」

紙束の第一冊目には挿絵が入っている。ドン・キホーテとビスカヤ人の戦闘の図である。

虚言癖が民族の性(さが)であるからだ。アラビア人はわれわれキリスト教徒の宿敵でもある。

一筋、脳天を
一筋、脳天を

いずれ劣らぬ命知らず、奮い立つ両者は玉散る刀を高々と振り上げた。その鼻息、その形相には、天が震え、地が揺らぎ、奈落の底も割れんばかり。先手をとって打って出たのは烈火のビスカヤ男であった。激しい、なんてものはない。その破壊力や、太刀が虚空を泳いでなければ、一撃で勝敗を決めていた。すなわち、我らの頼もしき騎士殿の武者修行もその後が瞬く一巻の終わりか、という決定的瞬間であったのだ。が、そこでドン・キホーテに強い運が効(はたら)いた。あわや、という刹那にきまって駆けつける救急の幸運の神が、このたびは、相手の太刀の向こう先を逸らせたのである。

手応え確か、剣は、相手が楯と頼む座布団をものともせず、一筋、脳天を襲った。

「この上さらに懲らしめるべき由無しとはしないが、お言葉に免じて矛を納めよう」

美貌のマルセラ
美貌のマルセラ

​第10章
ビスカヤ男との激戦のあと、
馬方集団と遭遇し、
危うしドン・キホーテ

「世界広しと言えど、我輩の上をいく勇猛の騎士を見たことはあるまい。改めて剛胆、守って不屈、斬り結んで鬼、組み討って業師、これを越える騎士の武勇を物語で読んだことがあるか」

「何を隠しましょう」とサンチョ。「わたくし、読み物というものを読んだことが一度としてありません。…殿様ほどの武勇にお仕えしたことも一度としてござりません」

第11章
ドン・キホーテと山羊飼

アントニオの詩

目は口ほどにものを言う、
その目にも、オラーラ、
惚れた素振りは見せないが、
君は僕にくびったけ。

「寝るは極楽、起きるは地獄」と従者。
「もう良い」と主人。「おまえは好きなところで寝ればいい。拙者は、騎士という職業柄、夜は寝るより、目を開いて過ごすほうが望ましい。それにしても、耳のほうだが、もう一度、手当を頼む、ずきずきする。尋常の痛さではない」

第12章
ドン・キホーテを囲む山羊飼に、
新たな仲間が加わり、
事件を告げる。

「知ってるかい、村の大事件」
「全然」
「なら、教えてやる」

山羊飼
「麗しのマルセラは、其処彼処(そこかしこ)、男どもを虜にし、ひれ伏させて躊躇(ためら)いもありましたが、いつまでそういう高嶺の花でいられるか、憎らしいほどの気位を凹ませる者は現れないのか、絶美の花を手折る果報者はいないか、娘を知る者の関心は今もっぱらそこにあります」

「わかった」とドン・キホーテ。「実に興味深い話だ。語り口も絶妙。眞(まこと)にかたじけない」

第13章
羊飼に身を曝(さら)すマルセラの一件、
まずはこれまで。
続く事件のあれこれ。

ブレターニャよりお越し召したる
騎士ランサローテ、
万遍(あまね)く淑女をよろめかす
器量稀なる色男。

第14章
故人が世を果敢無んだ詩。
思いがけない出来事が続く。

私は自分の美しさを、欲しいといってえらびとったわけではありません。…こう生まれたのは神の御意志(みこころ)です。毒蛇に毒があるからといって咎めるのはお門違いです。その毒は自然から授かったものです。私も同じように、美しく生まれついたからといって責められる謂(いわれ)はありません。

恋に身を焦がした男、
凍(い)てて凍ってここに安らぐ。
羊を見張る牧人が、
愛恋に報われず身も世も無くしたのだ。
薄情な男嫌いの
魔性の女に殺されたのであるが、
恋や来い、
請われて靡(なび)かぬ非情の暴君(きみ)の
栄え富むこそ理(ことわり)なれ。

空飛ぶサンチョ
空飛ぶサンチョ

​第15章
ドン・キホーテが
世悪な馬方どもから
打倒される

「拙者は絶対に手を出さぬゆえ、おぬしが剣をとって存分に懲らしめるがよい」

「相手が下郎でも、騎士でも、おいらは剣を取りませんよ」

「人を知るには時間をかけよ、しかと左様で、むかしの人は偉大です。一寸先は闇とやら、殿様はこないだ遍歴の騎士を気持ちよくばっさりお倒しになりました、後が祟りました。打ちては返す波というやつですね。いやはや、大時化(おおしけ)でした。なにしろ、背中に丸太ん棒が雨霞ですから。うっかりでした、油断大敵です」

「武勲によって、いま申したような高い位に昇った騎士には、それまでにもそれからも、さまざまな逆境が付いて回るものだ」

「では、兄貴にお聞きしますが、時間が難儀を消してくれるのを、待ったり、死んでおさらば出来るのを待つあいだほど辛いことが他にありますか」

「弱音を吐くな、堪えろ」とドン・キホーテが励ます。「拙者も頑張る。…」

「どんな災厄も八方塞がりということはない。どこかが開かれていて、救われるものだ」

「…こんな人っ気のないところで真っ暗になっては困る」
「たしか、おっしゃってましたよね」パンサが皮肉を言う。「一年のうち大抵は人跡未踏の荒れ地で眠り、それを幸いとするのが遍歴の騎士の習い、とか」
「申した」とドン・キホーテ。「そうせざるを得ないときは、そうする。あるいは恋をしているときだ。…」
「それは困ります」
サンチョは応じて、痛い痛いと泣き言を三十回、よいしょ、どっこいしょを六十回、此畜生(こんちくしょう)を百二十回発し、…

第16章
奇想天外の郷士、
宿屋を城と思い込んで大騒動

と、手が、隣の騎士の腕にふれた。騎士はそれをぐいっ、とつかんで引き寄せる。女は声を噛み殺す、騎士はこれを寝台に腰かけさせ、肌着の上から撫で摩(さす)る。

「眞(まこと)に嬉しいことにござる。畏れ多き美貌の姫君の、かかる訪(おとな)い、身に余る光栄に存じまする。…」

他方、逢い引きの馬方どんは、…
と、様子がおかしい。女の相手は自分ではない。女は自分を袖にして他の男に身を任せている。そう気づくや、むらむらっと嫉妬(やきもち)が焼け、焦げるにいたって、ドン・キホーテの寝台ににじり寄り、全身これ耳となって事態を探ることとなる。女は腕を振りほどこうとして暴れ、相手は強引に引き止めようとしているようだ。

「出てこい。売女、おまえだろう、分かっているんだ」

「御用だ、神妙にしろ」

「御用だ」

「門を締めろ誰も外へ出すな。殺人だ」

第17章
豪勇ドン・キホーテと
忠臣サンチョ・パンサの苦難が続く。
ドン・キホーテは狂気ゆえ旅籠を
城と思い込んでいる。

「先ほど城主殿の姫君が拙者を口説きにおじゃった。妖しいまでに艶やかな、あの姫だ。…わたしの余りの幸運を天が妬んだ。…姫君とわたしが甘く睦まじく愛を語っている、まさにそのとき、どこからか、見えも感じもしない手が伸びて、途轍もなくどでかい羅刹が何かから出た手が、わたしの顎にぼかーんと一発食らわしよったのだ。…」

サンチョ「おいらもこっぴどくやられましたからね。…遍歴の騎士になりたくもないのに、災難だけは一丁前の騎士並みにふってきます」

大空の下、限りなく高い天井のもと、みんなして、毛布の真ん中のサンチョを、謝肉祭の犬上げのように放りあげて、面白がった。宙に舞うサンチョの悲鳴は殿様の耳にも達し、男たちは毛布上げに興じて大笑い。空飛ぶサンチョは、よせ、只ではおかん、おやめ下され、お願いします、と脅したりすかしたり、拝んだり泣きを入れたり、喚きどおしに喚いたが、効き目はなく、解放されたのは、男たちがくたびれ果てたときであった。

インスラ
インスラ

第18章
ドン・キホーテ主従のやりとり。
次いで、冒険中の冒険あれこれ。

目の前がまっ暗になって、もういやだ、と見切りをつける気になった。あんな殿様は棄てて村へ帰ろう、これまで勤めた分の給料もいらない。インスラを統治させてくれる約束もどうでもいい。

「よいか、さんちょ、人並以上のことをしなければ、人並以上にはなれん。このところ続いた時化(しけ)は、何のことはない、待てば程なく海路に日和のくる嵐、順風満帆の前触れのようなものだ。物事は、いつまでも順調にいくこともなければ、いつまでも悪いわけでもない。それにしても、おまえが嘆くことはない、拙者の身には数々の災難が降りかかったが、おまえに類は及ばない」

「及ばない、ですって、よくおっしゃる」とサンチョが反発した。

第19章
サンチョと殿様の愉快な会話。
加えて、屍との遭遇。
さらに、驚くべき出来事あれこれ。

「またの名を窶(やつ)れ顔の騎士」

「窶れ顔は、金銭や時間をかけて描かせるにはおよびません。人前で顔を覆わず、ペロッと見せるだけで、立派に窶れ顔です。盾の図や絵がなくても、本物を見れば、あら、窶れ顔の騎士様、と人は呼びます。本当にそんなお顔ですよ、天地神明に誓ってもよろしいです。冗談じゃなくて、ほんと。飢え死に寸前の上に歯が無くって、まったく情けないお顔です。わざわざ絵にしなくても、窶れようは一目瞭然です」

第20章
いまをとくめくラ・マンチャの騎士
ドン・キホーテも初めて、
という大冒険。
ただし、危険は前に比べて少ない。

もともと臆病者で勇気とは縁のないサンチョは縮み上がった。

ドン・キホーテは別にして、余程の者でもこれには肝を冷やす。

「…水はいずこにありやと尋ねて来たら、月世界の山の頂から砕けるがごとき凄まじさ」

「いつもいつも奇跡を頼んでばかりでは、神様だってご機嫌ななめになりますよ。…ところが、欲の皮を突っ張って、夢を詰め込んでいた袋が破れてしまいました」

「悪魔がからみます。奴らは不眠不休ですから、なんでももつれさせてしまいますね」

「女心というものはそういうものだ」とドン・キホーテが相槌を打つ。「追えば逃げる、逃げれば追う。それでどうなった」

インスラ(insula、複数形は insulae)は、古代ローマでプレブス(下層階級)やエクィテス(中流階級)のローマ人が住んだ大規模なアパートである。建物の1階はタヴェルナや貸店舗で、上層階が住居になっている。

ローマ都市の都市化の進展により、住宅需要が高まって、都心も郊外も土地が高騰した。結果として一戸建ての住宅は上流階級でなければ持てなくなった。そのため市内に住む住民の多くがインスラと呼ばれるアパートに住んだ。

マリンブリーノの兜
マリンブリーノの兜

第21章
マンブリーノの兜をめぐる大冒険。
その斯々たる戦果。
次いで、常勝の騎士殿が
遭遇する椿事あれこれ。

閉ざされる門あれば開かれる門あり。

サンチョ
「たとえば、どこかの皇帝か、偉い君主様に仕官してはどうでしょう。皇帝が目下戦争をしているなら、それこそ腕の見せどころ、殿様がどれほどお強く賢明であられるかを、遺憾なく見せる絶好の機会です。抱え主の目に留まって、天晴(あっぱ)れなるぞ、となって、それ相応の報いにありつく。そうなれば、殿様のご活躍振りを本にしたい、ぜひ書きたい、という者が現れないわけがなく、殿様の名声は、いつまでもいつまでも人々の記憶に残ることになるわけであります」

「良いのであるが」とドン・キホーテ。「そこまで達するにはまず諸国を回らねばならん。人に認められるため冒険のあるところへ駆けつけ、試練を積むのだ。そのうち、人に知られる者となり、名が広まって……紋所と盾の図柄はあの騎士のもの、……さあ、騎士道の華と謳われるお方に阻喪(そそう)があってはならじ、…妃の側には姫。これが地上を隈なく探しても滅多にお目にかからぬ完璧な美女。…そのまま、文目(あやめ)も分かぬ恋の網………」

「そうなくっちゃ。…窶れ顔の騎士という立派なお名は誰が付けて差し上げたか、はっきり覚えておいて下さいよ」

ロシナンテ
ロシナンテ

第22章
いやなところへ、
いやいや連れられて行く不遇の民を、
ドン・キホーテが解放する。

残ったのは、驢馬と、ロシナンテと、サンチョと、ドン・キホーテで、驢馬は何を考えてか、うなだれていた。音立てて飛んでくる飛礫の嵐がまた襲ってくるかと怯えていたのか、時折、聞き耳をたてた。ロシナンテも石飛礫の襲撃を喰らって主人の側に倒れていた。丸裸のサンチョは、神聖同胞衆取締り方に怯えてひやひや、恩を仇で返されたドン・キホーテは、臟腑(はらわた)が煮えくり返っていた。

第23章
シエラ・モレナ山中。
いまをときめくドン・キホーテの
身の上のあれこれ。
真相を伝えて余さぬ
本編中抜群の椿事。

「下司下郎に恩を施すは大海に水を注ぐに等しい。やつらは恩を仇で返す。おぬしに耳を貸していれば、こんな目には遭わなかった。とは申せ、済んだこと。ここは堪忍の一字をもって、今後の戒めとしよう」

「わたくしなど、すぐに懲りる、こりごりの凝り性ですが、殿様もこれにお懲りあそばして」とサンチョ。「今後への戒めとすべきでありましょう。わたしの申すようになさっていれば此度(こたび)の災難はありませんでした。今後はそうして戴きます、そうすれば、転ばぬ先の杖、もっとひどい災難も避けられます。よろしゅうございますか、これは肝に銘じおきいただきます。取締り方に騎士道は通じません」

「…せっかくの忠告に耳を貸さない…」

「殿、退却は、逃走にあらず、賢者は、土壇場を、すたこらさっさ、明日に備えて今日をさらりとかわしまして、…」

第24章
シエラ・モレナ山中の椿事が続く。

逆運どこまでも厳しく、慰められようがないとなれば、共に泣いて差し上げるという道もござる。涙を分かち合う者があれば、いささかなりとも、お楽になるでありましょう。

天が定めた逆運に、地上の富が勝てなかったのです。…ルシンダは、それほど美しい女性でした。…間違いがあってはならない、という配慮から、ルシンダの父親が、家へ来るな、とわたしに申し渡しました。…来るなと言われると火に油を注ぐようなものです。

二人はもう出来ていたのです、結婚を餌に、娘をものにしていたのです。…若いときの恋というのは、大抵、恋ではなく、欲に過ぎず、若様の場合もそれだったわけです。

第25章
シエラ・モレナの山中、
ラ・マンチャの豪勇騎士の椿事。
騎士はベルテネブロスの苦行に倣う。

サンチョ「他人(ひと)は他人(ひと)。茶々いれ横槍お節介。嘴入れるは烏滸(おこ)がまし。買う買わぬは財布に相談。おまけにこれも付け足しましょう、裸で生まれ裸一貫。この世はおちゃらけ、損得無しのちゃら。転ぼと死のと、俺知らん。泥棒をお縄にするのに縄なくて、捕まえてから縄を綯(な)う。野っ原に柱が立たなきゃ戸は立たん、人の口にも戸は立たん」

「うるさい」

「それでは、殿様」とサンチョ。「お伺いしますが、人も通わぬ山中の、道なき道を、瘋癲捜しで彷徨(さまよ)い歩くのも、騎士道の掟にござりますか」

ホメロスが、思慮分別と忍耐強さの鑑として、オデユッセウスの苦難の人生を活写している。ウエルギリウスも、アエネアスという人物に気力と知力を兼ね具えた大将の器を見、優しい心根と、するどい眼力の鑑として褒め称えている。

「もう嫌だ、聞いていられない、ついていけませぬわいなあ、殿様、窶れ顔の騎士様、何もかも信じられなくなって参りました。騎士道がどう、国が手に入る、帝国を奪う、インスラを取らせる、あれをやる、これをやる、まあ、でかい話ばかり、遍歴の騎士の慣いなんでしょうが、法螺(ほら)と嘘と、はったり尽くしはもう沢山、いやはや、なんたることでござんしょう…そういう執念深いのは、いかれぽんちと言うんです」

はあ、あのお方であらせられますか、あのお方に何を差し上げなきゃいけないのでありますか。

第26章
シエラ・モレナ山中、
ドン・キホーテが恋患いを演じる。

山中に一人残った窶れ顔。

只の田舎者をここまで変えてしまうとは、ドン・キホーテの狂気はただならぬ、とも考えた。しかし、ここで、そううまくは行くまい、などとは言わなかった。この場でサンチョを迷妄から醒まさせるのは控えたのである。疚(やま)しいことをしているわけではないのだから、このままで良い、言うことの馬鹿馬鹿しいところが愉快だ、と納得し、そうであったか、では殿様の恙無きをお祈りしよう、あれだけの器だから、時宜を得て皇帝になる見込みはおおありだ、大司教か、その程度は固い、と調子をあわせた。

第27章
神父と床屋の計画、その首尾やいかに。
これなる大冒険物語に
無くては無らぬあれこれ。

ソネート詩

金蘭の篤き友情よ、君は
地に脱殻残し、天の大広間へ昇り、
天界に招かれし魂どものもとへ
欣喜雀躍、飛翔(はばた)いて、
気紛れに、真しやかな友愛を
薄絹に包んで見せてくれるが、
その気にさせて、
開けて見れば意地悪の塊。
友情よ、天界より降り来たりて、
せめて、欺瞞が友情を装い
誠意を裏切ることだけでも許すな、
地に偽りの友情が蔓延(はびこ)れば
世も末、乱世となって
原初の不和と混沌が戻ろう。

天の声や救いにも見放された気持です。お察しください。天は、わたしを育んできた大地に寇(あだ)なし、風は、吐息する糧さえ拒み、水は、目に涙を送ることを止め、唯、火のみが、怒りと嫉妬で燃え盛り、全てを焼き尽くす勢いでした。

この辛さは死んでも消えそうにありません。こういう目に遭う人は未来永劫、滅多にいないでしょう。

ドンキホーテ前編下

 

四の巻
ドンキホーテ前編下


第28章
前章をうけ、シエラ・モレナの山中、
神父と床屋の椿事、
痛快無類なり。

「ルシンダなら分かりますが、これは人間じゃありません、女神です」

三人は、はっとし、男ではないと気づいた。女だ。

「…ここでこうして出会うのも何かの縁(えにし)だ、心の傷は癒して差し上げられないかもしれないが、はなしを、効いて、相談にはのれましょう。…」








ルシンダ
ルシンダ

情欲という奴には目が付いていて、逃れられないんですね。ドン・フェルナンドという、その公爵の末の若様の情欲は、山猫も及ばない眼力でわたくしを見たのです。

でも、その用心が仇となりました。

力尽では動きません。お金も効き目はありません。口先にも騙されません。…けれども、父母が、この男、と申せば、力尽、金尽、涙尽、何尽でありましょうと、私は父母に従い、申す通りに致します。











 

裏切り者、嘘つき
裏切り者、嘘つき

男は望むものを手に入れたら恋が醒めるかもしれないが、…ぐんぐん引き寄せられ、身の破滅を招くのです。

あんな気持ちになれば、わたくしでなくても、他の誰でも、相手を愛してなくても、どんなに慎み深い女でも堕ちてしまいます。きっと堕ちるわ。

欲しいものを手に入れてしまってからの一番の望みは、早々にずらかることでした。そうなんです、あいつは、わたしのそばを離れていくとき、いやに急いでいました。











 

とにかく連れて帰りたい

第29章
恋渡る騎士殿の苦行をやめさせ、
山を下りるようにし向ける工夫、
愉快なり。

でも父母は、わたしが身をもちくずしたと思い込んでいます。それを考えると合わす顔がありません。

「ルシンダが、あの人の妻ですと言った、その、ついていない、あの人が僕だよ。運に見放されたカルデニオさ。……こうして君と会えたんだから、幸運だ。君の言うことが本当なら、本当に決まっているけれど、僕たちは二人ともなんとかなる。どん底かと思ったら、そうでもない。目の前が明るくなってきた。…」

殿様は胴着一枚の裸同然…痩せこけ、顔は黄ばみ、空きっ腹で死にそうなのだからドウルシネア様を思って溜息吐息に暮れている。…だから、みなさんで殿様を山から下ろす手を考えて下さい、とサンチョは訴えた。…とにかく連れて帰りたい、と説明すると、ドロテアが話に乗った。救いを求める娘の役は自分がやる、…必要とあれば何でも演じるから、お任せをと申し出た。…
 

美貌のドロテアの機転が冴え

第30章
美貌のドロテアの機転が冴え、
愉快な時が経つ。
「戯(たわ)け」ドン・キホーテが大喝した。「鎖に喘(あえ)ぎ枷(かせ)にひしがれ、悲嘆に暮れる者と遍歴の騎士がめぐりおうたのだ。…困っている者があればそれを助ける、苦しむ者があればその苦しみを思い遣る。…」

「…でも、何もかも父が申した通りですわ、ドン・キホーテ様におめぐり出来て幸運です。このお方こそ、父が申しておりましたそのお一人。…」

「そう思ったから」と神父。「助け船を出しました。上手くいきましたね。それにしても、うちのお侍、驚くじゃありませんか、騎士道本の出鱈目を真似ただけで、でっち上げの作り話にこうもやすやすと乗ってくるとは、気の毒に、よほどいかれている」

第31章
ドン・キホーテと
サンチョの粋な対話。
その他。
「またまた、殿様は、やっぱり、いかれちゃっておいでですよ。だって、そうでしょう、こんな、しょうもない旅をまだまだお続け遊ばすんですか。棚から牡丹餅の縁談をふいにしていいんですか。先方は、国をやる、とおっしゃっているんですよ。ぐるりまわれば二万里をこえるそんな大きい国で人間の暮らしに入用なものは何だってふんだんにある、ポルトガルとカステイーリャを合わせたより大きいんですよ。もう何も仰らないで下さい、さっきのことだって、あんな馬鹿なことを仰って恥ずかしくないんですか。申し訳ありませんが、おいらの言う通り結婚して下さい。その辺の村で司祭がいたら式を挙げましょう。…わたしも人様に差し出口を言える齢(とし)になりました。此度の差し出口は正鵠(せいこく)を射ています、飛んでる鷹より手の中の雀、据膳食わぬは云々、出来ぬ堪忍するが堪忍」

第32章ドン・キホーテの一行、
旅籠の出来事
「嫌だね、あたしの尻尾、まだ鬚にしてる、返して下さいよ。恥ずかしい話、亭主のが役に立たなくて、いや、なに、股座(またぐら)の筆(ペン)さ、櫛(ペイネ)ともいう、あたしの役には立っていたんだよ」

「本当に、そうね」とマリトルネス。「実を言うと、あたいもああいうのが大好きなの。わくわく、どきどき。どこかのお嬢様が、騎士の彼氏とオレンジの木の下かどこかで抱き合っているでしょう、ああいう場面になると、もう、たまんない。そばで見ている腰元は独り身で、もう、羨ましくて、どきどきを越えて悶々、悶え死んじゃう。あたいも、そういう甘い場面には蕩(とろ)けちゃう」

「その心配は御無用」と亭主。「遍歴の騎士になるほど狂いはしません。昔のやりかたがいつまでも通用するとは思っちゃいません。昔は錚々(そうそう)たる騎士が世界を遍歴していたそうですが」

妻を誘惑してくれ
妻を誘惑してくれ

第33章
小説
『藪を突っ突いて蛇を出した男』

フィレンツェは、トスカナの地にあって富み栄えることイタリア屈指の大都会。

「ご両人」
アンセルモは女性への関心が並以上で、ロタリオは狩猟を趣味としていた。

にもかかわらず、僕という奴は、一体どこまで贅沢に出来ているのか…まだ、もの足りず、満たされず、晴ればれせずうつうつとしている

誘惑されないような妻はありがたくない

…カミーラと恋の綱引きをしてくれ…

朝が顔をのぞかせた。
ペドロはきまりが悪く、恥ずかしくなった。
人影はないが、
我過てり、と己を恥じた。
心がひろくなり恥を知ったのは
人目があったからではない。
天知る、地知る、己知る。
あな、恥ずかしや、

かりに、天のお陰か幸運か、極上の金剛石(ダイヤ)の持ち主になったとしよう…鉄床(かなどこ)の上に置き、金槌(かなずち)で力まかせに叩くかい。…人も認める折り紙つきの美しい金剛石だとすれば、壊れるような危ない目に遭わせちゃいけない。

そもそも、女性は完全には出来ていない動物だから、行く先に、つまずいたり転んだりする邪魔物を置かず、のぞいてやるべきだ。

よく出来た女は、薔薇などの花が咲き競う庭園のように、番をして、大切にすべきだ。

女はガラス、
壊れるか壊れないか
試すなかれ、
転ばぬ前(さき)の杖。
壊れものは
壊れそうなところに置くな、
壊れたら、
元に戻らん。
これも忘れるな、ダナエの譬(たとえ)。

カミーラは、あら、わたしに隙があって付け込まれたんだわ、だからあんな厭らしいことを平気で言う、と受け取る。

うんざりかもしれんが、まあ聞け、みんな君のためだ、神が、地上の楽園で、人間の最初の父を造り給うたときのことだ。その父を、つまりアダムを、神は眠らせ、眠っている間に左側の肋骨を一本抜き取って、それで人間の最初の母イブを造り給うた、と聖書は言っているだろう。アダムは目を覚ますや、イブを見て言うね、
『これなるはわが肉の肉、骨の骨』

『これゆえに男は父母を離れ、二者は一体の肉となる』
…二つの異なる人格を同一の肉にしてしまうわけだから、よく出来た夫婦は凄いものなんだよ。魂は別々で二個なのに、意思は一個しか持たないってことが起きて、それを根拠に、妻の肉は夫の肉と同体であることになるから、妻が穢されたり傷ついたりすれば、害は夫の肉にも及ぶってことになる。

危ない橋だ。得るものはなく、失うものは計りしれず、…

アンセルモ
今のぼくは病気だってことだ。…とりあえず妻を誘惑してくれ。

おれは、死んで命を求め、
病気になって健康を、
牢につながれて自由を、
八方塞がって出口を、
裏切り者に誠を希(ねが)い求めている。
露ほどの幸せをお恵みあれと
乞えばいいのに、無理を言うから
運命の神は天主におうかがいをたて、
無いものねだりには、
有るものも恵まないことにした。

内心ほくそえむ

第34章
小説
『藪を突っ突いて蛇を出した男』続。

カミーラは落ちた。カミーラが落ちた。だが、手放しで喜ぶことであろうか。友情は今や地に足をつけて立ってはいない。代償は余りにも高い。…
下女のレオネラだけが奥様の不倫を知った。

「まったくもって、奥方は貞女の鑑だ極みと言って良い。ぼくに言えるのはそれだけさ。とても歯が立たなかった。しつこく口説いたよ、綿々と、だけど、馬耳東風、風と共に去りぬさ。…」

好きになってもいい男の条件として、Sで始まる四つの言葉がありますね。聡明で、そびえ立って、積極的で、静か。ロタリオ様は、これが揃っているだけでなく、AからZまで、…A愛に生きる、B美男子。C騎士道を、D黙って歩く、E偉いお方。F懐が深く、G義理固く、H恥を知って、I意思が強く、L理性があって、M身分があって、N名があって、Oお金がある上、Pぱりっとして、Q窮々せず、R凛々しい男。ここへいわゆる4つのSが来て、つぎに、T体面を大切にし、V嘘がない。Xは、バツ、きつい文字だからあの方には似合いません。YはIと共通、もう言いました。Z全身これ眼(まなこ)。奥様の貞操(みさお)の見張り番。

その裏切り者を、だまされきっているゆえに、手まで取って我が家へ招き、妻はそれを迎えて、嫌な顔を見せつつ、内心ほくそえむ。演技はそれ以降も続いた。しかし、二、三ヵ月後、運命の輪が急転し、巧みなからくりに覆われていた陰謀が明るみに出ることになり、藪を突っ突いたアンセルモの命取りになる。

発端の心得違いが
発端の心得違いが

第35章
小説
『藪を突っ突いて蛇を出した男』が
完結する。

「大変だ、早く早く、殿様が。助太刀を、助太刀です。戦でありますぞ、チャンバラ、チャンバラ。…」

「待て、悪党め、腰抜け、もう、逃げられんぞ、偃月刀(えんげつとう)が何ほどのものか、どうせ鈍(なまくら)」

左腕に、寝床から剥いだ毛布を巻きつけている。毛布はサンチョの怨敵。怨むわけは当人が誰より身にしみて知っている。

しかし、家の中を探していると、宝石箱が開いたままでほとんど空になっていた。そこで初めて自分の悲劇に気づき、下女の仕業でないことも察するに至って、着替えもそこそこ、…アンセルモは正気が失せそうになり、そこへ、止めを指すようなことが起きた。家に帰ると、下男も下女も残らず失せ、空き家同然で、…いっぺんに、妻は行方不明、友は失踪、使用人も消えていたわけで、神にすがろうにも、見放された思いであった。妻を失うことで身の破滅を招き、男の体面も失った。

下女は、ゆうべアンセルモの家の窓から敷布を伝って下りたところを御用になったとか。

筆(ペン)を手にしたのであったが、書くべきことを書き終えないうちに力尽き、そのまま、度を越した好奇心ゆえの苦悶に命を渡してしまった。

修道院のカミーラは知らせを聞いて、後を老いかねない状態になるが、それは死んだ夫の後を追うということではなく、愛人ロタリオが命を落としたことを知ったゆえであった。

知ったカミーラは尼となったが、ほどなく痛恨の呵責に沈んで息を引き取った。発端の心得違いが、三人を三様の結末へと導いたのである。
 

まことの貴さは

第36章
赤葡萄酒の革袋を相手に
ドン・キホーテが剣をふるう。
壮絶なり。
加えて、旅籠での奇妙奇天烈、
珍事件。

「その女には何をしてやっても無駄だ。…」

「私がいつ嘘をつきました」

「まさか、そんな」

「お前をこそと望まれ、口説かれ、心を惹かれるに至ったわたくしは、どれほどまでにお喜び下さるなら、と身をおまかせ致したのでございますが、それが間違いのもととなりました」

「…まことの貴さは、家柄になく、人柄や美徳にあります…」

それが幸いして浮世の煩悶(わずら)いに決着がつき、今、心は天国、晴れ晴れしているのである。

貧しい者には…
貧しい者には…

第37章
聞こえめでたき
王女ミコミコーナの物語、続。
加えて、胸おどる椿事の数々。

「殿様は、お気に召すだけお休みにならせませ。窶れ顔の旦那様、羅刹を退治することなど、もうどうでもよろしゅう御座います。お姫様を国へ送り届けることもお忘れになってよう御座います。もう、何もかも済みました、片がつきました」

戦をする武人には明晰な判断力が不可欠なのであります……しかしながら、それも、戦が目指すほど高い称賛には値しません。戦の目指すところは平和です。平和は、この世で人が望みうる最大の財産です。世界の人々にとって初めての嬉しい知らせは、人類にとって曙となる。あの夜、天使から告げられたものであります。

そもそも、貧しさには、巡り合わせの悪さがあります。貧しい者には幸いは巡って参りません。

 

ドン・キホーテ(2)

文武の道を熱く語る
文武の道を熱く語る

第38章
ドン・キホーテ、
文武の道を熱く語る。

文という柱なくして武は立ちゆかないという事実があります。戦争も法に依拠し、法に従って行われるからであり、その法は文と文人の管理下にあるからであります。これに対して武の側は、文とて武なくしては立ちゆかんといいます。

第39章
アルジェより帰還せる
捕虜の回想

「父が、財産に堅い人であったら、いつまでも長者だったでしょうが、無欲で、気前がよくて、……軍隊ではケチも気前がよくなり、気前のよいのは浪費家になります。……それにしても、父は度が過ぎていました。気前がいいのを通り越して、つかい散らす、浪費の癖がありました。
この癖は、身を固めて、子をなし、その子に家財産を継がせようという場合は、取柄になりません。……父が申しました。自分の浪費癖は改まりそうにないから、その癖の元を立つ、財産を使い散らすのは、財産があるからだ、あるから気前がよくなる、なければ、豪気で鳴るアレクサンドロス大王とて財布の紐を締めたと。」

財産を等しく四つに分ける…教会か、海外か、国王か、……教会の僧籍に入るか、海外雄飛の商人(あきんど)になるか、都の国王に仕えるか……一人は文の道へ進み、一人は商い、一人は戦場(いくさば)で王に仕えてもらいたい。

裏切りは喜んで迎えられるが、裏切り者は唾棄される。

第40章
アルジェより帰還せる
捕虜の回想、続。

トルコ人には体の欠点や美点を名にする慣例(ならわし)があります。あちらでは、家系を示す姓は、オスマン家から出ている三つ四つがあるだけなので、…体の欠点や心の美点を名や姓にします。この田虫男は皇帝の奴隷の身分で十四年間船を漕ぎ、三十四歳でキリスト教からイスラムに転宗(ころ)びました。船を漕いでいた時トルコ人にひっぱたかれ、それを根にもって復讐をたくらみましたが、手の出しようがなくて、悔しくて、手を出せる身分になるためキリスト教を棄てたそうです。

第41章
アルジェより帰還せる
捕虜の回想、続続。

『恥知らずめ。どこまで聞き分けのない娘だ。自分がなにをしているか分かっておるのか。目が見えておらん。犬畜生どもの言いなりになりよって、情けない。こいつらは生まれながらの敵だ。そんな娘に育てた覚えはないぞ。蝶よ花よと甘やかしたのが悔やまれる』

美貌という案内役
美貌という案内役

第42章
その後旅籠で起きたこと。
その他、知って損のないあれこれ。

「…文と武が美貌という案内役に導かれての到来とあれば言うまでもござらぬ。見目麗しく、うら若い娘を引き連れての来訪とあれば、当然、城の門は開きます。不道岩の絶壁も退き、山は頭(こうべ)を傾けてお迎えして、この場は極楽の賑わいとなるでありましょう。さあ、お入りなされ。綺麗星がお迎えし、日輪がもてなして、お連れの天女のお供をいたします。武門を行く者も程良く連なって、美女も最高がそろっております」

第43章
若い騾馬追いが
しんみり聞かせる身の上。
および、旅籠での不思議な
出来事の数々。

 僕の憧れる
甘く優しい君は行く、
道なき道、茨の道。
めげず、挫けず、弱音を吐かず、
怖くても
怯んじゃいけない。 
 精進を怠れば
事はならず、
波に翻弄されるのみ。
意気地無しの
怠け者に
幸いの訪れはなし。
 恋は素敵なものだけど
高い買い物で、
値段のめやすは、
好き、好き、好きの思いの丈。
安く買える恋は
有難味がなくて戴けない。
 恋の先に
幸いがあるから
難所に
挑みもするけれど、
所詮は憂世、
天国を強請(ねだ)るは無理な注文。

前代未聞
前代未聞

第44章
旅籠での出来事。
 前代未聞なり。

「拙者が全く手出しも出来ず、されるが儘でいたとは言わさんぞ。魔法にかかっていた、などと言う者があれば嘘つきだ。この身が仕えるかミコミコーナ姫のお許しがあり次第、舌の根を抜いてやるから、覚悟しろ。いざ、勝負、勝負、決闘だ。一騎打ちだ」

第45章
マンブリーノの兜と鞍の真偽。
その検証が決着する。
他にもあれこれ、
真相を余さず伝える。

「何がどう転ぼうと、手前には鞍です。鬣(たてがみ)飾りには見えませんが、どこでもかしこでも強い者が幅をきかせて、いや、長いものには巻かれよ、愚痴はよしましょう、酒も飲まずに言えることではありません、なんの罪でか朝飯にもありついちゃいないし」

第46章
捕方の目覚ましい活躍と
騎士殿の猛烈ぶり。

「殿様、……馬車道であれ、獣道であれ、闇夜の道を嵐の日を厭わず歩き続けたその果てのこと、艱難辛苦の据えに実るはずの甘い果実も、この旅籠でいちゃついてお過ごし遊ばす誰かさんにもぎ取られる、そんな落ちが決まっていて、なんで、わたくしが、ふうふう、せかせか、ロシナンテに鞍をつけ、騾馬に荷鞍を、お馬に飾りを付けなきゃならないのでありましょう。じっとしていたほうがましですよ。己のことは己でやって勝手にお飯(まんま)にありつきゃいいじゃありませんか、そうではありませんか」

特殊な魔法
特殊な魔法

第47章
特殊な魔法にかかった
ドン・キホーテ・
デ・ラ・マンチャ。
他、見逃せないあれこれ。

「騎士様であらせれられますが、引かれていくわけはご本人から直にお訊き下さい。われわれにもさっぱり分からんのです」

正義は正しい者からは貴ばれますが、悪党どもからは目の敵にされます。

世の中には、正義を憎んで腹を立て、人の勇気が癪に障る者がおりまして、そんな奴輩(やつばら)の悪巧みに引っ掛かり遊ばしたのであります。

頭隠して尻隠さず。……まったく、人が人を妬むところ、正義は生き難(にく)うございます。

これでもかこれでもかと出鱈目を連発します。

第48章
聖堂参事が続けて
騎士道本を語る。
他にも蘊蓄多々。

「…韻文では、ギリシャ・ラテンの詩の双璧ホメロスとウェルギリウス」

人心が健やかな国では、適度の娯楽として芝居を公演しますが、品位を保っています民人が堕落しないようにという配慮からです。小人閑居して不善をなす……

二人が殿様をこんなに連れて行くわけは、妬みです。殿様の目覚ましい働きが羨ましいんです。悔しいんです。

第49章
サンチョ・パンサが
殿様ドン・キホーテと交わす
粋な会話

「お尋ねしたいことがあります。暇にまかせて騎士道本を読み耽れば、郷士殿、あなた様ほど聡明なお方でも正気を逸し、あまつさえ、魔法にかかるなどということを本気で信じるようになるのでありますか。……」

暗黒の湖水の底へ!
暗黒の湖水の底へ!

第50章
ドン・キホーテと聖堂参事のやりとり、
理路整然なり。
 他にも、あれこれ

『名は知らぬが、湖を眺め入る騎士よ、暗黒の湖水の底で幸いがおぬしを待っている。その幸いを手に入れたければ、肝っ玉を示せ。黒煙を上げて燃え盛る液体の真っ只中に飛び込むのだ。そうしなければ、闇の下に広がる飛び切りの摩訶不思議を見る資格はない。七人の妖精の七つの城の内深く潜む謎だ』

第51章
山羊飼が語り、
ドン・キホーテを運ぶ一行が聞く。

嫁入り前の娘には、錠前よりも、見張りよりも、閂よりも、自分自身の用心が一番確かな護りです。

そんな軍人も及ばない激しい一騎討ちを何度も経験して、全線全勝、自分の血は一滴も流したことがない、などと大きな口を叩きました。

娘のほうから惚れたんです。とかく男女の仲は、女が先にその気になれば、たいてい成就します。

レアンドラはそいつを取った上、大好きな父親を棄てました。

その結果、三日後に尻軽女(しりがる)レアンドラが見つかりました。山の中の洞です。肌着だけの裸同然でした。家から持ち出した大枚の金も貴金属宝石の類いもなくなっていました。

あれは、うっかりではない、もともと性質(たち)の悪い女で、蓮っ葉で、尻軽女(しりがる)だったのだ、それもみな女の性(さが)ゆえである、しょせん気まぐれ

第52章
ドン・キホーテと山羊飼の喧嘩。
次いで、鞭打ち苦行者があらわれる。
その為すところ奇怪至極なれど、
ドン・キホーテの骨折りで、
目出度く解明される。

山深くして文士育つ

「……君の幸せのために一肌脱ごう。娘が尼僧院に閉じ込められているなら、……」

「騾馬の口に密は似合わず、猫に小判」とサンチョ。「だけど、そのうち解るさ、おまえ様にも。家臣から、奥方様、と呼ばれる身分になるんだ、びっくりこくな」

碑銘

鳴り物入りのキ印の禿茶瓶(はげちゃびん)が
……
支那もナポリ湾のガエタも掌中(たなごころ)とか。
……
恋も、怒りも、迷いも、心頭より滅却できなんだ。

ソネート詩
……
寄せ来る敵の返り血浴びるは、
おお、勇ましや、ラ・マンチャの男、
獅子奮迅に旗振って空前絶後の手柄を立てた。
叩っきり、ぶった切り、……

サンチョは小柄でもピリリと辛く、
肝っ玉が巨大(でこ)うござって、
騎士の家来数多ある中、
純粋なること無類、
真っ正直なること、
我輩が太鼓判を押して誓うなり。
 当今は驢馬を莫迦(ばか)扱いする
思い上がりと高慢ちきの
懇ろ続きのご時世でござるが、
……
 

乱読

 
​お金で世界が見えてくる!
お金で世界が見えてく

池上彰著(ちくま新書)

◎はじめに
お金は、なぜお金なのか、みんながお金と思っているから。

第1章 奇妙な数字、奇妙な政治
ーーミャンマー
真の独立が獲得できなかったことに失望したアウンサンは、今度はイギリスと連絡を取り、日本支配に対する反乱を起こし、日本軍を追い出しました。
このしたたかな戦略により、第二次世界大戦後はイギリスからの独立を果たします。
しかし、独立寸前、政治テロによって殺害されてしまったのです。アウンサン32歳でした。

第2章 デノミに失敗した北朝鮮
ーー北朝鮮
北朝鮮の公式の伝記では、金日成は、朝鮮半島が日本の支配下にあった1930年代から40年代にかけて、抗日遊撃隊率いて朝鮮半島で日本軍と戦って戦果を挙げたということになっています。ところが、旧満州で活動中、日本軍に追われてソ連に逃げ込み、ソ連軍大尉として訓練を受けていました。

第3章 独裁者が倒された後の紙幣
ーーリビア/イラク
国内に監視網を張り巡らし、住民を抑圧して盤石の独裁政治を確立していたと思われていたカダフィ政権も、あっという間に崩壊してしまったのです。独裁政治の脆弱さを痛感します。

第4章 ホメイニが睨む紙幣
ーーイラン
しかし、イギリスやアメリカの怒りを買ったモサデク首相は、アメリカのCIA(中央情報局)が仕組んだクーデターによって失脚します。
その後、パーレビ国王の下で親米国家となったイランでは貧富の格差が拡大。国民の不満が爆発し、ホメイニ師を指導者とするイラン革命が勃発したのです。

第5章 ユーロ危機を招いたギリシャ
ーーヨーロッパ
ユーロには構造的な問題が2つあります。
そのひとつは、ユーロ加盟国の金融政策は欧州中央銀行が決めるのに対して、財政政策は各国の政府に任されていることです。

もうひとつの問題は、為替相場の変動で景気回復という方法がとれないことです。

第6章 紙幣は2種類
ーーボスニア・ヘルツエゴビナ
「1から7つの共和国」
ーー「1つの国家、2つの文字、3つの宗教、4つの言語、5つに民族、6つの共和国、7つの国境」

第7章 難民キャンプで通用する紙幣は?
ーーシリア/ヨルダン
同じシーア派であるイランの政権が、アサド政権を支援。さらに、シリアの西側のレバノンを拠点とするシーア派過激組織ヒズボラ(神の党)も、アサド政権支援に駆けつけます。スンニ派とシーア派の代理戦争のような状態になってしまったのです。

第8章 偽造に悩むアメリカドル
ーーアメリカ
「世界のお金」とは、国際貿易で決済に使われる通貨のこと。第二次世界大戦前まではイギリスのポンドが「世界のお金」でしいた。
しかし、戦争でイギリスの国力は衰え、先進国で唯一戦場にならなかったアメリカに、世界の富が集中したことで、アメリカがイギリスに取って代わったのです。

第9章 日本の援助が紙幣の図柄に
ーー日本のODA
バングラデシュは、かつては東パキスタンでした。1947年、イギリス領インドが独立する際、イスラム教徒が多く住む東西の領域が、ひとつのパキスタンとして独立したのです。
国家としてはひとつでしたが、間にインドを挟んで遠く離れていること、東パキスタンはベンガル人が主体で、西パキスタンとは民族や言語が異なることから、1971年3月に独立を宣言。これを認めなかった西パキスタンと戦争になりました。
結局、インドの支援を受けた東パキスタンが勝利し、12月に正式に独立を宣言。「ベンガル人の国」=バングラデシュになりました。

第10章 南アフリカとマンデラの死去
ーー南アフリカ
日本と韓国、台湾は、国際社会の流れに従わずに南アフリカとの貿易を続けたため、名誉白人の地位を与えられ、白人施設を利用することが許されました。まことに不名誉なことでした。

第11章 円から日本社会が見えてくる
ーー日本
たとえば金利を低くしようとすれば、紙幣の発行量を多くします。金利とは、いわば「お金の値段」。世の中の紙幣の量が多くなれば、需要と供給の関係で金利は下がります。
では、紙幣の発行量を多くするには、どうしたらいいのか。一般の銀行は、日本政府が発行している国債を大量に買い込んでいます。この国債を日本銀行が買い上げます。すると、その分だけ、日本銀行券が世の中に出回る、というわけです。

尖閣諸島問題
ナショナリズムの魔力

ナショナリズムの魔力
国際シンポジウム二日目、中国CCTVの取材でお世話になった岡田充先生(右2)のコメント「東アジアはナショナリズムの魔力から解き放たれなければいけない」は好評でした。






尖閣諸島問題

尖閣諸島問題
領土ナショナリズムの魔力
岡田充著

◎はじめに
「領土をとられてもいいのか」
「それは、ちょっと困るけど……」
この反応こそ、メーン・テーマの「領土ナショナリズムの魔力」である。

反射ゲーム

地球が小さくなり隣国との相互依存関係が深まれば、国家主権だけが百数十年前と同じ絶対性を維持することはできない。

境界を越えて文化と人がつながり、共有された意識が広がると、偏狭な国家主権は溶かされていく。

あの知事をはじめ、各国のリーダーが国家主権の旗を振る姿にドンキホーテを見る滑稽さを感じるのはそのためであろう。

多くの人はその滑稽さに気づいてはいるが、「魔力」からは自由ではない。

国家主権を相対化する想像力こそが、「魔力」から自由になるカギである。


第一章 最悪の日中関係

閉塞感に覆われた時代に「敵対型ナショナリズム」で突破口を開く

竹島上陸は「石原効果」である。よく見ればその勇ましさは「強さ」の象徴ではなく、「弱さ」の表れであることがわかる。

李の場合、政権末期でレームダック化…実兄の逮捕…
石原は、…「停滞と弱さ」をバネにナショナリズムを煽り、体制批判を強める。

「弱さ」「内部矛盾」を外部に転嫁…二人には共通点

中国マスコミが憤激を煽り、反日行動を促す

過去をふりかえる
過去をふりかえる

第二章 過去をふりかえる

古賀辰四郎という人物が1985年に、尖閣で海産物やアホウ鳥の羽毛の採取による事業をするため、沖縄県に土地貸与を願い出た。これを受けて沖縄県が内務省に日本領にするように働きかけ、政府が現地調査した結果、「無主地」と判明したため、1995年1月14日の閣議決定で国標を建てる決定をした。

井上清
(1)尖閣に清国の名称が付いている。
(2)清の新聞に日本が占拠しようとしているとのうわさが書かれている。
(3)いま国標を建てれば清国との外交問題に発展しかねないのでしばらく様子をみよう。

日清戦争勝利が確実になった1894年に標杭建設

1855年英国海軍の海図に「Pinacle Idlands」
この海図を頼りに地質調査した黒岩は「尖った」という意味の「尖閣」の名称を付けたとされる。

日本側の領有手続きにも多くの疑問がある。

中国側の歴史認識
尖閣領有は、明治政府にとって琉球処分から台湾割譲に至る、南方への領土拡張・画定の一環

日本の領有に国際法上の「合理性」はある。だが中国・台湾から見れば、日清戦争で日本の勝利が確実になった段階での「尖閣編入」は「どさくさに紛れて奪った」という論拠の一つになる。

固有とは何か?
広辞苑によると「もとより」「自然に」
せいぜい117年前(1895年)
土地とそこを生活圏にする住民が、帝国主義的な領土拡張策と大国間の利益配分の犠牲になってきた歴史こそが重要なのであって、「固有」という無内容な単語にほとんど意味はない。「固有の領土で領有権問題は存在しない」という建前からは、相手の主張に耳を傾ける姿勢はうまれない。係争があることを認めた上で、中国、台湾と歴史共同研究・調査を始めてはどうか。

敗戦国の清から台湾と僚東半島を割譲し、清の歳入総額の2・5年分に相当する賠償金をとったことを忘れていないか。

田中総理
「尖閣諸島についてどう思うか? 私のところに、いろいろ言ってくる人がいる」

周総理
「尖閣諸島問題については、今、これを話すのはよくない。石油が出るから問題になった。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない」

周総理
「これを言い出したら、双方とも言うことがいっぱいあって、首脳会談はとてもじゃないが終わりませんよ。だから今回はこれは触れないでおきましょう」

田中総理
「それはそうだ。じゃ、これは別の機会に」

第三章 国際関係のなかの尖閣諸島問題

◎中央政治局員のビジネス関係が政策決定のカギを握る
共産党中央政治局は集団指導の色彩が強く、両岸関係や北朝鮮問題など重要な政策決定に当たっては、25名の政治局員の全員が参与し、その他の問題は9名の常務委員が決定する。

「合意決」(多数決ではない)

全ての委員に否決権があり、あらゆる問題は十分な討論を経て、合意に達する。
…個人に過度の権力が集中するのを防ぐため。
ただ、チベット問題のような難しい問題になる、胡錦濤の発言のみが重視される。

領土と国家の相対化
領土と国家の相対化

第四章 領土と国家の相対化

領土と聞いたとたん、人は「思考停止」に陥る。

「侵害された」という意識を持つと、自分の身が引き裂かれたように感じる。

メデイアもまた「思考停止」を側面から支援する。

「日本領土」であるという意識が、無条件に読者と視聴者に刷り込まれていく。

領有権争いがある問題については、相手側の主張に耳を傾け、問題を相対化することこそ、戦争に協力した歴史から学ばねばならないメデイアの責任のはずだ。

台湾・馬英九総統
「東シナ海平和イニシアチブ」
「領土と主権は分割できないが、天然資源は分けることができる」

「統一せず、独立せず、武力を使わず」現状維持
(1)国民党と中国
…「統一=独裁=反日=外省人」
(2)民進党と台湾本土派
…「独立=民主=親日=本省人」

しかし「独立」の主張が日米など西側からも支持されず…対中政策の展望を示すことができない民進党は自滅していく。

領土問題を解決するには、(1)譲渡、(2)棚上げ、(3)戦争の三つの選択肢しかない。

重要なことは、オバマ政権の「アジア重視戦略」は、米軍自体がアジア太平洋で軍事プレゼンスを増強することを意味するわけではない。財政的に余裕のない米国に変わって日本に軍事負担を肩代わりさせることにある。「戦略シフト」の背景には、確かに中国の「軍事的台頭」がある。中国が軍事力を強化しているのは紛れもない事実だ。

だがそれをもって中国が尖閣や沖縄など日本の領土を奪い、台湾に武力行使し、東アジア米国と軍事覇権争いを展開すると断定するなら、論理の飛躍というものであろう。

米国のやくわり…バランサー役を

日米中三角関係

キッシンジャー
歴史的には軍事的征服によってではなく、ゆっくりとした浸透によって行われた。
「軍事的制服ができる地勢にはない。むしろ中国のほうが包囲されていると懸念している。

◎金門から境界のない世界が見える

◎台湾と一体だった沖縄や尖閣

「風獅爺」がシーサーに

600年前の明朝時代…金門を含む福建
「久米36姓」
16、17世紀東アジアでは、境界を超えた自由な往来と交流があった。
欧州では「30年戦争」を経て、近代国家における領土、主権など国際法の基礎になる「ウェストファリア条約」(1648年)が締結

明朝、清朝の「冊封使」が海路琉球へ航海する際、航行の目印としたのが尖閣諸島であった。

1582年、イスパニア(スペイン)の航海者グアレーがまとめた台湾島の見聞録
「台湾の東方または、東北方のレキオ(琉球か)諸島の住民が扇舟を操って鹿皮や小粒金を漢土に持来って交易した」

約400年の歴史で尖閣、沖縄、台湾が、共通の「生活圏」共存していた時期こそ「主」であり、主権争いが顕在化してからのこの40年間は「従」にすぎず、特殊な時期にすぎない。

戦前の強力な国家再興を夢みる復古主義が鎌首をもたげる。これは石原前都知事や、自衛隊の元航空幕僚長を「軍神」のようにあがめる国家主義者だけではない。繰り返しになるが、世論形成に大きな力を持つメデイアも同罪である。

「遅れた独裁国家」に対して「敵対型ナショナリズム」を燃やすのは、逆立ちした優越感と大国意識の反映でしかない。

「明確な国家理念」
「国家戦略」
「強力なリーダーシップ」
現在進行中の構造変化を自覚しない精神的退廃であろう。

「境界に生きる人々」(マージナル人)
金門島から琉球、九州へと伝播していった文化や風俗を見るにつけ、領土、領海、主権、国籍という国民国家の理念と境界線に、息苦しさを覚える。グローバル化は、国家主権を溶解し始めている。

◎おわりに
「境界を越えて文化と人がつながり、共有された意識が広がると、偏狭な国家主権は溶かされていく」

逆説的だが、あの「ドンキホーテ」知事に感謝しなければならない。

尖閣の
尖閣の

今まさにドンキホーテを
読んでいるところです。
沖縄を中心に逆さまに地図を見ると、
全く違った風に見えてきます。
「権力の魔性」との闘争は
いよいよ世界へと広がる!
池田先生が小説人間革命を
沖縄から執筆開始された意味が
今やっと少しわかってきました♪♪♪

尖閣の
魔性溶かして
希望へと
2014.8.11

 

小説人間革命

小説人間革命第一巻
  小説人間革命第一巻

◎黎明
戦争ほど、残酷なものはない。
戦争ほど、悲惨なものはない。
だが、その戦争はまだ、つづいていた。
愚かな指導者たちに、率いられた国民もまた、まことに哀れである。

軍部政府は、いかにも愚劣で、狂信的で、わが同胞に対してすら暴力的で、不条理であった。そのような狂信をもたらしたものの根源が、軍部政府の精神的支柱であった「国家神道」であった。

“宗教”への無知は、国をも亡ぼしてしまった。「神は非礼を稟(う)けたまわず」(注)と、大聖人は仰せである。正法を尊ばずして、諸天善神の加護はない。しかし軍部政府は、正法を護持する牧口会長を、獄において死にいたらしめたのである。

(注)妙法に対する信、尊敬が根底になければ、神本来の力が発揮されないということ。

よき種は、よき苗となり、よき花が咲こう。よき少年は、よき青年となる。よき青年は、よき社会の指導者となろうーーこれが、彼の心情であった。

「…お父さんとはまだまだあえませぬが、二人で約束したい、朝何時でも君の都合のよい時、御本尊様にむかって題目を百ペン唱える。その時お父さんも同時刻に百ペン唱えます」

“闇が深ければ深いほど、暁は近いはずだ”

◎再建
戸田は、つぶやくように言った。
「二百五十万円余りの借金か」
巡査の初任給が六十円といわれていた時代の、二百五十万円である。膨大な額の借財である。
※20万円/60円(3333)×250万円=100億円!!!

「ここ、火災保険証書が、これだけありますが、関東大震災の時のように、何割かは支払いがあるでしょう。…」

これを担保として、一万円の借用を頼んだのである。
「あ、いいとも」
小沢は、軽く承諾した。

「こりゃいかん」
「すまんが、半分じゃいけないか」

「結構だ。後は、なんとか工夫しよう」

◎終戦前後
戸田は…一国の指導者層は、一切の感情のわだかまり捨て、その辺境な、高慢な態度を正すべきであると叫びたかった。

“眼前の一人ひとりを、完全に救いきっていくことだ。たとえ時間が長くかかっても、体当たりして、救っていくことだ。これこそ、「未来も又しかるべし」御金言の実践である”

万端整って、事務所が活動し始めたのは、八月二十日であった。終戦の五日後である。出獄の日から、実に四十九日目のことであった。

「君たち、今日のことをどう思う。法華経のために牢屋にぶち込まれて、まる二年間、死ぬ苦しみで戦った功徳なんだよ」

◎占領
当時の日本の将軍たちと、欧米の将軍たちとは、残念ながら、およそ思考の次元が、はるかに違っていたようである。
前者は、愛国心の隠れ簑(みの)の中で、コチコチに軍国主義思想に凝り固まっていた。
後者は、今世紀の二回にわたる大戦で、近代戦争が、勝者も敗者にも、ともに大きな悲惨と悲哀をもたらすことを、何よりも身に染みて知っていた。

マッカーサ
「私たちにはいま、新しい時代が訪れている」
「私たちが肉体を救おう思うなら、まず精神から始めねばならないのだ」

有る経の中に仏・此の世界と他方の世界との梵釈・日月・四天・竜神等を集めて我が正像末の持戒・破戒・無戒等の弟子等を第六天の魔王・悪鬼神等が人王・人民等の身に入りて悩乱せんを見乍ら聞き乍ら治罰せずして須臾もすごすならば必ず梵釈等の使をして四天王に仰せつけて治罰を加うべし、若し氏神・治罰を加えずば梵釈・四天等も守護神に治罰を加うべし梵釈又かくのごとし、梵釈等は必ず此の世界の梵釈・日月・四天等を治罰すべし

「梵天君、なかなかやるじゃないか」

……差し当たってのことですか。
ーーまったく、どうにもならんが、梵天君が、応急措置くらいはできそうですよ。だって、それが彼の役目というものです……

だが、人間の心も、修羅や畜生の生命に、占領されきっている場合がある。社会や国家が、悪魔の思想に占拠されている場合もある。その方が、より悲劇的なことだ。

「大悪をこれば大善きたる」

◎一人立つ
アメリカ占領軍は、当面の占領政策を実施したが、日本民衆からの抵抗は、全く起きなかった。

“これは、いったいどうしたことなのか”

もはや武力抵抗はないーー。

「…いいじゃないか。どんな人間だって、結局は御本尊様によって救われる時が来るんだ。背こうが、従おうが、どうしようもない。最後は、みんな救われていくんだ。…人が人を責めることなんか、知れたものだ。御本尊様に裁かれることほど、この世で恐ろしいことはない」

彼は、酔いがさめた。そして、ポツンとつぶやくように言った。
「同じ轍を踏むことは、ぼくは絶対にいやだ。断じていやだ」

“あの四人の連中と、なんと隔たりができてしまったことか…”

語るに足りぬ友であることを、知ったのである。

恩師は逝きて 薬王の

まずしく残るは 只一つ

吹くや嵐の 時なるか

如意の宝珠を 我もてり
これで皆んなを 救おうと
俺の心が 叫んだら
恩師はニッコと 微笑んだ

『学会が発迹顕本する』とは、いったいどういうことか見当もつかず…

請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ進んで過去を尋ぬれば八十万億劫に供養せし大菩薩なり豈熈連一恒の者に非ずや退いて未来を論ずれば八十年の布施に超過して五十の功徳を備う可し天子の襁褓に纒れ大竜の始めて生ずるが如し蔑如すること勿れ蔑如すること勿れ

我いま仏の 旨をうけ

誰をか頼りに 闘わん

捨つる命は 惜しまねど


獅子は伴侶を求めずーー伴侶を心待ちにした時、百獣の王、獅子は失格する。

シラーは言った
“一人立てる時に強きものは、真正の勇者なり”

◎千里の道
わが国は、「豊葦原の瑞穂の国」といわれてきた。

法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり

王法の曲るは小波・小風のごとし・大国と大人をば失いがたし、仏法の失あるは大風・大波の小船をやぶるがごとし国のやぶるる事疑いなし

妙とは法性なり法とは無明なり無明法性一体なるを妙法と云うなり蓮華とは因果の二法なり是又因果一体なり経とは一切衆生の言語音声を経と云うなり、釈に云く声仏事を為す之を名けて経と為すと、或は三世常恒なるを経と云うなり、法界は妙法なり法界は蓮華なり法界は経なり蓮華とは八葉九尊の仏体なり能く能く之を思う可し

問う妙法蓮華経とは其の体何物ぞや、答う十界の依正即ち妙法蓮華の当体なり、問う若爾れば我等が如き一切衆生も妙法の全体なりと云わる可きか、答う勿論なり

◎胎動
「さあ、なんと言ったらいいか……。八万法蔵といっても、わが身のことだ。難に遭って、牢屋で真剣に唱題していたら、思い出してきたらしい。それ以前は、金儲けに忙しく、思い出す暇がなかったわけだろう」
「思い出した?」

◎歯車
「この信心に、絶対、嘘はない。必ず幸福になれる。確信をもって申し上げる。もし、嘘であったら、おやめなさい」

人間革命第2巻
人間革命第2巻

◎幾山河
杜甫(とほ)の「春望」の詩が、戸田の心に思い浮かんだ。
「国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙をそそぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす……」

「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」

「千載一遇じゃないか。ありがたい話だ。何も困ることはない」

「信心する、しないは別として、村の人たちを、真心込めて集めることに努力しよう。今こそ、そのことを御本尊様に祈りきる時じゃないか。一家で、全力をあげて頑張ろうよ。至誠が通じないわけがなかろう」

◎序曲
「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れて行ってくださいました。そのおかげで『在在諸仏土 常与師倶生』と、妙法蓮華経の一句を、身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の事を知り、法華経の意味を、かすかながらも身読することができました。なんたる幸せでございましょうか」

◎光と影
「われわれの戦いは、今、こうしてコツコツやっているが、すごい時代が必ず来るんだよ。ゼネストなんか、今、諸君は大闘争だと思っているかもしれないが、われわれの広宣流布の戦いから見れば、小さな小さな戦いであったと、わかる時が、きっと来る。私は断言しておく。皆、しっかりやろうじゃないか」

◎前哨戦
今は、将来、真実に人びとを救い、指導していけるだけの力を養っている訓練段階だと思わねばならない。将来の本格的な広宣流布のための実践を、そんな、遊び半分のようなものと思っては大変だ。三類の強敵との壮絶な戦いなのだ。
その時に、退転するなよ。今、いい気になっている連中は、大事な時になって退転してしまうものだ。

◎地涌
旅びとよ
いずこより来り
いずこへ往かんとするか

月は沈みぬ
日 いまだ昇らず
夜明け前の混沌(カオス)に
光 もとめて
われ 進みゆく

心の暗雲をはらわんと
嵐に動かぬ大樹求めて
われ 地より湧き出でんとするか

◎車軸
まあ、しばらく見ていたまえ。君たちは
建物を、うんぬんすべきでない。自分自身を磨いていくんだ。大聖人様の哲理を夢にも疑わず、“広宣流布は俺がやる”という気概にあふれて、前進していくべきじゃないか。

人間革命第3巻
人間革命第3巻

​◎新生
厳しい御言葉です、日本国が御本尊を仇敵にしていると、千里の外から禍を招く……しかし、信ずる人は、幸いを万里の外より集める、と仰せです。

広宣流布の活動といっても、その実践の根本は、座談会と教学の研鑽である。

『衆罪(しゅざい)は霜露(そうろ)の如く、慧日(えにち)は能く消除す』

人間一人の不幸という現実は、時には術もないと思われるほど、想像を絶した悲惨なものである。戸田も、これらの姿を見て、たじろぐこともあったろう。妙法の功力の無量無辺であることは確信していたが、絶対に解決すると断言するには、自らが絶大な信力を奮い起こさなければならない。
彼は、逆流のなかに身を置く思いで、まず、自身の心中で戦ったこともあった。足をさらわれるか、さらわれないかーー指導の前に、まず、彼自身が勝たねばならなかった。
「それでいいのだ。大事なことは、所詮、御本尊に対して、赤子のように素直で、たくましい信心さえあればいいのだ。それが、自己も、家庭も、環境も、社会も、すべて必ず解決していくのだ」

彼は、胸中に、広宣流布の伸展につれて、やがて学会が社会をリードしていく時が、必ず到来することを確信していた。彼の今の実践は、その基盤を、一歩一歩、確実に、つくっていることにほかならなかった。

◎渦中
諸天善神を叱咤しながらの戦いは、幾度もあった。

「そりゃ、考えないわけじゃないが、腹が立っているうちは、いい知恵も出んよ」

宗内獅子身中の虫ともいうべき一派は、軍人ともつながっていた。…これらが、文部省の宗教行政を牛耳りつつあったのである。
…牧口の提議した、僧俗一体となっての「国家諫暁」は、時期尚早との理由で、宗門の容れるところとならなかった。
牧口の強硬な主張は、今や、彼を完全に孤立せしめていた。結局、創価教育学会は、反政府的な存在として、いきおい鮮明に浮かびあがらざるを得なかった。当局の日蓮正宗弾圧の的は、大きく変わって、創価教育学会を焦点に集中し始めた。
…学会は、一身に国家権力の圧迫の荒波を受け、…
…そして、神道を尊崇しようとしない言動を理由に、遂に学会を反国家的な団体として決めつけていったのである。

「国亡ぶるは賢人なきにあらず、用うること能わざればなり」

◎群像
彼は憮然として、ひとたびは信心を疑ったが、また信心を奮い立たせるより仕方がなかった。
「善からんは不思議、悪からんは一定(いちじょう)とをもえ……」
大聖人の御言葉が、彼の索漠とした心に蘇った。宿命打破のために、くぐり抜けていかなければならない試練が、どんな厳しいかを、その御金言は示しているように感じられた。
彼は、御本尊にひれ伏すようにして願った。

“今、疑いをもっている。……
「漆(うるし)千ばいに蟹の足一つ」
いけない、いけない。俺は、今、何もできない身だ。だが、御本尊を疑わないことはできる。俺の信心としてできることは、せめて、そのことだけではないか”

◎漣
夜はいま
 丑満の
時はすぎ
 うつろい行くを
我のみは
 ひとりしねむる

テロリストの末路というものは、必ず悲惨なものだ。

広宣流布が進めば、あらゆる分野に、民衆のため、人類のために戦う優れた指導者が、続々とでてくるだろう。

ああ、甚深無量なる、法華経の玄理に、遇いし身の福運を知る。
戸田先生こそ、人類の師であらん。
祖国を憂え、人類に、必ずや最高の幸福を与えんと、邁進なされゆく大信念。
そして、正義の、何ものをも焼くが如き情熱。

唯々、全衆生を成仏させんと、苦難と戦い、大悪世に、大曙光を、点じられた日蓮大聖人の大慈悲に感涙す。
若人は、進まねばならぬ。永遠に前へ。
若人よ、進まねばならぬ。令法久住の為に。

妙法の徒。吾が行動に恥なきや。信ずる者も、汝自身なり。
祖国を救うのも、汝自身なり。
宗教革命、即、人間革命なり。かくして、教育革命、経済革命あり、政治革命とならん。
混濁の世。社会を、人を浄化せしむる者は誰ぞ。
学会の使命、重大なり。学会の前進のみ、それを決せん。

革命は死なり。
吾れらの死は、妙法への帰命なり。
真の大死こそ、祖国と世界を救う、大柱石とならん。

若人よ、大慈悲を抱きて進め。
若人よ、大哲理を抱きて戦え。
吾れ、弱冠二十にして、最高に栄光ある青春を生きゆく道を知る。

結実〜道程

◎結実
「頑張るか?」
山本伸一は、間髪を容れず答えた。
「はい! お願いいたします」
一瞬の気合であった。決定的な瞬間である。時は既に熟していたのだ。一年前、戸田との運命的な出会いとなったあの夏の夜、山本伸一が予感したことは、今、避けがたい現実となったのである。
紀元前四九年、シーザーは、「骰子(さい)は投げられた」と言って、ガリアとイタリアの境を流れるルビコン川を渡り、ローマに進軍した。

「妙法への帰命」……つまり、それは、広宣流布の師である戸田城聖に仕え、守り抜き、その構想をことごとく実現し、師弟不二の大道を全うすることであったのである。

戦時中、神道を強制して大失敗をしたわが国は、終戦後、いかなる哲学と道徳とをもって、復興すればよいのか。

◎宣告
この二つの裁判は、戦勝国が法廷を構成し敗戦国の戦争責任者を審判するという、世界史上にも例のないものであった。

一国が誤った宗教を尊崇し、正法を弾圧する時、梵天・帝釈が治罰を加えさせるーーという仏法の法理が、かくも正確に、最後の裁判まで貫かれた実証を見たのである。

では、東京裁判を行った連合国の目的というものは、いったい何であったのか。それは、戦前の長年にわたる日本の政治の暗部を暴露すること自体にあったのかもしれない。

三七年(昭和十二年)十二月に起きた南京虐殺事件は、その内容に諸説があり、実態が明確ではないが、相当な残虐行為があったことは確かである。

「宣教師の南京暴行事件の證言(しょうげん)あり。虐殺、強姦、暴行、破壊、數時間にわたって縷々證言して尽くる所なし。吾人をして面(おもて)をおおはしむ。日本人たるもの鬼死(きし)すべし」

民衆を基盤にしない限り、何もできない時代にしていくことだ。民衆が為政者を使いこなして、民衆が幸福に生きるために一切がある、という時代にしなければならない。

しかしA級戦犯の二十五人の被告たちが、この残虐行為を指令し、命令した者として、さらにその責任を問われるならば、原子爆弾の使用を決定し、命令した者こそ、「人道に対する罪」を犯した者として、最高の戦争犯罪者に問われるべきでないか。

ユネスコ
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」

「心の師とは・なるとも心を師とせざれ」

昭和二十三年ーー。
吾れ二十歳、今、正に過ぎんとす。
苦悩の一年。敢闘の一年。
……

◎道程
大衆は賢である。大衆を、いつまでも愚と思っている指導者は、必ず大衆に翻弄されていくことになるだろう。
至難に思われる広宣流布も、時と条件とが問題であって、それをいかにして創るかに、一切の困難と辛労が、かかっている。
遥かなる千里の道は、それがいかに困難であろうと、辛労をいとわず、一歩一歩を進める以外に、克服する道はない。すなわち、指導者の億劫の労苦によってのみ、時を促し、条件を調えることができるのである。

「俺は、恥をかきに来たのではない。森川、いったい、どうしてくれるんだ!」

「実は、君に今日限り、ここを辞めてもらいたいのだ。突然だが、組合として、よくよく考えた末の結論だと思ってもらいたい」

これが三障四魔だ…
「大悪起これば大善きたる」

「信心で勝負だ。 やってみろ! 未来にどういう結果が出てくるか、裸になって信心をやり抜いてごらん」

「お父さんの信心も、大したもんだなあ。よし、ぼくもやるぞ。……そうだ、今夜は、みんなで失業したお父さんを祝ってあげよう」

「先生、実は、そのことで困っているんです。森川さんが座談会で、俺は仕事を辞めさせられたが、変毒為薬してみせるなどと言うものですから、みんな信心を疑いだしているんです」
「みんなじゃない。まず、君がだろう」

『過去の重罪の今生の護法に招き出だせるなるべし』

森川君一家は、功徳だと喜んでいる。関係のない諸君が、それを疑って罰を受ける。

戸田城聖は、この夜、鶴見の地に、見事な信心の布石をしたのである。広宣流布は長い道程である。だが、戸田の歩む索漠たる瓦礫の道には、新しい生気に満ちた緑の草が、その足跡に、必ず、はつらつと萌えたのである。

人間革命第4巻
人間革命第4巻

◎生命の庭

“あの時も俺は、こんなふうに狭い部屋の中を、檻に入った動物のように歩き続けていたのだ………”

「読もう。よし、読み切ってみせる!」

“三十四の「非」は、形容ではない。厳として実在する、あるものを説き明かそうとしているのだ”

彼は、突然、「あっ!」と息をのんだ。
「生命」ーーという言葉が、脳裏にひらめいたのである。
彼は、その一瞬、不可解な三十四の「非」の意味を読み切った。

ーー彼は、自然の思いのうちに、いつか虚空にあった。数限りない、六万恒河沙の大衆のなかにあって、金色燦然たる光を浴びて、御本尊に向かって合掌している、彼を発見したのである。

まるで、昔書いた日記を読み返す時のように、あいまいであった意味が、今は明確に汲み取れるのである。

◎時流
「今、アジアで、同じ民族が分断し、争うとしたら、これ以上の不幸はない。それを救うことができるのは、日蓮大聖人の仏法しかありません、一日も早く、東洋に仏法を伝えねばならない」

◎波紋
わずかでも時間があれば、読書をすることが、彼の体質となっていたのである。
書物は精神の滋養であり、苦闘に立ち向かう勇気の源泉となるーーそれは、伸一の実感であった。
彼の頭のなかには、仕事と読書が交錯することが幾たびもあった。

◎疾風
'“今の苦闘こそが、やがては自身の人間革命を成就する瑞相であり、同時に、父母を幸福にすることになるのだ。今に見ろ! 今の苦難に莞爾として進めばよいのだ。若いのだ。雄々しく歓喜を湧かせ、たぎらせて、前進また前進しよう。すべては、大御本尊様の照覧のもとにあるのではないか。誹(そし)る者には誹らせておこう。笑う者には笑わせておけ。そんなものがなんだ!”

◎怒涛
「なんだ? どうした」
「先生………」
「なんだね?」
「先生、今度、三島さんが理事長になると、私の師匠は三島さんになるんでしょうか?」
「いや、それは違う! 苦労ばかりかけてしまう師匠だが、君の師匠は、ぼくだよ」

「伸、どうした?」
「いや、先生、いいんです」
「先生、お休みなさい」

◎秋霜

古(いにしえ)の
奇(く)しき縁(えにし)に
仕えしを
人は変われど
われは変わらじ

幾度か
戦の庭に
起てる身の
捨てず持(たも)つは
君の太刀(たち)ぞよ

色は褪(あ)せ
力は抜けし
吾が王者
死すとも残すは
君が冠(かんむり)

人間革命第5巻
人間革命第5巻

◎烈日
“誰も知らなくてもいい。陰で先生をお守りしてきた、この年月、今日の日の来るのを、どんなに待ちこがれてきたことか。あの通り、先生は元気に闊達自在になられたではないか。今の自分の歓びが、どういうものか、誰も知らないであろう。知らなくていいのだ……”

◎随喜
われわれの目的は、日本一国を目標とするような小さなものではなく、日蓮大聖人は、朝鮮半島、中国、インド、そして全世界の果てまで、この大白法を伝えよ、との御命令であります。

◎戦争と講話
昔、近しい親戚同士で、隣り合って住んできた二軒の家があった。先代同士が喧嘩してしまい、いつか、口もきかない絶交状態に陥って以来、長い年月が過ぎた。…遠くの親戚よりも近くの他人という。まして、もともと親戚ではないか。…一軒の家は、千里の向こうの親戚に気兼ねをして、どうしても友好の手を差し伸べることができない。もう一軒の家は、カンカンに腹を立ててしまっている。

国家と国家の関係も、民族と民族の関係も、その根本をなすのは、人間の一念である。…つまり、人間の一念の転換こそが、平和建設の要諦といえよう。

“三変土田”

◎前三後一
“師子の力の秘密は、「前三後一」にある。今は、次の飛躍のため力を蓄え、陣列を見事に整備する時だ”

◎驀進
「謀(はかりごと)を帷帳(いちょう)の中に回らし」(御書P.183)とある如く、企画・立案に取り組む参謀部が、常に戸田に直結していたことは無論である。この戸田との強靭な師弟の結合が、短日月に青年部を大成長させていく力となったと見てよいであろう。

◎布石
彼は、上海にいても、朝晩の勤行だけは欠かさなかった。勤行をサボると、罰を受けるのではないかという考えが、頭に染み込んでいたのである。

“わが身の過去世の宿習”

「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん…」

『諸天が見捨ててもいい。法難には何度でも立ち向かおう。私は、命をかけて法華経流布に邁進するのみだ』

人間革命第6巻
人間革命第6巻

心に残る一節

◎七百年祭
それに対し、宗門の中枢は、正宗を護るために苦心を払ったが、結局は、その余波のすべてを、創価学会が犠牲となって被ったのである。戦時中の学会弾圧の直接的原因は、笠原という「獅子身中の虫」にあった。笠原によって、牧口初代会長の牢死にまで発展したのである。

◎推移
道々、彼ら二人の語り合ったことは……生涯、戸田城聖に師事すること、創価学会から離れないこと、そして、社会のためにプラスになることをすること、人のために尽くすことを厭(いと)わない……などであった。

「神は所従なり法華経は主君なり」

◎余燼
「私が、今、願うことは、何がどうあろうと、何がどう起きようと、この信心だけは、絶対に疑ってはならぬということであります。私が、どんな立場に立とうと、また学会が、どんな危機に見舞われようと、日蓮大聖人の教えだけは絶対に間違いない。いささかも疑いを起こしてはなりません」

広布の道は、実に厳しい。魔は、思いもかけぬ、さまざまな姿をとって、今後も襲いかかって来るものと覚悟していただきたい。

魏志和人伝
「鬼道(きどう)に事(つか)え、能(よ)く衆を惑わす」
“神がかり”のシャーマニズム

国家神道を精神的支柱とした軍国主義者は、国民を戦争に追い立て、アジアの人びとを蹂躙し、遂には、国を破滅の悲劇へといたらしめたのである。

宗教や思想の誤りは、権力の魔性を増長させ、……宗門の体面にとらわれた裁定に終始するのみであった。

◎離陸
鳳(おおとり)は、大地を蹴って飛び立とうとする瞬間、最大の力を出す。
飛躍的な成長の過程は、幾つかの苦悩の壁を破る道程でもある。苦しみを乗り越えたあとには、見違えるような、広々とした戦野が開けてくるものなのだ。

まず計画があり、それを遂行するために使用する資金が募られた。金があって、それから計画を立てるのではない。彼は、いつも事をなすにあたって、大胆に金を使ったが、金に仕えることは一度もなかったのである。

御本尊に向かって唱えるのが『読』(どく)にあたり、御本尊に向かわないで唱えるのが『誦』(じゅ)にあたりますが、どちらの形式でも功徳は同じです。ただし、真剣にやることです。

「あなたの考えは、ごろつきの言い分と同じではないか。いったい、御本尊様に真剣に唱題し、広宣流布のために戦ったことがあるんですか。どれだけ折伏し、支部を盛り上げたか、よく反省しなさい。
何もしないで、ただ願うのは横着だ。仏には、治してやらねばならぬという義務はない」

折伏さえすれば、本当に功徳があるんです。

『若し懺悔せんと欲っせば、端坐して実相を思え 衆罪(しゅざい)は霜露(そうろ)の如く 慧日(えにち)は能く消除(しょうじょ)す』

悩みのある人は、一年間、真剣に信心し、折伏しなさい。

端坐して実相を思え折伏を

〜機内にて〜

人間革命第7巻
人間革命第7巻

心に染み入る一節

◎飛翔
成否を誰(た)れかあげつらふ
一死尽くしゝ身の誠
仰げば銀河影冴(さ)えて
無数の星斗光濃(こ)し
照らすやいなや英雄の
苦心孤忠の胸ひとつ
其(その)壮烈に感じては
鬼神も哭かむ秋の風

「……しかし、このままで、今、死ななくてはならない。黙然として、頭を独り垂れる時、諸君ならどうするか?」

「この時の孔明の一念が、今日も歴史に行き続けているんです。
……
まず最初の一節は、疲弊の極みにあった宗門の姿ではないだろうか。だれが、それを心から憂えたか。丞相は、いったい誰だ!

「指導者たる者は、極力、本部に接近し、本部と呼吸を合わせてもらいたいし、私の一念に触れるよう心がけてもらいたい。信心や、折伏や、人材としての訓練、指導を、きちんと受けた人は、皆、立派に伸びています」

御本尊さまを、まず、しっかり拝むことです。勤行を、しっかりとやることです。……ありのままの自分でいいんです

退転していった人は、必ず退転する理由をもっている。……ちょっとした理由が多いものです。

◎原点
五老僧というのは、題目論はわかったが、本尊論がわからなかったんです。

大難があったけれども、大聖人様が厳然といらした時は、平左衛門尉も、執権も、手をつけられなかった。あまりにも偉大な仏様が、厳然といらしたからです。
ところが亡くなったとなると、彼らにとっては、もってこいです。その後、大弾圧の動きがあったんです。その時、五人は、みんな逃げ出してしまった。怖かったんですな。
五人は、皆、急に、『われわれは天台沙門だ』と言いだしました。『日蓮の弟子ではない』と言いたかったのでしょう。……
今のわれわれに、少し弾圧が加えられたとしたら、どうします?

私たちは、これらの主義により一歩上の次元に立つ大哲学によって、世界を指導するのです。

この五重塔は、仏法西還の意義を込め、西向きに建てられている。

創価学会の目的とするところは、ただ一つ、広宣流布にあります。なんのためか。ーー今、日本の民衆は悲惨な状態にあります。東洋の民衆も、どん底にあります。これを回復し、救わねばならないからです。このために、日夜、心を痛め、身を尽くしているのであります。

◎翼の下
御書を克明に拝読してください。『顕仏未来記』にも、この仏法は、西へ、天竺へ還ると仰せになっております。もしも、この仏法が、日本だけにとどまっているとしたら、仏法は虚妄となってしまいます。これを妄語とさせないのが、わが創価学会の使命であります。

あなた方は、まだ芽が出たか、出ぬかの時なんです。芽が虫に食われては、なんにもならない。草ぼうぼうですておいては、芽は腐ってしまう。
そこで、心田にある雑草を取らなければならない。それが折伏です。朝夕の題目は、畑にこやしをやることです。

本当によくなるのは、十五年だな。仏法は道理だもの……大樹になるには当然なことだ。七年ぐらいから、だんだん、よくなることが見えてくるでしょう。

華陽会「華のように美しく、太陽のように誇り高くあれ」

『愛』といったって、『慈悲』といったって、みな一念三千のなかにあることだ。

しかし、そのような強靭な『愛』を、どのようにして自分の心に涌現させるのか、それは明かされていない。
……結局、九界の範疇です。
……
仏法の『慈悲』は抜苦与楽
……仏界となると、自然に、振る舞いそのものが、そのままで『慈悲』になってしまうんです。

女子部に、いちばん大切なのは、教学です。みんなも教学を真剣に身につけなさい。女子部が育つには、それしかない。

男は裸にしてみなければ、その偉大さはわからない。肩書きや、財産や、学歴などで評価するのは恐ろしいことです。

すべてをかなぐり捨てた、その男のなかに何があるかを見極めていくんです。

幸福を感じるよりも、不幸を感じることが多いのが、人生の実情といえるかもしれない。

◎水滸の誓い
私は、本を読む時、本文に入る前に、必ず、『序文』とか、『あとがき』を真っ先に読む。それは、作者が何を言わんとしているかを知るためです。つまり、言わんとする思想の片鱗をつかむためだ。

登場人物を、よく見極めて読みなさい。……一人の人物を見抜くということは、極めて難しいことだ。……ただ、人物を好きか嫌いかで決めてしまうのは、趣味的判断で、なんの役にも立たない。

小説を読むということは、書かれた事件なり人生を、読者が経験することだといってもよい。

「さて、この宗江だが、地方の小役人にすぎなかった人物が、なぜ一党の首領と崇められるようになったのか、これはいったい、どういうことか?」

誰でも自分のことは隠したがる性質もあるが、また反対に、何から何まで、“この人”という人に知ってもらいたいという面も、人間は強いものです。きみたちも、よく自分のことを考えてみなさい。

「士は己を知る者のために死す」

今のところ、世界の民衆は、まだ夢にも御本尊の存在を知らないでいる。しかし、物質文明の極まるところに、早くも人類滅亡の兆しを感じている。遠からず、それが不可避だと悟る時がやって来る。
その時、民衆は御本尊の存在に気づいて渇仰するに決まっている。

最高の知恵というのは、何を指していうか

「南無妙法蓮華経」

これ以上の知恵は、現代には断じてない。

知ろうともしないで軽蔑している。

人類がもつ最高の智慧なんだもの、誰でも頭を下げざるを得なくなる時が必ず来る。

◎匆匆の間
その悩みも千差万別であった。医者に見放された病人もいれば、債鬼に追われて自殺寸前のような蒼白な顔の、町工場の経営者もいる。夫の浮気に悩み、怒りの形相で指導を待つ婦人もいた。

あなたは、よかった。ものすごい力のある御本尊様を頂いている。真剣に、真剣に、お願いしなさい。

わかった。ここまで苦しんでくれば、しめたものです。それにしても重病なんだから、百日くらいは一生懸命に頑張ることだ。必ず解決するよ。今、金のできないことは、むしろ君の将来にとっては、いいことかもしれない。

戸田の短い質問にも耳を貸さず、ただ一方的に、くどくどと同じことを、繰り返し述べ立てるだけであった。

「いったい、この人を誰が連れて来たのか!」

どんな名医も、弁護士も、また高名な政治家でも、手をこまぬくより仕方のないような人生の問題であった。それは、通常の社会保障政策などの通念を、ことごとく超えたものといってよかった。

卑屈になってはなりません。卑屈になって世間を呪うようでは、仏の子とはいえない。あなたが村でしたことは、聞法下種といって、既に立派な折伏なんです。

水滸伝(上・中)

水滸伝


水滸伝 上
施耐庵作 松枝茂夫訳
岩波少年文庫

武芸の達人や妖術使いたちなど、宋江をはじめ108人の豪傑が梁山泊に集まって、弱気を助け強気をくじいて大活躍。
『三国志』『西遊記』とともに、中国と日本で長く愛読されてきた、豪快な物語。

水滸伝

水滸伝
◎はしがき

「何だ、チャンバラじゃないか、ドタバタさわぎの連続じゃないか?」

しかしまた、そうしたドタバタさわぎの中にも、中国民衆のよろこびや悲しみ、平和を愛し不正をぬくむ中国民衆のせつない願いや祈りが、そっくりにじみ出ているのです。

一 洪大尉、百八の妖魔を逃がす

洪太尉「逃げたのはどういう妖魔じゃ?」

「合わせて百八の魔王がとじこめられておる…もしもこの者どもを世の中に話したら、きっと下界の人々を悩ますであろうぞ…とかたく申し渡されたのでございます。それをば閣下は話してしまわれました。さて、これはいったい、どうしたらよいやら!」

二 王師範、罪をおそれて東京(とうけい)の都を逃げだす

董(堅気の男ならともかくも、こんな素性のゴロツキを家において、子供たちが悪いことを見習いでもした日には、それこそ困ったことになる……)

小蘇学士(こんなやつを邸においても仕方がない。そうだ、小王都太尉のお邸に近習として使って下さるように推薦してやろう。あの方はこんな人間がお好きだから)

端王「お前は蹴鞠(けまり)ができるとみえるな。名前はなんという?」

「高球と申します」

三 九紋竜史進(ししん)、暗夜に華陰県を逃げだす

史進「この刀が承知するかどうか、きいてみろってんだ。これがうんといったら、通してやるわい!」
こういわれて、さすがの陳達もカンカンにおこった。
「ちくしょう、ほざいたな! つけあがるにもほどほどにするがいい!」

四 魯提轄(ろていかつ)、げんこ三つで鎮関西を打ちころす

魯達(ちょっとなぐってやるつもりだったのに、ただの三発でくたばるとは思わなかった。すると裁判にかかるは必定、拙者には食事のさし入れをしてくれるものもない。これは一刻も早く、ずらかるほかはない)

五 花和尚魯智深(ろちしん)、五台山で大あばれする

「林に遇って起り、山に遇って富み、州に遇って遷(うつ)り、江に遇って止まる、というのじゃ」

六 花和尚、花嫁にばけて小覇王をこらしめる

魯智深はとばりの中で、それをきき、一生けんめいおかしいのをこらえている。大王は手さぐりしながら部屋の中へはいって来て、
「奧さんや、どこにいる?」

「このやろう!」
大王「これ、どうして亭主をなぐる?」
魯智深「女房の手並みを見せてやる!」
大王「人殺し!」

七 史進と魯智深、瓦官寺を焼きはらう

魯智深「やい、そこなる坊主、どうやらきさまの声に聞きおぼえがある。名を名乗れ!」

「ちょっと待った! 話がある」

「ほんとに、貴公の名前は何というんだ? どうも聞いたような声だ」
「史進を覚えておられるか?」
「なんだ、史進君だったのか」と智深は笑った。

八 花和尚、柳の木を根ごと引きぬく

智清長老がその書面をひらいて読むと、中には魯智深の出家した理由、それからこのたび山を下りてこちらに頼って行かせたわけなど、くわしく書きしるし、「ぜひともうけ入れて、役僧にしていただきたい、この僧はいまにかならず悟りをひらく人間である……」

九 豹子頭林冲、高太慰にはかられて罪におちる

富安(ふあん)という男が、若殿のところにへやって来て、
「若さま、このごろお顔がすぐれぬご様子ですが、わっちが原因をあててみやしょうか。」
「うむ。おれもいろいろと女を見たが、どういうのかあの女にはぞっこんまいってしまった」

林冲すくわれる
林冲すくわれる

一〇 林冲、野猪林(やちょりん)で花和尚に一命をすくわれる

「おれたちがお前を殺すのじゃないんだ。じつはこのあいだ出発の日に、陸副官さんというのが見えて、高太尉閣下の命令でお前を殺し、お前の面の金印を証拠に持ちかえるようにと頼まれたのだ」
林冲はそれを聞くと、はらはらと涙をこぼしていった。
「お役人、わたしはこれまであなたがたと何のうらみもない間柄です。どうか命だけはお助け下さい。一生恩に着ますから」
「世迷いごとはよしてくれ、助けてやるわけには行かんよ」

ーーと、いう時おそく、かの時はやく、松のかげから、雷鳴(かみなり)のような音がしたかと思うと、鉄の錫杖(しゃくじょう)がピューッとうなりを立ててとんで来た。

「手前らの話はのこらず森の中できいたぞ!」

「あにき、話がある。ふたりを殺さないでくれ」

一一 林冲、洪師範と棒の試合をして勝つ

こんどは洪師範が大上段にふりかかり、林冲は棒を横たえて身がまえた。洪師範、「さあ、さあ、さあ」とおめきさけんで、ぱっと打ちおろせば、林冲さっと一歩うしろへしざる。洪師範、一歩ふみこみ、棒をひいて、ふたたび打ちおろす。林冲は相手の足もとがみだれたのを見て、「エイ」と棒を下から上へはらうと、洪師範、不意をくらって、たちまちからだが一回転、向こうずねをしたたかにやられ、棒を取りおとして、バッタリ倒れた。

一二 林冲、吹雪の中を梁山泊に走る

柴進「そんならこうしなさい。山東済州に梁山泊という水郷があります。まわりが八百里、……ただいま三人の好漢がそこに寨(とりで)をむすんでおります。……七、八百の子分を集めてあばれまわり、罪を犯してこの世に身のおきどころがなくなった人々をうけ入れてくれます、……紹介状を書いてあげますから、そこへ行かれたらどうです?」

一三 林冲、青面獣楊志と決闘する

正義のさむらい林冲は
誠忠無比の男にて
武勇のほまれ世に高く
知らぬ人とてなかりしに
いまは根のない浮草の
きのうは東きょうは西
ああわが武威もて泰山の
東鎮めん日はいつぞ

一四 楊志宝刀を売り毛なし虎の牛ニ(ぎゅうじ)を殺す

「まず槍の試合をせよ」と梁中書。
兵馬都監の聞達(ぶんたつ)が大声に、
「まった!」
「両人のうちどちらの武芸がまさるともまだわかりませぬが、しんけんに打ち合い、万が一にも片輪者や死人ができましては、軍にとって不利でございます。槍先を布でつつみ、石灰をまぶして戦わせ、黒の上着についた白点の多い方が負けということにしたらいかがでございましょう?」

一五 赤髪鬼劉唐、晁天王にたすけられる

晁蓋(ちょうがい)「してその三人は、どこの、何という……?」
呉用「梁山泊の近くの石碣(せきけつ)村で、漁師をしている阮氏兄弟です。三人兄弟で、ひとりは立地太歳の阮小ニ(げんしょうじ)、ひとりは短命二郎の阮小五(げんしょうご)、ひとりは活閻羅(かつえんら)の阮小七といいます」

一六 呉学究、阮氏兄弟を説き、公孫勝馳せ参ずる

阮小ニ「だがね、今どきの役人は、わけのわからぬとんまやろうばかりだからね。とほうもない大罪人でも、大手をふっていばっている世の中だ、おいらだって、こんなつまるぬ暮しをしているよりは、仲間に入れてくれる者さえありゃ、喜んで行くね」
阮小五「おれもそう思ってるんだ。これだけの腕前をもった三人を、だれか買ってくれる者はないかと」
それで呉用がいった。
「かりにきみたちを見こんで、ぜひという人があったら、きみたちは行くかい?」
阮小七「いうにゃ及ぶ! そういう人のためなら、水の中といえば水の中、火の中といえば火の中、一日でもお役人立ったら、死んでも思いのこすことはないね」

一七 七豪傑、黄泥岡(こうでいこう)にて不義の財をうばい取る

お日さまカッカと火のように焼ける
田んぼじゃ稲穂がこげついて枯れる
百姓のはらわた湯のよにたぎる
旦那後生楽 手にうちわ

一八 楊志と魯智深、ニ竜山をのっとる

楊志(金もないし、頼って行くあてもない。どうしたものだろう?)

「まった!」とだけんだ。「お前は何者だ?」
「拙者は東京(とうけい)の制使楊志というものだ」

一九 及時雨宋江、晁蓋に急を知らせる

わしは蓼児哇(りょうじわ)の漁師でござる
畠(はた)も作らにゃ田も植えぬ
悪い役人根こそぎ殺して
宋の天子(みかど)へご奉公

「あいつが阮小五です」

阮小五はカラカラと打ち笑って、
「民百姓をいじめるクソ役人め。おれさまに向かって、つっかかってくるとは、大胆不敵!」

わしが国さは石碣村よ
人を殺すが大すきだ
まずは何濤(かとう)の首ちょんぎって
宋の天子(みかど)へ手みやげに

ニ〇 林冲、王倫をきり晁天王を頭領に推(お)す

林冲「この梁山泊をわがもの顔にしやがって! きさまのような度量も実力もないやつが、山寨(さんさい)の主になる柄か! 今こそ拙者が成敗してやる」

林冲「知勇兼備、義侠をもって天下にその名をとどろかせておられる晁蓋どのこそ、その人です。晁蓋どのこそこの山寨の主と仰ぐべきです」

ニ一 宋江怒って閻婆惜(えんばせき)を殺す

「このごろちっともうちには来てくださいませんが、どうしたのですか? 娘が何かお気にさわるようなことでも申しましたのでしょうか? そうならわたしからよくいってきかせまして、おわびをさせますから、今晩はぜひいっしょにいらしてくださいよ」

ニニ 武松、景陽岡にて虎を退治する

「お客人、ふん、お客人か? おれだって最初ここへ来当座はお客人だったんだぜ。それもすごくだいじなお客人あつかいをうけていたんだぜ。それが今じゃどうだ、お前たちのつげ口のおかげで、出て行けがしのあつかいだ。ふん、男心と秋の空ってやつだ!」

魯智深
魯智深

魯 智深(ろ ちしん、L  Zh sh n)は、中国の小説で四大奇書の一つである『水滸伝』の登場人物。

天孤星の生まれ変わりで、序列は梁山泊第十三位の好漢。渾名は花和尚(かおしょう)で、「花」は刺青を指し、全身に刺青があったことが名前の由来である。年齢は不詳だが、林冲と義兄弟の契りを結んだ際に兄となっため林冲より年上とみられる。柳の木を根っこごと引き抜き、素手で山門の仁王像をバラバラに粉砕してしまうほどの怪力の持ち主。当初は文盲であったが、後に字が読めるようなっている。少々思慮は浅いが義侠心に厚く、困っている者を見ると助けずにはいられない性格。また、同じ猪突猛進タイプの好漢武松や李逵が無関係な人間や弱者にも容赦のない所があるのに対し、魯智深は弱い立場の人間に拳を向けることはなかった。

史進
史進

史 進(し しん)は、中国の小説で四大奇書の一つである『水滸伝』の登場人物。宋の反乱軍の首領・史斌をモデルとして創作した人物とされている。

天微星の生まれ変わりで、序列は梁山泊第二十三位の好漢。登場時は18、9歳。精悍な美丈夫で上半身に9匹の青竜を象った見事な刺青があるためあだ名は九紋竜(くもんりゅう)。禁軍教頭王進に武芸十八般の教授を受け、特に両刃三尖刀(大刀の刃が三叉に分かれたもの)の使い手である。108星中、最初に登場するが、前半の活躍に比べ、後半は度々失態を演じるなど尻すぼみに終わってしまう。日本では若く刺青を入れているという設定が粋好みの江戸っ子に気に入られたため、江戸時代は武者絵の題材に好まれ「九紋竜」の四股名をもつ力士が現れるほどの人気を博した。

林 冲
林 冲

林 冲(りん ちゅう)は、中国の小説で四大奇書の一つである『水滸伝』の登場人物。林教頭とも呼ばれる。

天雄星の生まれ変わりで、序列は梁山泊第六位の好漢。あだ名は豹子頭(ひょうしとう)といい、豹のような顔という意味。これは『三国志演義』における張飛の容貌「豹頭環眼 燕頷虎鬚」と同一の描写がなされており、得物が蛇矛であることから張飛をなぞらえているとされる[1]。登場時34、5歳。槍棒を得意とし武芸の腕は梁山泊の中でも屈指。真面目な性格だが、上司や親友に裏切られ姦計によって命を狙われた事が性格に影を落とし、罪人となってからは酒を売らない百姓に怒って槍を振り回すなど粗暴な一面や、降伏した呼延灼の内通を疑ったり捕虜とした関勝を殺すよう進言するなど懐疑的な面も見受けられる。義兄弟は魯智深。『水滸伝』序盤の連続する好漢説話の3番目に登場し、その悲劇的な境遇から人気が高い。日本のテレビドラマ『水滸伝』では彼を主役として物語が構成されている。













 

青面獣楊志
青面獣楊志


  青面者獣而無禽行  青面なる者は 獣にして禽行無し 青面獣と言われるが、禽獣の行いは無く、
  藍面者鬼亦具人形  藍面なる者は 鬼も亦た人形を具ふ 鬼(死者)は藍面だが人の形を備えてる。
  故士不可皮相    故に士は 皮相なるべからず   だから、士たる者は上辺のみを見ないで、
  而貴観其心     而して其の心を観るを貴ぶ    その内心を観察すべきだ。

 写真を見れば分かるように、原文は上のものとは少し異なっています。第一句と第二句の間の「行」と「藍」の順が逆になっています。それを上のように改めたのは、そうしないと意味が通じないからです。

 楊志は顔に青い痣があるので、仇名を青面獣と呼ばれます。しかし、その心は純粋なので、禽獣の行いが無いと賞賛されているのです。

武松
武松

武 松(ぶ しょう)は、中国の小説で四大奇書の一つである『水滸伝』の登場人物。

天傷星の生まれ変わりで、序列は梁山泊第十四位の好漢。渾名は行者(ぎょうじゃ)で、修行者の姿をしていることに由来。鋭い目と太い眉をもつ精悍な大男で、無類の酒好き。拳法の使い手であり、行者姿になってからは2本の戎刀も用いた。実兄は武大。嫂(あによめ)は潘金蓮。宋江、張青、孫二娘、施恩とは義兄弟。

二十三回から10回に渡り主人公として活躍し、特にこの10回のことは「武十回」と呼ばれ、四大奇書の一つである『金瓶梅』は、この「武十回」をさらに詳しく描いた作品である。また、孟州到着までとその後で性格が変化していることから、元々は主人公も別の異なる話を組合わせて作られたとされ、『水滸伝』が様々な説話を集合させて作られたという説明の引き合いに出される事が多い。


 

潘金蓮
潘金蓮

潘 金蓮(はん きんれん、Pan Jinlian)は、中国の小説で四大奇書の一つ『水滸伝』『金瓶梅』に登場する、通説では架空とされている女性。「金蓮」とは、当時の美人の基準の一つであった纏足を形容する語である。

『水滸伝』では、陽穀県の炊餅(蒸し饅頭)売り・武大の妻として登場。絶世の美女だが性欲・物欲・向上心が強く、夫を殺して情夫との淫蕩にふける典型的な悪女・淫婦である。『金瓶梅』では副主人公として描かれ、彼女の名の頭文字が作品の題名の一文字目として使われている。



 

西門慶
西門慶

中国の小説《水滸伝》に登場する無頼漢で,悪事がばれて豪傑武松に殺されるが,小説《金瓶梅》では主人公として登場。ありとあらゆる不正な手段で色欲と金欲とをほしいままにしたあげく,ついには官位をも金で買って権勢をふるうが,第5夫人の潘金蓮が飲ませた淫薬によって頓死し,西門一族は没落する。人間の欲望をほとんど極限まで体現させた,中国文学における異色の人間像である。

第四話-西門慶と潘金蓮が武大の隣家で逢引をしている場面。部屋の外で座っている人物が手引きした隣家の老女。










 

水滸伝(中)
水滸伝(中)

二三 潘金蓮、夫武大郎を毒殺する
彼はさらに女房の入れ知恵で、武大の死体を火葬にするとき、骨を二、三本こっそりぬすんだ。その骨を水につけてみると、たちまちどす黒くなった。これは明らかに毒殺された証拠であった。

二四 武松、兄のかたき西門慶(さいもんけい)を殺す
「さあたいへんだ。いまに血の雨がふるぞ!」

「たいへんお騒がせして申しわけありませぬ。おかげで兄のかたきは討ちましたが、人を殺した罪は罪、これからいさぎよく自首して出るつもりです。もとより死刑も覚悟の前ですが、ついてはも一つご苦労ついでに、みなさんに証人になっていだだきたい」

二五 孫二娘(そんじじょう)、十字坡にて人肉饅頭を売る
じつは通りがかりの旅人で金のありそうなやつにしびれ薬を飲ませて殺し、その肉を黄牛(あめうし)の肉だと称して張青が村に売りに行く。こまぎれに切ったのは饅頭のあんにして客に出すという寸法。

二六 武松、施恩(しおん)のために蒋門神(しょうもんしん)をうちこらす
「景陽岡(けいよう)の虎だって、げんこ三つでたたき殺したおれだ、きさまなんか屁とも思いはしないんだ!」

鴛鴦楼に血の雨
鴛鴦楼に血の雨

二七 武松、鴛鴦楼(えんおうろう)にて血の雨をふらせる

「その方の武勇と義侠心のことはかねがね聞きおよんでいた。わしはそのような人物をほしいと思っていたところだ。どうだ、わしの近侍(きんじ)として支える気はないか?」

「張都監(ちょうとかん)のやつめ、まんまとおれを落とし穴にはめやがったな!」

「人を殺せしものは虎退治の武松なり」

「やれやれ、これでやっと腹の虫がおさまったわい!」





 

行者武松
行者武松

二八 行者武松、酔って孔亮をなぐる
「こら、亭主、きさまよくも人をばかにしおったな」

「こんな無茶なお坊さんて、まったく見たこともない!」

「おや、きみは武二郎じゃないか!」
「おお、あんたはあにきじゃまりませんか」

「…しかしきみはわたしたちとちがってあっぱれ豪傑だから、かならずや大業を立てられるに相違ない。どうかくれぐれも自重しておくれ。ではまた会うこともあろう」

二九 宋江、恩が仇となって逮捕される
「親分はいまはお休みになったばかりだが、おめざめになったら、この『牛』の生胆(いきぎも)をえぐりとって、酔いざめの吸物にしてさし上げ、こちとらは真新しい『牛』肉のごちそうをにあずかろうぜ」
(ああ、わが運命のつたなさよ! あのつまらぬ女を殺したばっかりに、かかるうき目にあい、こんなところで闇から闇に葬られようとは!)

「あなた、ほらあすこに、いま笑った男がいますね、色の黒いチビ助。あれよ、あれがいつかあたしをさらって行った清風山(せいふうざん)の山賊の親分よ!」

「それにしても、あの恩を仇で返した女を殺さぬことには、どうしても腹の虫がおさまらぬ」​

人肉調理場
人肉調理場

三〇 霹靂火(へきれきか)秦明(しんめい)、焼野原を走る
花栄は笑いながら答えた。
「秦統制どのよ。そんなにやきもきしない方がよいですぞ! 今日は帰ってお休みになさい。明日はあなたが死ぬかわたしが生きるか、はっきり勝負をつけましょうから」
秦明はおこってどなった。
「やい、謀反人め、さっさと下りて来んか! はやくここへ来て尋常に勝負しろ」
「秦総管どのよ。しかしね、あなたは今日はさぞかしお疲れでしょうから、わたしが勝ったところで、てがらにゃなりませんからな。まあ今日はお帰んなさい。万事は明日にしましょうや」

三一 小李広(しょうりこう)花栄(かえい)、雁(がん)を射おとす
「ここから南へ行った梁山泊は方円八百余里からあり…」

「やい、今日こそどっちが勝つか、かたをつけようぞ!」

宋江はふたりを仲直りさせて、われらの仲間に加わっていっしょに梁山泊に行かないかとすすめた。ふたりは大いに喜んで、さっそく二百余人とともに一行に加わった。

三二 宋江、偈陽嶺(けつようれい)で李俊(りしゅん)ら四豪傑に会う
「ちかごろ世間には悪いやつがたくさんおって、まんまとやられる好漢もずいぶんおるそうですな。酒や肉の中にしびれ薬をしこんで、ひっくりかえし、金をとった上、そいつの肉を饅頭のあんにするんだという話ですが、ほんとうでしょうかね? まさかと思いますな」

「それがね、この四、五カ月さっぱりだめだったのがきょうはいいかもを三羽もつかまえたんだ」

「よかった!」
さっそく毒けしの薬を調合し、宋江をだきおこしてのませると、宋江はだんだん気がついた。四人の男はハッと平伏した。宋江は目をパチパチさせていった。
「ここはどこだろう? してあんたがたは?」

宋江、反逆の詩
宋江、反逆の詩

三三 宋江、潯陽江(じんようこう)であわや命を落とさんとする
宋江「やれやれ、ありがたい! 渡る世間に鬼はなしというが、この船頭のあかげで、あぶないとこを助かった。この恩をわすれちゃいけないね」

「てめえら相手に冗談もクソもあるか! 『手打うどん』てなあ、ただ一太刀でひとりずつ水の中にきって落とすことよ。『すいとん』てな、てめえらの着物をはいで、まるはだかのまま水の中に投げ込むことよ」

「ええッ! そりゃおれのあにき、宋公明どのじゃないか?」

「あにき、びっくりなさったでしょう。もう一足おそかったら、やられてしまうところでしたな。どうも今日は胸さわぎがするもんだから、ちょっと船をだしてみたら……」

三四 宋江、江州にて戴宗(たいそう)・李逵(りき)と兄弟のちぎりをむすぶ
江州府の知事は蔡得章(さいとくしょう)といって、…欲がふかい上に、することがぜいたくでおごっていた。

節級(せっきゅう)「この黒んぼにチビ助め! だれの威光を笠にきて、おれにつけとどけをしないんだ?」

宋江「つけとどけというものは、するもしないも本人の自由だろう。それをむりによこせとは、何てケチな料簡だ!」

三五 黒旋風(こくせんぷう)と浪裏白跳(ろうりはくちょう)、水中にて格闘する

李逵「このやろう!」

宋江「おい、よせよせ!」

戴宗「またけんかしやがって! 人を打ち殺しでもしてみろ、死刑だぞ!」

李逵「あんたに迷惑はかけねえよ。おれが殺したら、おれが引きうけてやらあ」
「まあまあ、口論はよしにして、飲みにいこうよ」

三六 宋江、潯陽楼で酔って反逆の詩を書く

幼き時より書を読み
権謀胸にたくわえて
虎の荒野に臥すごとく
爪をかくして待ちにしを
うたてや入墨入れられて
流され人とならんとは
ああ、うらみ報ゆる時来なば
鮮血(あけ)に染めてん潯陽江

心は東、身は南
浮草の身のうたてさよ
望みとげなん時来なば
かの黄巣(こうそ)も何のその
(黄巣は唐の時代の反逆者)

「これは反逆の詩じゃないか! だれが書いたんだろう」

国をみだすは家の木で
いくさをおこすは水の工(こう)
縦横三十六のかず
乱のおこりは山東から

「こんどこそ、もう命はないぞ!」
「こうなっては仕方がありません。気ちがいのまねをなさることです。それにはこうこう……」

江州の刑場に乱入
江州の刑場に乱入

三七 梁山泊の好漢、江州の刑場に乱入する

黄文炳(こうぶんへい)「この手紙はほんものではございませぬぞ」

その時、刑場の東側から、蛇使いのこじきに一団がむりやり刑場にはいりこんで来た。
…もみ合っていると、刑場の西側からも、膏薬(こうやく)売りの武芸者の一団が、ごういんにはいりこもうとして、兵士たちと言い合いをはじめた。
「こらこら、ここをどこだと思ってるんだ!」

と、こんどは刑場の南側から、天秤棒をかついだ人足の一団が、どんどん中にはいってこようとした。
「おいらは知事さまのところへ荷物をもって行くんだ。何でじゃまをする!」

と、刑場の北側から、旅のあきんどの一団が二台の車を押して、しゃにむに中にはいって来ようとした。
「こらこら、どこへ行く?」

「かかれ!」
というと、宋江と戴宗(たいそう)は首かせをはずされ、首きり役人は刀をとりあげた。
その時、車の上に立って見ていた旅のあきんどの中のひとりが、ふところから小さなドラをとりだして、タン、タン、タンと三つたたくと、それを合図に、四方からいっせいに刑場の中におどりこんだ。



そこで宋江と戴宗は背中からおろされた。
「夢ではなかろうか!」
と泣いた。

花栄、ひそかに弓矢をとって満月にひきしぼり、先頭に立った馬軍の将領をねらってヒョウとはなてば、たちまちモンドリ打って落馬した。

宋江は死ぬべき命が助かったのを喜ぶとともに、度重なる黄文炳(こうぶんへい)の陰険な仕打に対して殺してもあきたらぬ思いであった。それで「ぜひこの仇を討った上でひき上げたい」といった。


「おとなりが火事ですぞ」

黄文炳は思わず「アッ」とさけんだ。

黄文炳は
「たしかにわたくしが悪うございました。どうか早く殺してください」

「じょ、冗談じゃねえ! この首をぶったぎられたら、またいつ生えるかわからねえよ。いいよ、だまって酒さえ飲んでりゃいいんだろ?」
李逵(りき)がそういったので、みなみなどっと笑った。

九天玄女から天書
九天玄女から天書

三八 九天玄女から天書を授かる
「じつはわたし、郷里(くに)にのこしている老父や弟のことを思うと心配で、いても立ってもいられない気持ちです。それで、うん城県まで行って迎えとって来たいのですが、おゆるしいただけましょうか?」

「にいさんが江州でおこした事件は、こちらでももう知れわたり、県庁かられいのふたりの都頭が毎日やって来て、見はっていますので、わたしたちは身動きできません。…はやく梁山泊の頭領たちにたのんで、わたしたちを救い出しに来てください」

「宋江、待てえ!」

(晁蓋(ちょうがい)のいうことをきかなかったばかりに、とんだことになった! 天よ!、何とぞ宋江にあわれみをたれたまえ!)

「宋星主、そなたに三巻の天書を授けますゆえ、そなたは天にかわって道を行ない、もっぱら忠義を旨として国のため人民のためにおつくしなさい。…」

公孫勝
「決して、お約束を裏切るようなことはいたしませぬ。師匠に会い、老母を安心させた上で、かならず帰ってまいります」

「三つとは? さあはやくいってくれ、あにき」
と李逵がいうと、宋江、
「一つ、途中でぜったいに酒を飲まぬこと。二つ、ひとりでこっそり行って母親をつれてくること。短気でけんかっぱやいお前といっしょに行こうというものはだれもいないからな。三つ、ニ梃斧(にちょうおの)は持って行かぬこと。道中用心して、早く行って早く帰ってくるんだぜ」
 

にせものの李逵

にせものの李逵
三九 李逵、にせものの李逵を殺す
一団の人々が立札を見ていた。
「一番目は主犯、宋江、うん城県人。二番目は共犯、戴宗、江州両院節級。三番目は共犯、李逵、斤水県人。…」

「やい、おとなしく通行税をおいて行け!」

「何だ、きさま、追剥(おいはぎ)か!」
「おれの名前をきいたら、おったまげて腰をぬかすだろう! おれさまは黒旋風だ。金とつつみをおいて行けば、命だけはゆるしてとらすぞ!」

「ばかやろう! きさまはどこの何やつだ! よくもおれさまの名前をかたって、きいた風なまねをしやがるな!」

(おれはおふくろをひきとめるためにわざわざ郷里(くに)に帰って来た。それなのに母親を養っているやつをころしたら、お天道さまもゆるしちゃおくんなさるまい)

「…それでてまえには九十になる年よりのおふくろがございまして、てまえよりほかに養ってやるものがありません、てなことをいって、泣き言をならべて拝んだらよ、ばかなやろうだ、…」

(うぬ、けしからんやろうだ!)


(おれがもしも山賊になっているといったらおふくろは行くといわんだろう)

李達(あにきのやつ、きっと人に知らせに行ったんだな。これは早くずらかった方がいい)

「おっかあ、おっかあ!」

(こいつだな、おっかあを食ったのは!)

「おれは旅の者だ。昨夜おふくろといっしょにこの峠を通りかかり、おれが水をくみに谷川に下りてたあいだにおふくろを虎に食い殺されたから、四ひきぜんぶ殺してしまったんだ」
「まさか!」

「梁山泊の黒旋風がつかまったそうな、李都頭がいま逮捕に向かっているそうな」

明け方になって、遠くからドラの音がきこえ、やがて、村で一晩酒のふるまいをうけた三十人ばかりの兵士が、うしろ手にしばられた李逵をひったてながら来た。

朱富「ちょっと待った! 話があります」
「…それよりいっそのこと、わたしたちといっしょに山にのぼり、宗公明どのの仲間入りをなさったらいかがですか」

李逵「何だ、早くそういえばいいのに!」

にわとりをぬすむ
にわとりをぬすむ

四〇 石秀と楊雄、藩巧雲を殺す
戴宗と楊林は薪売りの男の「強きをくじき弱きを助ける」好漢ぶりに感心し、なおもげんこをふりまわしている男をなだめて、横町の飲屋につれこんだ。男はふたりに向って頭をさげた。
「ご親切まことにありがたく存じます」
「もしもげんこがはずみすぎて、万が一にも死人が出たりした日には、貴殿としてもただではすむまいと思いましたもんですからね。お近づきのしるしに、どうです一杯」
「もったいない」
「『四海の内、みな兄弟なり』というではござらぬか。さあ、どうぞ」

「あんたほどの豪傑が、おしいものだな」

女中(じょちゅう)は何もかも白状した、そこで楊雄は女を引きすえて、
「さあ、こんどはお前の番だ、ありていに白状したら、命だけはゆるしてやらんでもない」
「三郎さん、とめて!」

「うぬ、よくもおれをだましやがったな、このばいため! うぬのはらわたはどうなってるか、見てやろう」

「悪いやつらにせよ、おれたちはとにかく人を殺したんだ。さて、これからどこへ逃げたものだろう?」
「おれにはちゃんとあてがある。あにきもいっしょに行こうぜ」
「どこに?」
「梁山泊よ」
「しかし、知人があるわけじゃないし、とてもおれたちをうけ入れちゃくれまいよ」

とつぜん松の木のかげから、
「やい、今の話はすっかり聞いたぞ。太平無事の世界に、人を殺した上、梁山泊にのぼるとは!」

四一 時遷(じせん)、祝家莊(しゅくかそう)で旅籠屋(はたごや)のにわとりぬすむ
「さっき裏へ用をたしに行ったらね、籠の中にこいつがはいっていたもんだから、酒のさかなにと、そっとぬすみだし、谷川でしめて、いま煮て来やしたんで」
「このやろう、あいかわらず手くせがわるいぞ」
「本職だからな、何しろ」
三人は笑った。そしてにわとりを手でむしりながら、飯を食った。

「お客さん、あんたたちはひどいぞ。どうしてうちのにわとりを殺して食ったんだ」

「兄弟、あいつらは加勢をたのみに行ったらしい、おれたちいそいで飯を食って逃げよう」

「ものども、このふたりきれ」
晁蓋(ちょうがい)
「われら梁山泊の好漢は、王倫を成敗して以来、忠義を旨とし、人民になさけをかけることを念願として来た。われらはみな山寨(さんさい)の名誉をまもり、それぞれ好漢たるにふさわしくふるまって来た。しかるにこのふたりは、梁山泊好漢の名の下に、にわとりをぬすんで食って、われらの顔にどろをぬった。…」
宋江はいさめた。
「その時遷という男はもともとそんなやつでしょうが、このご両人はけっして山寨の恥をさらしたわけではありません。それに祝家莊のやつらが、わが山寨を敵視していることはかねてから聞きおよんでおります。…あの祝家莊を攻め落とせば、三年や五年分の糧食が手にはいるわけです」

四ニ 一丈青滬三娘(いちじょうせいこさんじょう)、王矮虎をいけどりにする
李逵「なんのきれしきの村、おれがニ、三百の兵でのりこんで、みな殺しにしてみせらあ」
宋江「つまらぬことをいうな」

「まわし者をつかまえたぞ!」

宋江「さてはふたりはつかまったのか、もはやぐずぐずできない。今夜兵を進めて、ふたりの兄弟を救い出そう」

李逵「おれがまっさきに切りこんでやる」

楊雄(ようゆう)「計略だ、よせ」
李逵はしんぼうできず、
「やい、祝太公(しゅくたいこう)のバカやろう、出てこんか、黒旋風ここにあり」

やがて宋江、中軍をひきいて到着し、このありさまを見ると、ハッと、かつて九天玄女(きゅうてんげんじょ)からさずかった天書に「敵にのぞんで急暴なることなかれ」とあったのを思いだし、「しまった、深入りして敵の計略にかかった。はやく軍を返そう」

「扈家莊(こかそう)にすごく強い女がいるという話であったが、あれがそうだな。だれかあれと勝負をするものはないか?」
宋江がそういう声の下から、相手を女ときいてまっさきにとびだしたのが名うての女好きの王矮虎(おうわいこ)。

やおら白い腕をのばして王矮虎をつかまえ、…おりかさなって引きずって行った。


呉学究はわらって、
「ご安心あれ、祝家莊の運命も、もはや旦夕(たんせき)にせまっております。今や機会到来、五日以内に万事はうまく行くでしょう。じつはかくかくしかじかで……」

宋江はこれを聞いて、思わずにっこりと顔をほころばせた。さて呉用は何を語ったであろうか?

呉学究
呉学究

​四三 一ぴきの虎のことから八人の好漢、梁山泊に投ずる

毛隠居「おいおい、何ということをいう? 虎が裏庭にいるなんて、屋敷の者が知っているわけはない。それをまたかついで行くなんて? お前たちもげんに見たはずだ。錠前をたたきこわしていっしょにはいって来たじゃないか」

楽和「包節級(ほうせつきゅう)は毛隠居から金をつかまされて、貴公たちを殺そうとしている。何とかしてやりたいがおれのひとりの力では、どうにもならない」

「にいさん、どうしてもいやだとおっしゃるの? よござんす。 それじゃわたし、今日はにいさんが相手だわ、わたしが死ぬか、にいさんが死ぬか!」
顧大嫂(こだいそう)はかくし持った二本の刀をすらりとぬいた。孫立はさげんだ。
「まて! はやまるな! まあ、とくと相談しようじゃないか」

おりから毛家は大旦那の誕生祝いで酒盛りの最中だった。好漢たちは喊声(かんせい)をあげてなだれこみ、たちまち毛隠居、毛仲義(もうちゅうぎ)以下一家の老若男女ことごとくきり殺した。……夜を日についで梁山泊へといそいだ。

孫立「われらおおぜい、手みやげも持たずにおしかけてまいりましたが、一つ祝家莊をやぶる計略をお目みえのしるしにしたい」

扈三娘/こさんじょう
扈三娘/こさんじょう

四四 宋江、呉用の計略によってついに祝家莊を撃滅する

扈成(こせい)「いもうと扈三娘(こさんじょう)をお返しいただければ、かわりに何でもさしあげます」

宋江「…王矮虎(おうわいこ)さえお返し下されば、妹御をお返しいたしましょう」

呉用「まあまあおまち下さい、これから祝家莊で一さわぎあるはずですが、お宅の方からぜったいに援兵を出されぬこと、そしてもしも祝家莊からお宅に逃げこんだものがあった場合には、ただちに捕縛せられたいこと、この二つを聞き入れて下されば妹御をお返しいたしましょう」

祝虎(しゅくこ)「宋江、いざ出合え!」

孫立「やあやあ、われと思わんものは、出で来たって勝負を決せよ!」

この勝負じつは八百長だったので、石秀(せきしゅう)の武芸はけっして孫立におとるものではなかった。

林冲(りんちゅう)、大音声に、
「梁山泊の好漢ここにあり!」

李応「どうか家にかえして下さい。家族のことが気がかりですから」
呉用が笑いだした。
「いや、そのご心配はご無用。ご家族はもうやがて山寨におつきになる時分です。お屋敷はすっかり焼きはらってしまいました」

李応は顔色をかえて驚いた。晁蓋(ちょうがい)と宋江は下座にさがって平伏し、
「われら兄弟、じつはひさしく貴殿の名声を聞き、ぜひとも仲間にはいっていただきたいと存じて、この苦肉の計、ひらにおゆるしねがいたい」

その翌日、宋江は王矮虎(おうわいこ)をよんで、
「わたしは清風寨にいた時、きみに奥さんをもらってやる約束をしたが、今までそれがはたせず、気にかかっていた。今日その約束をはたしたい」
父の宋隠居のもとにあずけていた一丈青扈三娘をつれてこさせ、
「王英は、武芸ではあんたにおよばぬが、わたしはかねて彼に細君(さいくん)を世話すると約束していたことではあり、今日はさいわい黄道吉日、どうだろう、王英と夫婦になってくれまいか」

ところが今しも祝宴のまっ最中、知らせがあった。
「ただいまふもとの朱貴頭領の酒屋にうん城県の都頭雷横という人が見えております」

あにき、ちょっと
(無題)

四五 雷横と朱仝(しゅどう)、迫られて梁山泊にのぼる

「しかもすごいべっぴんですぜ。ぜひ行ってごらんなせえ」

「これ、むすめや、お前、町方のお人と土百姓とを見分ける目もないのか。いつまでそんな男にこだわってるんだ! もっとものわかりのいいお客さんにおねがいするがいいぜ」

「何だと! おれがものわかりがわるいというのか!」

知事はたちまちカンカンにおこって、雷横を逮捕し、首かせをはめて、町のまん中にさらしものにした。

「わたしは六十を越したのに、杖とも柱とも頼むたったひとりのせがれがこのありさま。どうぞ節級さん、お願いじゃ、これまで兄弟づきあいをして来たよしみに、せがれのことをよろしくお頼みします」

「…おれの方は、貴公を逃がしてやったからといって、けっして死刑になる心配はない。それにおれには両親もいないし、役所に使うくらいの財産もある。おれにはかまわず、さあ、はやく行ってくれ」

「この犯人は牢城営にやらずに、この役所で使うことにする」


「あにき、ちょっと」

「貴公はどうしてここへ?」

「呉先生はどこに?」
「ここにいますよ」

柴進(さいしん)「貴殿をぜひ山寨にお迎えしたいというのですが、貴殿がどうしてもいやだとおっしゃるので、わざと李逵に坊っちゃんを殺させて、まず帰心をしたら、山にのぼらざるをえないようにしたのです」

呉用と雷横「すみません。これもみな宋公明あにきの命令によったことです。山寨においで下さればわかります」
朱仝「諸君の好意からでたこととは思うが、それにしてもちとひどいなあ!」

梁山泊
梁山泊

四六 柴進、高唐州にとらわれの身となる
呉学究は宋公明に向かっていった。

李逵が柴進の屋敷に厄介になってから一月ばかりだった。

皇城(こうじょう)は目にいっぱい涙を浮かべながら、
「都にのぼって天子さまに直訴して、わしのうらみを晴らしておくれ。わしの願いはこれだけだ。くれぐれも頼んだぞ」

高廉は鼻でせせら笑い、
「梁山泊の草賊め、こっちから征伐に出向こうと思っていたところを、わざわざ捕らわれに来やがったとは、もっけのさいわい、いで目に物見せてくれん」

四七 李逵、羅真人(りしんじん)をまふたつにきる

「高廉(こうれん)の妖術をやぶるものは、公孫勝をおいては、ほかにありません。いま高廉が傷を負い、城門をかためて出て来ないうちに、至急公孫勝を薊州(けいしゅう)からよんで来ましょう」

戴宗(フフフ……あいつを一日ひもじい目に会わせてやれ)

李逵「おうい、大将、ちょっとおれの足を、と、と、とめてくれよ!」

「おれのこの法はな、なまぐさが禁物だ。とくに牛肉がいけない。牛肉を一片(ひときれ)でも食ったがさいご、死ぬまで足がとまらんのだ」

よし、おいらがはいる!
よし、おいらがはいる

四八 李逵、空井戸にはいって柴進を救い出す

公孫勝の来着は宋江にとって百万の援軍にもまさる思いだった。

宋江「だれぞあの賊をきってすてるものはないか?」
高廉「だれぞあの賊をつままえるものはない?」

公孫勝は宋江と呉用に向かっていった。
「敵は今夜きっと夜襲をかけて来るに相違ありません。こちらは本陣を空にして、四方に伏勢をおき、かくかくしかじか……」

「さては、はかられたか」と高廉あわてて逃げるうち、部下の大半を失ってしまった。…ふと上を見ると、何と城頭にひるがえっているのはみなこれ梁山泊の腹印! 救援軍と見たのは、そうではなかったのだ。


「あにき、いっとくがね、おれは薊州で二度までからかわれたんだからな。三度ちゅうのは、もうごめんこうむりたいね」

「やいやい、うぬらは、ひでえやろうどもだ! なんでおいらをおきざりにした?」
「ごめんごめん、柴大人(さいたいじん)のことに気をとられて、すっかりお前のことは忘れていた」

四九 時遷(じせん)、徐寧(じょねい)の金のよろいを盗みだす

高唐州陥落、知事高廉ころされるとの報道はやがて都に達した。

(女のくせに、なかなかやるわい)

呼延杓(こえんしゃく)には「連環馬(れんかんば)」という得意の陣法があるからだ。…さすがの梁山泊軍もこれには歯が立たない。ついにその日の戦闘は物別れとなった。

「はてな」と思っているとき、とつじょ、連珠砲(れんじゅほう)が鳴りひびいたかと思うと、一千の歩軍がパッと二手に分れ、その間から三千の連環馬軍がとび出して来た。…梁山泊軍は総くずれとなり、…

「ほかのものどうでよい。あのよろいは先祖四代相伝の宝ものだ」

五〇 魯智深らの三山、梁山泊に合流する

呼延杓「さては、何か計略があるな……」

李忠「かくなる上は、二竜山の花和尚盧智深に手紙を書いて助けをもとめるほかはない。あすこには清面獣楊志とかいうやつもいるし、最近、行者武松とかいうのも来てどれもすごく強いらしい」

呼延杓がその枯木のところまで来たとき、ワーッと喊声がおこり、呼延杓はとたんに馬もろとも、落とし穴におちた。

呼延杓「わたくしを部下のひとりに加えて下さい」

呼延杓「開門開門、拙者もどってまいぞ!」

水滸伝(下)

この悪役人め
この悪役人め

五一 にせものの宿太尉、華州の太守を殺す

魯智深は賀太守をにらんでわめきちらした。
「この悪役人め、よくも拙者をつかまえやがったな! おれは死んでも史進といっしょなら満足だ。だがな、おれが死んだら、宋公明あにきが黙っちゃいないぞ、あとで後悔するな!」

五二 晁蓋(ちょうがい)、史文恭(しぶんきょう)の毒矢にあたって討死する

梁山泊をふみかため
晁蓋めをばつかまえて
及時雨 智多星いけどって
鉄の車で東京(みやこ)に送り
天下に知らしょう
曾家(そうけ)五虎(ごけ)の名

「これは不吉のしるしですから、日をあらためて出陣せられたがよい」
と呉用もいうし、宋江も、
「えんぎでもないから、しばらく見合わせられたら」
と口をすっぱくしていさめたけれども、晁蓋は聞かず、川を渡ってしまった。

林冲がこれをいさめて、
「どうもあやしい。信用しちゃいけませんぞ」といったが、晁蓋はどうしても聞かなかった。

五三 呉用、計略をもって盧俊義を梁山泊にさそい出す

呉用は顔色をかえた。
「この世はおべっか使いが喜ばれ、忠言は耳にさからう……いや、やむをえません。ではごめん」

蘆花(ろか)叢裏(そうり)の一扁舟(へんしゅう
)
俊傑(しゅんけつ)にわかに北地より遊ぶ
義士もしよくこのうちに留(とど)まらば
反って身は難を逃れて憂なからん

慷慨(こうがい)北京(ほっけい)の虜俊義
遠く貨物を駄して郷地を離る
一心ただ強人を捉えんと要(ほっ)す
かの時まさに男児の志を表さん

虜俊義は足をとどめ、天を仰いで思わずさけんだ。
「人のいさめを聞かなかったばかりに、とうとうこのわざわいをこうむった!」

へさきに竿をもって立った丸はだかの男は、歌った。
「学問なぞはくそくらえ
おらがねぐらは梁山泊よ
わなを仕掛けて虎をとり
わなを仕掛けて鯨をとり
餌をたらして鯨とる」
虜俊義はギョッとして、声も出なかった。

おや、どうしたんだ
おや、どうしたんだ

五四 浪子燕清(えんせい)、主人盧俊義の難をすくう

虜俊義「おや、どうしたんだ、その格好は?」
燕青「ここでは話ができませんから……」

虜俊義はどなりつけた
「おれの家内はそんな人間じゃない。このやろう、でたらめも休み休みいうがよい!」
「だんなさまも背中には目玉がおありになるわけじゃございませぬ。じつは奥さまは前々から李固とあやしい仲だったのです。今で大っぴらに夫婦きどりです。だんなさまがお帰り遊ばしたら、きっとえらい目にお会いになります」

虜俊義は目をあけてみた。何と浪子燕青ではないか。夢ではないかと思った。
「このふたりを殺したために、罪はいよいよ重くなった。さてどこへ逃げたらよいか?」
「何もかも、宋公明のせいです。かくなるうえは、梁山泊にのぼるほかに、行き場はございません」

五五 大刀関勝(かんしょう)、宋江に帰服する

宋江「うわさにたがわぬあっぱれな将軍だな!」
林冲これを聞いて大いに怒り、
「何をくそ!」
関勝大喝して
「なんじがごとき小賊には用はない。宋江を出せ。聞くことがある」

関勝「小役人の分際をもって、なにゆえ朝廷に弓を引くのだ?」
宋江「朝廷に女干臣(かんしん)はびこって、忠義の士の道をはばみ、貪官汚吏(どんかんおり)天下に充満して民百姓を苦しめております。われらは天にかわって道を行わんとするものであって、さらに異心はありませぬ」
「ほざいたな。巧言令色をもってごまかすつもりか! いざ、すみやかに馬を下りて縛(ばく)につけ。きかぬとその身を粉々にくだいてくれようぞ」

と、宋がきゅうにいくさ中止の鉦(かね)を鳴らさせた。
林冲・秦明は馬を返して、
「すんでにきゃつをつかまえるところを、なぜとめられた?」とつめよる。宋江、
「われらは忠義を旨としている。ふたりでひとりにかかるのは感心しない。かりにつかまえることができたとしても、彼の心を服せしめることはできぬ」

五六 張順(ちょうじゅん)、神医安道全(あんどうぜん)を梁山泊にひき入れる

安道全「宋公明どのは天下の義士だ。そりゃ今すぐにも行ってなおしさし上げたいのは山々じゃが、何しろ……」
といってしぶるのだった。この先生は最近妻を亡くして、目下健康府の色街の芸者李巧奴(りこうど)というのに夢中になっているために、健康府をはなれたがらないのである。

李巧奴「いやいや、行っちゃいやよ! いやでござんす。やるもんか。どうでも行くんなら、もう二度とうちには上げてやらないから……」

五七 呉用、計略をもって北京城(ほっけいじょう)を攻め落す

「わっちらにやらしてもらいます」
といってとび出したものがある。みれば、鼓上蚤時遷(じせん)であった。
「北京(ほっけい)めぬきの中心といえば、河北第一といわれる、翠雲楼という大きな酒楼だ。あすこに火をつけやしょう」

魯智深と武松は行脚僧…鄒淵(すうえん)と鄒閏(すうじゅん)は灯籠売りにばけて…

五八 盧俊義、史文恭をいけどりにする

呉用はこれに計略をさずけて、史文恭のところに走らせた。
「宋江はただ千里の馬がほしいばかりで、講話する気はない。もし馬を返せば、また気を変えるだろう。…」

史文恭はこれを信用した。……みずから掘ったおとしあなの中で折りかさなって落ちて死ぬもの数知れず。

虚空にいちめんの晁蓋の怨霊があらわれて、史文恭にまとわりついてはなれぬ。史文恭、やむなくもと来た道を引き返すと、浪子燕青とばったり出会った。つづいて玉麒麟虜俊義が出て来て、大喝一声、
「うぬ、どこへ行く!」

一同、忠義堂に集まり、宋江が祭主となって晁蓋の慰霊祭を行い、史文恭を殺してそになきがらを霊前にささげた。

「わたしと虜員外とでくじを引き、どっちかさきに城を破ったものが梁山泊の主となることにするのだ。この案はどうだろう」
「おもしろい」と呉用

五九 百八の英雄、忠義堂に集まって誓いをする

宋江は陣頭に立った董平の風貌を見て、すっかり気に入ってしまった。彼の矢壺にさした小旗には、
英雄双槍将(えいゆうそうそうしょう)
風流万戸侯(ふうりゅうばんここう)

かくて梁山泊軍は、ふたりを捕虜にしたものの、張清ひとりのために十五人の頭領に傷を負わされたのみか、劉唐をいけどりされたのである。宋江は舌をまいて感嘆したまはや計略をもって張清をつかまえるほかはない。呉用はたちまち一計を案じた。

張清は宋江の義侠に感じないわけにはいかず、叩頭して降伏した。宋江は酒を地にそそぎ、矢を折って、これまでの恨みを忘れようと天に誓った。

かくて全軍梁山泊に凱旋し、一同忠義堂にならんですわった。
宋江は頭領たちを見渡した。ちょうど百八人である。そこで宋江がやおら口をひらいた。
「わたしは諸君のお力によって、この山の主に立てられたのであるが、ここに百八人の頭領をえて、まことに喜びにたえない。晁蓋どのご昇天ののち、いくたの戦さをへたにもかかわらず、ただのひとりも欠けることなく、ぶじ今日に至ったことは、これはひとえに上天のご加護のよるものであって、人の力でできることではない。この百八人が一堂に会するということは、じつに古今未曾有の盛事と申すべきです」

山東の宋江
山東の宋江

六〇 燕清(えんせい)、泰山の奉納相撲に勝つ

山東の宋江
淮西の王慶(おうけい)
河北の田虎(でんこ)
江南の方鑞(ほうろう)

柴進はとっさに、ふところから短刀を取り出して、「山東の宋江」と書いたところをえぐり取り、いそいで内裏を出て酒楼(しゅろう)にかえった。

「梁山泊の頭領の宋江が若い男といっしょに、十八になるひとり娘をさらって行った」という。李逵はかっとなった。
「もうひとりのやつというのは柴進にちがいない。うーむ、けしからん。宋江あにきは、だいたい言ううこととすることが裏腹だ。ろくなやつじゃない。ーーおれは梁山泊の黒旋風李逵だ。こっちは浪子燕青だ。今すぐお前さんの娘を取りかえして来てやるぞ」

高慢の鼻をへし折る
高慢の鼻をへし折る

六〇ー二

ところが太原府(今の山西省)から任原(じんげん)という男が出場するようになってからは、何しろ身の丈一丈もあって、みずから「激天柱」と号する、すごく強いやつなので、だれひとり相手になろうというものがなく、ここ二年つづけて賞品をただ取りしている。

燕青「いっちょうそやつに土をつけて、高慢の鼻をへし折ってやろう」

任原「いざ、天地日月、東西南北、いずくの国の仁にもあれ、我こそ一番、勝負を争ってやろうという仁はござらぬか」
「おれが取ってやる!」

燕青すかさずつっこんで、右手を相手の喉輪につけ、左手を相手の股ぐらにさし入れ、相手の胸を自分の肩にあててぐいと持ち上げ、力まかせに四、五へんぐるぐるふりまわして、「エイ」と投げつけると、任原まっさかさまに土俵の下に落ちた。数万の観衆はいっせいにワーッと喝采した。

「梁山泊の黒旋風だ。逃がすな!」

陰謀を看破


陰謀を看破
六一 童貫(どうかん)および高球(こうきゅう)の官軍を連破する

高球は祭京に向かって、
「口幅ったいことを申すようですが、もしも拙者を征討大元帥にご推挙下されば、ただの一戦で平らげてごらんに入れます」

「宋江、虜俊義らが犯したあやまちはすべて赦免するをのぞきて云々」
とある一行が、句読点の切り方一つで、
「宋江をのぞきて、虜俊義らが犯したあやまちはすべて赦免する」
とも読めないことはないのを利用して、まず宋江をおびきよせて殺してしまおう、宋江ひとり亡きものにすれば、あとは頭のない蛇同様、かたずけるのは造作もないと考え、ひそかに手はずをととのえて、梁山泊に招安の詔勅の下ったことを申し送った。
宋江は大いに喜んだ。しかし呉用はすぐに高球の陰謀を看破した。

李師師
李師師

六二 燕清、李師師(りしし)のよって道君皇帝に見(まみ)える

李師師「あんた、つつみかくさず、ほんとうのこといって頂戴。山東の旅商人だなどいっておいでだったけど、あんた、ほんとうはだれなの? 打ちあけないと、そのままにはすておきませんよ」
「では申しましょう」と燕青…「われらが忠義の気持ちをあなたから天子さまのお耳に入れて下さるならば、あなたは梁山泊数万人の大恩人である」

「ほんとに悪いやつですわね。きっとあたしにできることはいたします。ーーまあいかが、一杯」

「でもまあ気晴らしに一杯おやりなさいましよ」

「にいさんも一曲吹いてきかせてよ」

「まあ、お上手だこと」

「にいさんはきれいな入墨(いれずみ)をしていらっしゃるんですってね。見せて下さらない?」

「うちに引越していらっしゃいよ。宿屋なんかにいることはないわ」

燕青「宋江らは旗に『替天行道』と大書し、堂には『忠義』と名づけ、州府を浸さず、良民をいじめず、ただ悪い役人や讒侫(ざんねい)のやからを殺すだけでございます。そして一日もはやく招安をうけ、国家のためにつくしたいと一心に望んでいるのでございます」
「朕は二度まで詔勅を降して招安をなした。しかるにどうしてこれを拒み、帰順しなかったのであろうか?」

宋江らはさっそく忠義堂に太鼓を鳴らして大小の頭領以下兵士をぜんぶ集めて、梁山泊の解散を申し渡した。
「われら百八人のものはこのたび天子さまの招安をうけて、のこらず都に上ることとなった。お前のうち、いっしょについて行きたい者はつれて行く。それを希望しない者は郷里(くに)に帰って良民となるように」

枢密使童貫「やつらは帰順したとはいっても、本心はまだ改まっておりませぬ。あのままにしておいては将来国家の大患となるでありましょう。いっそ百八人のものを城内にだまし入れて、残らず殺してしまった方がようございましょう」

ものすごい暑さ

六三ー三
宋江は二十余万の大軍をひきいて東京を出発した。折からもにすごい暑さに将兵は苦しんだ。すると公孫勝が風を起こして兵士を涼ませた。

瓊英/けいえい




















瓊英/けいえい
六三ーニ

今年十六歳、容貌花のごとき少女(おとめ)であるが、この娘は夢にふしぎな仙人から武芸をさずけられ、力も強いばかりでなく、手に石をとってこれを飛ばせば百発百中、そのため「瓊矢鏃(けいしぞく)」というあだ名で呼ばれているほどの名人。

瓊英(けいえい)は強かった。女好きの王矮虎(おうわいこ)まず倒され、扈三娘(こさんじょう)、孫新(そんしん)、顧大嫂(こだいそう)、さらに林冲、李逵、孫安、解珍らも、みな相ついで瓊英の飛石にあたって負傷した。

長老は魯智深に偈

六三 宋江、軍をひきいて四寇(しこう)を平らげる

夏(か)に逢って擒(きん)、
鑞(ろう)に遭って執(しゅう)、
潮(ちょう)を聴いて円、
信を見て寂(じゃく)

「おっかあ、お前は虎に喰われたかと思ったら、何だ、ここにいたのか」
「わしは虎になぞ喰われはせんよ」
李逵はうれし泣きに泣き、母親を背負って行こうとしていると、ウオーッと一声、一ぴきの大虎がとびかかって来た。おどろいた李逵は、ニ挺の斧をふりかざし、虎をめがけて投げつけたが、斧はくうを打って、雨香亭(うこうてい)の酒をならべた卓の上にあたり、夢からさめた。みんな腹をかかえて大笑いした。​

雁を射落とす

六三ー四

宋江は軍を五隊に分ち、南豊を発して凱旋の途についた。
苑州の秋林渡(しゅうりんと)というところへ来たとき、宋江が馬上はるかに山の景色をながめていると、空中を雁の群が列を乱してとび去った。あやしんでわけをきくと、浪子燕青が雁の列に向かって矢をはなち、たちまちつずけざまに十数羽の雁を射落としたというのである。宋江は燕青をよんで、
「武人として弓矢のたしなみは当然である。しかし雁は仁義礼智信の五常をそなえた鳥であって、数十羽たがいにゆずり合い、尊者は前に、卑者は後ろに、秩序正しくとぶのである。一羽でも死んだり、はぐれたりすると、数十羽ことごとく哀鳴してやまない。いまきみはそのうちの数羽を射た。かりにわれら兄弟のうちから何人かを失ったちすれば、みんなどんな気持ちであろうか?」





 

張順、西湖に沈む

六三ー五

浪裏白跳張順はここにおいて、西湖の水をもぐって、湧金門から杭州城内に潜入しようとくわだてた。かれは李俊のとめるのをふりきって、単身ひそかに西湖畔の西陵橋上に立った。時は春、おぼろ月の下に、紺碧の水をたたえた西湖の風景は、まことに天下第一の名をあざむかなかった。
張順「おれは潯陽江のほとりに生まれ、台風も大波もあくほど、これほどの絶景ははじめてだ。こういうところなら、死んでもおれは本望だ」

「へんだな。大きな魚が簾につきあたったのかな」

「はて面妖(めんよう)な。ははあ、てっきり幽霊のしわざだな。ほっとこうぜ、もうねようねよう」
口ではそういいながら、みなねないで、じっと伏せていた。
張順はまた二時間ばかりじっと耳をすましていた。もう一度土くれを城壁の上へほり投げてみた。静まりかえっている。(やがて四更(午前三時)だ。夜明けも近い。いつまでこうしていても仕方がない) 張順は思いきって、城壁をよじのぼった、そして半分ほどのぼった時、上で拍子木(ひょうしぎ)が鳴って、兵士たちがいっせいに立ちあがった。張順あわてて城壁からとび下りて水に飛びこもうとしたが時すでにおそく、弓、石弓、石つぶてがいっせいに放たれて、あわれや英雄張順、湧金門外の露と消えた。
その夜、宋江の夢枕に血まみれの姿をした張順があらわれ、別れを告げて去った。…宋江は泣きくずれた。

都を出た時の百八人中、十の七まで戦死し、生きて帰るものわずかに三十六将であった。

罪なきわしに

六四 宋江、恩賜の毒酒をあおいで死ぬ
ーー物語の結末

「ふうむ。それでわかった。前に智真長老にさずけられた偈に『夏に逢って擒』というのは、万松嶺の戦さで夏侯成をいけどりにしたことだな。『鑞に遭って執』とは、方鑞を執(とら)えたことだ。すりゃ、あとのニ句『潮を聴いて円、信を見て寂』というのは、潮信に逢って円寂するということであろうが、ーーして、円寂たあ何のことだろう?」
「出家のくせに、そんなこともご存じないのですか。」
魯智深は笑って、「そうか。そんならわしはもう死ぬことになってるんじゃな。ーーそれじゃすまんが、湯をわかして来て下さらんか。沐浴をしたい」
沐浴をすまし、禅床にあがって、両足を組み、左足を右足の上にかさねると、そのまま大往生をとげた。

(…しかるに今、天子は軽々しく讒侫(ざんねい)の臣の言をきき、じぶんに毒酒を賜った。罪なくして果てねばならぬとは残念だが、仕方がない。ただ気にかかるのは李逵のことだ)

「兄弟、わしを悪く思わんでくれよ。じつは先日朝廷から勅使が来て、わしに毒酒を賜り、わしはそれを飲んだのだ。わしの命は今日明日に迫っているのだ。わしは一生忠義のニ字を守り通して、いささかも異心は抱かなかった。しかるに朝廷は罪なきわしに死を賜った。…昨日の酒の中に、じつは毒を入れておいた。閠州に帰ったら、お前はきっと死ぬだろう。死んだら、ぜひここへ来い…お前と亡魂同士ここ集まろうじゃないか」
宋江はそういい終って、はらはらと涙を流した。
「ああ、いいよ、いいよ。生きてる時はあにきに仕えた。死んで亡魂になっても、おれはあくまであにきの手下だよ」

その後、宋公明の霊験はあらたかで、雨を乞えばすぐ雨を降らせるので、人民は四季の祭を怠らない。それは楚州の蓼児哇(りょうじわ)でも同様で、今日に至ってもその古跡はなお厳として存しているとのことである。

黄河に洗い流されて…
黄河に洗い流されて…

【解説】

「方円八百余里、中に苑子城(えんしじょう)、蓼児哇(りょうじわ)などを擁する天下の要害」…しかし今では山も川も湖もない、のっぺらぼうな平野の中に、ポツンとその名をとどめているだけなのです。地上の痕跡はことごとく幾百千たびの黄河の洪水に洗い流されてしまって、わたしたちはただ小説「水滸伝」の中に、むかしのつわものどもの夢の跡をたどることができだけであります。

南宋のころ、中国は北方の異民族のために国土の大半をうばわれ、…政治は腐敗し、四方に賊が起って、人民の生活は苦しかった。そういう人民にとって、あまり遠くない過去に、宋江のような豪傑がいて、悪い役人どもをやっつけた上に、弱い人民のために、「天に替って道を行い」、はては四方の賊を平げ、外国まで攻めて行ったなどと空想することは、それだけでもせめてもの慰めであり、うれしいことであったにちがいありません。そうした心理が、だんだんと史実にうそまこと尾ひれをつけて、「水滸」の話をそだて上げる醗酵素となったのだと思われます。

今日でも「水滸伝」はわたしたちの中に生きています。たとえばわたしたちの読む講談本の真田幸村、三好清海入道、猿飛佐助、岩見重太郎、あるいは国定忠治、清水次郎長などは、梁山泊の豪傑がたくみに姿をかえてわが国に生まれかわって来たものといえるのです。

H26(4)ネルソン・マンデラ

5(104)ネルソン・マンデラ
ネルソン・マンデラ

「偉人」と呼ばれ世界の賞賛を浴びてきたマンデラ。だが実際の彼は、小さな幸せに憧れ、時には悩み、絶望し、怒りに身を震わせる一人の人間であった。その真実の姿が初めて、本人によって明かされる。

ネルソン・マンデラ
私自身との対話

◎序文 バラク・オバマ
世界中の多くの人々同様、私がネルソン・マンデラのことを知ったのは遠くからのこと、マンデラがロベン島で服役中の頃です。

このように全体像を見せることで、マンデラは私たちに、氏が完璧な人間でないことを改めて気づかせてくれます。私たちに同様、マンデラにも欠点があるのです。しかし、その欠点こそが私たちに一人ひとりを力づけてくれるのです。自分の心に素直になればわかるはずです。程度の差や個人的、政治的な違いはあれ、誰もが皆、もがき苦しんでいるのです。恐怖や疑念を克服するために、闘いの成果が見えないときでも努力を続けるために、そして他人を許し自分に挑戦するために、誰もが悪戦苦闘しているのです。この本に書かれた物語、そしてマンデラの人生が語ってくれる物語は、決して誤ることのない人間や確実な勝利の物語ではありません。信じるもののために進んで自らの命を危険に晒した人間、一生懸命努力して世界をよりよい場所にするために生きた人間の物語なのです。

歴史の陰には恐れることより希望を選んだ人間がいる。過去に囚われるより進歩を選んだ人間がいることを改めて気づかせてくれる瞬間です。

◎はじめに
ネルソン・マンデラ記憶と対話センター
プロジェクトリーダー
ヴァーン・ハリス
「現実の生活で私たちが相手にするのは神ではなく、私たちと同じ普通の人間です。しっかりしていながら、移り気で、強くもあり弱くもあり、有名だったり悪名高かったりする、矛盾にみちた男女です。その血流の中で、ウジ虫が強力な殺虫剤と日々戦っている人間なのです」

? 牧歌劇
マンデラ独特の習性の多くは、幼くして身についたものだ。中でも最も重要な習性のひとつは、テンブランドでの伝統的な環境の中で培われたもので、年長者や部族集会での発言者全員の言うことを注意深く聞くこと、そして、王や首長の指導の下で徐々に合意が形成される過程を観察することだ。

第1章 記憶の深淵
私たちは誓いを守りますよ。たとえどのような状況でも、相手にふさわしくないことは決して言わない、という。もちろん問題は、どんなに成功した人間でも、何らかの形で慢心する傾向があるということです。自己中心的になっても構わない、自分の素晴らしい業績を世間全般に向かって自慢しても構わない、と思うときが人生のなかではあるものです。

当時私の考えと行動を支配していたのは首長制度と教会だった。なんといっても、その頃耳にした英雄と言えばほとんどが首長だったし、……私にとってこれと同じくらい重要なのは、教会が占める位置だった。私は教会を、聖書に書かれていた内容や教義よりも、マチョロ牧師という人間に結びつけていた。…精神の領域ではマチョロ牧師が執政よりも上位にあるという事実は、教会が持つ莫大な力を如実に示していた。それだけではない。私の部族が成し遂げた進歩のすべて、すなわち私が通った学校、私を教えてくれた先生方、役所の職員や通訳、農業指導員、それに政治家はすべて教会学校の産物だった。

第2章 仲間たち
肌の色に対する偏見という邪悪をどうやったら最終的に取り除くことができるのか、そのためにどんな本を読むべきか、規律のとれた解放運動に参加したければどの政治団体に属すべきか、そんなことを教えてくれた教師は一人もいなかった。まったくの偶然と試行錯誤により、自ら学ぶしかなかったのである。

アルジェリア
アルジェリア

アルジェリアの「自由の闘士」について

アルジェリア人がチュニジア側から攻撃をしかけるとします。すると、フランス軍は西側から移動してきます。モロッコ国境からです。というのは、アルジェリア人はチュニジアとモロッコから戦いを仕掛けているからです。国内で行動する部隊もいましたが、本隊はこのふたつの地域、このふたつの国から戦いを仕掛けていました。アルジェリア人がチュニジアからアルジェリア奥深くに攻撃を仕掛けたとします。すると、フランスは攻撃を止めるために、モロッコ国境から軍隊を移動させます。フランス軍がモロッコから移動したら、アルジェリア人はモロッコを攻撃します。すると、フランス軍はモロッコ側に移動します。こういう風にフランス軍を翻弄し、動き続けさせたのです。アルジェリアで出会った人たちは全員、とても面白い人たちでした。まったく面白い人たちでしたよ。

ウィニー・マンデラ
ウィニー・マンデラ

2劇詩
ネルソン・マンデラはフォートヘア大学在学中、エイブラハム・リンカーンを暗殺したジョン・ウィルクス・ブースの役を演じたことがある。

実際のところ、1941年から1961年に逮捕されるまでのマンデラの人生は、大衆を相手にした素晴らしいドラマだった。

私生活のドラマは、2、3のつかの間の恋愛を経た後、盛り上がった。

1958年、マンデラは輝くばかりに美しいウィニー・マディキセラと再婚する。

第3章 心の翼
過ちを起こさないですむのは、政治家気取りの評論家だけだ。

アレクサンドラで私は…白人至上主義のありとあらゆる悪弊にであった。

一人の男が「中に入ろうぜ」。別の男が「駄目だ。こいつは一文無しだ。何にも持ってないんだ。学生なんだから」

お父さんは時々思うのですよ。
…2年間以上、お母さんとお父さんは文字通りハネムーン状態だったのです。…これは借り物の時間なのだ…困難なときが間もなくやってくる。

この頃はかなり社交的な時期でしたよね?
…唯一の違いは、黒人と白人が一緒にいたということです。…重要なのは、パーティーが党員勧誘の目的にも使われていたということです。

いえ、いえ、そうは思いませんよ。ここでいう白人は、民主的な伝統の中で育ち、真の意味で、抑圧された人々の闘争にコミットした人たちです。くつろぎのひとときを持ちたくて、アフリカ人、つまり黒人を招待したのです。

ジョハネスバーグでは、色々な考え方に触れました。…共産党員には感心しましたよ。肌の色をまったく意識しない白人に会ったのは、すごいことでした。私にとって新しい経験だったのです。

政治に関わり始めたとき、共産主義者を攻撃したのです。解放的だとは思いませんでしたよ。マルクス主義は、私たちを外国のイデオロギーに服従させるものだと感じました。

「体を縛りつける鎖は、多くの場合、心の翼である」というのが、まったく本当です。
シェイクスピアは『お気に召すまま』

逆境の効用は甘美なもの
ガマガエルのように醜く毒があるが
頭の中に高価な宝石を持っている

大きな目的は大きなエネルギーを呼び起こす

しかし、26年に及ぶ嵐のような経歴を通して、私はこれらのシンプルな言葉の裏にある本当の意味を表面的に、不完全に、そしておそらく頭だけで理解していました。

そのとき逮捕されたのは、権力に公然と反抗したからではなく、白人用トイレで小用を足したからです。…ところが、世の中には主義のために投獄された人々がいたのです。不当だとみなす法律に反対して、投獄された人々がいたのです。私のクラスメートたちが教室を出て、同胞と自分の国に対する愛から権力に反抗したのです。それは私に大きな衝撃を与えました。

釈放をバンツスタンと関連づけることはまったく受け入れられない
…私たちが後半生を牢獄で過ごしているのは、人種隔離政策という考え方自体に反対したためだということが、あなたにはよくわかっているはずだ。

首長はマハトマ・ガンデイーの熱心な信奉者でした。キリスト教の教えを守る者として、また主義として、非暴力を信じていました。…ですが、私たちの姿勢は、状況が許す限りは非暴力に徹するというものでした。状況が適さなくなったら、自動的に非暴力をうち捨て、状況に合った方法を採用するという考えです。

でも、僕にとって本当のヒーローはネルーだった。

完全に間違っている。僕はキリスト教の教えを捨てたことは、決してなかった。

ルース? ルースの死は南アフリカにとって悲劇でした。…夫のジョー同様、とても寛大でした。当時、二人とも若い共産主義者で、とても急進的でした。…素晴らしい女性でしたよ。大好きでした。大好きで、とても尊敬していました、亡くなったことを刑務所で聞いたときは、非常に悲しかったですよ。

南アフリカ最大の都市で14年間狭苦しい生活を送っても、私の中の田舎者を消し去ることができなかったのだ。

当時2歳だった娘のマカジウェが目を覚まし、私と一緒に行っていいかと尋ねた。…娘にキスして、寝かしつけた。娘がうとうとするのを見届けてから、私は出発した。

第4章 殺す理由はない
世の中のために尽くそうと大志を抱き、遠く離れた地域に家庭を築いた人間にとっても、故郷は故郷である。

母が経済的な苦労をしないでもいいよう、子どもたちはそれなりに援助をしていたが、母は進んで質素な生活を続け、もらったお金は使わず、子どもたちが困っているときに分け与えていた。何度かジョハネスバーグで一緒に住もうと説得したが、母は一生を過ごした田舎を離れる辛さに耐えられなかった。

60歳間近の母親の面倒を見て、母親のために理想の家を建て、よい食事とよい洋服と与えられる限りの愛情を与えること以上に重要なことがあるのだろうか。自分の責任を回避するために、政治を言い訳に使ってはいないだろうか。

亡くなる直前に書いてくれた最後の手紙にいたるまで、「自分の信念の正しさを信じ、信念のために闘いなさい」と母は私を激励してくれた。それを知っていることで、誇りと喜びは100倍にも膨れ上がる。

「神よ。私たちは今まであなたに祈ってきた。あなたに懇願してきた。私たちを解放してくださいと頼んできた。今、私たちはあなたに命令する。私たちを解放せよ」

そうですね。そのことは詳しく話したくないのですよ。…エヴェリンの話をするには、なぜ私たちの結婚がうまくいかなかったのか、お話しなくてはなりません。

私たちは非暴力を戦術と捉えていました。法廷では言えませんでしたが。法廷では、つまり大逆裁判のことですが、非暴力を主義として信じていると証言しました。非暴力を戦術と思っていると証言したら、都合が良ければいつでも暴力に訴えるつもりだろう、と国家につけいるスキを与えるからです。

キリストが力を使ったのは、その状況で使えることができた意思伝達手段が力だけだったからです。したがって、力を使ってはいけないという原則はないのです。状況によります。私はそんな風に、この問題を見ています。​妻「何でそんなに本読むと?」

私「人間ば作るため」
妻「もう充分出来とろもん」
私「いやいやまだまだ」
妻「頭のおかしくならんね?」
私「もうなっとる」
妻「あ〜そうやったね!!」

タンボ弁護士
タンボ弁護士

第5章 破裂する世界
白人が黒人の皇帝の前に出て、頭を垂れるのを見たことも、非常に面白かったですよ。

私の最大の関心は、紀元前5000年の昔、ナイルバレーで繁栄した太古の、高度の文明を築き上げたのは、どのような種類の人間なのかを探り出すことだった。…文明はヨーロッパで始まり、アフリカ人はヨーロッパ人に比する豊かな過去を持たないという、プロパガンダを広める白人たちがいる。その嘘の主張を論破するため、科学的証拠を集めることに、何よりも関心のあるアフリカの思想家たちにとって、これは極めて重要な問題のひとつなのである。

例えば、フランスの国防相がチュニジアとモロッコを回った後で、アルジェリアは平和だと述べた次の日、反乱が起こった。国防相は、反乱は局地的なもので、全国規模ではないと声明を発表した。直ちに、反乱は全国に広がった。革命の時期を選定するには、心理的な好機を考慮に入れるべきである。

戦術上の計画は戦略によって律せられる。

我々の勢力が拡大し、敵の勢力が崩壊することを目標にすべきだ。
革命を始めるのは簡単だが、継続し維持するのは非常に難しい。革命を始める前に状況を徹底的に分析することが、指揮官の義務である。

ええ。エドガー・スノーの『中国の赤い星』。…蒋介石らがどのようにその地域を取り込み締めつけ、革命を押し潰そうとしたか、そして、それに対しどうやって戦ったか。そして、そこまで留まっていたら粉砕されることが明らかになったとき、この壁を突破されることが明らかになったとき、この鉄の壁を突破する決心をし、中国内をまず南下し、それからソビエト連邦との国境まで北上し、そこで攻撃を開始したのです。

そう、長征です。あれは奇跡そのものでしたよ。何度か、まるで魔法のように脱出したのですよ。

第6章 体の鎖
私が現在置かれた状況では、現在に思いをめぐらし、将来がどうなるかを予測するより、過去について考えることの方がずっと骨が折れます。投獄されるまで、頭の中に収容された無限に続く情報の数珠、記憶の力を充分認識したことがありませんでした。

私が多人種共存主義を受け入れたことは、決してありませんでした。私たちの要求は、人種の区分のない社会です。…つまり、我々は多人種主義者ではなく、無人種主義者であると。私たちは、人々が肌の色を基にして考えるのをやめる社会を達成するために闘っているのです。問題は人種ではなく、考え方なのです。

生涯を通じて、私はアフリカの人々の闘争に身を捧げてきました。白人支配に反対して闘い、黒人支配に反対して闘ってきたのです。

これが民衆と組織のためにできる、最後のおつとめだと思うと幸せだった。

しかし、僕たちは死刑判決を受けるものと思っていた。
「どう見ても、死刑判決だろう」

リヴォニア裁判の判決(1964年6月12日)前に走り書きした5項目のメモ。
1)被告人席から供述。
2)述べたことはすべて本気。
3)文明国の標準に基づいた扱いを要求して、この国の多くの愛国者の血が流された。
4)その軍隊は増強中。
5)死ななければならないとしたら、正々堂々と運命に立ち向かう意志を明確にする。

「あなたの人生はこれで終わりです」

よし。

ロベン島
ロベン島

3叙事詩
ロベン島での最初の数年、状況は過酷であった。…取るに足らないことを重要視することにかけて、当局は容赦しなかった。…監視はプライバシーを侵害するものだった。

第7章 満たされない男
ザミと私はその夜、あなたとパーティーで出会ったのですが、あなたはすぐにいなくなってしまいましたね。その数日後、ザミと子どもたちに別れを告げました。今では私は、波の遥か彼方の住民になっていました。私がいないことで家族が経験する苦労や悲嘆や屈辱がわかっていましたから、決心するのは簡単ではありませんでした。

第8章 幕間
最後に母に会ったのは、昨年の9月9日のことでした。面会の後、本土に向かう船の方へ歩いていく母が見えました。そのときどういうわけか、もう母に二度と会うことはないという思いが胸をよぎったのです。

母を自分の手で埋葬できないことになろうとは、思ってもみませんでした。

大事なお母さんがまた逮捕されてしまいましたね。…一体どのくらいの期間になるかわかりません。お母さんが勇敢で決然としていて、心から人々を愛していることをいつも覚えておいてください。人々と国を深く愛する心から、お母さんは楽しみや快適さをあきらめて、困難で悲惨な道を選んだのです。大人になってから、お母さんが経験した不愉快な出来事や、信念を貫き通したお母さんの頑固さをよく思い起こしてみてください。真実と正義の闘いにお母さんがどれほど大きな貢献をしたか、自分の個人的な利益や幸せをどれほど犠牲にしたかがわかってくるでしょう。

奥さんは刑務所の外で生活している。他の男に出会う。こういう思いにどうやって対処したのですか。…奥さんに好きな男ができて、一時的にせよ、あなたの代わりを努める。こういう思いにどうやって対処したのですか。
…そんな疑惑は頭の中から消し去らなければなりません。…つまり、そういったことは私にとって重要ではないということです。また、それとは別に、人間としての問題があることを受け入れなければなりません。人間にはくつろぎたいときがあるものだという現実です。それを詮索すべきではありません。私に忠実であり、私を支えてくれ、会いにきてくれ、手紙を書いてくれる女性であるというだけで充分なのです。それで充分なのです。

ザミに永久に会うことなく、またザミや子どもたちから便りがないままで、暮らしていくのが非常に難しいと感じられるときがあります。しかし、人間の魂と人間の体は適応に関して無限の能力を持っています。…時間と希望がこれほど意味を持つようになるとは、思ってもみませんでした。

他に何も残っていないとき、希望は強力な武器となります。
最も厳しい状況にあるとき、私を支えてくれたのは、自分はこれまでに多くの困難に打ち勝ってきた、筋金入りの家族の一員だという自覚です。

服役中を通して、私の心はこの場から遥か遠い、草原や茂みの中にあります。

ダギー、率直に言って、この強固な壁の後ろに閉じ込めることができるのは、私の肉体だけなのです。
私は依然としてコスモポリタン的な考えを持っています。心の中では、ハヤブサのように自由なのです。
私のあらゆる夢の錨となっているものは、人類全体に共通する英知です。私は今まで以上に、人間の幸せのもととなるのは社会的平等だけだと確信しています。

しかし、平均的な南ア看守の非人間性は依然としてそのままです。

民衆が私たちのことを忘れてしまうと考えるのは、無駄であるばかりか、この国の歴史的経験に反しています。

この国の人々にとって、私たちは国を取り戻そうと闘ったがために迫害されている国民的英雄です。私たちが生きているうちに、そして自由な南アを求める闘いの真っ最中に、同胞が私たちを忘れると思うのはまったく非現実的です。

しかし、貴殿と私の対立が極限の形を取ったときですら、個人的な憎しみを持つことなく、主義や見解を巡って闘いたいと思うのです。そうすれば、闘いが終わったとき、その結果がどのようであろうとも、名誉と品位に関する規範を遵守した、高潔で、相手として不足のない敵と闘ったと感じ、誇りを持って貴殿と握手することができるからです。

第9章 満たされた男
ところで、独房は自分を知るのに理想的な場所だと気がつくかもしれませんよ。個人としての進歩を判断するのに、私たちは社会的地位、影響力、人気、富、教育水準などの外的要因に囚われる傾向があります。…しかし、人間としての進歩を評価するには、内的要因の方が重要かもしれません。

独房は少なくとも、毎日の自分の行いを総じて反省し、短所を克服し、長所を伸ばす機会を与えてくれます。例えば就寝前の15分、規則的な瞑想をすれば、とても効果的ですよ。自分の欠点を特定するのは、最初は難しいかもしれません。でも、10回くらい試せば、とてもうまくいくようになるでしょう。聖人とは絶え間なく努力する罪人なのだということを、決して忘れないように。

70年代の初め、ザミにある手紙を書きました。自分では、最愛の妻を敬慕し崇拝する男からのロマンチックな手紙のつもりでした。その手紙の中で、ゼニとジンジが美しく育ったこと、二人とお喋りするのが大変楽しいことに触れたのです。最愛の妻はカンカンでした。…「子どもたちを、育てたのはあなたではなく、この私。それなのに、あなたは私より子どもたちの方が好きなのね」。私はただただ唖然としてしまいました。

「あなたは自分の国の歴史を知りませんね。イギリス人に抑圧されたとき、あなたは私たちとまったく同じことをしました。それが歴史の教訓なのです」

そのとき、8500人が意図的に刑務所に入りました。私たちを辱め、離れ離れにし、ある種の特権を白人にだけ、与えることを意図した法律を破ったからです。
…人を説得する最善の方法は触れ合いだということを、年長者は知っています。…だから、議論を吹っ掛けるときは静かに、声を荒立てることなく行うと、彼らの威厳や高潔さを疑問視しているように見えないのです。心を和らげさせることにより、こちらの言い分を理解させるのです。腰を据えて話せば、いかに頑なな刑務所の看守でも、判で押したようにボロボロに崩れ落ちます。崩れてしまうのですよ。

私には彼を見抜くことができませんでした。愛と希望の輝きがその顔を覆っていました。しかし同時に、人類全体の愚行と苦悩に心を痛めている人間の表情をしていました。
…この男が無実であることを百も承知でも、死刑を宣告することが私の義務でした。

木が切り倒された ジンジ・マンデラ作

木が切り倒された
そして、果実が散らばった
私は泣いた
家族を失ったから
幹は父
枝は父の支え
果実はとても
父がとても大切に思う
妻と子どもたち
そうあるべきように
美味しく 愛らしい
ひとつ残らず地面に散らばっている
幸せの根は
父から切り離されてしまった

歪曲は多くの無実の人々を欺き導きました。…習慣をやめることはなかなかできないものです。習慣は紛れもない印を残します。私たちの骨に刻まれ、血の中に流れる目に見えない傷跡を残します。

人生には独自の安全装置と補償が組み込まれています。「聖人とは清廉であろうとする努力を怠らない罪人である」。
人生の4分の3を悪人として過ごしても、残りの4分の1で敬虔な生活を送れば、聖人の列に加わることができるかもしれないのです。現実の生活で私たちが相手にするのは神ではなく、私たちと同じ普通の人間です。しっかりしていながら移り気で、強くもあり弱くもあり、有名だったり悪名高かったりする、矛盾に満ちた男女です。その血流の中で、ウジ虫が強力な殺虫剤と日々戦っている人間なのです。

しかし、些細なことに注意をはらい、ちょっとした行為を有り難く思うのは、立派な人間の大切な特徴のひとつなのです。

また政治家というものは、まず何よりも、敵に対して攻撃的になるものなので、ANCについて間違った概念を持っていた人々がいました。…ただ、人間というものは他人を啓発し、自分の見方に転向させたいものです。…攻撃的になることによって、目的を達成することはできません。攻撃的になると、人は逃げてしまいます。そして、反撃してきます。ところが、ソフトなアプローチをすると、とくに主張に自信があるときは、攻撃的になるよりずっと多くの成果があがるのです。
 

太陽と風
太陽と風

ええ、大切なのは、人々の考え方とアプローチの奥底に平和のメッセージを浸み込ませることです。平和の力が暴力の力を遥かに上回ることを言いたかったので、太陽と風の間に行われた議論について話したのです。太陽が「俺はお前より強い」と言ったのに対し、風が「俺の方が強い」と言い、毛布をかぶっていた旅人を使って力比べをすることにしました。
…風は…強く吹けば吹くほど、旅人は毛布をきつく体のまわりに巻こうとしたのです。…太陽が照らし始めました。最初はゆるい日差し。それから段々強くしていきました。…旅人はとうとう毛布を脱ぎ捨てました。つまり、優しい方法で旅人に毛布を脱がせることが、可能だったのです。これは、最も頑固な人でも、最も暴力手段にコミットしている人でも、平和を通じてその考え方を変えることができるという寓話なのです。そして、それこそ私たちが従うべきやり方なのです。

第10章 駆け引き
大いなる目的を達成するというのは、最終目標に到達することだけを意味するものではありません。自分の生涯において期待していたものに叶ったという、成功の喜びでもあるのです。

私たちが心に抱いている理想、最も愛おしい夢、熱烈な望みは、生きているうちには実現しないかもしれません。しかし、それは肝心なことではないのです。できるうちに自分の義務を果たし、同胞の期待に添ったと自覚できること自体が、貴重な経験であり、素晴らしい業績なのです。

あなたにはこの刑務所の門を開き、私を自由人として出獄させることはできません。私が強要されている状況を改善することもできません。しかし、あなたの訪問のおかげで、過去22年間私を取り巻いてきた、ありとあらゆる不快さが我慢しやすくなったことは確かです。

世界中の人々は私たちを決して忘れないとしること。それ以上に心強いものは、妻と家族の愛情以外にほとんどない。…私たちの強さをくじきたくてたまらないのだ。だが、敵はその機会を永久に逃してしまった。

我が国をズタズタに引き裂き、非常に危険な情熱を生み出している悲劇的な紛争を、傍観者としてただ見ているのはとても心が痛みます。…しかし、世界平和のために一生懸命、勇気を持って尽くしている国際組織、政府、国家元首、影響力のある団体、それに個人が存在しているおかげで、現実的な望みがあります。

昔は読書を楽しみました。
…[『戦争と平和』で]クトウーゾフがモスクワを守るべきかどうか議論する場面は、素晴らしかったですね。
…「建物は心配していない。そんなものは、感傷に過ぎない。私は私の軍隊を破滅から救うことを気遣っている」
[ズールー王]シャカも同じ態度を取ったのですよ。
…「なぜ、建物を守る必要があるのだ。建物は今日破壊されても、明日建てることができる。しかし、軍隊はひとたび破壊されたら、作り上げるのに何年もかかる」

私は人間のよいところを見すぎていると人は言います。…他人は道義を重んじる高潔な人間であると想定し、それに従って行動するのはよいことです。一緒に働く人間をそのようにみなせば、高潔や道義は向こうからやってくるものです。そういう基本的な想定をすること、つまり相手が高潔な人間であると想定することにより、人間関係が大きく発展します。私はそう信じています。

第11章 カレンダー日記
刑務所の外の世界ではごく当たり前な、基本的なものが、刑務所では貴重な贅沢品であることをわすれてはならない。例えば、お茶に入れるミルクが手に入るのは大事件なのである。面会や手紙もまた然り。そして、「手入れ」というたったひとつの言葉が意味するものは、字面よりずっと忌まわしい。

1976年
8月18日
ザミが逮捕されたとの情報を得る。

1977年
1月17日
他人の陰口を叩くのは明らかに悪徳であるが、自分自身を悪くいうのは美徳である。

1979年
6月1日
「希望を持つことはたやすい。希望がないことがダメにする」

6月2日
病んだ国において、病気を食いものにする人たちは、健康へ一歩一歩近づくことを侮蔑と感じる。
自由であることの目的は、他人を自由にすることにある。

1980年
10月11日
囚人の日
…1976年に国連総会が正式決定した、南アフリカの政治囚と連帯する日。

1984年
3月15日
マデイバのレコード、売上好調。NMの釈放を求めるレコード、発売1週間にしてポップチャートで上昇中。『フリー・ネルソン・マンデラ』『ドアを取り壊せ』

6月18日
キューバのカストロ大頭領、キューバでも最高レベルの勲章をNMに授与。

1986年
6月16日
ザミが弁護士になる夢を見る。マンデラとタンボを被告とする裁判に出廷するが、被告欠席のため敗訴。NKが出廷し、判決の取り消しを求め、ザミを法廷に呼ぶ。

1990年
1月13日、刑務所内で書いた最後の日記
…突然、鴨たちは何度もギャーギャー鳴き、列を作って出て行った。私はほっとした。鴨は私の孫たちよりずっと行儀がよい。孫たちが帰った後はいつも、家中がひっくり返されたような有り様だから。

ネルソン・マンデラ
ネルソン・マンデラ

​4悲喜劇
刑務所から釈放された後のネルソン・マンデラの生活は、この上なく忙しいものだった。

1990年年から94年という期間は、南アフリカの歴史において、血と恐怖の時代だった。

ネルソン・マンデラが刑務所時代を思い出す時、郷愁の念があることは否めない。

第12章 嫌われ者から奇跡の人
私たちは敵を侮ってはいない。劣勢だった過去の紛争において、敵は勇敢に戦い、皆から賞賛された。しかし、当時彼らには、自分たちの独立という守るべきものがあった。今や、立場は逆転した。彼らは現在、国内では極めて少数派の抑圧者であり、世界的には孤立している。戦いの結末が今までとは違うものになるのは確かである。

冷静に話せば、交渉にあたって私たちがどのように重要事項に対処するかを、国民はしることができます。

群衆を煽動することはしたくありません。私たちが何をしているのか、理解してもらいたいのです。聞くひとに和解の精神を吹き込みたいのです。

かなり穏やかになりましたね。若い頃はとても急進的で、大げさな言葉を使っていました。そして誰とでも喧嘩していました。でも今は国民を導かなければなりません。だから、煽動的な演説は不適切なのです。

詳しいことは話したくありません。別れたのは個人的な理由からです。

アフリカ大陸における環境問題のほとんどは、貧困と教育不足のせいである。アフリカには砂漠化、森林破壊、土壌侵食、環境汚染に対処する資源もスキルもない。

アフリカの人々の貧困につけ込み、有害廃棄物をアフリカ大陸に捨てる。裕福な国々のせいで悪化している。金を渡しているのである。賄賂を渡して、環境汚染が引き起こす、あらゆる危険に人々を晒しているのである。

我々の強さは規律にある
平和的デモ行進の権利
あれは犯罪だった
民主主義の力
復讐からではない
いつでも準備できていること
何をするにしても、
平和的なプロセスの枠組みを
守らねばならない
平和的なプロセスを守っていないと
非難されることを許す余裕はない

その怒りをどこかにそらす必要がありました。私たちにできたのは、国中でデモを行い、人々に怒りを表現する場を与えることだけでした。…しかし、防衛策を採ったおかげで、突発的な暴力事件が時折起こった以外、デモはとてもうまくいきました。ハーニーを殺した人々の目標達成を阻止できたのです。

私が求めたのは主従関係ではなく、個々の同志が対等の立場で、迫害や疎外を恐れることなく、意見を自由かつざっくばらんに述べることができる健全な関係である。

指導者には2種類ある。
(a)一貫性がなく、予想できない行動を取り、今日賛成したことを明日反対する者。
(b)一貫性があり、信義を重んじ、先見の明がある者。

指導者がまずしなければならない仕事は、ビジョンを立てることだ。

本当に偉大な人は皆そうですが、威張り散らしたりしませんでした。

大衆の支持。世論調査によると、我々が大勝するという。しかし、問題は、有権者を投票所までどうやって連れて行くかだ。

民主的に選出された、初めての南アフリカ共和国大統領として私が任命されたのは、私の助言に大きく反して、私に押しつけられたことだった。

人種や素性にかかわらず誰とでもくつろげる庶民的な人は世界中の人間に賞賛されるものだ。

けれども、私は一期しか努めない意思を明確にした。

ロシェルは「おじいちゃん」と切り出した。「おじいちゃんを完璧に打ちのめしてしまう、お知らせがあるの」

搾取したがる人間の欲望

第13章 祖国を離れて
アラファトもエジプトに来ていたので、ムバラクと面談した後、アラファトに会いました。

身の毛もよだつような経験でしたよ。

群衆は私に触りたがり、握手したがり…。

アメリカ人はとても温かく、とても熱意がありましたね。

国際連合で演説しましたが、会議中はホテルに追いやられました。

アメリカの警備は本物です。高度なプロです。移動の仕方をしてくれました。一番危険なのは、車に乗るために建物などを出たときと、車から降りて目的地に向かうときだそうです。

クリントンの格式張らない態度は大したものでした。国民にあれほど身近な大統領なんて、なかなかのものです。庶民的なところに大変感銘を受けました。威厳を保ちながらも、庶民的です。

財産が国有化されてしまうのではないかという懸念を、企業から拭い去らなければなりませんでした。

「あなたはとても褒めていましたが、平和的な方法で政府に反対しただけの理由で、何人の人々がこの国の刑務所に入っているかご存じですか。選挙で政府に挑戦したいのに、政府は彼らのことを恐れて、刑務所にぶちこんでしまったのです」

パレスチナ…30年近くにわたる不毛な努力
アラファトのことは残念

第14章 故郷
原住民から土地を略奪し、鉱物資源その他の原料を搾取し、人々を特定地域に拘束し行動を制限することが、世界中のどこにおいても植民地主義の礎石である。

これはイギリス帝国主義が南アフリカで採用したやり方でもあった。そのやり方をあまりにも徹底した結果、1913年に土地法が議会を通過した後、人口の15%の白人が国土の約87%を所有することになり、国民の大多数である黒人ーーアフリカ人、カラード、インド人ーには13%しか残されなかった。

黒人をそんな目に逢わせたのは、悪名高い聖職者とその後継者が率いた白人のコミュニティである。彼らは技能と宗教を利用して、国民の大多数を占める黒人に対し、神が禁じる様々な残虐行為を働いた。

たとえどのような紛争においても、一方が完全に正しいとか、完全に間違っているとかいえない点に達する。真剣に平和と安定を望む者にとって、妥協以外に選択肢のない段階に達するものなのだ。

古今東西、無数の人間が生まれ、死んでいった。
名前すら残さない者もいる。あたかも、存在しなかったかのように。

世界各地に存在する道徳観の腐敗したコミュニティは、人類に対する犯罪として世界中から非難されている行為の継続を正当化するために、神の名前を利用したりしている。

しかし、百戦錬磨の、世界的に有名な「自由の闘士」ですら、歴史に弄ばされてきた。

何冊かの自伝を読んで感じるのは自伝はその人が関わった出来事や経験の単なる羅列ではなく、読者が人生の手本として使う青写真の役目も果たすということだ。

若い頃の私は、田舎者の短所と過ちと軽率さをすべて持ち合わせていた。

自分の短所を隠すのに、傲慢さに頼っていた。

服役中私を深く悩ませたのは、知らず知らずのうちに外の世界に投影された、誤ったイメージだった。聖人としてみなされたのである。私は決して聖人ではない。たとえ、聖人とは努力し続ける罪人であるという、世俗的な定義を用いたとしても。


【訳者あとがき】
「偉人」「聖人」に持ち上げられたマンデラではなく、おちゃめで、家族思いで、日常的な幸せに憧れ、時には悩んだり、絶望的になったり、怒りに身を震わせたりする、「人間」マンデラの姿を垣間見ることができるのだ。

獄中一万日
獄中一万日

ルネサンス83
 マンデラ大統領の「獄中一万日」
 さらに、二十一世紀への爽快なる旅立ちにあたり、私(名誉会長)は「正義と希望の巌窟王たれ!」との言葉を贈りたい。ご存じのように、「巌窟王」とは、十九世紀のフランス文学の傑作「モンテ・クリスト伯」(デュマ作)に由来する。悪人の謀略によって、長年、牢獄に捕らえられながら、巌のごとき信念で耐え抜き、真実を証明してしった─その勇敢なる人間を描いている。では、今世紀の「巌窟王」ともいうべき巨人はだれか?
 それは、南アフリカ共和国のマンデラ大統領であると私は思う。実に二十七年半、約一万日に及ぶ投獄にも屈することなく、残酷な人種差別と戦い抜いた。「一時間が一年のようでした」と述懐されている。そして、今もなお、黒人も白人も皆が調和しゆく「虹の国家」の建設のために、奮闘しておられる。普通ならば、二十七年半も投獄されて「もういやだ」と思うか、「少し休みたい」と思うであろう。しかしマンデラ氏は出獄するや、ただちに猛烈な勢いで闘争を始めた。本物の獅子であった。
 私は、五年前、獄中闘争を終えて間もないマンデラ氏と、語り合った(一九九〇年十月、東京で)。今も、深き信義で結ばれている。私は世界に、何人か氏のような「獅子」の友人がいる。
  
 詩人の叫びが「闇」を破った
 さて、マンデラ大統領の「闘争の人生」の原点はどこにあったか。その大きな転機は、高校時代であった。マンデラ大統領も、初めから「鋼の闘士」だったわけではなかった。幼少のころ、"黒人は白人よりも劣っている"と繰り返し教え込まれた。"社会の仕組みが、もともとそうなっているのだから、仕方がない"社会には、無力感とあきらめが蔓延していた。しかし、その惰性を打ち破る事件が起こったのである。卒業前のある日、著名な黒人の詩人が学校を訪れ、スピーチをした。その詩人は、校長をはじめ多くの白人が並ぶ前で、毅然と叫んだ。「余りにも長い間、我々は、白人がもたらした、誤った偶像を崇拝し、それらに屈服してきた。しかし、今や、我々は立ち上がり、こうした考えを捨て去るのだ」
 マンデラ青年は、驚いた。そんな勇気ある声を発する人など、当時はだれもいなかった。その時の衝撃を、氏は「暗闇の夜を、彗星が駆けぬけたようだった」と回想している。「人間は誰人たりとも、平等であり、尊厳である!」という不滅の信念の光が、彼の胸に輝きわたった。その光を抱きしめ、大闘争の人生が始まったのである。
 マンデラ大統領は、こう語っている。「私は、基本的には、楽観主義者です」「楽観主義であることは、一つには、常に太陽に顔を向けて、歩み続けることです」と。  
      
 輝き9  
 南アフリカのマンデラ大統領は、デマをでっち上げられ、無実の罪で白人の法廷に引き出されたとき、こう叫びました。  
 「私は刑期が終わっても、もう一度同じことをするでしょうし、自らを男だと名乗るような人間であればそうするでしょう」(『ネルソン・マンデラ 闘いは我が人生』)  
 何度、弾圧されようとも、どんなデマを流されようとも、獄中に死のうとも、男ならば断じて戦うと言うのであります。  
   
 輝き16  
 「誰も当てにせず自分が力を!」  
 南アフリカのマンデラ大統領は,二十七年半、じつに約一万日の獄中闘争を耐え抜き、生き抜き、戦い抜かれた。そして出獄の日、歓喜の大集会で力強く拳を突き上げて叫んだ。  
 「力を!力を!我らに力を!」と。  
 どこを頼るのでもない。自分たちが力をつけるのだ。誰を当てにするのでもない。民衆が強くなる以外にない―と。  
 学会が力をつけ、強くなれば、人類の希望である広宣流布は進む。  
 マンデラ大統領が、七年前(一九九○年)、初めて訪日された析、大きな喜びとされたのも、創価の青年たちとの出会いであったのである。  
 日本は、敗戦の破壊から立ち上がり、無我夢中で復興を遂げてきた。  
 しかし、戦後から半世紀を過ぎた今、社会のいたるところで、肉体の内部から腐っていくような腐敗が深刻化している。
 この時に、今一度、立ち返るべき原点は何か。それは善なる民衆の活力を、生き生きと蘇らせていくことであろう。その蘇生の原動力は、学会にある。  
 なかんずく、わが青年部にあると私は確信している。  
   
 青春対話1
 人を傷つける剣は、邪剣です。人を救う剣は宝剣です。  
 私は、南ア(南アフリカ共和国)のマンデラ大統領と二度、お会いしました。二十七年半―一万日の投獄に耐え、残酷なアバルトヘイト(人種隔離)を打ち破った「人権の巌窟王」です。長い間、ひどい差別が続いていた。黒人にとって、白人専用バスに乗るのは犯罪、白人専用の水飲み場を便うのは犯罪、白人専用の海岸を歩くのは犯罪、午後十一時以降に家の外にいるのは犯罪、先業しているのは犯罪、ある特定の地区に住むのは犯罪だった。黒人は「人間」あつかとして扱われていなかった。マンデラ氏は、いたる所で、何百もの侮蔑を見た。何百もの屈辱を味わった。
 「何ということだ」「人間は人間だ/人間を差別するなんて、絶対に許せない!」。この正義の怒りが、マンデラ氏の「宝剣」となったのです。
 「こんな狂った社会は、断じて変えてみせる!」と立ち上がったのです。そして地獄のような牢獄でも絶対に屈することなく、ついに三百四十年も続いた差別を打ちち砕いたのです。追害されている人が偉大なのです。バカにされ、踏みつけにされてきたマンデラ大統領は今、世界中から尊敬されています。
      
 マンデラ  ルネサンス86  
 さて、南アフリカに新政権が発足して、一年余り。  
 私の大切な友人であるネルソン・マンデラ大統領はその卓越した指導力で、懸命に指揮をとられている。(一九九四年五月に大統領就任)  
 さまざまな人種や民族や文化が?七色の虹?のように、それぞれの個性を生かしながら、調和しあう国土―。その「虹の国家」を目指して、マンデラ大統領の奮闘は続いている。そのなかで、かつて敵対していた人までが、一人また一人と協力者になり、マンデラ大統領を支持している様子も報道されている。
 「敵をも味方に」―大統領のこの実践は、今に始まったわけではない。若き日からの人権闘争の歴史に貫かれた姿勢であった。  
   
 南アフリカ・マンデラ大統領の獄中の戦い  
 「どんな人も必ず変わる私は敵をも味方にする」  
 彼も心を開いた  
 大統領は二十八年に及ぶ獄中生活を送られた。ある時、マンデラ氏たちに対し、特に敵意を抱いていると思われる一人の看守がいた。そこでマンデラ氏たちは、行動を開始する。自伝には、その模様がこう記されている。  
 「すべての人を教育しよう。たとえ敵であろうと―これがアフリカ民族会議(編
 集部注=マンデラ氏たちを中心とするグループ)の方針であった。  
 私たちは確信していた。すべての人間は変わることができる。刑務所の看守でさえも、変わることができることを。  
 だから私たちは、君守の心を揺り動かそうと、全力を尽くしたのである」  
 マンデラ氏たちは、その看守と友達になれるよう働きかけた。すると、初めはぶっきらぼうで、取りつくしまもなかった看守の態度が、やがて和らいでいった。  
 ある日、マンデラ氏たちが、物置の下で昼食をとっていると、その看守がやって来た。そして、「ほら」と言って、サンドイッチを置いていった。友情の表現であったろう。  
 こうして、初めはかたくなだった看守の心も、少しずつ閲いていった。  
 そのうち看守は、アフリカ民族会議のことについて、質問をしてくるようになった。看守は、マンデラ氏たちが、危険なテロリストの集まりだと誤解していたようである。そこで、マンデラ氏たちは「権利の平等」「富の再分配」など自分たちの目指すものを熱心に語り、看守の偏見を取り除いていった。このように、マンデラ氏は、身近なところから、敵をも味方にしていったのである。  
 地道といえば、実に地道である。しかし、こうした地道な対話の中にこそ、騰利の栄光は築かれていく。  
   
 マンデラ大統領は、自伝をこう結ばれている。  
 「私は、自由への、あの遙かな道を歩きつづけてきた。(中略)私はここで、少しだけ休憩している。そして周囲の壮麗な風景を眺め、これまでの道のりを振り返っている。だが、休息できるのは、ほんの一瞬にすぎない。自由には、さまざまな責任が伴うからだ。ぐずぐずしてはいられない。私の進むべき遠い道は、まだ終わっていないのだから」  
 これが、現在七十六歳の「人権の闘士」の気概である。

聖人とは努力し続ける罪人
聖人とは努力し続ける

マンデラ氏は綴っている。

 「創価学会インタナショナルの会長として、創価大学の創立者として、貴殿がこれからも日本、そして世界の青年たちの力になり続けてくださるように念願しております」

 氏は、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)の撤廃を訴え、じつに27年半、約1万日の獄中闘争を貫いた“人権の闘士”である。

 マンデラ氏とSGI会長の初会見は1990年10月31日、ANC副議長として来日した氏を約500人の青年と共に東京・信濃町の聖教新聞社に迎えた。

 SGI会長は「一本の高い樹だけではジャングルはできない」と語り、氏の闘争に続く若木たる青年を育成する教育交流、文化交流を約した。

 95年7月5日には、大統領就任後に再来日した氏を、元赤坂の迎賓館に表敬訪問し、再会を喜び合っている。 以来、親交を続けてきた両氏。一昨年には氏から署名入りの書籍が贈られている。

 昨年、両氏の初会見を陰で支え、共に歴史を刻んできた関係者を通じて、マンデラ氏からSGI会長へ詩が届いた。

 氏は、昨年3月11日に起きた東日本大震災のニュースに深く心を痛め、遠く南アフリカの地から復興を祈っているという。そのなかで、日本にいるSGI会長に思いを馳せて詩を詠んだとのことであった。

 SGI会長は即座に返詩を認めた。

 「人類の宝の中の宝であるマンデラ氏の健康長寿を祈ります。世界のために、ますますお元気で」との言葉とともに氏のもとへ。

 今回、マンデラ氏から贈られたメッセージは、このSGI会長の返詩に深く感動した氏が綴ったものである。

 民衆のために、民衆と共に!――2人の魂は、世紀を超えて響き合う。

 青年を育てるのだ! 青年に託す以外にない!――2人の信念は、世界に平和を築く指標と輝いている。

人類に妙なる希望















人類に 妙なる希望 マンデラ氏

H26(6)ガンジー自伝

H26(6)ガンジー自伝
ガンジーとカストウルバ
 ガンジーとカストウル

ガンジー自伝
マハトマ・ガンジー=著
蝋山芳郎=訳
中公文庫

◎はしがき
わたしの共働者の幾人かから、たっての要請があったので、わたしは自伝を書くことに同意した。

「君はどうして、この冒険を始める気になったのか。自伝を書くということは、西洋特有の習わしである。…君はいったい何を書こうというのか。…」

わたしは、一人の人に可能なことは、万人に可能である、とつねに信じている。
…私の実験は、密室のなかで行われたのではなく、公然と行われてきた。…世の中には、個人とその創造者のみにしかわからないものがいくつかあって、それらは、明らかに他の人には不可能のものである。

宗教上の事柄といっても、この話のなかにあるものは、子供たちや老人たちにも理解できる事柄のみだろう。

「真実をわたしの実験の対象として」
もちろん、この中には、非暴力、独身の生活、そして真実とは性質を異にするもろもろの原則の実験も含まれよう。

だが、わたしがこの絶対の真実を会得しないかぎり、それまでは、相対的な真実と思ったものに固執していなければならない。

およそ真実の探求者は、塵芥(ちりあくた)より控え目でなくてはならない。世の人は、塵芥をその足下に踏みつけている。しかし、真実の探求者は、その塵芥にさえ踏みつけられるほど、控え目でなくてはならない。

われのごとく 小賢しく
いやしき者ありや
造り主を見捨てたるわれ
われはかく 不信の徒なりし

1925年11月26日
サバルマテイの道場(アシュラム)にて
M・K・ガンジー

第一部

1 生まれと両親
ウッタムチャンド・ガンジー、通称オタ・ガンジーといわれたわたしの祖父は、一見識を持った人だったにちがいない。ポンバルダル国の首相だった彼は、お家騒動のためポンバンダルを去るはめになって、ジュナガート国に身を寄せた。彼はそこで国主に挨拶するのに、左手を使うのだった。

「右手はもうとっくにポンバンダルに捧げてあるから」

オタ・ガンジーは、最初の妻と死別したので二度結婚した。先妻との間に四人の息子が、二度目の妻との間に二人の息子があった。この六人兄弟の五番目がカラムチャンド・ガンジー、通称をカバ・ガンジーと言った。わたしの父だ。
カバ・ガンジーはどの妻にも先立たれてしまって、つぎつぎに四たび結婚した。最初の妻に娘一人と息子三人ができ、わたしはその末子であった。
わたしの父は、一門の敬愛の的であった。誠実で勇敢で寛大だった。しかし気短だった。

わたしの父には、蓄財の考えが全然なかった。私たちに残された財産はきわめて少なかった。

彼女(母)はお日さまを拝まないうちは、食物を口にしない誓いをたてた。そういうとき、幼かった私たちは、戸外に立って、お日さまが姿を見せるのを母に知らせようと、空をにらみながら待ち構えていた。

2 学校時代
いつも、非常な引込み思案で、だれとも交際するのを避けた。

ひとと話をする気になれなかったのであった。わたしはだれかにから、からかわれはすまいか、と心配さえしたのだった。

のろまなのはわたしだけだった。

ところが、何かのはずみで、父が買い求めた一冊の本がわたしの目に止まった。
『シュラヴァナ・ピトリバクチ・ナタカ』〔親孝行者シュラヴァナの劇〕
わたしは夢中になって読んだ。
シュラヴァナが負いひもで盲(めし)いた両親を背負い、巡礼に出る場面があった。
「ここに、おまえが見習うべき手本がある」と、わたしは自分に言ってきかせた。

これと同じことが、もう一つの芝居についても起こった。
『ハリシチャンドラ』
「だれもが、ハリシチャンドラのように真実にならないのはなぜか」
わたしは夜となく昼となく、この質問を自分自身に浴びせた。真実に従うことと、ハリシチャンドラが耐え抜いた試練のことごとくを、自分でも耐え抜きたいという思いにかきらてられて、…それを考えては、わたしは涙を浮かべた。

3 結婚
わたしが十三歳という年で結婚したことを、ここに書いておかねばならぬことは、辛いことである。

ヒンドゥ教徒にとって、結婚は、決して簡単なことではなかった。
ごちそうの皿数やその取り合わせで、他家をしのぐものを準備しようとした。

「もしわたしが妻への貞操を誓うべきであるなならば、彼女もまたわたしに対して貞操を誓うべきである」

4 友情の悲劇
彼のほうがわたしから離れて行ったのだ。

人間は善を取り入れるよりは、悪に染まりやすいからである。そこで、神を伴侶にしようと欲する者は、孤独を持するか、それとも全世界を伴侶にするかせねばならない。

「ぼくたちは牛肉を食べないだろう。だから弱いんだよ。イギリス人がぼくたちを支配できるのは、彼らが肉を食べているからだ。…きみも一度やってみないか。何事も試すにしかずさ。どのくらい力がつくものか、やってごらんよ」

見ろよ でっかいイギリス人
チビのインド人負け犬だ
肉を食べてるせいで
身の丈すぐれて二メートル

5 盗みと贖い
慈悲の矢に射止められし者のみ
慈悲の力を知る

6 父の病と死
ある恐るべき夜だった。
妻はかわいい寝顔でぐっすり眠っていた。しかし、わたしがそこにいて、どうして彼女は眠っていられようか。わたしは彼女を揺り起こしたところが、それから五、六分立つと、…
「お起きください。お父さまが非常に悪いのです」
「どうした?」
「お父さまがおなくなりです」
もし獣欲に目がくらんでいなかったならば、わたしは父が息をひきとるいまわのきわに父のそばにいなかった嘆きをせずにすんだのだ、ということを悟った。

イギリス時のガンジー
イギリス時のガンジー

7 宗教をかいまみる
わたしは、そのピカピカ光った輝きや、ゴテゴテときらびやかな装飾がきらいだった。また、そこでいろいろと不道徳なことが行われているという噂を数々耳にした。

わたしがそこから取りそこなったものを、家に住みついていた、子守の年老いた召使いからもらった。

山羊やお化けーーその恐怖心の妙薬には、何度も「ラーマナマ」を口に唱えるがよい、と教えてくれた。

もちろん、これは、長続きしなかった。しかし子供のときにまかれた良質の種子は、むだに終わるものではない。今日、「ラーマナマ」が、わたしにとって手放せない妙薬になっているのは、あの心のよい婦人、ランバのまいてくれた種子のおかげであると思う。

当時、キリスト教だけが一つの例外であった。わたしはそれに一種の嫌悪の念をいだいた。

ヒンドゥ教やヒンドゥの神たちに悪口を浴びせたものだ。

人に牛肉を食べさせ、アルコールをとらせ、そして自分自身の衣装を変えさせる宗教は、断じてその名に価はしない。
改宗するとすぐ、自分の祖先の宗教、自分の習慣と自分の国をののしり始めた。

一杯の水を与えられなば
 山海の珍味をもってこれに報いよ
親しく挨拶されなば
 誠心をもって
 ひざまずいてこれを受けよ
一銭の施しを受けなば
 黄金をもって返せ
一命を救われなば
 一命を惜しむなかれ
いかに小さき奉仕であれ
 十倍にして報いん
されどまことに心尊き人は
 万人を一人と知り
悪に報いるに善をもってし
 これを喜ばん

8 イギリス行きの準備
「ここで勉学するより、イギリスへ行かんね」

「わたしが、お子さんに厳粛な誓いを三つ誓わせましょう。それから行くことにしたらよいでしょう」
わたしは酒、女と肉に触れないことを固く誓った。

わたしは喜んでボンベイに出発した。あとに妻と生後二、三ヶ月の赤ん坊を残してであった。

「わたしは実際どうすることもできないのです。わたしは、この問題にカーストは干渉すべきではない、と思います」

9 船中で
なんとしても、わたしは自分の引込み思案が征服できなかった。
一人のイギリス人船客が、わたしに親しくしいてくれて、わたしを会話のなかに引き入れてくれた。

わたしはシラとカリブデイスにはさまれた自分を見いだした。
イギリスにわたしは耐えられなかった。しかしインドに帰ることは、考えもしなかった。やって来たからには、今後三年間を、わたしはやり抜かなければならない、と内なる声は叫ぶのだった。
 

ロンドンにて
ロンドンにて

第二部

10 ロンドンにて
塩や薬味を使わないで作ったゆで野菜は、わたしにはうまく食べられなかった。…私たちは、朝食にはオートミールのお粥を食べた。…その友人はわたしに、肉を食えと、絶えず理を説いて聞かせた。しかし、わたしはいつもわたしの誓いを弁護し、それから沈黙に入ってしまった。

「それは誓いなどといったものじゃない。それは法律では誓いとは認められないものだ。そんな約束を守るのは、全くの迷信というものだ」

だが、わたしは頑として動じなかった。

「どうか許してください。…肉を食べることの大切なことはわたしも認めます。さりとて、誓いを破るわけにはいきません。…誓いは誓いです。それを破るわけにはいきません」

しかしその一方で、すべてのインド人は肉食家になるがよい、と願った。そして、いつか自分も、自由意思から、そして公然とその一人になること、そしてほかの人をそのたてまえの仲間に加えたい、と望んでいたのだった。
今やわたしは菜食主義を選択することにした。そして、それを広めることがわたしの使命になった。

11 イギリス紳士のまねをして
「君はあまり無神経すぎて、上流社会におけないよ。もし、君が行儀よくできなければ、ここを出て行ってくれ。どこかよその食堂で食事をとって、戸外で待っていてくれたまえ」

菜食主義の埋め合わせとして、…洋服を新調…山高帽…ボンド街でイヴニング…兄に二重の金鎖を送ってもらった…鏡…フランス語…ダンス…ヴァイオリン

ところが、ベル氏はわたしの耳のところで、警鐘をならしてくれた。それでわたしは目ざめた。
わたしは自分自身に言って聞かせた。わたしは一生をイギリスで過ごさねばならぬことはなかった。

12 いくつかの変化
どうやって、わたしはラテン語をものにするか。

わたしの眼前には、もっとずっと簡素な生活の手本があった。わたしはわたしより質素に暮らしている貧乏学生にたくさん出会った。

わたしは食事の改良を始めた。わたしは故郷から取り寄せた甘味のものと、薬味を使うことをやめてしまった。…そして今では、リッチモンドでまずくてしかたのなかった、薬味なしのゆでたほうれん草をおいしく食べた。

菜食主義の初心者に見られる情熱にあふれて、わたしはわたしの地区ベイスウオーターに、菜食クラブを始める決心をした。

13 引込み思案、わたしの心の楯
「君はわたしにはうまく話している。ところが理事会の席上というと、黙ってしまうが、それはいったいどういうのだい?君は雄蜂(おばち)だよ」

働き蜂はいつも忙しい。雄蜂は全くの怠け者である。

わたしは、話そうと思わないわけではなかった。しかしわたしは、どういうふうに表現したらよいか困ってしまうのである。

わたしは、イギレス滞在中、ずっとはにかみやであった。わたしはひとを訪問した場合でも、訪問先に、六人かもっとそれ以上の人が居合わせると、黙り込んでしまった。

「菜食料理のごちそうを、菜食料理屋で食べることは当たり前のことである。菜食料理屋でないところでも、なんで菜食料理をたべられないことがあろうか」

その最大の恩恵は、そのおかげで、考えを抑制する習慣ができてしまったことだった。

真実を誇張したり、押さえつけたり、あるいは修飾したりしたい癖は、人間の生まれつきの弱点をなすものである。そしてこれを克服するのに必要なのが、すなわち沈黙である。寡黙の人は、演説のなかで、考えなしのことを言うことはまれである。彼は一語一語を検討する。

14 虚偽の害毒
イギリスに来ているインドの青年は、恥ずかしくて、彼らが結婚していることを告白する気にはなれなかった。

また、もう一つ、独身者を装うことになる理由があった。すなわち、事実がばれた場合、青年たちは、彼らが住んでいる家の若い娘たちと、散歩したり、ふざけたりすることができなくなってしまうからである。

わが青年たちが誘惑に負けて、イギリスの青年の場合なら無邪気とすませられるが彼らには不道徳な交際のために、虚偽の生活に入ったのを、わたしは見た。

「…イギリスにいるインド人学生は、彼らが結婚していることを隠していることを知って、わたしはそのとおりをまねました。…私はまたここに、私が子供のときに結婚し、そして一男の父であることを付け加えなければなりません」

「…私ども両人は、非常にうれしく思い、心からお笑い申しあげました。…わたしのお招きはなお有効ですし、…そして、あなたから幼児結婚のことをくわしく聞かしていただき、あなたをさかなにして、笑えるのを楽しみに待ちのぞんでおります」

「魔がさしたぞ、早く逃げろ、早く」
 

アンニー・ベサント
アンニー・ベサント

15 宗教に近づく
わたしのイギリス滞在二年目の終わりになって、わたしは二人の接神論者(セオソフィスト)にめぐりあった。二人は兄弟で、二人とも未婚だった。

サー・エドウィン・アーノルドによるギーターの英訳『天来の歌』
ーー人もし
その官能の対象に執着すれば
対象の魅力おのずから湧かん
魅力から欲望の生じ来たるあり
欲望はやがて激しき情熱の炎と燃え
情熱は無分別の種を 宿すにいたる
かくて追憶
ーーすべてははかなきーー
に高き望みに失われ
心は涸(か)れて
ついには志操心情
身命ともに失われてあらん

その兄弟はまた、エドウィン・アーノルドの著した『アジアの光』をすすめた。

そしてわたしをマダム・ブラヴァツキーとベサント夫人に引き合わせた。

「わたしはまだわたしの宗教についても未熟なのですから、どの宗教団体にも属したくありません」

マダム・ブラヴァツキーの『接神術の案内』を読んだことを覚えている。この本は、わたしに、ヒンドウ主義を論じた本を読む気持ちを起こさせた。また、ヒンドゥ主義は迷信だらけだという、キリスト教会の宣教師たちに言いふらされた見解のまちがいを、晴らしてくれた。

同じころ、わたしは菜食者ばかりの宿舎で、マンチェスター生まれの善良なキリスト教徒に出会った。

「わたしは菜食主義者である。わたしは酒を飲まない。肉を食べ、酒を飲むキリスト教徒はたくさんいる。それはたしかであるが、肉食も、飲酒も、聖典によって命じられたものではない。どうぞ聖書をお読みください」

旧約は通読できなかった。わたしは『創世記』を読んだ。…わたしは『民数記略』は好きでなかった。
しかし新約になると、感銘が違ってきた。『山上の垂訓』は、特別であった。…わたしはそれをギーターと比べてみた。
「されどわれはなんじらに告ぐ、悪しき者に手向かうな。人もしなんじの右の頬を打たば、左をも向けよ。なんじを訴えて下着を取らんとする者には、上着をも取らせよ」
という句にいたっては、わたしを限りなく愉快にし、そしてシャマル・バットの、
「一杯の水を与えられなば、山海の珍味をもってこれに報いよ」
…自己放棄こそ、わたしには最も強く訴えるものをもった宗教の最高の形式であった。

16 インドに帰る
学課は楽であった。弁護士は「会食弁護士」…試験は事実上値打ちのないものであることは、みんな知っていた。

ローマ法と慣習法の二科目の試験があった。試験問題はやさしく、試験官は寛大であった。ローマ法の試験合格者の率は、九五から九九パーセントであり、最終試験でさえ、七五パーセント以上であった。落第するおそれはなかった。…難しいとはとても思えなかった。

私は試験に合格して、1891年6月10日に弁護士の免許を得た。そして11日付で高等法院に登録された。翌12日に、わたしは本国に向け出帆した。

だが、わたしの勉学は進んだにもかかわらず、自身のなさと臆病は直らなかった。わたしには、自分に弁護士をやる資格があると思われなかった。
…そのうえ、インド法については、全く何も学ばなかった。

ダダバイ
「君の来たいと思ったときに、いつでも来て、わしに意見を聞いたらどうだ」

ピンカット氏は保守党員だった。
「並の弁護士になるのに、なにも特別の腕は必要としない。普通の正直さと勤勉さで、結構暮らしていけるさ」

わたしが少しばかり読んだものを、彼に紹介すると、思いなしか、彼はいくらか失望の色を見せた。しかし、それは一瞬のことだった。たちまち彼は楽しそうな笑いを浮かべ、そして言った。
「君の心配はよくわかった。君の一般読書は足りないね、君には、弁護士の必須条件の世間の知識がないね。君はインドの歴史を読んでいないね。弁護士は、人間の性質を心得ていなくてはならない。人間の顔から、その人の性格を読み取ることができなくてはならない。さらにインドの歴史を知っておく必要がある。…君はまだ、ケーとマレッソンの『一八五七年の反乱の歴史』を読んでいないようだね。すぐ手に入れなさい。それからもう二冊、人間の性質を理解するために読みなさい」

このような外界の嵐は、わたしにとっては、内心の象徴のように受け取れた。しかし外の嵐に平静を保てたわたしであったから、内心の嵐にも同じことだ、と考えた。

わたしは母に会いたい、とそればかりを思っていた。兄は、母の死をわたしに知らせずにいた。…わたしが胸に描いていた希望のおおかたは、こなごなにこわされた。

しかし、特にわたしが述べたいのは、メーター博士の兄の養子で、レヴァシャンカル・ジャグジヴァンという名の宝石商会の共同出資者、レイチャンドまたの名をラジチャンドラに紹介されたことだった。当時彼は、二十五歳にはなっていなかった。…わたしが感心したのは、彼が経典に精通していること、非の打ちどころのない性格であること、自己実現(神にまみえること)を目ざして燃えるような熱情を注いでいることなどで、…彼が自己実現のために生活していることがわかった。

わたしの生涯に、深刻な印象を残したのみならず、わたしをとりこにした人に、現代では三人がある。生ける交わりをしたレイチャンド・バイ、『神の国は汝自身のうちにあり』のトルストイ、そして『この最後の者に』のラスキンである。

17 生活の門出
わたしの海外旅行をめぐって、わたしのカーストのあいだに起きた嵐は、まだ吹き荒れていた。カーストは二派に分かれた。その一つは、ただちにわたしを再加入させたが、他の一派は、わたしを除籍したままだった。

「ですがわたしは、ラテン語を第二外国語として、ロンドン大学の入試に合格しているのです」
「そうです。しかしここで必要なのは卒業生なんです」

18 最初の打撃
兄「おまえはカチアワルの事情を知らないんだ。まだ、おまえにはまだ世間というものがわかっていない、ここであてになるのは、ただ縁故だ」

「まさか、私との友人関係を利用しに来たのではあるまいね。そうだね」

「君の兄さんは陰謀家だ…」
「もう帰ってくれ」
「そうおっしゃらずに、終わりまでわたしの言うことを聞いてください」

「…旦那を告訴しても、彼は一文の得にもならない。反対に、自分のほうを破滅させるばかりだ」

「今後、わたしは、二度とこんな虚偽の場所に入り込むまい。二度とこんなふうに友情を利用すまい」
と、わたしは自分自身に言った。…この打撃のために、わたしの人生行路に変化がおきた。

「私どもは、南アフリカで事業をいたしておるものです。…そして今、当地の裁判所に訴訟事件を起こしております。私どもの請求しております損害賠償額は四万ポンドです。…」

「どのくらい働くことになるでしょうか。それから、報酬はどのくらいでしょうか」「一年とはかかりますまい。私どもは、貴下に帰りの一等船賃と、全部で一〇五ポンドをお支払います」

わたしは値上げもせず、その条件で話をつけ、すぐ南アフリカにたつ用意にかかった。


アニー・ウッド・ベサント(Annie Wood Besant, ベザントとも表記されるが発音は「b s nt」, 1847年10月1日 ロンドン、クラパム - 1933年9月20日 インド、アディヤール)は、イギリスの神智学者、女性の権利(Women's rights)積極行動主義者、作家、演説家、アイルランドおよびインドの自治支援者、神智学協会第二代会長、英国フリーメーソンの国際組織レ・ドロワ・ユメー創設者[1]、インド国民会議派議長(1917年)。
 

ガンディー22歳
ガンディー22歳

第三部

19 南アフリカに到着
ナタルの港はダーバンで、それはまたナタル港として通っている。アブドウラ・シェートが、そこまでわたしを迎えに来てくれた。船が桟橋に横づけになった。…そのときわたしは、インド人がたいして尊敬されていないことに気づいた。わたしは、アブドウラ・シェートの知り合いの人々が彼に示す態度、動作のなかに、横柄さがあるのを見落とさなかった。そしてそれがわたしを辛くさせた。アブドウラ・シェートは、それに馴れきっていた。人々がわたしを眺める目には、はっきりわかるほどの好奇心といっしょに、それがあった。わたしの服装のために、わたしは他のインド人とは違って見えた。わたしはフロックコートを着こんで、頭にベンガル・プーグリをまねしたターバンをのせていた。

彼は兄弟が、一匹の白象を送ってくれた、と思った。わたしの服装とか生活の様式を、彼はヨーロッパ人のように金のかかったものと思った。

彼は、どれくらいわたしの能力と正直さを買っていただろうか、彼は警戒して、わたしにプレトリアに行かせなかった。

その間じゅう、じっとわたしを見ていた裁判長は、ついに口を開いて、わたしに向かってターバンを取れと要求した。わたしは、そんなことはいやだと言って、そのまま裁判所を出た。

わたしはこのことを新聞に投書して、わたしが法廷でターバンを取らなかったことを弁明した。この問題は新聞紙上で大変な論議を起こした。新聞はわたしを「歓迎されざる訪問者」だと書きたてた。こうしてこの事件は、わたしがかの地に到着してから二、三日もたたないうちに、南アフリカ全体に思いがけない広告を、わたしのためにしてくれた。

20 プレトリアへ
「ちょっと来い、君は貨物車のほうに乗るんだ」
「だが、わたしは一等車の切符を持っているんだよ」
「そんなことは、どうでもいいんだ。君は貨物車に移るべきだ、と言うんだ」
「聞いてくれ、ダーバンでわたしは、この客車で旅行するのを許されているんだ。だから、わたしはどうしても、これに乗っていく」
「いや、君はだめだ。君はこの客車から出て行け。そうでないと、巡査を呼んで来て、君を追い出すぞ」
「どうぞ、君のお好きなように。わたしは自分で出ていくのはごめんだよ」
巡査がやって来た。彼はわたしの腕をつかまえて、追い出した。荷物もまた、ほうり出された。

わたしは、義務について考え始めた。わたしは権利のために闘うべきか。それともインドに帰るべきか。


ガンディー22歳。
社会に飛び出した彼の職業は、弁護士だった。
しかし、イギリス留学で弁護士資格を手に入れたため、
インドの法律に詳しくないガンディーは裁判に出ても失敗ばかり。
もともと口が上手くない性格もあり、すぐに弁護士としての自信を失ってしまった。
翌年、そんなガンディーに南アフリカでの仕事の誘いが届く。
当時イギリス帝国の一部であった南アフリカでは、人種差別が激しく、
南アフリカで事業をするインド人たちは
自分たちの状況を改善するために裁判を起こしていた。
依頼人に会いにいく旅で、肌の色を理由に列車の客室を追い出されるなど、
自身もひどい差別を受けたガンディーは、この仕事に熱意を燃やした。
そして、インド人とイギリス人の間に立つこの仕事を通じて、
弁護士という仕事の本質を見い出した。

私は、弁護士の本当の役目は引き裂かれた人たちを結び合わせることにある、
と悟ったのである。

ガンディーはその後の20数年を弁護士として過ごした。
そして生涯を通じて、引き裂かれた人を結び合わせ、人間と、真理と愛を弁護し続けた。
 

プレトリア
プレトリア

21 プレトリアでの最初の一日
「夕食はここで、と申し上げてまことに申しわけございませんでした。実は、ほかのお客さまにあなたのことをお話ししまして、食堂であなたが食事されてもさしつかえないかどうかを、お尋ねしましたんです。依存はない、とみなさんがおっしゃいます。それに、みなさんは、あなたのお好きなように、いくら長くお泊まりになってもさしつかえない、とおっしゃいました、だから、よろしかったら、食堂においでください。それから、あなたのお気のすむまで、ごゆっくりなさってください」

22 キリスト教徒との接触
わたしはイエス・キリストを殉教者、犠牲の体現者、そして神聖な教師としては受け入れた。しかし、古今を通じて、最も完全であった人間としては受け入れられなかった。

「その問題を冷静に考えても、ヒンドゥ主義のような微妙で、深味のある思想、その霊魂の観照、あるいはその慈悲は、他のどの宗教にも見つからない、とわたしは信じている」

トルストイの『神の国は汝自身のうちにあり』を読んで、わたしは感動で圧倒された。それは、わたしに永遠の印象を刻みつけた。

23 インド人問題
わたしは最初の措置として、プレトリア在住のインド人全体の集会を開いて、彼らにトランスヴァールのインド人の事情を話して聞かせることにした。わたしは、インド人移民がなめている艱難について、関係当局に申入れを行うために、ひとつ協会を作ったらどうか、と提案した。

礼儀にかなった服装をしているか、いないかの判断は、駅長の裁量にまかされているからであった。

トランスヴァールに入るとき、すべてのインド人は、入国料として人頭税三ポンドずつ…土地を所有するにしても、彼らのためとして指定された地域以外には土地を持つことは不可能であった。そして実際には、それも所有というものではなかった。彼らにはなんら特権はなかった。

インド人は白人用の歩道を歩くことを許されなかった。そして午後九時過ぎには、通行証を持たずに戸外に出ることを許されなかった。
「もし巡査に見つけられてわたしがつかまったら、どうしよう」
…召使いにそれを発行できるのは、その召使いの主人のみに限られていた。

わたしは、南アフリカという国は、自尊心の強いインド人の来るべき国でないことを知った。そしてわたしの心は、いよいよもって、どのようにしたらこの現状が改善されるのか、その問題でいっぱいになった。

24 訴訟事件
わたしは、ダダ・アブドウラの訴訟事件の事実調査をしてみて、アブドウラの立場が非常に強固なもので、法は必ず彼の側にあることを知った。…しかしわたしはまた、このうえ訴訟が長引けば、原告も被告もともに破産してしまうことを知った。この両者は親戚同士であって、しかも同じ市の出身であった。

わたしは、この職業に愛想をつきそうになった。…当事者間の費用には、一定の費用標準というものが許されてあった。しかも顧問弁護人と依頼人との間に実際にかかった費用の方が、それよりずっと高かった。それにはわたしは我慢がならなかった。わたしは、当事者同士を仲直りさせ、彼らを結び合わせることこそ、わたしの仕事だと思った。

しかも南アフリカにいるボンバンダル出身のミーマン人の間には、破産するより死を選ぶべし、という不文律があった。

…残されたのは、一つの方法だけであった。すなわち、ダダ・アブドウラが、寛大な割賦支払いを彼に許すことである。彼はなかなか賛成しなかった。が、結局、シェート・タイブに、非常に長期にわたる年賦支払いを許したのだった。

私にとっては、この年賦支払いの譲歩にまでこぎつけることは、双方の当事者を仲裁に同意させることよりも、ずっと苦労なことであった。しかし双方ともその結末を喜んでくれた。そして双方とも世間の評判は前より高くなった。わたしの喜びは限りないものであった。

これでわたしは、真の法の実践ということが、どんなものであるかを習得した。人間性のよい面を発見し、人間の心の中に入り込むことを覚えた。わたしは、法律家の真の任務が、離ればなれにかけ違った事件を結合させることにあることを悟った。

…それから二十年間…その大部分を、多数の訴訟事件に自主的な和解を講ずることに費やした。わたしは、そのために失ったものはなかった。一銭のお金も、ましてわたしの魂においてをや、である。

緑のパンフレット
緑のパンフレット

25 人が提案し、神が処理する
アブドウラ・シュートは、わたしのために送別会を開いてくれた。

「インド人の選挙権問題」
…ナタル州立法議会の議員を選挙する権利を、インド人から奪い取ってしまうことを提案したものだった。

「そんなことが、なんで私どもにわかるものですか。私どもにわかることは、私どもの商売に関係したことだけです」

「この法案が通過して法律になると、私たちの運命は、全くむずかしくなりますよ。これで、私たちの柩(ひつぎ)に最初の釘が打ち込まれました。それは、私たちの自尊心の根元に一撃を加えてきたものです」

客たち
「何をしたらよいのか、お聞かせください。あなたはこの船でお帰りになるのをやめて、あと一カ月ここにいてください。そうすれば、あなたの指導するように、私たちは闘いましょう」

十四日間に、一万人の署名が請願書に集められた。

『ザ・タイムズ・オブ・インデイア』紙は、…インド人の要求に強い支持を表明した。…ロンドンの『ザ・タイムズ』紙は、私たちの要求を支持してくれた。こうして私たちは、法案の不成立に希望を持ち始めた。

26 ナタル・インド人会議
そして私たちは、常設的な大衆組織を持とう、ということを決定した。こうして、五月二十二日にナタル・インド人会議が誕生した。

不熟練賃金労働者、契約農業労働者は、まだ枠外にとどまっていた。

そのとき、ぼろぼろに破れた着物を着て、手に帽子を持ち、前歯二本は折れ、口から血が流れている一人のタミール人が、ふるえ、すすり泣きながら、わたしの前に現れた。

わたしは、労働契約法に関する法律を読んだ。それによると、もし普通の下僕なら、彼が通告を怠って職務から離れると、彼の雇用主から民事法廷に訴えられる。それが契約労働者になると、全く話が違ってきて、同じ状況であっても、彼の場合は刑事法廷に訴えられ、そして有罪と判決されて投獄されるのである。これが、サー・ウィリアム・ハンターが、契約労働制度を奴隷制度に等しいと呼んだ理由であった。奴隷に似て、契約労働者は雇用主の財産にすぎなかった。

27 三ポンド税
一八六〇年ごろ、ナタルにいたヨーロッパ人は、そこに砂糖きびの栽培に適した土地がたくさんあることを発見したが、労働力の不足に苦しんだ。ナタルのズールー族は、この型の労働には適していなかったので、外部から労働者を入れないかぎり、砂糖きびの栽培や砂糖の精製は不可能だった。そこでナタル政府は、このことをインド政府に連絡した結果、インド人労働者募集の許可を受けた。

インド人は、彼らに期待されたもの以上を与えた。…彼らに続いて、インドから商人がやって来て、商業を営みながらそこに定住した。その皮切りをなした人がシェート・アブバカル・アッモッドであった。彼はまもなく、手広く事業をするようになった。

これには、白人の商人どもがあわてた。…彼らは、インド人の商業的才腕を念頭に置かなかった。彼らは独立の農業者を受け入れることはできても、商売上の競争者となると我慢できなかった。

インド総督は、二五ポンドの課税は承認しなかったが、年額三ポンドの人頭税の課税には賛成した。そのときわたしは、これは重大な総督側の失策である、と思った。…一家族を四人として…一年間一二ポンドの税金を徴収することは、夫の収入の平均が一カ月に一四シリング以上を越えたということなし、という場合には、まさに殺人的であって、世界じゅうどこをさがしても例のないことだった。

私たちは、この課税に対して猛烈な反対運動を組織した。

28 インドにて
南アフリカの状態に関するパンフレットを書く準備を始めた。後に「緑のパンフレット」として知られるようになった。

それを第一に論評したのは、『パイオニア』紙であった。

それは、ナタルでインド人がこうむっていた扱いを、わたしの筆によって描写されたものの縮図であり、誇張したものであり、わたしの言葉をそのままのものではなかった。…そうこうしているうちに、有名な新聞はこぞって、この問題を詳細に論評した。

パンフレットをポストに入れることまでが、容易なことではなかった。…わたしは近所の子供を全部集めて、彼らが学校へ行かない午前中二、三時間、手伝ってくれないかと頼んだ。彼らは、喜んで手伝ってくれることになった。

サー・フェロズシャー・メータ
「ガンジー君、わたしは、きっと君を応援しましょう。ぜひここで集会を開きたい」

ロカマニア・テイラク
「…しかし君は、どの党派にも属さない人物を、今度の集会の議長に選ばなくてはなりません。バンダルカル教授にお会いなさい…」

つぎにわたしは、ゴカーレに会いに行った。

サー・フェロズシャーは、わたしから見ると、ヒマラヤ山のようであった。ロカマニアは大海のようであった。ゴカーレはガンジス河の流れのようであった。

ヒマラヤ山はのぼりがたい。そして、大海は簡単に船出することはできない。しかしガンジス河は、その胸に人をいだき寄せる。

ガンジーを出せ
ガンジーを出せ

第四部

29 南アフリカへの嵐の到着
私たちの乗ってきた船は、ボンベイ出帆の日から二十三日目まで、隔離に処することを命令された。ところが、この汽船隔離の裏には、保健上の理由以上のことがあった。
ダーバンに住む白人たちは、インド人の本国送還を扇動していた。そして、隔離命令が出されたのも、この扇動のためであった。…彼らは、ありとあらゆるおどかしの演説をした。

というのは、真の目標にされているのは、このわたしだったからである。わたしは、二つのことで、けしからぬと攻撃された。
一、インドに帰っていたとき、わたしがいわれのない避難をナタルの白人に行ったということ。
二、わたしが、汽船二隻にインド人を乗せて連れて来て定住させようとするのは、ナタルをインド人で満たすためである。

「ガンジーだ、ガンジーだ」

「ガンジーを出せ」

「あなたは変装してこの家から逃げ出してください」

老いぼれガンジーの首くくれ
酸っぱいりんごの木のうえで

「わたしはだれも処罰したいとは思いません…彼らを処罰して、はたして何の益がありましょうか?」

「加害者を処罰してはいけない、というのがわたしの信念です」

30 子供の教育と看護
わたしは一九二〇年、青年に対して、奴隷の城ーー彼らの学校および大学ーーから抜け出るように呼びかけた。そしてわたしは、彼らに向かって、奴隷の鎖につながれて学芸教育を求めるよりは、自由のために無筆のままにとどまり、もっともいやしい仕事をしたほうが、はるかにまさっていることである、と忠告したことがあった。

31 簡素な生活
洗濯屋の請求書が高かった。

「洗濯代がべらぼうに高くつくんでね。カラーの洗濯代が新しいカラーを一本買うぐらいなんだ。それでいて、洗濯屋をずっと頼っていなくてはならない。自分のものは自分で洗うほうが、ずっとわたしにはいいなあ」

あるとき、わたしはプレトリアでイギリス人の理髪屋に行った。彼は、わたしの散髪をけんもほろろに断った。わたしが、むっとなったことは確かだった。しかしわたしは、その足でバリカンを求めてきて、鏡の前に立って、自分の髪を刈り出した。前のほうを刈るのは、どうにかうまくいった。しかし、うしろのほうはやりそこなった。裁判所の友人連中は、腹をかかえて大笑いをした。
「君の髪は、いったいどうしたんだい、ガンジー君。鼠にでもかじられたのかい?」
「白人の理髪屋が、わたしの黒い髪を見て、さわるのを断ったんだよ。それで、わたしは自分で買ったというわけさ。まずくてもしかたがないよ」
…彼が肌の黒いやつに奉仕をしたら、彼のお客が来なくなることは確実なことだった。

32 回想と懺悔
部屋ごとに便器の壺が備えられていた。これらの掃除は、下僕や掃除夫よりも、むしろ妻とわたしの受持だった。…妻はほかの者の壺はどうにかしたが、もとは「アウトカースト」だった人が使ったものを洗うことは、我慢ができないことだった。そこで私たちの間の喧嘩となった。

「そのざまはなんだ。この家では許さんぞ」

「ご自分で家のことはおやりなさい。わたしは出て行きます」

「わたしに、どこへ行けとおっしゃるんですか?ここには、わたしを引き取ってくれる親も身寄りもありません。いくらあなたの妻だからといって、ぶたれたり、蹴られたりされて、黙っているとお思いになるんですか?」

33 ボーア戦争
イギリスの支配に対する忠誠心にかられて、わたしはイギリス側に立ってその戦争に参加した、と言っておくだけで十分であろう。

インド人居留民はますますよく組織されるようになった。わたしは、契約労働者といっそう親密さを深めた。彼らの間に、一大覚醒が起こった。そして、ヒンドウ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒、タミール人、グジュラート人、およびシンド人は、みなインド人であり、同じ母国の子供たちであるという感情が、彼らの間に深く根をおろした。

試練の時にこそ人間性の最もよき一面が現れ出るものである。

その日ーー私たちの前進の日ーーは、むし暑い日だった。だれでものどがかわき、水を求めた。途中に小川があった。私たちはそこで渇をいやそうとした。けれども、だれがまっ先に飲んだらよいのか。私たちは、イギリス兵が飲み終わってからにする、と申し出た。だが彼らは初めでは困る、あなたたちが先に、とすすめてくれた。そしてしばらくの間、気持ちのよい譲り合いの競争が続いたのである。

34 衛星改良
インド人は生来無精者で、家や近所を清潔にしない、と避難されてきた、

しかし、わたしは苦い経験をいくつもなめた。居留民にその義務を行わせようとするときは、その権利を主張するときのようには彼らの力をあてにできないことを、わたしは知った。わたしは、いくつかの場所では恥辱で、他の場所では丁重な無関心で迎えられた。

改革を欲しているのは、改革者である。社会ではないのである。社会からは、彼は、反対、蔑視、そして生命にかかわる迫害のほかに、よりよいものを期待すべきではない。改革者が、命そのものように大切にしていることでも、社会が退歩だと言わないとはかぎらない。
真実は、大きな樹木に似ている。諸君がそれを養えば養うほど、それだけ、多く身を結んでいる。真実の鉱山にあっても、深く探求を進めれば進めるほど、奉仕の種類もいよいよ多様さを加え、そこに埋もれている宝石の発見されることも豊富になってくる。
 

実を結ばざるをえない
実を結ばざるをえない

35 高価な贈り物
わたしは戦争の義務から解放されて、わたしの活動すべき仕事は南アフリカにはもはやなく、インドにこそある。本国の友人たちもまた、帰って来いと圧力をかけていた。

神はわが身をとこしえに
愛の綿糸(いと)もてつなぎたまえり
われは神の子なり

民の声は神の声である。

送別会が、いたるところで開かれた。そして高価な贈り物が、わたしにおくられてきた。

いったいこれらの贈り物をみんな受け取る筋合いがあるのだろうか。

うずたかく積まれたこれらの品物を受け取った夜は、眠れなかった。

奉仕の生活は奉仕自体が報酬である。

わたしの家には、高価な贈り物は置いていなかった。私たちは、生活をどしどし簡易なものにしようとしていた。

子供たち
「私たちは、そんな値段の高い贈り物は必要ありません」

「では、おまえたちがお母さんを説き伏せてくれるかね?」


「…あんな心をこめてくださった贈り物を手放すなんて、金輪際いやです」

「だが、贈られた首飾りは、あなたの奉仕に対してだろうか、それとも、わたしの奉仕に対してだろうか」
「おっしゃるとおりです。しかし、あなたがなさった奉仕は、わたしがした奉仕と同じです。わたしは、昼となく夜となく、あなたのためにあくせく働きました。それは奉仕ではないのでしょうか? あなたは、何もかもみんなわたしに押しつけました。わたしは、その無情さに泣いたこともありました。しかもわたしは、身を粉にして働いてきたのです」

36 会議派との最初の出会い
「それは、私たちの仕事ではない。それは掃除夫のやることだ」
わたしは、ほうきを貸してくれ、と言った。…わたしは一本のほうきを手に入れて、便所を掃除した。

しかし、それだけではすまなかった。幾人かの代表は、夜分、彼らの部屋の窓ぎわにあるヴェランダを使って、平気で自然の欲求を満たした。

37 ロード・カーゾンの接見
「君は、給仕とわしたちの違いを知っているか? 彼らはわしたちの給仕で、わしたちはロード・カーゾンの給仕なのだ。もし接見に出ないでいようものなら、わしはその報いを受けねばなるまい」

38 ボンベイにて
わたしは、自助の習慣をつくっていたので、わたしの身辺の世話は、ごくわずかですんだ。彼は、わたしの自分自身で始末する習慣、からだの清潔さ、忍耐力、そして規則正しさに非常に感銘を承る

ゴカーレ
「君がわたしほど顔が広くなったとき、電車に乗ることは不可能でないかもしれないが、むずかしいことになろう。…しかし、わたしのような人間になると、出費があるこのはほとんど避けられないね」

「しかし、あなたは散歩にもお出かけになりませんね。あなたがいつも病気ばかりしておられるのは、不思議ではありません。公の仕事のために、からだをきたえる時間がないのですか?」
彼は返事をした。
「散歩に出かけて行く暇があるかね?」

しかしわたしは、法廷弁護士(バリスター)として成功するかどうかについて、大いに自信があったわけではなかった。これまでの失敗をしたときの不愉快な記憶は、まだわたしから消えていなかった。

「ガンジー君。私たちは、どうしても君をここで遊ばせておくに忍びない。君はボンベイに移るべきだ」

「チェンバレン氏来たる。すぐ帰れ」

39 ふたたび南アフリカへ
「私たちの労力に対して何か報酬を望んではならない。しかし、すべての善行は、ついには実を結ばざるをえない。とわたしは固く信じている。過去を忘れ、そして私たちの目前の任務を考えようではないか」

自己抑制をめざして
自己抑制をめざして

第五部

40 ギーターの研究
たとえば、人を侮辱し、尊大で腐敗した役人や、意味のない反対をして別れた昨日までの共働者と、つねに他人に対して善をなしている者を同じように扱うことが、いったい平等であったか。さて、すべての所有物を捨ててしまうことが、いったい無所有であったか。

41 『インデイアン・オピニオン』紙
わたしは、この新聞にわたしがいくらかでも投資しなくてはならないとは、考えてもみなかった。しかしまもなく、わたしが財政援助をしなければ、立ち行かないことを発見した。インド人もイギリス人もともに、わたしが『インデイアン・オピニオン』紙の主筆では名義上ないけれども、事実上その経営の責任者であることを知っていた。

42 不思議な魅力を持つ本
ラスキン『この最後の者に』
一、個人のなかにある善は、すべてのもののなかに潜んでいる善である。
二、すべての人が、彼らの労働から彼らの生計を得る権利を持っているかぎり、法律家の仕事と、理髪屋の仕事とは同じ価値を持っている。
三、労働の生活、すなわち地を耕す者の生活や手工業者の生活は、ともに生きるに価する生活である。

43 フェニックス農園
私たちはそこで、この計画に調和できない者には、いままでどおりの俸給を与え、しだいにその農園の一員に加わる考えを持つように仕向けることを提案した。わたしは、この提案の趣旨に従って、新聞の働き手たちと話をした。

44 家族
わたしは弁護士の家として許されるかぎり、多くの簡易生活を導き入れた。…変化は外面より内面のものが多かった。あらゆる肉体労働を自分でやることが多くなった。

子供たちは、両親から体つきに劣らず、その性質を受けついでいる。環境は重要な役割を演ずる。しかし子供が人生に旅立つ際の元手というものは、その祖先から受けついだものである。

45 ズールー族の反乱
この騒ぎが反乱という大仰なものになったわけは、一人のズールー族の首長が、彼の部族の人々に課せられた新税の不納を扇動し、そして税金の徴収に出かけてきた警部が襲撃されたことであった。

白人の兵隊たちは、彼らと私たちとを隔離する柵の外から、たびたびのぞき込んで、私たちが負傷の手当をするのを妨害した。

これは戦争ではなく、人間狩りだった。

46 ブラフマチャリア
獣は、本来自己抑制を知らない。人間が人間であるのは、彼が自己抑制の能力を持っているからであり、そしてただ彼が自己抑制を訓練する限りにおいてである。

わたしにとっては、肉体の禁欲を守ることでさえも、困難に満ちたものであった。

聖人や求道者は、彼らの経験を私たちに残してくれる。しかし彼らは、私たちに、絶対にはずれることのない、しかも普遍的な処置方法は与えてはくれなかった。

47 カストウルバの勇気
「わたしは牛肉汁はいただきません。この世の中に人間として生まれることはまれなことであります。ですから、こんな大きらいなもので、わたしのからだを汚すよりは、あなたの腕のなかで死んだ方が本望です」

48 家族のなかのサッテイヤーグラハ
外部から課せられた抑制というものは、まれにしか成功しない。しかし自発的な抑制のときには、それらは、はっきり有益といえる効果を持つものである。

「しかしね! なにも医者の勧告がなくても、わたしは塩と豆類を一カ年やめよう。おまえがしようとしまいと関係なしだ」

「…しかし、どうぞ、あなたの誓いは取り消してくださいませ。…」

「しかもわたしの益になることは請け合いだもの。というのは、抑制というものは、何のためにそれを思いついたにせよ、これすべての人間にとって有益なものだ」

「あなたは頑固すぎます。あなたはだれがなんと言ったってお聞きにならないのですもの」
と彼女は言った。そしてただ涙にくれた。

この後カストウルバは、めきめきと元気を取り戻した。

49 自己抑制をめざして
自己抑制を志すつもりの持ち主にとっては、食べ物の制限や断食は、非常に役に立つものだ。事実、そうしたことの助けがなければ、情欲を精神のなかから根絶してしまうことはできないのである。

ヒンドウ教のシュラヴァンの月と、イスラム教のラムザンの月

断食は、それが自己抑制という見解のもとに企てられて初めて、獣欲を制御するたすけとなる。友人のうちの幾人かは、断食のあとの影響として、彼の獣欲や味覚が刺激されたことを実際に経験した。つまり、断食も、自己抑制に対する不断の熱望がともなわないと、意味のないことになる。

わたしは精神の訓練は書物を通してではないことを知った。ちょうど肉体の訓練が肉体の練磨を通して施され、また知的訓練が知的練習を通してなされるように、まさに精神の訓練は精神の練磨を通しての可能である。

自己抑制を知らぬ者は、生徒に自己抑制の価値を教えることはできない。

50 法廷についての回想
わたしの訴訟依頼人がわたしをだましていることを発見した。わたしは、証人台に立った彼が、すっかり意気消沈したのを見た。そこで、一言の弁護もしないうちに、わたしは裁判長に、訴訟の却下を申し出た。相手方の弁護士はびっくりしたが、裁判長はこれを受け入れた。わたしは依頼人に向かって、わたしのところに虚偽の事件を持ってきたことをなじった。
 

トランスヴァール
トランスヴァール

第六部

51 サッテイヤーグラハの起源
八歳以上のインド人は、男、女、子供の別なくトランスヴァールに居住しようとする者はみな、名前をアジア人登録係に登録し、そして登録証明書の発給を受けなくてはならない。…指紋をとることになっている。一定の期日以内に登録を出願しなかったインド人は、すべてトランスヴァールでの居住権を放棄しなくてはならない。

この法令が立法化されたときは、インド人は、それに従わないこと、この非服従に科せられるあらゆる懲罰を甘受することを、厳粛に決意したのであった。

シリ・マガンラル・ガンジーは…「よきたてまえを堅持する」という意味を持つ「サダグラハ」という言葉を提案した。わたしは、この言葉が気に入った。しかし、それはわたしがふくませたいと思った考え全部を言い表していなかった。したがってわたしは、それを「サッテイヤーグラハ」と訂正した。真実〔アグラハ〕は力を生む。したがって、力の同義語として役立つ。
こうしてわたしは、インド人の運動を「サッテイヤーグラハ」、すなわち、真実と愛、あるいは非暴力から生まれる力、と呼び始めた。そして、これとともに、「受動的抵抗」という言葉の使用をやめた。

52 投獄
アジア人登録法は、…駆け足で通過してしまった。

アジア人局は、あらゆる努力にもかかわらず、登録インド人が五百名足らずだったことを知った。それで彼らは、幾人かを逮捕することを決定した。

もしラーマ・スンダラを逮捕してしまえば、多数のインド人が許可証を願い出るだろう

逮捕第一号であったため、これをめぐって、政府当局もインド人も大騒ぎをした。かれが判決を言い渡された日、彼は、拍手喝采で祝われた。

しかし、…悪習にふけっていたので、獄中生活の孤独と禁欲は、彼には重荷だった。…彼は、トランスヴァールと運動とに永久におさらばを告げたのであった。…すべての純潔な運動の指導者は、運動に参加している者がすべて純潔な闘士であるように心がけなくてはならない。

「ここはインドじゃない」
「刑務所の飯に、うまいまずいの問題はない。だから薬味は許せない」

提案された解決案の要点は、インド人は自発的に登録すること、そして、もしインド人の大多数が自発的登録を終わったならば、政府は暗黒法を撤回すること、などであった。

53 襲撃
わたしが指紋とりに同意したというので、パターン族の一団が激怒した。

「君も、わたしといっしょに来るなら、親指二本を押すだけで、あんたの証明書を最初にもらってあげよう。それから、わたしは指紋をとらせて、自分の分をもらおう」
わたしがこの最後のところを言い終わるか終わらないうちに、重い棍棒の一撃が、うしろからわたしの頭上に振りおろされた。わたしは、「ヘ、ラーマ」〔おお、神よ!〕の言葉が口をついて出たところで、たちまち気を失い、地面にへたばってしまった。

54 サッテイヤーグラハの再開
暗黒法が採択されたと同じ年に、スマッツ将軍はトランスヴァール移民制限法と呼ばれる、もう一つの法案を立法議会に上程し、採択させた。この法律は、間接に、インド人を一人もトランスヴァールに新たに入らせまいとしたものであった。

サッテイヤーグラハ運動者の数名は、故意にトランスヴァールに入り、逮捕された。わたしもまた、ふたたび逮捕された。

ガンジー・アシュラム

ガンジー・アシュラム
 
トルストイ農場

トルストイ農場
55 トルストイ農場
私たちの考えは、農場を忙しい勤労の場にすることであった。こうして金を節約し、そして終わりには、家族を自活させることであった。この目標が達成されたならば、私たちは、無期限にトランスヴァール政府と闘うことができるはずだった。

56 婦人も闘争に参加
ところが今回、南アフリカ政府によって採択された判定によって、キリスト教の儀式に従って挙式されなかった結婚や、結婚登録係に登録されていない結婚はすべて無効となったのである。

57 労働者の流れ
ところがだれひとり、この自由を行使しようとする者はいなかった。私たちは、脚の不自由な者は鉄道で送ることを決定した。そして、からだの健全な者は全部、歩いてチャールスタウンまで行こう、と決意を表明した。

58 大行進
最後に、わたしは政府に対して、もし政府が三ポンド税を廃止すれば、ストライキを中止し、契約労働者は仕事に復帰する、と約束する。

しかし、まだわたしが巡査と話を続けているうちに突然、巡礼者たちが突進して、州境を越えてしまった。巡査たちは、彼らを包囲した。しかし押し寄せる多勢を押さえるのは、たやすいことではなかった。巡査たちには、わたしたちを逮捕する意向はなかった。

「わたしは貴下の逮捕状を持参してまいりました。貴下を逮捕します」
「いつ?」
「今です」

そこで彼は、五十ポンドの保釈金支払いで、わたしを保釈した。

私たちは行進を続けた。しかし、わたしを自由に放置しておく気は、政府になかった。…再逮捕された。

「貴下を逮捕する」
「わたしは昇進したとみえますね。ただの警察官の代わりに、わたしの逮捕に治安判事さまじきじきのお出ましですからね。さあ、あなたは、今すぐわたしを裁判してください」
「わたしといっしょに来たまえ。法廷はまだ開廷中だから」

そしてまた、わたしは五十ポンドの保釈金で釈放された。

「私は、貴下を逮捕します」
こうしてわたしは、四日間に三回逮捕された。わたしは尋ねた。
「行進者はどうなるのですか」
「私たちが送ります」

「貴下は、今は囚人であるから、演説はいっさいいかん」

59 サッテイヤーグラハの勝利
スマッツ将軍の秘書の一人は、おどけて言った。
「わたしは、あなたがたの民族がきらいだし、助けようなどとは、金輪際思っていない。しかし、いったいわたしはどうしたらいいのか? あなたたちは、私たちが困っているときに助けてくれている。そのあなたたちに、どうして手を振りあげられようか。…ところがあななたたちときたら、敵でも痛めつけない。あなたたちは、、自己受難だけで勝利を納めようとしている。…」

政府は連邦公報の紙上に、三ポンド税を廃止し、インドで合法と認められている結婚はすべて合法とし、親指の指紋が押されている居住証明書をもって連邦入国権の十分な証拠とすることを規定した、インド人救済法案を公表した。

60 わたしの大戦参加
戦争への参加が非刹生(アヒンサ)とけっして両立するものでないことは、わたしには全く明らかであった。しかし、人間の義務については必ずしも人々に明らかにはなっていないのである。

ガンジー・アシュラム
ガンジー・アシュラム

第七部

61 プーナにて
教育のある人や金をもっている人が、積極的に貧乏人の状態を受けいれ、三等で旅行し、貧乏人にはない楽しみを持つことをやめ、虐待、非礼、不正義を、しかたがないことだと避けて通らずに、それらの除去のために闘うこと、そうしないかぎり、改革は不可能であろう。

62 シャンテイニケタンにて
「君が一年インドにいたら、君の意見は自然に訂正されてくるよ」

63 三等車乗客の悲哀
あわれなことは、彼らが往々にして、彼らの行儀の悪さ、不潔さ、自分勝手にふるまっていることに気づいていないことである。彼らは、自分たちのやっていることは、どれもこれも当然のことだと信じている。これらのことは全部、私たち「教育のある」者の、彼らに対する無関心に原因しているのである。

64 道場(アシュラム)の建設
だが、彼らを受け入れたことは、これまで道場を助けてくれた友人たちの間に、大騒ぎを起こした。まず第一の困難は、バンガローの持ち主と共同で使っている井戸に関して起こった。水汲み当番の男が、私たちのバケツからこぼれる水で自分が汚れてしまうと言って反対した。そうして彼は、さんざんわたしたちをののしり、悪口を言ってドウダバイをいじめた。

65 インド藍の染料
チャンパランの小作農民は、法律によって、その土地の二十分の三は、領主のためにインド藍の栽培に当てなくてはならなかった。この制度では、二十カタ(1エーカー)のうち、三カタにインド藍を栽培しなくてはならなかったから、この制度はテインカテイア制度として知られていた。


ガンジー・アシュラム
第七部

61 プーナにて
教育のある人や金をもっている人が、積極的に貧乏人の状態を受けいれ、三等で旅行し、貧乏人にはない楽しみを持つことをやめ、虐待、非礼、不正義を、しかたがないことだと避けて通らずに、それらの除去のために闘うこと、そうしないかぎり、改革は不可能であろう。

62 シャンテイニケタンにて
「君が一年インドにいたら、君の意見は自然に訂正されてくるよ」

63 三等車乗客の悲哀
あわれなことは、彼らが往々にして、彼らの行儀の悪さ、不潔さ、自分勝手にふるまっていることに気づいていないことである。彼らは、自分たちのやっていることは、どれもこれも当然のことだと信じている。これらのことは全部、私たち「教育のある」者の、彼らに対する無関心に原因しているのである。

64 道場(アシュラム)の建設
だが、彼らを受け入れたことは、これまで道場を助けてくれた友人たちの間に、大騒ぎを起こした。まず第一の困難は、バンガローの持ち主と共同で使っている井戸に関して起こった。水汲み当番の男が、私たちのバケツからこぼれる水で自分が汚れてしまうと言って反対した。そうして彼は、さんざんわたしたちをののしり、悪口を言ってドウダバイをいじめた。

65 インド藍の染料
チャンパランの小作農民は、法律によって、その土地の二十分の三は、領主のためにインド藍の栽培に当てなくてはならなかった。この制度では、二十カタ(1エーカー)のうち、三カタにインド藍を栽培しなくてはならなかったから、この制度はテインカテイア制度として知られていた。

66 非刹生(アヒンサ)に直面して
法律によると、わたしは裁判にかけられるはずであった。ところが本当のことを言えば、裁判にかけられるのは政府であった。税務監督官は、わたしを捕らえようとして広げた網のなかに、政府を落とし込むのに成功しただけであった。

67 撤回された訴訟
わたしは、助けに来てくれ、という農民の切なる要請に応えてやって来たのであった。

そして政府は、政府が受け取った情報に基づいてのみ行動するものであることを、わたしは事実として認める。

わたしが刑の宣告を受けに法廷に出頭する前に、治安判事は書面をよこして、州副知事がわたしに対する訴訟の撤回を命じてきた、と、知らせてきた。

68 村落に入り込む
「見てください。箱のなかにも棚にも、ここには着物は一枚もありはしません。わたしが今着ているこのサリーが、わたしのたった一枚の着物なのです。どうしてわたしは、洗えますか。マハトマジーに言ってください。もう一枚サリーがあればね。そうすれば、わたしは毎日水浴をして、さっぱりした着物を着ますよ」

69 取り除かれた汚れ
「貴下の調査は大分延びている。貴下はただちにそれを中止して、ビハールを立ち去るべきではないか」

「調査の長引くことはしかたのないことであり、人々に救済がもたらされないかぎり、わたしにはビハールを離れる考えは毛頭ない」

約一世紀の間存在していたテインカテイア制度はこうして廃止され、それとともに、農園主の支配も終わりを告げた。長い間おしひしがれていた農民たちは、今いくらか本来の彼らに立ち返った。そして「インド藍の汚れは洗い落とせない」というのが迷信であることが暴露された。

70 労働者と接触して
税を払えない農民を指導してもらいたい

わたしは労働者に対し、ストライキをやるようにすすめた。わたしはその前に、紡績工やその指導者と非常に密接に接触をもった。そして彼らに、ストライキの成功する条件を説明した、

一、けっして暴力に訴えてはいけない。
一、ストライキ破りを無視せよ。
一、他人の義援金に頼るな。そして、
一、ストライキがどんなに長く続こうが、終始断固とした態度をとれ。そしてストライキ中は、何かほかの正しい労働によってパン代をかせげ。

71 断食
「ストライキ労働者が元気をとりもどし、ストライキを続けて解決に到達するか、さもなくば、彼らがすっかり工場をやめてしまうか、それまでわたしはいっさい食事に手を触れない覚悟である」

アナスヤベンの両頬に涙が伝わって流れた。労働者たちは叫んだ。
「あなたはいけません。私たちが断食します。あなたが断食したら、それこそたいへんです。どうか私たちの堕落を許してください。これからは最後まで忠実に誓いを守ります」

「諸君は、何も断食することはない。諸君が誓いに忠実であれば、それで十分なのだ。…諸君はしたがって、何か労働して最低の生活なりとも営めるよう試みるべきである。そうすれば諸君は、ストライキがどんなに長びこうとも、平気でいられよう。わたしの断食のほうは、ストライキが解決されればやめることしよう」

72 ケダ・サッテイヤーグラハ
「われわれの各村落の収穫が四アンナに達しないことを知って、われわれは政府に対し、来年までの税の徴収を停止するよう要請した。しかし、政府はわれわれの嘆願を聞き入れなかった。したがって、われわれ、以下に署名した者は、われわれ自身の意志に基づいて本年の納税額の全部、あるいは未納分を政府に支払わないことをここに厳粛に宣言する。…」

73 「ねぎどろぼう」
たいせつなことは、役人は人民の主人ではなくて、反対に彼らが納税者から俸給を貰っているかぎり、人民の召使いである、ということを農民にわからせて、それによって彼らの恐怖心を取り除いてやることだった。

民衆がどんなに勇敢に振舞っても、初期の段階では、政府は強硬策をとろうとしなかったようである。しかし、民衆の決意がいささかも動揺の兆しを示さなかったので、政府は脅迫をし始めた。

74 ケダ・サッテイヤーグラハの終末
だれが貧乏人であるかを決定するのは、民衆の権利であったが、彼らはそれを行使することはできなかった。彼らが権利を行使する力を持っていないということは、わたしを悲しませた。したがって、終結はサッテイヤーグラハの勝利として祝われたけれども、わたしは手放しで喜ぶわけにはいかなかった。というのは、完全な勝利になるために不可欠のものが欠けていたからであった。

インド国民会議

インド国民会議(インドこくみんかいぎ、英語:Indian National Congress、略称:INC、ヒンディー語)は、インドの政党。日本語では慣例的に国民会議派、あるいはコングレス党(Congress Party)とも称される。世界では中国共産党に次いで規模が大きい政治団体である(民主主義国家の中では世界最大)。中道左派で民主社会主義を掲げる場合もあるが、同時に保守およびポピュリズムの傾向や、インドの財界・財閥との関係も強い。さらに経済政策に新自由主義の傾向があるとされる場合もあり、包括政党の様相を呈している。


第一次大戦後の国民会議

マハトマ・ガンディー(1929年)

第一次世界大戦後にマハトマ・ガンディー、ジャワハルラール・ネルー、チャンドラ・ボースらが加わり、インド独立に大きな役割を果たした。1915年に南アフリカから帰国してから地方の闘争で成果をあげていたガンディーは、独自の指導でネルーらの左派とパテルらの右派に分裂していた国民会議を統一した。1919年のアムリットサル事件ののち、1920年にはガンディーの「非暴力」(「無抵抗」ではなく「市民的不服従」の意味)を綱領として採択し、地方組織を強化して本格的な政党となった。国民会議が展開した非暴力の運動の中ではとりわけ、1930年にガンディーの指導で展開された塩の行進が有名である。


現在

インド国民会議の行進(デリーにて)

2004年ローク・サバー(下院)総選挙ではソニア総裁を先頭に統一進歩同盟(United Progressive Alliance:UPA)の中心となって145議席を獲得して第1党に復帰、政権を奪還することに成功した。ソニアの首相就任は確実と思われたが、そのソニアの裁定により経済運営の実績が見込まれたマンモハン・シンが首相に指名され、政権を樹立した。また2004年の総選挙ではソニア総裁の長男ラーフル・ガンディーが当選し、同党の次世代ホープと目されている。

2009年のローク・サバー総選挙では党勢をさらに伸ばし206議席を獲得して勝利し、第二次シン政権が誕生した。

インド独立の父

インド独立の父
第八部

75 新兵徴募運動
しかし、南アフリカでのわたしの経験は、非刹生(アヒンサ)が最も厳しい試練にかけられるのは、このヒンドウとイスラムの両教徒の融和の問題であろうということ、そしてこの問題は、わたしの非刹生の実験に最大の場を提供してくれることを、わたしに信じさせたのだった。

76 死の一歩手前
しかし、悪魔は機会の到来をねらっていた。ごく少量ではすまさずに、わたしは腹いっぱい食べた。これで死の使いを招き入れるのに十分であった。一時間たたないうちに、赤痢が悪化の兆候を示した。

「どうぞ注射をしてください。しかしミルクは別の問題です。わたしはミルクをとらない誓いをしています」

「あなたの誓いというのは、いったいほんとうに何なのですか」

「ですけれど、あなたは山羊(やぎ)の乳なら反対なさいませんね」

「あなたが山羊の乳を飲むなら、それでわたしは十分です」

77 ローラット法
全インド人に、その日は仕事を停止させて、その一日を断食と祈りの日として守らせようではありませんか。イスラム教では、断食を一日以上続けるのを許されていないので、断食の時間は、二十四時間としたらいいでしょう。

78 かの記念すべき週間
デリーでは、このような一斉休業を以前に見たことはなかった。ヒンドウ教徒とイスラム教徒が、一人の人間のように統一されていた。…これらのことはみんな、当局には許せないことばかりだった。一斉休業の行列が駅に向かって行進すると、巡査が阻止した。そして発砲した。多数の負傷者が出た。こうして弾圧の政治がデリーで始められた。

「わたしがあなたと意見がくいちがっているのはそこですよ。民衆は元来乱暴ではありません。平和ですよ」

79 ヒマラヤの誤算
このように一人の人が社会の諸法律に忠実に服従しているときに初めて、彼はどの特定の法律が善で公平であるか、そしてどれが不公正で邪悪であるかについて、判断を下すことができる。そのときになって初めて、はっきりと規定された状況のもとに、ある法律に対して非服従を行う権利が生まれるのである。わたしのあやまちは、わたしがこの必要な限定性を守らなかったところにある。
わたしは民衆に対して、彼らがそれを始める資格を持たないうちに、市民的非服従を開始するように呼びかけてしまった。そしてこのあやまちは、わたしから見ると、ヒマラヤ山の大きさを持っていた。

80 『ナヴァジヴァン』紙と『ヤング・インデイアン』紙
これらは正義の法廷ではなくて、専制主義者の独裁的意志を実行するための機関であった。証拠の裏づけなしに、また正義を全く蹂躙して判決が下されたアムリッツアーでは、無辜(むこ)の男女が虫けらのように腹ばいを命じられた。わたしの目から見ると、この暴虐の前にはジャリアンワラ・バグの虐殺事件も色あせ、意義の小さいものになってしまうのであった。

パンジャブからは毎日のように、常軌を逸した不正と抑圧の話がもたらされた。しかしわたしにできることは、ただじっと成すことなくすわって、歯を食いしばっていることであった。

81 キラファットは牡牛保護に反対か
「イスラム教徒は、非常に重大な決議を採択した。休戦条約が彼らに不利なものであればーー神はそれを禁じたもうーー彼らは、政府との協力をいっさい停止するだろう。協力をさし控えるかどうかは、奪うべからざる民衆の権利である。…」

82 アムリッツアー会議派年次大会
このとき、新しい統治改革に関するイギリス国王の発表が行われた。それはわたしにとっても、全面的に満足というものではなかった。だから、ほかの人には不満足そのものであった。しかしそのときわたしは、その改革は欠点の多いものであるにしろ、受託できるものである、と思った。​<img 

 

チャルカ(手紡ぎ車)

チャルカ(手紡ぎ車)
第九部

83  毛織布地の誕生
私たちは非常な苦労をした結果、とうとう、私たちのために、わざわざ国産綿糸で織ってくれる織物業者を幾人か見つけた。そして織ってもらうためには、彼らの織った布を全部道場で買い取る、という条件がつけられた。
こうして、工場製の綿糸で織った布を私たちの着物に採用し、またそれを友人に普及させたことが、私たちを、自発的にインド紡績工場の代理人にしてしまった。

84 有益な対話
わたしは、この国産の形態を奨励したい。というのは、それを通じて、わたしは、半ば仕事のないインドの婦人に仕事を与えられるからです。これらの婦人に糸を紡がせ、そしてそれで織った毛織布地で、インドの人々に着物を作って着せることが、わたしの理想なのです。今は始めたばかりですが、この運動がどこまで進んでいくものか、わたしは知りません。しかし、これに全幅の信頼を置いています。

85 上げ潮
わたしの書いた草案では、非暴力という言葉の使用をだいたい避けてきたが、わたしの演説のなかでは、いつもこの言葉を使っていた。この問題に関するわたしの用語は、まだ形成の過程にあった。わたしは、非暴力と同義語のサンスクリット語を使っていたのでは、わたしの言いたいところをイスラム教徒の聴衆にわかってもらえないことを発見した。

86 ナグプルにて
民衆の利益を守ることに懸命であり、心の広い、そして、誠実な代表千五百名のほうが、無造作に選出された無責任な人々六千名よりも、いつかはよりよい民主主義の擁護者になるだろう。

87 別れの辞
修練こそ、わたしにえもいわれぬ神聖な心の平和をもたらしてくれた。というのは、迷える者に真実と非刹生(アヒンサ)の信仰がもたらされることは、わたしの切なる期待であったからである。

真実なるものは、私たちが私たちの目で毎日見ている太陽の光よりも、百万倍も強い、名状すべからざる輝きを持っている

普遍的な、そしてすべてに内在する真実の精神に直面するためには、人は最も微々たる創造物をも、同一のものとして愛することが可能でなければならない。

しかもわたしは、なんのためらいなしに、またきわめて謙虚な気持で、宗教は政治となんら関係がないと言明する者は宗教の何であるかを知らない者である、と言うことができる。

しかし、わたしの前には、なお、登るに困難な道がある。

◎訳者あとがき 蝋山芳郎
トルースは、ガンジーの故郷グジュラート地方の言葉では、サッテイヤ(Satya)というのを英訳したものであった。そしてサッテイヤとは存在ーー心臓に根ざしたーーを意味している。したがって、トルースを真理と訳しても、全くあやまりとはいえないにしても、ガンジーが使った場合においては「真実」と限定的に訳した方が当を得ている。

◎解説 松岡正剛
タゴール
「ガンジーは自分自身に完全に誠実に生きた。それゆえに神に対しても誠実であり、すべての人々に対しても誠実だった」

「ガンジーは勇気と犠牲の化身である」
 

ガンジー像

アメリカ創価大学に立つガンジー像


「すべての日本人に」

私は、あなたがた日本人に悪意を持っているわけではありません。あなたがた日本人はアジア人のアジアという崇高な希望を持っていました。しかし、今では、それも帝国主義の野望にすぎません。そして、その野望を実現できずにアジアを解体する張本人となってしまうかも知れません。世界の列強と肩を並べたいというのが、あなたがた日本人の野望でした。しかし、中国を侵略したり、ドイツやイタリアと同盟を結ぶことによって実現するものではないはずです。あなたがたは、いかなる訴えにも耳を傾けようとはなさらない。ただ、剣にのみ耳を貸す民族と聞いています。それが大きな誤解でありますように。 あなたがたの友 ガンディーより。
 

巨悪と戦ったガンジー

一、「正義の道」は滅びない。「真実の道」は消えない。魂のバトンを握りしめて走る「師子」がいれば。
トルストイは生涯かけて、民衆の心に「希望の火」ともした。それは20世紀の二つの世界大戦によっても、消え去ることはなかった。
人権を踏みにじる巨悪と戦ったマハトマ・ガンジー。彼がトルストイの著作を読んだのは、南アフリカの獄中だった。非暴力の思想に感銘し、何度も手紙を交わした。
亡くなる2ヶ月前に、トルストイはガンジーに手紙を書いた。
「われわれには世界の涯(はて)のように思われる(南アフリカの=編集部注)トランスヴァールでのあなたがたの活動が、今日世界でおこなわれているすべての活動のなかで最も不可欠、かつ重要なものとなるのです」(森本達雄訳)
ガンジーは、南アフリカの自分たちの農場の一つを「トルストイ農園」と名づけた。敬愛するトルストイに必ず喜んでもらえる農園にしよう――との思いを込めて。
南アフリカ、そして帰国したインドで、ガンジーは命がけの非暴力闘争を繰り広げた。精神の炎は燃え広がった。
やがてアメリカでも、一人の青年が立った。マーチン・ルーサー・キング博士。公民権運動の勇敢なる指導者である。
彼は言った。
「ぼくは、永い歳月の間さがし求めてきた社会改革のための方法を、ガンジーがこのように強調した愛と非暴力のなかにはじめて発見したのだ」(雪山慶正訳)

今日も一歩を!
一、キング博士が凶弾に倒れたアメリカのメンフィス。この地で非暴力の理想を継ぐ人がいる。
マハトマの令孫・アルン・ガンジー氏である。ガンジー非暴力研究所を創立し、所長を務めておられる。私も2度、お会いし、21世紀を見つめて語り合った。
氏は語っている。
「今日、一人の人を変えることができれば、私はそれで満足です。明日は二人の人を、そして次の日は三人・・・。何人であろうと、変えることができれば、それでいいのです。その人たちがまたほかの人を変えるでしょう」(塩田純訳)
暴力のない世界へ――まず人間自身が変わらなければならない。
トルストイが叫び、ガンジーが、キングが受け継いだ生命尊厳の理想。非暴力による精神革命。
それを実現する重大なカギは教育である。そして、文化の交流、民衆と民衆の心の交流を幾重にも広げていくことだ。
それを、創価の我らが世界に展開している。今、新しい歴史をつくっているのだ。
歴史の主役は民衆である。ゆえに、一人ひとりの民衆が強くなることだ。
偉大なる人間革命を、一人また一人と成し遂げていくことだ。
トルストイは書いている。
――「町まで遠いのですか?」という通行人の問いに、賢者は答えた。
「歩いてみなさい」と。
まず、一歩を踏み出すことだ。歩き始めなければ、どれくらい遠いか、わからない。いな、永久に目的地にはたどり着かない。
歩くか、歩かないか。
立ちどまるのか。大いなる夢への挑戦を開始するのか。それを決めるのは、ほかならぬ自分である。
我らは創価の道を征く。
自分が歩いたこの道は、全部、幸福の花が咲く。自分が励ましたあの友は、全部、永遠の宝友となる。
自分が決めたこの道は、人類の悲願の平和の道だ。父が、母が、あの同志(とも)が、苦難を勝ち越え、開いた道だ。
きょうも、我らは進みたい。
頭(こうべ)をあげて、胸を張り、わが栄光の人生の道を! 世界の友と肩組みながら、永遠の希望のこの道を!

2002年12月25日 聖教新聞掲載

ガンジー自立の思想
ガンジー自立の思想

自分の手で紡ぐ未来
M.K.ガンジー
田端 健[編]
片山佳代子[訳]

自然と同体であることを自覚した者には自他の区別はない。相対的時空観に狂奔し、人類は今、物心ともに崩壊しようとしている。真の平和と正義の旗を振ったマハトマ・ガンジーの再来を望むや切。

◎編者まえがき
イギリスに占領され植民地化されたインドの貧困と奴隷状態の原因は、イギリスの生んだ近代機械文明をよいものだとして受け入れたインド人自身にあるとガンジーは考えた。

第1章 ガンジーの文明論
自分自身のことを悪く言う人にはめったにお目にかかれない

今では丘の上で拳銃を構える男が、一人で何千人もの命を奪うことができます。これが文明です。

以前には夢にも考えられなかった病気が蔓延し、多くの医者がその病気の治療法を研究しています。そのため、病院の数も増えました。これが文明の指標です。

道徳の名にかこつけて不道徳が教えられることがしばしばあるというのが、この二十年間私が経験したことです。

この文明は宗教を否定します。

仮に、私が大麻経験の常習者であるとしましょう。そのために売人が私に大麻を売ってくれたとして、悪いのは売人ですか、それとも私自身でしょうか。

会社は商館を守るために軍隊を雇い、その軍隊を私たちインド人も利用してきたのです。

ナポレオンはイギリスを商人の国と表現したことがあるそうですが、これは的を射た言い方です。彼らは、どの領土であろうと自分たちの商売のために確保しているのです。軍隊はそれを守るためにあります。

第2章 カデイーの誕生
小さな改革もできない者が、大きな改革をなせるわけは決してありません。自分に与えられたものを最大限に利用する者が、自分にできることをさらに増やしていきます。

困難はつきることはありませんでした。

「私がやろうとしているのは少し違います。チャルカの復活をもくろんでいるのです」

第3章 チャルカの思想的
思いを高く持つことは、物に囲まれた複雑な生活とは両立しません。そのような生活は時間に追われるからです。

満足していない人は、たとえどれほど多くの物を所有していても、自分自身の欲望の虜になってしまいます。

自分自身が最良の友となることもありますが、同時に最大の敵になることもあると賢者は言います。自由でいるか、奴隷になり下がるかを決めるのは自分自身です。そして個人についてあてはまることは、社会についてもあてはまります。
持ち物が少なければ少ないほど、所有したいという気持ちも減っていき、より優れた人格の持ち主になることができます。この人格は何のためでしょうか。この世での暮らしを楽しむためではありません。仲間に尽くすことを喜びとするためです。このような奉仕に、身体も心も頭脳も捧げるのです。
人間の体は奉仕をするためだけにあります。快楽に耽るためにでは決してありません。幸福な人生の秘訣は、報いを期待しないことです。報われることを放棄することが人生です。快楽を求める先には破滅が待ち受けています。

理想的状況のもとでは、医師、弁護士、その他専門的職業に従事する人々は、自分の利益のためでなく、社会の利益のためだけに働くようになるでしょう。

ぜいたく品は活力を奪い、魂を損ないます。

自らの意思で従ってこそ、満足と健康を得ることができます。そしてこのような健康こそ本当の意味で財産となるのです。

依存状態には何もできないという無力感が漂っています。

第4章 機械と人間
込み入った議論に入ることはせずとも、大量生産を熱心に推し進めてくたことが世界的危機を招いたのだときっぱりと断言できます。

私は特権と独占を憎む者です。庶民が分かつことができないものは禁止すべきです。

欲望ではなく、純粋に人間のことを考える気持ちが動機でなければなりません。欲望を愛に置き換えてみてください。そうすればすべてがまともになります。

第5章 カデイーの経済学
冨を崇拝することを教え、強者が弱者を犠牲にして富を蓄えることを許す経済学は、偽りの出来の悪い学問です、それは死を招きます。

第6章 スワラージへ向けて
原子爆弾によって真実とアヒンサーに対する信仰を打ち砕かれたでしょうか。それどころか、ますます強く私はアヒンサーこそこの世で最強の力であると確信するに至りました。

真実とアヒンサーの前では、原子爆弾は何の効力も持ち得ません。この二つの力はまったく異なった種類のものです。一方はモラル、精神の力であり、もう一方は物理的な力です。精神の力のほうが物理的力よりもはるかに優れています。といいますのは物にはその必然として終わりがあるからです。精神の力というものは常に前進し、限りがありません、この力を最大限に発揮することができれば、この世で打ち負かせる力など他にありません。さらにこの力はすべての人の中に存在します。男女を問わず、子供にも皮膚の色にも関係なくあるものです。ただ、多くの場合それは眠っています。しかし、思慮深く訓練を積むことによって目を覚まさせることができるのです。

第7章 新しい計画
私がやりたいと思っていることは、最も抑圧された、最も不利な条件にいる人のために働き、彼らと歩調を合わせていくことです。

どのような変更も好ましくないと思われるのであれば、それも結構です。しかし、私には挫折をよしとすることはできません。

暴力を手段として用いる人の家に行けば、その人の客間には虎の毛皮、鹿の角、銃剣類などがあることでしょう、総督の山荘に招かれたことがありますし、ムッソルーニにも会いましたが、どちらの家にも武器が壁にかけてありました。私は暴力の象徴である武器で向かえられたのです。
武器が暴力を象徴するように、チャルカはその対極にあるアヒンサーを象徴しています。

解説ーー田端健
ガンジーの思想のベースにあるものは近代文明批判である。

イギリス産業革命以前は自然の恵みの豊かな東南アジア・アフリカの中でもインドや中国などは世界でも最も豊かな経済と文化を誇った国であった。

アジアは二度にわたる世界戦争の中で常に侵略されている側であったが、日本がアジアで唯一侵略される側でなく侵略する側としてこの戦争に参加したのは、とりもなおさず日本がアジアで唯一近代化・機械化に成功し、綿工業を取り入れることに成功したからにほかならない。

自国民必要以上の物を作り出すことは必然的に他国を搾取し支配することになり必ず「他の国々にとって災いの元となる」

ガンジー「祖国の原料がヨーロッパへ輸出され、そのため我々が高価な物を買わされているということに我慢がなりません」

訳者あとがき
江戸時代に庶民が貧しかったのは、大型機械がなかったからでなく、年貢を搾りとられていたからです。お殿様のいない江戸時代なら案外、心身ともに健康で、本当の意味で豊かな生き方ができるのではないか、ころこそ目指すべき未来像ではないかと思います。
 

ガンジー格言
ガンジー格言

困難はつきることはありません。

報いを期待しないこと。

欲望を愛に置き換えてみてください。





良きことはゆっくりと
良きことはゆっくりと

「ガンデイー・魂の言葉」
(浅井幹雄監修/太田出版)を読みました。
珠玉の言葉170編のうち、私が最も心に残った10個を選びました。
それと、本当かどうかは定かではありませんが、たまたまこの本を読んで初めて、え〜と思うようなことがありました。

(1)恐れるな、道はひらける
突然の災難が降りかかったとき、人は恐怖に立ちすくむ。

しかし、わたしたちには、
もともと困難を乗り越える力が授けられている。
心の中から、この恐れを追い出せば、その力がよみがえる。
恐れるな、道はひらける。

(2)試練は力をくれる
不幸はわたしたちに与えられた試練である。
この試練を乗り越えたとき、すべてはきっと好転する。
そう信じて、辛抱強く耐え抜こう。耐え抜いたとき、あなたはとてつもない力を手にしていることだろう。
『ビハール・パッテイー・デリー』
1947年7月7日

(3)種は役目を果たし命をつなぐ
豊かな実りのための種、それはいつもわたしたちには見えない。
種は自分の役目を土の下で果たす。
そして、その姿をなくすとき、新しい命の芽が地面から顔を出す。
『ヒンドスワラージ』

(4)物を捨て、豊かになる
持ち物を減らしていくにつれて、自分に必要な物もだんだん減っていく。
それは幸せと自由を得ることでもある。
自らの楽しみのためだけに物をもつより、この身を人のために捧げたほうが、はるかに人生は豊かになる。
『バープー物語』

(5)良きことは、ゆっくりと進む
良きことはカタツムリのように、ゆっくりと進む。
だから、自分のためでなく人々のために働く人は、いたずらに急がない。
なぜなら、人々が良きことを受け入れるには、多くの時間が必要なことを知っているから。
しかし、機械に降り回される現代生活はせわしいものだ。
利己的な悪しきことには、翼が生えている。
家を建てるには、時間がかかるが、
それを破壊するのは、一瞬のことであるように。
『ヒンドスワラージ』

(6)シンプルに暮らそう
必要なものだけを得る、シンプルで簡素な暮らしでいい。
そんな精神をもって働く人々の仕事を評価しないのは、村にとって大いなる損失である。
『南アフリカのインド系移民への手紙』
1914年7月15日

(7)恐れない心を手にいれるためには
人はなぜ心に恐れを抱くのだろうか。
それは、自分の魂の力を、真理の力を信じていないから。
しかし、信じる心は理性の力で得られるものではない。
それは、自分自身のためではなく、他人のために働き続けることで、ゆっくりと自分のものになる。

(8)愛は求めず与えるもの
愛は決して求めることをせず、与えるものである。
愛に悩みはつきものだが、決して怒らず、決して妬んだりしない。
『ガンデイーの言葉集』

(9)心が正しいと思うことから始める
そんなことは、これまでの歴史にはない、だから起こるはずはない。
そう思い込んでいる人は、人間のもつ大きな可能性を見ない人だ。
わたしたちは、まずそんな思い込みから自由になろう。
そして、自分の心が正しいと思うことを、やってみればいい。
『ヒンドスワラージ』

(10)七つの社会的罪
まだ知らない人がいたら、知ってほしいことがある。
現代社会に巣くう七つの大罪とは……。
理念なき政治
労働なき富
良識なき快楽
貢献なき知識
道徳なき商業
人間性なき科学
献身なき信仰
読者はこれを頭ではなく、心に刻みこんでほしい。
こうした罪を決して犯さないためにーー。
「ヤング・インデイア」
1925年10月22日

◎あとがき
(インド中央部にある)ワルダーはまた、昭和8年に、わたしの師である日本山妙法寺の藤井日達聖人が、ガンデイーとあい見(まみ)え、インドの独立と世界の未来のために、不殺生・非暴力の精神文明を築こうと、団扇(うちは)太鼓(だいこ)を打ち「南無妙法蓮華経」をともに唱えられた記念すべき場所でした。

ガンデイーが南無妙法蓮華経を唱え始めたワルダにて……

【感想】
私は (5)の「良きことは、ゆっくりと進む 」が最も心に強烈に残りました。
上海のことで頭がいっぱいですが、良いことをやっているのであれば時間がかかるのは当たり前、あせるな!ということでしょうか。
ちょっと気持ちが楽になりました。

20世紀前半の時代としては相当に先見的な思考に驚かされました。表現も池田先生に似ているような。インドにおいて「ガンジー・キング・池田大作」と言われる意味がなんとなくわかる気がしました。

それと、この本を読んで初めて知ったのですが、池田先生のスピーチでガンジーが「南無妙法蓮華経」を唱えたということを聞いた覚えはありますが、それは66世の日達猊下が若い31歳のときにインドに行ってガンジーを折伏し、共に唱えたということが、本当のことだとしたらすごいことだと心に強く残りました。
仏法西還!!

良きことは
ゆっくりと進む
ガンデイー