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2020.9.21-4

2020年09月20日 (日) 10:25
2020.9.21-

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◎社会学者 マックス・ヴェーバー没後100年 
時代超えた思想に再び光
仕事中心への異議/中立・客観性の危うさ
日本経済新聞 朝刊
2020/9/19 2:00

 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」などの著作で知られるドイツの社会学者、マックス・ヴェーバー(ウェーバー)の思想の読み直しが、没後100年を迎えて進んでいる。仕事中心の人生観に異議を唱え、グローバル時代の政治と民主主義、自由の関係を論じるなど、現代的な課題に取り組んだ姿に光が当たる。

「かつては『私たちも一生懸命働こう』と心を奮い立たせるために読んでいた。これからは反対に、ヴェーバーを読むことが『個人の幸せは働くこと以外にもあるんじゃないか』と問うきっかけになればうれしい」。7月に著書「『働く喜び』の喪失」(現代書館)を刊行した千葉商科大の荒川敏彦教授は語る。

◇   ◆

 荒川氏は同書で、ヴェーバーの著作のうち日本で最も広く読まれてきた「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(大塚久雄訳、岩波文庫)を、現代人の問題関心に引きつけて読み直した。「プロ倫」とも呼ばれた著作は近代資本主義を支えるエートス(規範)を、16〜17世紀のキリスト教プロテスタントの禁欲的な生活に求めた。戦後から高度経さ済成長期にかけて日本が欧米の資本主義社会に追いつこうとした時期、生き方のモデルのように、肯定的に読まれたこともある。

 ヴェーバーはプロテスタントが、自分は神に救われる存在なのだと自信を持ち、他人にもそのことを認めてもらうために、天職と考えられた仕事に励んだと分析した。だが、「彼自身はそうした生き方を必ずしも称賛していなかった」と荒川氏は指摘する。

 実際、「プロ倫」では「事業のために人間が存在し、その逆ではない、というその生活態度が、個人の幸福の立場からみるとまったく非合理的だということを明白に物語っている」と記している。人生の時間の多くを仕事に費やす生き方は、営利を追求する資本主義の論理としては合理的かもしれない。だが、こうした「仕事か、さもなくば身の破滅か」といった「二者択一の物言いは、人の思考を硬直させて視野を狭め、強い不安に陥れる」(荒川氏)。

 近代初期のプロテスタントの心うちから宗教的な要素をはぎ取ると、「自分には仕事しかない」と思い詰めてしまう心理構造そのものは、現代人にも共通する。「就職活動の失敗を、まるで人格まで否定されたように若者に感じさせてしまう社会に我々は生きている。時間、休息、趣味のサークル、経済的なサポートなど、個人の幸せに必要な仕事以外の要素に目を向ける思考をヴェーバーは促している」(同)

 ヴェーバーが生きた19世紀後半〜20世紀初頭の世界は戦争、社会主義革命などを通じて、政治や経済の枠組みが大きく変わった。現代にも通じる激動の時代を人はいかに把握し行動すべきなのか、身をもって示そうとした姿を捉えた著作も相次ぎ出版されている。

  野口雅弘・成蹊大教授が著した「マックス・ウェーバー」(中公新書)は、社会主義、ナショナリズムなど様々な政治的主張が乱立した当時のドイツで、「中立」や「客観性」という言葉が抱える危うさを指摘し続けた点に着目する。野口氏によると、ヴェーバーは「友と敵」がいないところに、政治はないと考えた。中立な立場を装った意見とはその実、多数派の見解であることが多く、少数派から出てくる様々な議論の可能性の芽を、むしろ摘んでしまいかねない。

 政治学者である野口氏はこうした議論を引き合いにしつつ、現代日本の政治教育が党派性を排除して、中立性や客観性を過度に強調する傾向にあることに警鐘を鳴らす。「価値の対立を認めた上で、意見の違う相手に自分の立場を理解しやすく伝える、いわば『翻訳』の作業が政治には必要だとヴェーバーは唱えた」(野口氏)。意味のある政治論争がなかなか起こらない日本で、大いに参考になる議論だろう。

◇   ◆

 ヴェーバーの思想は時代を超えて働きかけ、新しい着想の源泉となる。だが、それは必ずしも肯定的なものばかりではない。

 「ドイツ史の中でヴェーバーを位置づける研究は少なかった。どの学問も、生まれた場との関係は切り離せない」。愛知県立大教授の今野元氏は著書「マックス・ヴェーバー」(岩波新書)の執筆意図をこう説明する。

 政治学者の丸山真男や、経済史家の大塚久雄ら戦後日本の社会科学者が特に注目したのは、近代市民社会における主体性の概念だった。丸山らは自立した個人が存在して初めて政治が機能すると考え、ヴェーバーの議論を肯定的に受け入れてきた。

 伝記的研究を綿密に進めた今野氏は、ヴェーバー自身の人生からは「確かに主体化した人物像が浮かぶ半面、強烈なエゴを持った人物も現れる」と指摘する。ポーランド移民排斥を唱え、第1次世界大戦などでの軍務にも熱心だったヴェーバーにとって、主体的な市民であることと、ドイツ・ナショナリストであることは表裏一体の関係だった。

 時代を代表する知性もまた、その人物が生きた時代の制約を受けている。現代から見れば、批判的に乗り越えるべき側面も確実に含んでいる。

(前田龍一、郷原信之)

 マックス・ヴェーバー ドイツの社会学者・法学者・経済学者。1864年、プロイセン王国エアフルト(現在のドイツ中部)生まれ。キリスト教、ユダヤ教、儒教など主に世界宗教の比較を通じて社会の特質を明らかにした。1920年、スペイン風邪が原因とみられる肺炎で死去。主な邦訳書に「職業としての学問」「社会学の根本概念」など。


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