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2020.9.21-7

2020年09月20日 (日) 01:17
2020.9.21-

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0186〜0237 開目抄 0203:15〜0204:17 
第29章 二乗の法華深恩を論ず

本文
毛宝が亀はあをの恩をわすれず昆明池の大魚は命の恩をほうぜんと明珠を夜中にささげたり、畜生すら猶恩をほうず何に況や大聖をや、阿難尊者は斛飯王の次男・羅睺羅尊者は浄飯王の孫なり、人中に家高き上証果の身となつて成仏を・をさへられたりしに八年の霊山の席にて山海慧・蹋七宝華なんど如来の号をさづけられ給う、若し法華経ましまさずば・いかに・いえたかく大聖なりとも誰か恭敬したてまつるべき

現代語訳
毛宝に救われた亀は、毛宝が自分の衣類を売って救ってくれた恩を報じ、昆明池の大魚は、漢の武帝に救われた恩を報じようとして、明珠を夜中に捧げたと伝えられている。畜生すらかくのごとく恩を報じているから、まして舎利弗・迦葉等の大聖が恩を報じないわけがあろうか。阿難尊者は斛飯王の次男で釈尊の従弟であり、羅睺羅尊者は浄飯王の孫で釈尊の子である。世間の人々の中では家柄が高い上、爾前経では声聞の道を修業し、証果の身となって、成仏できないとおさえられていたのに、八年の法華経を説かれる席では、山海慧および蹈七宝華などと如来の号をさずけられたのである。もし法華経が説かれないならば、どんなに家柄が高く大聖といわれていても、だれが恭敬するだろうか。


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