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【Deep Insight】ロシアに笑みは通じない
日本経済新聞 朝刊
2020/9/17 2:00
権力者の政敵などが暗殺される事件が起きれば、民主主義国では大変な騒ぎになる。だが、ロシアでは近年、こうした光景はさほど珍しくない。
野党首脳やプーチン大統領に批判的な有力ジャーナリスト、海外に亡命した元スパイが2006年以降、相次いで毒を盛られたり、銃撃されたりしている。
8月20日には著名な反体制活動家、アレクセイ・ナワリヌイ氏がロシア上空の機内で意識を失い、いったん重体になった。ロシアは否定しているが、米欧では同国の仕業との見方がもっぱらだ。
ロシアにまつわる悪評はそれだけではない。16年に続き、今年の米大統領選にも介入を試みているとされる。隣国のベラルーシでは国民を弾圧する独裁者、ルカシェンコ大統領を支えている。
ところが、よりによってそんなプーチン政権と手打ちし、関係を修復するよう求める公開書簡が8月5日、米政治専門紙「ポリティコ」に掲載され、ワシントンで物議をかもしている。
同書簡では、異例なことにシュルツ元国務長官やペリー元国防長官をはじめとして、超党派の著名な元高官、学者ら約100人が賛同者に名を連ねた。
このままロシアと敵対を続ければ核戦争の危険があり、中東などの紛争にも対応できない。こう警告し、制裁を緩めることも視野に米ロ雪解けを探るよう訴えた。
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それでは「融和書簡」と「強硬書簡」のどちらの路線を米欧日は採用すべきなのか。米ロ対立を放っておけば、国際政治に重い症状をもたらすという意味においては融和書簡の診断は正しい。
だが、どうしたら良いかという処方箋としては強硬書簡を選ぶべきだ。主に2つの理由がある。
第1に米国が下手に出たらロシアは足元を見透かし、さらに強硬になる危険の方が高い。ロシアの思考に詳しい米ワシントン近東政策研究所のアンナ・ボルシュシェフスカヤ上級研究員は語る。
「米側が融和に出れば、ロシアが態度を和らげると思うのは間違いだ。ロシアは力の信奉者であり、米国が弱腰だと思えば、さらに強気に出てくる。米国は確固たる態度で臨むべきだ」
第2にいま対ロ融和に転じれば、米国は事実上、クリミア併合を追認したと他の強権国はみなすだろう。中国は自信を深め、香港や台湾に対し、もっと強硬に出ても大丈夫だと思うに違いない。
融和書簡に名を連ねる米論客の中には、こうしたリスクを分かっている人たちもいる。それでもなお米ロの雪解けを唱えるのは中国への対抗上、中ロにくさびを打つべきだと考えるからだ。
その一人である元米高官は「世界にとって最大の問題は中国だ。ロシアを追い詰めて中国側に押しやるのではなく、こちらに引き寄せる道を探るべきだ」と説く。
地政学からみるともっともな意見だが、残念ながら現実的ではない。中国と連携を深めることが自分の保身につながるとプーチン氏は信じているからだ。
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融和によってロシアから譲歩を引き出すことの難しさは、安倍晋三前首相の外交が物語っている。安倍氏は27回、プーチン氏と会談を重ね、個人的には極めて良い関係を築くことができた。
だが国家レベルでみると、ロシアを動かすには至らなかった。領土交渉は進まず、中ロ接近も止まるどころか、速まっていった。
ロシアは長年、外敵に苦しんできた。13世紀から約240年間、モンゴル人の支配を受け、19世紀はナポレオン軍、第2次世界大戦ではナチスドイツに攻め込まれた。その後、米ソ冷戦に敗れ、ソ連は解体の憂き目にあった。
決して鎧(よろい)を脱がず、相手の弱みを見逃さないロシアは、こうした苦難の歴史にもとづくものだ。こちらが笑みや好意を見せたからといって協力を得られるほど、生易しい大国ではない。