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2020.9.18-2

2020年09月17日 (木) 17:25
2020.9.18-

???

◎池田大作研究/佐藤優氏(第36回)
『ヘイト的印象操作は 内在的論理の無理解』
1969年の衆院選挙前に刊行された藤原弘達著『創価学会を斬る』。この本の中で藤原は、侮辱的とも言える表現で、創価学会批判を繰り返した。その背景には、創価学会の内在的論理への無理解がある。

(ヘイト【hate】=憎むこと。反感を抱くこと型

………刊行を妨害したとする宣伝を日本共産党は徹底的に行った。
公明党にとって逆風が吹く中で、1969年12月27日に第32回衆議院議員選挙が行われた。
〈結果は公明党が大躍進し47議席(前回25)獲得………〉

田中角栄は翌1月6日の記者会見
「これはプライベートなもので、公明党が私に頼んだという問題ではない。電車の中に広告はやられるし困ったことだといったつぶやきが聞こえてきた。藤原君とは前から親しい仲なので『ようよう』といっただけで、公明党に頼まれたというものではない。なんとかならんかといったわけでもない。少しおせっかいをしただけ」と釈明した。

(おせっかい【お節介】=出しゃばって世話を焼くこと。不必要に人の事にたちいること)

公明党委員長・竹入義勝が田中と『創価学会を斬る』の刊行について話をしたのは事実だ。しかし、竹入は会見でこの事実を全否定した。竹入が、公の場で虚偽の発言をしたことにより、言論問題な一層深刻になった。

〈この竹入会見での全否定、そして田中角栄の介入の時日が、結果として国民の間に疑惑を広げ、公明党に体するマスコミ・世論の批判を掻き立てることになったのは否めない。また社会党、民社党が公明党批判の陣列に加わる一契機となったものと思われる。〉
………
後に竹入は公明党と創価学会から離れることになったが、その萌芽は既にこの時点で存在していたのだ。

◇◇

創価学会の価値観を『行動的ニヒリズム』と規定する藤原の説は、説得力に欠ける。
「大衆はバカなもので、天国を地獄だと思わせることも、地獄を天国だと思わせることもできる」というような愚民観を創価学会は持っていない。藤原がここで展開しているのは、創価学会をナチズムやファシズムに似ているとする印象操作に過ぎない。

◇◇

藤原は〈彼(池田)の著書そのものは、叙述が冗漫である〉との見方をするが、具体的なテキストに即して論じていない。
(じょうまん【冗漫】=表現がくどくて長たらしいこと)
………
叙述が冗漫であるという藤原の評価に筆者は同意しない。藤原は、創価学会員を「狂信者の群れ」と批判するが、このような形容は侮辱的だ。また、池田について〈せいぜいいってテレビの総合司会者タイプの男〉(銀行の支店長クラスに毛のはえたような存在)というような職業と結びつけて人間を評価すること自体が差別的だ。
………
藤原は、宗教は限りある命に永遠の幻想を与えるものという認識を表明するが、これは「永遠の命」を追求するキリスト教型の宗教観なので、仏教とは噛み合わない。弱い人間に幻想を与えるのが宗教の機能であるという宗教観自体が、マルクス主義的だ。藤原は、保守派の政治評論家であるが、宗教観はマルクス主義の影響を強く受けている。

◇◇

宗教が〈大衆をマヒさせる阿片的機能を果たした〉という認識は、マルクス主義そのものだ。
さらに、〈政治と宗教は、あくまで別個の領域にあるものとして、完全と区別されなければならない〉というのは、炭労事件のところで詳しく説明したようにソ連型社会主義(スターリン主義)の政教分離理解だ。日本国憲法の政教分離原則とは、国家が特定の宗教を優遇もしくは忌避しないことを定めるもので、宗教団体が自らの判断で政治活動をすることを否定するものではない。むしろ国家でも私的利益を追求するのでもない中間団体である宗教団体が自らの価値観に基づいて政治に関与することで、民主主義が担保され、国家の暴走を防ぐことができるのである。
(2020.9.21)


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