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2020.9.11-6(3)

2020年09月10日 (木) 10:57
2020.9.11-

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〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く?部〉第3回 「青年学会」を築いた若き日の闘争?

●青年の心で、青年と共に!――常に若き後継の友を慈しみ、広布の大道を歩み抜かれる池田先生ご夫妻(2005年2月、旧聖教新聞本社前で)

●青年部結成は広布共戦の出発 師と同じ誓願で一人立つ弟子に
 ◆志賀 1951年(昭和26年)5月3日に第2代会長に就任された戸田先生は、同年7月11日に男子部を、19日に女子部を結成されました。男女青年部の誕生です。
 その上で、戸田先生が会長に就任されるまでには、若き池田先生の人知れぬ奮闘がありました。
  
 ◇原田 事業の行き詰まりから、50年8月に戸田先生が学会の理事長辞任の意向を発表された後も、池田先生は“私が働いて、働いて、働き抜いて、先生の借金も返済しよう。そして、戸田先生に、会長になっていただこう。それが、弟子である私の戦いだ!”と深く決意し、命懸けで戦われました。
 池田先生は苦境のさなかの日記に、こう書かれます。
 「未来、生涯、いかなる苦難が打ち続くとも、此の師に学んだ栄誉を、私は最高、最大の、幸福とする」(51年1月7日)
 どんな苦しい状況下にあっても、師弟の道を貫き通された、この先生の苦闘があってこそ、戸田先生が第2代会長として、広宣流布の指揮を執ることができたのです。
  
 ◆西方 51年5月3日に戸田先生が会長に就任し、生涯の願業として、会員75万世帯の達成を発表されます。
 小説『新・人間革命』第22巻「新世紀」の章で非常に印象的なのは、戸田先生が「広宣流布は、この戸田がする。七十五万世帯は、戸田の手で達成する。君たちも手伝いたいか!」と語っていたということです。
  
 ◇原田 戸田先生は、決して「戦ってくれ」とは言いませんでした。広宣流布に一人立たれたのです。弟子が、広宣流布の戦いに加わることを誓願したのです。
 その上で「新世紀」の章では、こうつづられています。
 「だが、その戸田が、ある時、伸一に、こう語ったのである。『広宣流布は、お前がやるのだ。大聖人の仰せの通りに、立正安国の戦を起こせ! 手伝いをしている気持ちの者が、何万人集まろうが、本当の戦いはできんぞ!』。戸田は、最終的には、自分と同じく、師子となって一人立つ弟子を、つくろうとしていたのである。そして、その範を示す使命を、伸一に託したのだ」
 池田先生が、戸田先生の言葉を通して、皆が師匠と同じように、一人立つ弟子となることが最も重要であることを、私たちに教えてくださっているのだと思います。

「生涯、正法正義を貫き通す人材を、私は青年部のなかから育てていく。この戸田の弟子であることの“誇り”をもち続け、広宣流布という“大理想”に生き抜こうという人間だ!」

「皆の心から、創価の師弟の誇りと、広宣流布の理想に生きようという一念が希薄化してしまえば、学会の未来はない。いや、そうなれば、地涌の菩薩であるとの自覚も失われ、真実の幸福の道も見失ってしまうことになる。学会を、そうさせないために、青年が立つんだ」

そして、池田先生に対して、「君は、その事実上の原動力になるんだ。模範になれ! 永遠にだ。班長という一兵卒から戦いを起こし、全軍を率いて、広宣流布の大理想に突き進め!」

「頼んだぞ! 万人の幸福を築け! そのために学会は、後世永遠に広宣流布を、立正安国をめざして進んでいくんだ」

●妙法の哲学こそ幸福の根本条件

 ◆林 男子部に続いて、7月19日には女子部が結成されました。この日、戸田先生は「女子部は、一人も残らず幸福になりなさい」と語られました。
  
 ◇原田 まだ終戦から6年ほどしかたっていない頃のことです。戸田先生は、それまでの女性史が“宿命に泣く女性の歴史”であったことを踏まえ、この不幸な歴史を転換しゆく使命を学会の女子部に託されたのです。

 「女性の幸福の根本条件こそ、永遠不滅の妙法の哲学である。純粋な、忍耐強き信心に生涯を生ききることだ」
とも語られました。師の思いをそのまま受け継ぎ、皆を慈しみ、励ましを続けてこられたのが池田先生なのです。
 女子部結成式に参加した74人の中には、池田先生の奥さまもいらっしゃいました。いわば「女子部の1期生」です。奥さまは当時、東京・銀座にあった銀行に勤めており、結成式には仕事を終えてから駆け付けられたそうです。社会でも信頼を得ながら、女子部の建設に向けて、連日、奮闘されていたのです。
  
 ◆大串 今、池田先生・奥さまの慈愛に包まれて、女子部の池田華陽会の連帯は世界に広がっています。9月27日の「世界青年部総会」に向け、同志と励まし合い、社会に地域に、友情と幸福の輪をさらに大きく広げてまいります。

「御聖訓に照らして、これからも私たちには激しい嵐がありましょう。獰猛な波浪の攻撃もありましょう。しかし、私たちは、信教の自由を、人権を、人びとの幸福と平和を守るために、戦い続けなければなりません」

「私は、民衆の幸福と恒久平和を実現するために、終生、この学会を全力で守り、育ててまいります。それが、戸田先生にお応えする道であると確信しております」

 この年(75年)の5月に先生がヨーロッパ、ソ連を訪問される時のことです。たしか、羽田空港を飛び立った飛行機がシベリア上空に来た頃でした。思索されていた池田先生がパッと身を正して「今年は戸田先生の出獄30周年だな」と、同行していた私たちにおっしゃり、次から次へとさまざまな構想を話されました。

 池田先生はよく「私の心にはいつも戸田先生がいる」と言われますが、師の遺訓を思索し、その実現に向けて身を粉にして世界を駆け巡る先生の姿を目の当たりにして、感動が走りました。襟を正さざるを得ませんでした。


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