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【Deep Insight】アベノ無形革命 道半ば
日本経済新聞 朝刊
2020/9/8 2:00
安倍晋三首相が退陣を表明する1カ月ほど前、企業会計の世界で1つの「事件」が起きたのを知っているだろうか。
日本の製造業の象徴的存在といえるトヨタ自動車が、4〜6月の四半期決算で初めて工場や土地などの有形資産とは別に「無形資産」の項目をバランスシート(貸借対照表)に設けたのだ。額は1兆円を超えた。
2021年3月期から欧州やアジアで広く使われる国際会計基準(IFRS)に移行したので当然だ、との指摘もあろう。時価主義を重視するIFRSという基準では企業買収や研究開発で得た「キャッシュを生みうる要素」を見えない資産として記載する機会が増えるといわれている。
トヨタの場合は企業買収が少なく、「のれん」は小さい。従って現状では同資産の中身は今後発売する新型車に関連した金型や治具など「プリプロダクションコスト」と呼ばれる開発の成果が大半ではないかと推測されている。
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とはいえ無形資産に何を、どこまで、いくらで入れるかは最終的には企業の判断によるところが大きく、前年度まで「コスト」だった部分をトヨタが兆円の単位で資産に組み入れることにしたのは大きな変化だといっていい。
しかも、一度項目を設けたことで、同社は今後も人工知能(AI)やあらゆるモノがネットにつながる「IoT」に関連した目に見えない「キャッシュを生みうる要素」を重点的に無形資産に加えていく可能性がある。
トヨタは米シリコンバレーに「トヨタ・リサーチ・インスティテュート(TRI)」という研究開発会社をもち、連結対象にしている。すでにそこを通じて多くのAI技術を蓄積しているが、今後はM&A(合併・買収)で外部からも技術を取り込み、米国のGAFAのように無形資産が分厚いバランスシートを戦略的に作り込んでいく可能性もあるだろう。
株式市場にもかねて期待感はあった。だが、より重要だとみられるのは製造業の多い日本の企業社会全体への波及効果だ。日本企業の投資は工場や店舗など有形資産を対象にしたものが多く、3本の矢に「民間投資を喚起する成長戦略」を入れたアベノミクスの8年弱でもそれは変わらなかった。
検証してみよう。アベノミクス後、確かに上場企業の自己資本利益率(ROE)は8%超に改善した。設備投資や研究開発費も大幅に増えたが、バランスシートから見えてくるのは有形資産の合計が80兆円近く積み上がったのに対し、無形資産は40兆円強の増加(いずれもQUICK・ファクトセット)にとどまった現実だ。
アベノミクスは「無形資産を増やすことが国家戦略」と公式に訴えたわけではない。だが、政府の未来投資会議やそのスローガンである「ソサエティー5.0」はIT(情報技術)を中心とした新産業の創造やGAFAのような企業群の育成を目標に置いてきたはずであり、方向としては無形資産型への転換にカジを切ったといっても過言ではなかった。
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その結果が株式時価総額に見られる日本と世界の格差だ。第2次安倍内閣発足の12年12月26日と首相退陣表明の20年8月28日を比べると、日本がトヨタ、世界は米アップルでトップ企業は変わっていないが、トヨタとアップルの差はほぼ10倍に開いている。
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「会計」という視点でいえば、500年前のイタリアで簿記が生まれて以降、銀行革命、会社革命など「9つの革命が起きた」と「会計の世界史」の著書がある作家の田中靖浩氏は話す。9つ目の現在は価値革命だという。企業はもっと無形資産という従来の帳簿の外にある新しい価値に目を向けるべきだ。政府もそれを規制緩和などで後押ししたい。次の10年の最重要課題の一つはそれだ。