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【The Economist】米大統領選、波乱は不可避
日本経済新聞 朝刊
2020/9/8 2:00
米国では9月の第1月曜日(今年は7日)のレーバーデー(労働者の日)を境に、大統領選は終盤に入る。しかし、今年は不穏な雰囲気が漂っている。
オレゴン州ポートランドでは「ブラック・ライブズ・マター(BLM=黒人の命は大切だ)」運動が数カ月続いており、トランプ米大統領の支持者と同運動の参加者らが衝突している。ウィスコンシン州ケノーシャでは、丸腰の黒人男性が警官の発砲を受けて下半身不随になったほか、トランプ氏支持者がおそらく正当防衛のために発砲し、抗議デモ参加者2人が死亡した。トランプ氏は8月末、ケノーシャに飛び、暴動で燃えた建物の前で写真を撮らせた。
すべては杞憂(きゆう)だろうか。米国には過去にも血塗られた選挙戦や結果を争うことになった大統領選がある。1968年には民主党予備選を戦っていたロバート・ケネディ上院議員が暗殺された。12年には再出馬したセオドア・ルーズベルト元大統領がウィスコンシン州で遊説中に撃たれた(胸ポケットの手帳が幸いし、演説を終えてから救急搬送され、命を取り留めた)。1876年の大統領選の結果を巡っては、歴史家の間でいまだに論争が絶えない。
それでも米国はこれまで南北戦争のさなかでさえ、大統領選の敗者が敗北宣言をして結果を受け入れてきた。この連綿と受け継がれてきた歴史を振り返れば、波乱を予測するにしても大げさな物言いは慎むべきだろう。だが、11月の本選で混乱が起きるリスクは高い。
民主主義国家で平和裏に政権移行を進めるには、敗者とその支持者の大半が敗北を認める必要がある。投票当日の選挙結果で勝敗が明確になれば、話は早い。敗者は悔しいだろうが、負けを認めて次の選挙に向けて始動すればいい。逆に投票結果がはっきりしない場合は、事態の収拾を図る制度が必要だ。
欧米の成熟した民主主義国で、敗者が選挙結果に異議を申し立てることはまれだが皆無ではない。イタリアでは2006年の総選挙で僅差で敗れたベルルスコーニ首相(当時)は、根拠も示さず不正がまん延していたと主張し、選挙結果に異議を唱えた。イタリア最高裁は訴えを認めず、同氏は負けを認めざるを得なかった。米国では00年の大統領選が大接戦となり、フロリダ州は再集計に持ち込まれた後、連邦最高裁がその有効性の判断を下した。いずれも、司法が結論を出したことで対立に終止符が打たれ、両国とも政権が交代した。
今回の大統領選でトランプ氏かバイデン氏のいずれかが地滑り的勝利を収めた場合、米国民の約半数はやり場のない思いを抱えることになる。民主党支持者の多くは、トランプ氏が民主主義自体を脅かす存在だとみなしている(従って同氏が再選を果たせば、数千万人が動揺する)。対照的に共和党支持者の間では、トランプ氏は今も87%の高支持率を誇る。同氏が敗れれば、多くが民主党は不正をしたと不満を訴えるだろう。
大差なら円滑な政権移行が妨げられることはない。現時点の世論調査が示す通り、トランプ氏が8ポイントの大差で負けたら、まともには異議を申し立てられないだろう。だが、同氏はいずれにしろ負ければ疑義を呈し、社会不安がさらに増幅する恐れはある。
大敗でなく接戦になれば、もっと見苦しい事態になり得る。
20年も昔の00年の大統領選がいかに大変な事態であったかは忘れられがちだ。だが当時の米国は自信に満ちあふれていた。9.11テロはまだ起きておらず、中国もまだ台頭していなかった。SNS(交流サイト)上で選挙戦が展開されることもなかった。今の基準なら当時の大統領の座を争った候補者はいずれも穏健な中道派だったといえる。
米国と世界各国にとって、今年の米大統領選の意味は大きい。政府関係者は忠義を尽くすべきは支持政党ではなく合衆国憲法だということを肝に銘じ、投票とその後の展開が円滑に進むように全力を尽くすべきだ。地滑り的勝利でも油断はできない。接戦の場合、敗北した側がその支持者を含め、その結果を受け入れるのは難しいかもしれない。だがそれを実現できなければ、民主主義は危機に陥ることになる。