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第3代会長就任60周年記念 師弟凱歌の記憶
第15回「冷戦の氷を溶かした初訪ソ」
●第1次訪ソでモスクワ市近郊のザゴルスク市を訪れた池田先生が少年と語らう(1974年9月)
9月8日は、戸田城聖先生が原水爆禁止宣言を発表した日(1957年)であり、池田大作先生が日中国交正常化提言を発表した日(68年)である。
そして1974年9月8日、池田先生はソ連(当時)への第一歩をしるした。それは、東西冷戦下の社会主義陣営の旗頭であり、「鉄のカーテン」で覆われた国に、平和と友好の橋を架けるための挑戦であった。
宗教指導者がなぜソ連に行くのか――反対の声は多かった。出発前、そうした意見を伝えた財界人に、先生は答えた。「そこに、人間がいるからです」「そこにいるのは、平和を願う、同じ人間ではないですか」
イデオロギーなど、一切の先入観を捨て去って、まず「人間」として心を開き、語り合うことだ。これが先生の信念だった。
宗教指導者がなぜソ連に来るのか――懸念と不安は、迎えるソ連側も同じだった。
だが、池田先生が秋晴れのモスクワ・シェレメチェボ空港に降り立った瞬間、心配は消え去った。
モスクワ大学のホフロフ総長はじめ、出迎えた人々に先生は語り掛けた。「しっかり勉強して帰りますので、生徒と思って教えてください」。ぱっと笑顔が広がる。空港のターミナルビルへ向かうバスの中で、早速、和やかな語らいが始まった。
●第1次訪ソの際、モスクワ市から先生に贈られた市の鍵
ノーベル賞作家のショーロホフ氏と16日に会見。最終日の17日には、クレムリンでコスイギン首相と会談した。日本人は、ソ連は怖い国という印象を持っています――先生は率直に語った。「政治や経済の分野だけでは、真の友好はありえません。文化交流こそ、最も大切になってきます」
鋭い眼光で見つめていた首相の顔色が、みるみる変わっていく。
首相は尋ねた。「あなたの根本的なイデオロギーはなんですか」
先生が即答した。「平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は人間主義です」
首相は応じた。「池田会長の思想を、私は高く評価します。その思想を、私たちソ連も、実現すべきであると思います」
こうした実りある語らいの中、先生は、当時、厳しい中ソ対立の渦中にあった首相から「中国を攻撃するつもりはありません」「(中国に)伝えてくださって結構です」との発言を引き出した。同年12月に訪中した際、先生は中国首脳にこの発言を伝え、緊張緩和に貢献することになる。
会談は1時間半にも及んだ。首相は会談後、招へいの実質的責任者だった共産党国際部のイワン・コワレンコ氏に言ったという。「こういう優れた日本人をどこで見つけてきたのですか」
帰宅後も、令嬢のグビシャーニさんに「今日は非凡で、非常に興味深い日本人に会ってきた」と話している。
◎ロシアで開催 「自然との対話」写真展に反響
「自然との対話――池田大作写真展」がロシア・ロストフ州で昨年11、12月と、今年2月からの2度開かれ、好評を博している。池田先生は1974年9月16日、同州で生まれ育った文豪ミハイル・ショーロホフ氏とモスクワで出会いを結び、同氏の名著『人間の運命』などについて有意義に語り合った。
●作家・ショーロホフ氏の令孫 アレクサンドル・ショーロホフ下院議員
2008年に池田SGI(創価学会インタナショナル)会長とお会いした時のことが、忘れられません。会長と語り合い、私は、人間自身が運命の主人公であることを改めて確信しました。今回、会長の写真展が、祖父ミハイル・ショーロホフゆかりのロストフ州で開催されたことを大変にうれしく思います。
写真も含めた芸術作品は、作者の人生観を表します。同じ一つのものに特別な何かを発見する人もいれば、見逃す人もいる――そうしたことを深く考えさせられました。
写真展は、来場者にとって、自分の目で“生命の美”に触れる素晴らしい体験となったに違いありません。
祖父を通じて池田会長と出会えたことは大きな喜びです。これからも実り多き交流を継続していけることを望みます。
●国立ショーロホフ博物館・自然保護区
オリガ・アニストラテンコ館長
ミハイル・ショーロホフとの出会いを大切にし、彼の文化的遺産を普及してくださる池田SGI会長。今回、素晴らしい写真作品に触れる機会をいただき感謝いたします。
一枚の木の葉、一輪の花など、身近に存在するものに美を見いだした作品群に感嘆しました。池田会長の写真を見ると、立ち止まって、私たちを取り囲む世界に目を向けようという気持ちになります。大きな反響を呼んだことも納得です。
写真展では、会長とショーロホフの交流に触れたパネルを併設しました。今度は作家や平和運動家といった池田会長の多角的な活躍についても紹介できればと思っています。