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〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く ?部〉第21回 「大衆とともに」――公明党の結党?
「これから先、党として、ある場合には革新政党と手を結ぶこともあろうし、保守政党と協力することもあるかもしれない。野党の立場で与党を正すこともあれば、政権に加わって、改革を推進することもあるかもしれない。あるいは、政策を実現するためには、妥協が必要な場合もあるでしょう。
さまざまな選択はあるが、根本は国民の幸福のためであるということを、絶対に忘れてはならない。
さらに、政権に参画したとしても、徹して権力の魔性とは戦い抜くことです。そうでなければ、公明党の存在意義はなくなってしまう」
今振り返ってみても、すごい慧眼です。だからこそ、公明党の議員は、国民の生命と暮らしを守るため、この原点を命に刻み、戦い抜いてもらいたい。
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◆西方 公明党が幾多の烈風を経ながら、自民党の要請を受けて連立政権に参画したのは99年(平成11年)です。
大きなきっかけは97年、アジアの通貨危機に始まり、都市銀行や四大証券の一角の破綻などで、日本が未曽有の金融危機に突入していたことでした。
98年7〜10月の国会は、その克服が最大のテーマでした。
公明は野党でしたが、国家・国民の視点から政策判断をして、自民側が修正要求を可能な限り取り入れたことから、破綻前の金融機関に公的資金を投入する「金融早期健全化法」に賛成します。
“ミスター円”と呼ばれた大蔵省財務官の榊原英資氏は、退官後にテレビ番組で、公明の政策対応によって、「日本は救われた」と述べています。
◇原田 その通りです。公明は、あわや日本経済の底割れという国家的危機を回避させるために動きました。「国民のために何が大事か」という観点からでした。
当時は、そうした「合意形成型政治」を掲げつつも、連立政権入りは考えていませんでした。翌99年に自民党側から強い要請があり、連立に参加していくことになったのです。