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2020.8.25-4

2020年08月24日 (月) 15:16
2020.8.25-

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◎【核心】「年金抑制」いっそやめたら?
「代わりに70歳支給開始を」
上級論説委員 大林尚
日本経済新聞 朝刊 オピニオン(6ページ)
2020/8/24 2:00

 5月29日といえば、安倍晋三首相が緊急事態宣言を解除してまだ間がないときだ。日本中がコロナ禍の行く末に不安を募らせていたのだから、国会情勢を気に留める人が少なかったのも無理はない。

 2019年の年金財政の検証結果を踏まえ、厚生労働省が先の国会に出した年金法案が成立した日である。注目すべきは採決に賛成した政党の顔ぶれ。自民、公明の両与党は当然として、立憲民主、国民民主、日本維新の会も法案修正を経て賛成に回った。この意味するところは何か。

 筆者が年金の取材を始めたのは四半世紀前だ。この間、党派を超えた改革合意の必要性を意識してきた。長寿化に経済低迷が重なり、制度としての年金を修復する改革は、おのずと給付抑制と負担引き上げの2点に収斂(しゅうれん)されるからだ。

◇◇

 だが今回はそんな高い次元の歩み寄りではなかった。与野党間で争点化必至の厳しい改革を、政府案が素通りしていたためだ。互いに傷つかなくてすむ改革と換言できる。行政はやすきに流れ、立法府が追認する。根源を探ると厚労省が「最後の大改革」と銘打った04年改革にゆき着く。

 この改革の要諦は(1)保険料を段階的に一定の水準まで上げ、固定する(2)基礎年金への国費投入割合を33%から50%に高める(3)給付総額は保険料と積立金の取り崩しで得られる範囲に抑える――の3点。以後100年は抜本改革が不要という触れ込みだった。

 俗に言う100年安心プランだ。04年6月、参院厚労委員会の法案採決時、民主党議員らは議事妨害を画策し与党議員と乱闘劇を演じた。本会議では牛歩戦術で徹底抗戦した。給付抑制の決め手になるはずだったマクロ経済スライドを目の敵にしてのことだ。

 本来なら現役世代の賃金上昇率などに連動する年金の増額幅を、それより低く抑える調整の仕組みがマクロスライドだ。だがこの仕組みには致命的な欠陥があった。スライド調整後の年金額が原則として前年の年金額を下回らないようにする名目下限措置だ。

 想定したように賃金が上がらないデフレ基調のもとでは名目下限措置があだになり、厚生年金の実質的な給付水準(所得代替率)がかえって上昇する逆転現象が生じた。所得代替率は04年度の約59%から年々小刻みに下がり、23年度以降は50%に落ち着くはずだった。だが19年度の実績は62%に上がっている。政治家が意図せずとも、高齢者は04年より恵まれた年金をもらっているのだ。マクロスライドはなまくらな刀だった。

 ならばどうする。厚労相の諮問機関、社会保障審議会の年金部会長として04年改革に道筋をつけた宮島洋早稲田大教授(当時)が、コペルニクス的転換を提起している。役立たずのマクロスライドはいったん脇へ置き、支給開始年齢を65歳から段階的に70歳に先延ばしする大改革である。

 米英独の3カ国はひと足早く、67〜68歳への引き上げを決めている。日本より平均寿命が短いにもかかわらずだ。日本は民主党政権の11年、小宮山洋子厚労相が68歳案をポロリと口にし、社保審年金部会も議論の俎上(そじょう)に載せたが、世の猛反発に遭い、たまらず撤回した。

◇◇

 よりどころにしたのは「超長期の時間軸で年金の入りと出を釣り合わせる」という100年安心の古証文だった。これが空理空論なのは、マクロスライドの機能不全をみれば明らかであろう。

 その反省に立ち、宮島氏が重視するのは、生涯を通じて保険料を払う拠出期間と年金をもらう受給期間のバランスだ。基礎年金を創設した1985年改革時、この比は2.3対1だった。それが足元では1.8対1に崩れている。長期的に人生95年を想定し、このバランスを2対1に回復させる。拠出期間は20〜70歳の50年、受給期間は95歳までの25年。これが基本形だ。

 だが官邸の国民会議会長を務めた清家篤慶応義塾長(当時)は支給開始引き上げに懐疑的だ。その負の影響が将来世代に及ぶこともあり、マクロスライドの機能復活に期待を寄せる。「年金が高齢世代への仕送り方式をとる以上、現役世代の実質賃金を上げることが不可欠。経済界にはその点を理解してもらいたい」

 では、65歳支給開始の維持がもたらすものは何か。

 30年前に厚生次官を退官した吉原健二氏は現役時、支給開始引き上げを政治家に説いて回ったひとりだ。制度がまだ小さかったので将来を憂う気持ちを素直に伝えられた。現在、日本の年金受給者は4000万人だ。このままだと20年後に総人口の40%がもらう側に回る。「そんな国はほかにない。国のかたちとしても自慢できない」と吉原氏。

 04年改革が最後の改革ではなかった事実がみえてきた。


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