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悲劇の歴史を「平和の誓い」へ
――フィリピンの名門デ・ラ・サール大のゴンザレス学長と
連載〈扉をひらく 池田先生の対話録?〉第14回
時が止まったかのような、厳粛な空間だった。
1998年2月10日、フィリピンを代表する私学の名門
デ・ラ・サール大学を訪れた池田先生は、キャンパスの一角にある「慰霊の碑」に赴いた。
デ・ラ・サール大学の「慰霊の碑」に献花。平和への祈りを込めて(98年2月)
――それは1945年2月12日、このデ・ラ・サール大学で起きた悲劇であった。教員と市民、合わせて41人が虐殺されたのである。
真珠湾攻撃の直後、日本はフィリピンを占領。首都マニラにある同大学は、病院や避難所として開放されていた。日本軍が大学を「南防衛本部」として接収した後も、教員たちは「戦争があろうとなかろうと、フィリピンの青年を『無知』や『悪』の人間に育てるわけにはいかない」と授業を続けた。
2月初め、米軍がマニラに入ると、追い詰められた日本軍は市民に非道の限りを尽くす。そして12日、キャンパスへとなだれ込み、女性や幼い子どもたちまでも惨殺したのである。
献花を終え、大学内で学長と語らった後、先生は再び「慰霊の碑」の前へ。再度、哀悼の意を表した。
その姿を、学長がじっと見つめる。
二人の間には、“過去の和解”という次元を超え、恒久平和という“未来への誓い”が響き合っていた。 像である。
碑に献花した先生は、胸に手を当てて深々と礼を。その傍らで、白衣の正装に身を包んだアンドリュー・ゴンザレス学長が黙祷をささげる。
学長が穏やかな声で言った。「あれから、ちょうど53年になります」
●デ・ラ・サール大学の「慰霊の碑」に献花。平和への祈りを込めて(98年2月)
――それは1945年2月12日、このデ・ラ・サール大学で起きた悲劇であった。教員と市民、合わせて41人が虐殺されたのである。
真珠湾攻撃の直後、日本はフィリピンを占領。首都マニラにある同大学は、病院や避難所として開放されていた。日本軍が大学を「南防衛本部」として接収した後も、教員たちは「戦争があろうとなかろうと、フィリピンの青年を『無知』や『悪』の人間に育てるわけにはいかない」と授業を続けた。
2月初め、米軍がマニラに入ると、追い詰められた日本軍は市民に非道の限りを尽くす。そして12日、キャンパスへとなだれ込み、女性や幼い子どもたちまでも惨殺したのである。
献花を終え、大学内で学長と語らった後、先生は再び「慰霊の碑」の前へ。再度、哀悼の意を表した。
その姿を、学長がじっと見つめる。
二人の間には、“過去の和解”という次元を超え、恒久平和という“未来への誓い”が響き合っていた。
●「人間の連帯」を
デ・ラ・サール大学の創立は1911年。フランスのカトリック司祭であり、近代初等教育の先駆者として著名な、デ・ラ・サール師の理念を原点とする。
民衆教育の確立に生涯をささげた同師を模範とし、21世紀への転換期にあって、新たな発展の舵取りを担っていたのがゴンザレス学長であった。
米カリフォルニア大学バークレー校に留学し、言語学の博士号を取得。帰国後、デ・ラ・サール大学の副学長等を経て、79年、30代で学長となった。
ゴンザレス学長の人生は、戦後フィリピンの独立、発展の歴史と重なる。
「私の教育者としての使命は、学生と共に生き、そして最高の大学をつくること」――最優秀の教育者を集め、入学者数を倍増させるなど、大学改革に奔走。その主眼は「既存の知識」を伝える大学から、「新たな英知」を創り出す大学への変革にあった。
改革に挑むさなか、学長は、池田先生が掲げる平和と教育の理念、そして創価大学の存在を知る。
「人類に貢献できる新たな研究」へ共に進みたい――。1996年7月、デ・ラ・サール大学と創価大学に学術交流協定が結ばれ、翌97年3月、創大卒業式の席上、先生へ名誉人文学博士号が授与されたのである。
ゴンザレス学長は力を込めた。
「創立者・池田博士のお心を実践する創価大学とデ・ラ・サール大学の共通点は、両大学とも『平和と調和の推進のため、地球上から戦争を廃絶するために、人間主義に基づく価値観を教え続けてきた』ということであります」
スピーチに立った先生は、デ・ラ・サール大学に刻まれた日本軍の非道の歴史に触れ、こう述べている。
「この悲劇の歴史を、私どもは、断じて忘れてはならない。日本の軍国主義と昂然と対決して獄死した牧口先生の精神が、わが創価大学の建学の原点であるからであります。ゆえに、創価大学は未来永遠にわたって、国家を超え、国家悪を超えた『人間の連帯』を構築してまいりましょう!」
線上より 広く面上にうつり
高く聳えゆく
二十一世紀の結実の
文化の作業をするのだ
それは 君達の踏む檜舞台!
誇り高き 初登場だ!
われには われのみの使命がある
君にも
君でなければ 出来ない使命がある
池田先生が若き友に贈った「青年の譜」の一節である。