〈紙上教学研さん 「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ〉
第6回 難を乗り越える信心<下> 萩本主任副会長
池田先生の指導
広布の師弟に生き抜く人は、
一人残らず師子王です。
人生を恐れなく
楽しみ切っていける。
社会を、世界を、希望の智慧で
照らしていけるのです。
1 前進するから魔が競い起こる
それでは今回も、「難を乗り越える信心」について学んでまいりましょう。
「三沢抄」を拝しての池田先生の講義の続きを確認します。
■ 池田先生の講義
第六天の魔王といっても、その本質は、生命に潜む元品の無明が、魔の働きとなって現れてきたものです。
自身の境涯を広げようとするから、止めようとする力が働く。船が進めば波が起こり、走れば風圧が生ずるように、人間革命の道を進みゆく人々に、信心への不信、疑念を抱かせようとするのが、魔の本質なのです。
決して、自分の信心が弱いから、また、自分の信心の姿勢が悪いから難が起こってくるわけではないのです。
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思いがけない苦難に襲われると、「自分の信心が弱かったから」「信心の姿勢が悪かったから」と弱気になりがちです。しかし、先生は「そうではない」と断言されています。
1985年(昭和60年)7月、長野の実家が地滑りに巻き込まれました。幸いにも父母は逃げ出して無事でした。東京から飛んで帰ると、そこにあったのは、厳として動じない父母の姿でした。
父と母は共に63年(同38年)に入会。二人して、幾度も池田先生の励ましを受けながら広布に走り抜いてきました。先生は被災の報を聞かれ、「大変だったね。必ず変毒為薬できるよ」と万感こもる激励をしてくださいました。
「変毒為薬」とは「毒を変じて薬と為す」という意味です。日蓮大聖人は、この文を引いて「災来るとも変じて幸と為らん」(御書979ページ)と仰せです。
魔はあらゆる手を使って、法華経の行者に疑いや恐れや不安や迷いを起こさせ、成仏を妨げようとしてきます。しかし、魔を魔と見破れば、信心の利剣によって必ずや打ち破っていけます。
その後、父は使命を全うし、3年前に霊山に旅立ちましたが、あの時、「家はなくなったが、これでますます広布のため、同志と共に頑張っていける」と凜と語っていた姿は、今も忘れられません。
2 師弟の道に勝利の要諦が
続いて先生は「佐渡御勘気抄」を拝されます。同抄は、日蓮大聖人が流罪地の佐渡に向かわれる直前に認められた一書です。
【御文】
仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめと・をしはからる(佐渡御勘気抄、891ページ2行目〜3行目)
【現代語訳】
仏になる道は、必ず命を捨てるほどのことがあってこそ仏になるのだろう、と思われる。
■ 池田先生の講義
人間は、運命を嘆き、宿命に翻弄され、苦しむだけの存在ではない。難を乗り越えて、自他共の幸福を勝ち開く。その力を無限に解き放つための哲理が妙法です。そのための信心です。この境涯革命、人間革命を成し遂げるには、不惜身命の実践が欠かせないのです。その要諦は不退の信心にあります。
佐渡流罪中に認められた「開目抄」にも「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(御書234ページ)と仰せです。
いかなる難に直面しても、疑いを起こさず、敢然と信心を貫き通していけば、必ず仏界の生命を涌現できる。
大事なことは、「まことの時」に、師の言葉を忘れず、ひとたび決めた師弟の道を、同志と共に、断固と進み抜いていく信心です。
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努力に努力を重ね、それでも「もうだめだ」と思った時、「師匠に勝利の報告をする」との決意を希望の光として、もう一度、戦いを開始する同志が全国におられます。
東京・新橋駅近くで40年以上にわたり飲食店を営む壮年が、90年代のバブル崩壊を受け、店をたたもうかと行き詰まった時、目にしたのが池田先生の随筆でした。戸田先生の事業が苦境に陥る渦中、聖教新聞の創刊の構想を「新橋駅近くの食堂」で語り合ったことがつづられていました。「絶体絶命の中、戸田先生と池田先生は、この地から勝利を開かれた。負けるものか! 先生が魂魄をとどめられた新橋で店をやっていく」と腹が決まりました。そこから厚い壁に挑み抜き、やがてにぎわいを取り戻すのです。
その後、リーマンショックによる不況も乗り越えました。なぜ40年も店を続けられたのか?――こう問われた壮年は語ります。「毎朝、しっかり居住まいを正してから聖教新聞を読みます。池田先生の息吹に触れ、決意してから仕事に向かうことで、さまざまな苦難も乗り越えることができました」と。
今、コロナ禍で客足が絶える中、常連客や飲食店の仲間に励ましを送る日々。その模様を、70歳にして初めて触れたパソコンを使って、オンラインの支部の壮年部御書学習会で報告するなど、至る所で勇気と希望を広げておられます。