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蒸気機関車の車両整備士〈信仰体験〉
〈連載企画 登攀者2020〉夢と浪漫の旅路をゆく
苦い経験がある。まだ原さんが30代だった頃。
機関室の水面計の下のコックが緩んでいた。それを見抜けず、噴き上がった蒸気の勢いでコックが飛び、水蒸気が噴き出した。一瞬にして機関室は真っ白に。慌てて飛び降りる機関士と機関助士。
幸い、その日の運行を終えて、機関庫に戻る際の出来事だった。
“これが運行直前だったら……”。背筋が寒くなる思いがした。
自らの仕事に安閑としていい日などない。絶対に失敗が許されない緊張感と重圧にもまれながら、積み重ねた技術こそが自らのものになる。それを自身に言い聞かせた。
以来、ボイラーや機関室など上回りの技術、動輪や連結器など下回りの技術、それぞれの第一人者に教えを請いながら、技術を身に付けてきた。
蒸気機関車はその特性から生き物に例えられる。
人やモノの大量輸送に貢献した機関車は、一つ一つの整備に格段の手間が掛かるが、その分、思い入れも深くなる。
「手のかかる子どもみたいなもんやね」と原さん。蒸気機関車にとっての食料は「石炭」。釜焚き作業も原さんの業務の一つ。運行が連日にわたる際は、夜間も泊まり込みで、火を絶やさないという。
●1000度を超す火室の蓋を開けると、熱風が体に吹き付ける。
玉のように噴き出る汗を拭う間もなく、スコップで石炭をすくい、「じゅうたんを敷くよう」に満遍なく石炭を入れる。そして、ボカと呼ばれるカギ棒でかき回す。
●京都鉄道博物館では、蒸気機関車の体験乗車を連日行っている。
「わあ、ヒロみたい!(アニメ『きかんしゃトーマス』に出てくる蒸気機関車をモチーフにしたキャラクター)」と駆け出す子どもたち。
「煙のにおいが懐かしい」と往時をしのび、目を細める老夫婦の姿も。
◇◇
“いつかまた蒸気機関車をやりたい”。そのことを夢見て、仕事を終えた後、ボイラー技士や電気工事の勉強を重ねた。胸にあったのは、「忍耐即勝利」。そう思えたのは、悩みを信心で乗り越えた確信があったから。
◇◇
幼少期から吃音に悩んできた。何気ない時はスムーズに言葉が出ても、緊張した場面では言葉がつかえる。話そうとすればするほど、焦って言葉が出てこない。
二つの思い出がある。
一つは、未来部担当者からの励まし。同級生にからかわれて落ち込んでいる時、不思議と未来部担当者が家を訪ねてくれた。何を言うわけでもなく、ただそばにいるだけ。それでも、無形の慈愛が心に染みた。
ある時、言われた。「原君、今度会合で劇に挑戦してみんか」
“そんなん無理や”。そう言って断ることもできた。しかし、原さんは挑戦することに決めた。毎晩、セリフの練習を重ね、本番では無事、大役を果たすことができた。
●もう一つは、輸送班(現在の創価班)でのこと。
登山会参加者の前で注意事項を伝える役割を担当した。言葉が出てこず、汗びっしょりになった。
毎回が真剣勝負。「広宣流布のためにお役に立つ」と必死にしがみついた。
「蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ」(御書26ページ)。
友人への仏法対話にも挑戦した。そうして迎えた最後の任務の時。原さんが話し終えると、一人の壮年が近寄ってきた。
「最後まで、つかえずに言えたやんか」
そう言われて初めて気が付いた。いつの間にか吃音を乗り越えていたことに。
「昔はこればっかり祈っていたんですが、いつの間にか祈ることは、部員さんや友人のことになっていたんです」
池田先生は語っている。
「信心をすれば、現実の課題や悩みがなくなるのではない。悩みに負けない生命力が出るのだ」
原さんは現在、地区部長を担いながら、圏の未来本部長として、多くの未来部員に励ましを送っている。
「蒸気機関車は走り始めたら、何があっても目的地まで走り抜くんやで」
池田先生が築いた常勝関西の魂を継ぐ未来部員と共に、人間革命の旅路をゆく――。