◎黄、白、赤、紫……。色とりどりの花々が美しく咲いていた。本年5月、池田大作先生が都内で撮影した一葉である。
さまざまな花が集まって咲く姿は互いを支え、励まし合っているようにも見える。文豪・武者小路実篤は「仲よき事は美しき哉」と。“仲が良い”ということは、自然の世界でも人間の世界でも、美しく、心を安らかにする。
家族で過ごす時間の増える8月。日頃の感謝を言葉にして送るとともに、笑顔が生まれるコミュニケーションを心掛けていきたい。
私たちは一人ももれなく、創価家族の温かなスクラムの中にいる。真心の振る舞いで、互いの絆を強め、地域に和楽の花を咲かせよう。
家族が信心していなくても
何の心配もいらない。
その中で信心を貫いて
いること自体が全部、
家族の大功徳に変わる。
一人が
信心に立ち上がれば、
わが家に太陽が昇る。
全員を幸福の方向へ、
成仏の方向へ
導いていけるのが、
妙法の功力なのである。
◎各国でのSGI教学研修会から――欧州教学研修会
(本年1月)
「人間革命の宗教」について学ぶ
世界の友が、歓喜と希望の出発を切るSGI(創価学会インタナショナル)教学研修会。ここでは、本年1月にドイツで行われた欧州教学研修会の講義を紹介する。池田先生の講義「世界を照らす太陽の仏法」を教材に、森中SGI教学部長の担当で「人間革命の宗教」について学び合った。
森中SGI教学部長
学会創立90周年となる2020年を迎えました。
この時に当たり、池田先生は、「学会創立90周年から100周年へ向かう十年は、人類にとって重大な分岐点となる十年」と位置付けられ、「創立100周年へのこの十年、眼前の戦いを一つ一つ勝ち越え、『末法の令法久住』を盤石に決していきたい」と呼び掛けられました。
未来に永遠に創価学会を発展させていくためにも、一人一人の使命を、一層深く掘り下げていく時を迎えたと思います。
〈池田先生の指導から〉
今、世界は一段と混沌として暗雲が立ちこめているように見えます。
(中略)政治や経済の改革、制度や機構の刷新など外形的な変革だけで、決して人間社会の課題は解決できるものではありません。人間を置き去りにし、生命尊厳の基軸を失った変革は、結局、歪みをもたらし、行き詰まってしまう。
ゆえに、どこまでも「人間のため」という原点を忘れてはならない。“人間を離れるな!”“生命に目覚めよ!”“民衆自身から始めよ!”――今、この根本に立ち返ることが、あらためて求められているのではないでしょうか。それでは、二十一世紀に求められる宗教は、いかなる中心的価値を根幹にすべきでしょうか。私は、それは「人間主義の宗教」であり、「人間革命の宗教」であると訴えたい。(『人間革命の宗教』)
日蓮仏法は、どこまでも「目の前の一人の人間」を根本とする哲学です。ゆえに人間性を否定する魔性の思想とは断じて戦い、人間の尊厳性を守っていく。それが、先生が“人間を離れるな!”とつづられた意味だと思います。
●一念の変革から全ては生まれる
この人間革命の根底にあるものは、「地涌の菩薩」の使命の自覚にほかなりません。唱題行で生命力を涌現させ、周囲に慈愛の励ましを送る。まさしく自行化他の実践の深化によって、私たちは菩薩の行動者へと成長していきます。言い換えれば、学会活動こそが人間革命の直道なのです。
そして、人間革命によって、社会の根底の精神土壌が変革され、人類の境涯が高まっていくのです。
このことを、小説『新・人間革命』の「あとがき」からも確認しておきます。
〈池田先生の指導から〉
社会も、国家も、世界も、それを建設する主体者は人間自身である。「憎悪」も「信頼」も、「蔑視」も「尊敬」も、「戦争」も「平和」も、全ては人間の一念から生まれるものだ。したがって、「人間革命」なくしては、自身の幸福も、社会の繁栄も、世界の恒久平和もあり得ない。この一点を欠けば、さまざまな努力も砂上の楼閣となる。仏法を根幹とした「人間革命」の哲学は、「第三の千年」のスタートを切った人類の新しき道標となろう。(小説『新・人間革命』第30巻<下>)
〈「御義口伝」の一節〉
師子吼の「師」とは、師匠である仏が授ける妙法であり、「子」とは弟子が受ける妙法であり、「吼」とは師匠と弟子が共に唱える音声をいうのである。(御書748ページ10行目〜11行目、通解)
日蓮大聖人は、師子吼は師弟共に唱える音声であると示されています。
だからこそ、弟子が師匠と同じ誓願に立ち、同じ行動をすることが不可欠なのです。具体的には、“この地球から悲惨の二字を無くそう”と広宣流布を進めていく誓願が同じということであり、「目の前の一人」を大切にする実践が同じであるということです。
現実の舞台は、一人一人で異なりますが、それぞれの舞台で師匠と同じ誓願を立てて行動する。それが、「師弟不二」です。
先生は、この御文を通し、こう講義されました。
〈池田先生の指導から〉
創価の地涌の同志は、いかなる試練に直面しても勇敢に師子王の心を起こし、広布に邁進してきました。そして、世界中の学会員が確かな体験をつかみ、仏法の厳たる師子吼の力を証明してきました。
混迷の時代だからこそ、いよいよ、創価の師弟が新たな師子吼を起こし、一切衆生の心田に妙法の種を蒔き、世界に平和と幸福の花を咲かせていくのです。(『人間革命の宗教』)
崇高な精神は、時代や社会を超えて、共鳴者を必ず生みます。私たちは、弟子の道を生涯、貫いていきたいと思います。
● 「いざという時」こそ信心を貫け
続いて、「開目抄」の一節を確認します。
〈「開目抄」の一節〉
私ならびに私の弟子は、諸難があっても、疑う心がなければ、自然に仏界に至ることができる。諸天の加護がないからといって疑ってはいけない。現世が安穏でないことを嘆いてはいけない。私の弟子に朝夕、このことを教えてきたけれども、疑いを起こして皆、信心を捨ててしまったようである。拙い者の習性として、約束したことをいざという時には忘れてしまうものである。(御書234ページ7行目〜9行目、通解)
「つたな(拙)き者のならひ」(御書234ページ)と仰せですが、ここで注目すべきは、「いざという時」に退転した者たちは、“師匠の教えに疑いをもって法華経を捨ててしまった”ということです。
誓願は、貫き通してこそ誓願です。しかし、人生には、ままならない出来事が競い起こります。その時に師匠の言葉を思い出せるのか、忘れてしまうのか。それが「いざという時」に出るということです。
この点に関し、先生は、こう指導されています。
〈池田先生の指導から〉
師匠と共にまっすぐに法に生き抜くことで、自我の迷いの執着を断ち切って、大我に立脚した「大いなる真正の自分」を築き上げることができるのです。(『人間革命の宗教』)
先生は「弟子の成長こそが、師匠の楽しみであり、本懐なのです」とまで言われています。私たちは、その期待を胸に、どこまでも師弟不二の実践を貫き、一人一人の人間革命の姿を通して、学会を永遠たらしめる確かな道を切り開いていこうではありませんか。