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「人権」という人類の財産
――ハンセン病の教訓 連載〈危機の時代を生きる〉
●長尾さん?は2007年から精神科医として高松市内の病院に勤務する
国内で新型コロナウイルスの感染が確認されてから、約7カ月。社会に立ちはだかるもう一つの敵が「差別」や「偏見」だ。
医療従事者の家族が登園・登校を断られたり、県外ナンバーの車が投石を受けたりといった出来事も報じられた。感染症、検査、隔離、差別――世間をにぎわす単語に触れ、ハンセン病の歴史を想起した。その教訓から学べることがあるはずだ。
40年以上にわたり、ハンセン病の臨床医として、日本をはじめ海外でも患者を支援してきた医師を訪ねた。(記事=成川航大、橋本良太)
●生命尊厳の仏法思想が差別と偏見を越える鍵
美しい瀬戸内海に囲まれた国立療養所「大島青松園」(2017年撮影)
実は学生時代、創価学会で班長(当時)だった父に連れられ、青松園に暮らす同志の元へ通っていた。
「皆さん、誰もが優しいおじさん、おばさんでした。父は病の有無や外見の違いを超え、人間対人間として、相手と接していた。幸運にも、それが私の“当たり前”であったわけです」
「社会復帰を支援し、園から送り出したご夫妻がいました。後に、お訪ねすると、住まいは家賃の高いマンションなんです。理由を尋ねると『ここは、安いアパートよりも人に会わなくて済むから』と。胸が締め付けられました」
数年後、十分な健康管理ができないまま、妻は手遅れとなった乳がんで亡くなり、夫は再び療養所に戻った。
「病気としてのハンセン病は治っているのに、後遺症を引き金に、偏見が差別を生み、患者を社会の端へ、園へと押し戻してくる。故郷を捨てさせられ、自立のための職業技能を得る機会も与えられなかった。『園内でしか生きていけない人生』といえる状況がつくり出されてしまった。彼らを社会から隔絶する壁や溝を壊すことなどできるのかと、私は悩みました」
長尾さんが、一筋の光明を見いだした出来事があった。78年10月7日、青松園に暮らす当時60歳ぐらいの壮年部員と共に、学会の第1回「離島本部総会」に参加した。
「長い間、園で暮らし、家族や故郷とも絶縁した方でした。高齢で社会復帰の見通しは低い。創価学会で、人との縁を広げてほしい――医者としてというより、同志として、私が頼みこんで、汽車に乗ってもらいました。両足は義足。顔にも後遺症がある。察して余りある勇気が必要であったと思います」
会場であった東京・信濃町の創価文化会館に着くと、女性役員が、笑みをたたえて歩み寄ってきた。「お手伝いしましょうか」。壮年の義足に気付き、靴を脱ぐのを介助してくれた。長尾さんは振り返る。
「役員には、私たちがどういう背景で参加するかなど事前には伝えていません。壮年が嫌な思いをすることはないかと一抹の不安を抱いていましたが、杞憂でした。かつて、父や青松園の学会員さんがそうであったように、学会の連帯に、壁はありませんでした」
◇◇
入所者の幸福とは何か。長尾さんは問い続けてきた。
「多くの観点がありますが、その一つは“かつて病気を経験して後遺症を持っている、ありのままの自分と付き合ってほしい”“人としての私の存在を認めてほしい”ということ。『受容』『共生』ではないでしょうか。彼らは声を上げ、戦いを続けています」
◇◇
「新型コロナウイルスは科学的解明が途上であることで“未知”です。“分からない”ことで“自分が感染するかもしれない”との不安が増大する。そこから、病気や感染者、やがては、第三者へのネガティブな感情が起こってしまう。だからこそ、私たちは、ゆるがせにしてはいけない価値観を確立することが大切です。それはお互いの人権を尊重することです。ハンセン病患者の歩みは、いかなる不安が社会を覆っても、人権だけは守らなければならないことを教えてくれています」
◇◇
「どの国でもハンセン病患者の受ける差別のありようは、人種・民族の違いを超えて、変わりがありませんでした。逆説的ですが、人類の負の面の共通性を感じました。逆に仏法は『地涌の菩薩』という人類が共有する根本のアイデンティティーを説いていることに感銘を受けます」
「根源の悪」を克服するためには、「根本の善」を一人の人間の胸中に確立するしかない。池田先生は「地涌」とは「民族や人種、国籍や性別など一切の差異を超え、生命の大地の奥深くに広がる大いなる創造的生命」に気づくことだとし、私たちには「(いかなる人も)今この地上に生きる仲間として、自他共の無限の可能性を開き、幸福と平和という価値を創造する底力がある」と訴える。
コロナ禍で、先の見えない日々が続いている。友の幸福を祈り、励ましの声を届ける行動の中に、自他共の喜びは創造される。私たちは感染症の不安や恐怖に打ち勝てるか――試されているのは、自分の心である。
☆「根源の悪」を克服するためには、「根本の善」を一人の人間の胸中に確立するしかない。 私たちは感染症の不安や恐怖に打ち勝てるか――試されているのは、自分の心である。
(聖教8.1 「人権」という人類の財産――ハンセン病の教訓 )
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