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2020.7.2-5(3)

2020年07月25日 (土) 12:56
2020.7.2-5

〈第3代会長就任60周年記念 広布史アルバム〉? 
中部の友の「7・27」
「この道」歩まん 朗らかに

 一九七〇年(昭和四十五年)の“言論問題”の前後より、学会は、数人の代議士からも罵倒され、ある時は、テレビを使い、雑誌を使い、演説会を使い、非難中傷された。あらゆる会合で、火をつけるように、悪口罵詈を煽り立てられた。
 なんという悪逆か! なんという狂気じみた悪口か!
 私自身も、愛知県の代議士から、国会喚問の要求を初めてされた。
 「信教の自由」を侵害する狂暴な嵐であった。理不尽な罵倒の連続であった。
   
 一部の評論家や著名人、そしてまた何人かの代議士たちは、これだけの大攻撃を受けた愛知の学会は、必ず崩壊するであろうと囁いていた。
 しかし、中部の創価学会の勇敢なる信心は、凄まじき苦境を乗り越え、すべてに大勝利したのだ。それは、永遠に燦と輝きわたる歴史として残るにちがいない。
   
 中部旗の授与から2年後(78年)、同じ7月27日に開催された記念幹部会(中部文化会館<当時>)では、池田先生が作詞した中部歌「この道の歌」が発表された。
   
 「この道」とは、信念の道であり、そしてまた正義の道、幸福の道、同志と歩む勝利の道である。それは、我ら「創価の烈士」が進みゆく大道なのだ。
 当初の発表では、歌詞の結びは、「ああ中部中部 諸天舞う」となっていた。
 だが、皆の合唱を聴きながら、最後の歌詞がちょっと違うな、と思った。諸天が「舞う」だけでは、主体である我々にとっては、受動的になってしまうからだ。
 大事なのは、諸天をも「舞わせる」、つまり「動かしていく」、我々自身の強き祈りと行動にしていくべきであると思った。
 そこで、後になって申し訳なかったが、「諸天舞え」と直したのである。
 仏法の勝負は厳しい。中途半端な、ひ弱な精神では、断じて勝てない。
 民衆の悲嘆の流転を変え、堂々たる民衆勝利の大喝采を叫ぶことはできない。
 ゆえに、徹して、断じて強くあれ! ひとたび戦いを起こしたなら、必ず勝て!
 必死の一人は、万軍に勝るのだ!
   
 「広布の一番星」と輝く友は、自らが決めた「この道」を、これからも進む。「堅塁・中部」の誇りも高く。


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