〈日蓮大聖人の慈愛の眼差し〉光日尼
仏法は生死を超えた希望の道
息子を失った悲哀を乗り越え、一途に信心を貫いた安房の門下
●息子・弥四郎の苦悩と願い
弥四郎は、仕えている主君から、何らかの戦に参加するよう命じられていたようである。ある時、苦悩した彼は、大聖人に御指導を受けようと思い立つ。
弥四郎は大聖人の法華経の講義に出席した。大聖人の佐渡流罪以前のことと思われる。その場には知らない人も多くいたため、弥四郎は大聖人に声を掛けることはせず、後に使いの者に手紙を持たせて御指導を申し込んだ。
弥四郎は、大聖人からすぐに招かれた。大聖人と直接ご対面したのはこれが初めてだったかもしれない。これまでの経緯を詳しく述べた後、必死に訴える。
「世間は無常です。自分はいつ死ぬのか分かりません。しかも私は、武士として主君にお仕えしている身です。その上、言い渡されたことは逃れることができません。それにつけても後生を思えば恐ろしくて仕方ありません。どうかお助けください」(同929ページ、通解)と。
生命の尊厳を説く仏教を信仰していながら、生業として武器を手に取らざるを得ない。人を殺めれば地獄に堕ちてしまう――こうした葛藤は、鎌倉時代の武士が抱え込まざるを得なかった不条理であったろう。
全てを聞かれた後、大聖人は経文を引いて激励される。その御指導を受けた弥四郎は申し上げた。
「夫のいない母を差し置いて自分が先に死んでしまえば、これほどの親不孝はありません。自分にもしやのことがあったならば、母のことをよろしくとお弟子にお伝えください」(同ページ、通解)
弥四郎が孝行息子で、信心も堅固であったことがうかがえる。そして、弥四郎は、この問題を無事に乗り越えることができた。
●池田先生は、「光日房御書」の講義で述べている。
「指導は策や方法では生まれません。その人の幸福を願って徹して祈る。その心自体が自身の『仏性』を強く深く涌現させます。仏法の励ましは、その仏の智慧から生ずる励ましであり、根底は慈悲です。そして、勇気です。共に『勝利を創る』――その日まで、励まし抜くしかありません」