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◎「立正安国論」の提出と法難
大聖人が鎌倉での弘教を開始された当時、毎年のように、異常気象や大地震などの天変地異が相次ぎ、大飢饉・火災・疫病(伝染病)などが続発していました。
特に、正嘉元年(1257年)8月に鎌倉地方を襲った大地震は、鎌倉中の主な建物をことごとく倒壊させる大被害をもたらしました。
大聖人は、この地震を機に、人々の不幸の根本原因を明らかにし、それを根絶する道を世に示すため、「立正安国論」を著され、文応元年(1260年)7月16日、時の実質的な最高権力者であった北条時頼に提出されました。これが大聖人による最初の国主諫暁です(第1回の国主諫暁)。国主諫暁とは、国の主権者に対して、その誤りをただし、正義を明らかにして、諫めることです。
「立正安国論」では、天変地異が続いている原因は、国中の人々が正法に背いて邪法を信じるという謗法(正法を謗ること)にあり、最大の元凶は法然が説き始めた念仏の教えにあると指摘されています。
そして、人々が悪法への帰依を止めて正法を信受するなら、平和な楽土が現出するが、悪法への帰依を続けるなら、経文に説かれている三災七難などの種々の災難のうち、まだ起こっていない自界叛逆難(内乱)と他国侵逼難(他国からの侵略)の二つの災難も起こるであろうと警告し、速やかに正法に帰依するよう諫められました。
*?三災七難とは、穀貴(飢饉による穀物の高騰)・兵革(戦乱のこと)・疫病(伝染病がはやること)の3種の災いと、星宿変怪難(星の運行や輝きが乱れること)・非時風雨難(季節外れの風雨の災害が起こること)などの7種の災難をいう。
しかし、幕府要人は大聖人の至誠の諫暁を無視し、念仏者たちは幕府要人の内々の承認のもと、大聖人への迫害を図ってきたのです。
「立正安国論」の提出後まもない、ある夜、念仏者たちが、大聖人を亡き者にしようと、草庵を襲いました(松葉ケ谷の法難)。
幸い、この時は大聖人は難を逃れ、一時、鎌倉を離れることになりました。
翌・弘長元年(1261年)5月12日、幕府は鎌倉に戻られた大聖人を捕らえ、伊豆の伊東への流罪に処しました(伊豆流罪)。
弘長3年(1263年)2月、伊豆流罪を赦免(罪を許されること)されて鎌倉に帰られた大聖人は、翌年、病気の母を見舞いに郷里の安房方面に赴かれます。
文永元年(1264年)11月11日、大聖人の一行は、天津の門下の工藤邸へ向かう途中、東条の松原で地頭・東条景信の軍勢に襲撃されました。この時、大聖人は額に傷を負い、左の手を骨折。門下の中には死者も出ました(小松原の法難)。
◎磐井の乱(いわいのらん)は、527年(継体21年)に朝鮮半島南部へ出兵しようとした近江毛野率いるヤマト王権軍の進軍を筑紫君磐井(『日本書紀』は筑紫国造だったとする)がはばみ、翌528年(継体22年)11月、物部麁鹿火によって鎮圧された反乱、または王権間の戦争。この反乱もしくは戦争の背景には、朝鮮半島南部の利権を巡るヤマト王権と、親新羅だった九州豪族との主導権争いがあったと見られている。
◎ロシア革命(ロシアかくめい、露: Российская революция ラシースカヤ・レヴァリューツィヤ、英: Russian Revolution)とは、1917年にロシア帝国で起きた2度の革命のことを指す名称である。特に史上初の社会主義国家樹立につながったことに重点を置く場合には、十月革命のことを意味している。また逆に、広義には1905年のロシア第一革命も含めた長期の諸革命運動を意味する。
◎トリニティ実験(トリニティじっけん、英語: Trinity)とは、1945年7月16日にアメリカ合衆国で行なわれた人類最初の核実験である。
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0186〜0237 開目抄 0198:09〜0199:03
第22章 法相宗の謬解を挙ぐ
此の宗の云く始め華厳経より終り法華・涅槃経にいたるまで無性有情と決定性の二乗は永く仏になるべからず
無性有情
法相宗の「五性各別」の法門から出た語。すなわち法相宗では、衆生が本来具えている性質を、阿頼耶識に蔵する種子によって五種に分類し、それらは永久に区別されているとする。仏地経論巻二等に説かれる。五性とは?声門定性(阿羅漢果)を得ることに定まった者)、?緑覚定性(辟支仏果)を得ることに定まった者)、?菩薩定性(仏果を得ることに定まった者)、?不定性(三乗のいずれとも定まっていない者)、?無性(三乗の種がなく永遠に生死の苦界を免れることのない者)をいう。この第五は、声聞・縁覚・菩薩になる性(三乗性)がなく、成仏の因がないものとして、この者を無性有情という。有情とは衆生の意で、玄奘による新訳語。
決定性の二乗
決定性とは、決定種性といって、爾前経で声聞・縁覚の二乗は、六道へも、菩薩・仏界へも絶対に出ることができないとした。この二乗をさして決定性とよんだ。法相宗はとくにこれを強調し、法華経とは全く逆に一乗方便、三乗真実と立てる。諸法実相を説いて十界の平等を説く法華経は方便と邪義を立てるのである。