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◎「世界の友は今」
第11回 アルゼンチンSGI・フェルナンデス理事長
コロナ禍の苦闘を新たな時代開く「因」に
新型コロナウイルスの感染拡大が進む南米。アルゼンチンの感染者数は6月から急増し、今月13日時点で10万人を超えている。感染のピークはまだ先ともいわれ、不安が広がる。創価の友は、この困難にどう立ち向かい、励ましを広げているのか。アルゼンチンSGI(創価学会インタナショナル)のフェルナンデス理事長に話を聞いた。
保存食や清掃用品などを7以上の自治体等に送り、池田青年文化センターが立つブエノスアイレス州カニュエラス市には、1万枚のマスクを寄付しました。池田先生が示された「良き市民たれ」との指針を胸に、“今こそ社会貢献を”と行動を起こしたのです。
●仏法セミナーに1万6千人が参加
毎月、オンラインの仏法セミナーを開き、人間主義と生命尊厳の哲理を語りながら、弘教にも励んでいます。コロナ禍の中でも続けてきたセミナーには、これまで1万6000人以上が参加しました。社会が困難に直面する時だからこそ、多くの人が仏法を求めていることを実感します。
また池田先生の会長就任60周年を記念した「5・3」の大会は、オンラインで全土に配信。2万2000人の会員が視聴しました。
ある男子部員が「どんな状況にあっても、弟子の一念が定まれば、広布の前進は阻まれることはないと実感しました。この大会が池田先生との師弟の原点です」と語っていたことが印象的でした。
また青年部では、この期間に何曲もの愛唱歌を作成しました。「5・3」には、「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)との御金言をテーマにした「春」という愛唱歌を発表し、希望の歌声が全土に響きました。
◎小説「新・人間革命」に学ぶ 第21巻 御書編
連載〈世界広布の大道〉
【小説の場面から】
平和の太陽は昇った。
世界広宣流布の新しき幕は上がった。
一九七五年(昭和五十年)一月二十六日――。(中略)
この日、世界五十一カ国・地域のメンバーの代表百五十八人がグアムの国際貿易センタービルに集い、第一回「世界平和会議」を開催。席上、世界各国のメンバーの団体からなる国際的機構として、SGI(創価学会インタナショナル)が結成されたのである。
そして、全参加者の総意として懇請され、山本伸一がSGI会長に就任したのだ。
「生命の世紀」へ、「平和の世紀」へ、歴史の歯車は、大きく回り始めたのである。
世界の恒久平和を実現するには、一切衆生に尊極無上の「仏」の生命を見いだす仏法の生命尊厳の哲理を、万人万物を慈しむ慈悲の精神を、人びとの胸中に打ち立てなければならない。それが広宣流布である。(中略)
しかし、それは、ただ待っていればできるということではない。“この御本仏の御言葉を、虚妄にしてなるものか!”という弟子たちの必死の闘争があってこそ、広宣流布の大伸展はあるのだ。(中略)
グアムに集った代表は、いずれも各国のリーダーであり、広宣流布をわが使命として立ち上がった闘士たちであった。創価の先駆者であった。
その一人立った勇者たちが、スクラムを組み、SGIという世界を結ぶ平和の長城の建設に立ち上がったのである。
(「SGI」の章、7〜9ページ)
【寸鉄】
青年ならば自分の使命に
生き切ることだ―恩師。
今いる場所で前進の一歩
◎名字の言 師弟の思い出の歌――熊本民謡「田原坂」
?右手に血刀 左手に手綱 馬上ゆたかな 美少年……。西南戦争の激戦地であった熊本・田原坂での激闘を歌った民謡「田原坂」の一節である
▼田原坂の戦いで、官軍の兵士は、1日に32万発もの大量の弾丸を使用したとされ、そのため銃弾同士が空中でぶつかり合うことも多かったという。戦争から1世紀以上が経過した今も、現地では当時の銃弾が発見されることがある
▼1968年(昭和43年)、池田先生は田原坂を訪問。西南戦争で犠牲となった人々に追善の祈りをささげ、弾痕が残る建物に足を運んだ。その史跡の持ち主に、先生は語った。「『田原坂』の歌は、実は私の恩師が大好きで、私もこの歌を通して、青年に革命の精神を教えています」
▼戸田先生は「田原坂」に合わせ、自ら舞うことがあった。青年と共に歌い、感極まることもあった。ある時には、冒頭の歌詞になぞらえて、こう訴えた。「学会は『右手に慈悲、左手に哲学』で進むのだ」
▼「慈悲」の行動とは、単なる「同情」とは違う。友の苦悩に思いをはせ、無事安穏を真剣に祈り、その人が立ち上がるまでエールを送り続けていくことだ。コロナ禍に加え、九州はじめ各地が豪雨被害に見舞われる今、私たちは慈悲の旗を高く掲げ、逆境の坂を共々に乗り越えていきたい。(澪)