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◎きょう7・11「男子部結成記念日」
師子王の勇気で前進!
戸田先生”広布の使命を自覚してほしい”
襲い来る試練に勇気の心で立ち向かい、新たな価値創造の道を切り開く――これが、正義の師子・男子部の使命である。
1951年(昭和26年)7月11日、東京・西神田の旧・学会本部で行われた男子部結成式の席上、恩師・戸田城聖先生は語った。
「広宣流布は、私の絶対にやり遂げねばならぬ使命であり、各自に、その尊い地位を自覚してもらいたい」
男子部の一員だった若き日の池田大作先生は、この恩師の師子吼を“わが誓い”と受け止めた。
池田先生は10代で「結核」という感染症にかかり、医師から「30歳まで生きられない」と言われていた。しかし、師の構想を実現するために戦い抜き、蒲田、文京、札幌、大阪、山口など各地で弘教の金字塔を打ち立てていく。そして師の願業である「75万世帯」達成への突破口を開いていったのである。
◎マイ・ヒューマン・レボリューション
――小説『新・人間革命』学習のために 「男子部」編
苦難こそ誉れ! 師弟こそわが道!!
<1961年(昭和36年)11月、男子部の代表10万人が国立競技場に集い、開催された男子部総会で、山本伸一は訴える>
「なぜ、世界も、日本国内も、不幸と悲惨が絶えないのか。それは、日蓮大聖人の大仏法を鑑として拝すれば、すべては明らかであります。
その原因は、いずれの指導者にも、社会を支えゆく民衆にも、確かなる指導理念、哲学がないことにあります。仮に、哲学をもっていても、自他ともの幸福を実現しゆく生命の大哲学ではありません。
そのなかにあって、私どもは、自己の人間革命と、社会、世界の平和を可能にする、完全無欠なる日蓮大聖哲の大生命哲学をもっております。この大生命哲学こそ、人類を救済しゆく、最高の指導原理であるということを、私どもは、声を大にして、叫び続けていこうではありませんか!」
賛同と誓いの大拍手が、競技場の空高く舞った。(中略)
「願わくは、諸君が、それぞれの立場で、全民衆の幸福のため、広宣流布のために、大仏法の正義を証明する、人生の勝利者になっていただきたいことを強く、念願するものでございます。
<77年(同52年)3月、福島文化会館(当時)を訪れた伸一は、居合わせた幹部に、学会の後継者が身につけるべき力について語る>
「青年時代に必ず身につけてほしいのは折伏力だ。創価学会は、日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を実現するために出現した折伏の団体だもの。その後継者である青年たちが、弘教の大闘士に育たなければ、学会の未来は開けないからね」
大聖人は「日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(御書1558ページ)と仰せである。その御心を体して、弘教に生き抜くなかに信仰の大道がある。(中略)
折伏は、自身の一生成仏、すなわち絶対的幸福境涯を築く要諦となる仏道修行である。
御書には、「法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり」(1121ページ)とある。さらに、「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(1360ページ)と断言されている。
私たちは、勇んで唱題と折伏に励むことによって、仏に連なり、仏の使いの働きをなし、地涌の菩薩となり得るのだ。
●命の限り広布に生き抜く「志」を
<77年(同52年)10月、北海道・厚田の戸田講堂の開館を祝賀する集いで伸一は、青年部の友に、51年(同26年)7月の男子部結成式前夜、恩師・戸田城聖と交わした師弟の語らいを紹介する>
戸田は、伸一に語っていった。(中略)
「命ある限り、広宣流布に生き抜こうという志をもった人間を、私はつくりたいのだ。(中略)
牧口先生のように、人びとの幸福のために、生涯、正法正義を貫き通す人材を、私は青年部のなかから育てていく。この戸田の弟子であることの“誇り”をもち続け、広宣流布という“大理想”に生き抜こうという人間だ!(中略)
皆の心から、創価の師弟の誇りと、広宣流布の理想に生きようという一念が希薄化してしまえば、学会の未来はない。いや、そうなれば、地涌の菩薩であるとの自覚も失われ、真実の幸福の道も見失ってしまうことになる。学会を、そうさせないために、青年が立つんだ。
伸一! 君は、その事実上の原動力になるんだ。模範になれ! 永遠にだ。班長という一兵卒から戦いを起こし、全軍を率いて、広宣流布の大理想に突き進め!
いいな! できるな!」
「はい!」
決意を秘めた伸一の声が響いた。戸田は、鋭い視線を伸一に注いだ。弟子の顔から、微動だにしない広宣流布への信念を見て取った戸田は、口元をほころばせた。
「頼んだぞ! 万人の幸福を築け! そのために学会は、後世永遠に広宣流布を、立正安国をめざして進んでいくんだ。
今夜の二人の語らいが、事実上の男子青年部の結成式だよ」
(第26巻「厚田」の章、40〜42ページ)