◎池田大作研究/佐藤優氏
〜世界宗教への道を追う(第27回)
『目的が善であっても手段が悪では許されない』
池田は、過去の過ちを受け止め、なぜこの事件が起きたのかを考察した。
そこには、見えざる魔の働きによる、目的と手段の矛盾があった。
大村は、ビジネスパーソンとして成功し、折伏でも大きな成果をあげていた。そのことが慢心に繋がってしまった。教学に対する関心も低かったので、仏法を真剣に学ばなかった。創価学会第2代会長の戸田城聖や池田の価値観を大村は共有していなかったのである。また、大村の人脈には、政治の裏事情に通じた者がいたことも悪条件となった。
魔は、この時に差したといってよい。
小泉の「無茶をしてはいかんよ。危ないから気をつけた方がよい」という反応を、大村は「うまくやれ」すなわち「選挙違反行為をしても露見しなければ問題ない」というように受け止めた。
不当な手段までもが、暗黙のうちに、彼らのなかで正当化されてしまったともいえよう。実は、そこに見えざる魔というものの働きがある。
創価学会に対して偏見を持つ警察と検察は、最初から組織犯罪と決めてかかった。予断や偏見を持つ者は、自らの認識が歪んでいることに気付かない。だから、自分は正しいことをしていると信じて、進んでいく。ここにも魔の働きがある。
(AERA2020.7.13)