Contents
RSS 2.0

ブログ blog page

2020.6.29-3

2020年06月29日 (月) 00:12
2020.6.29-

??????????????????????????????????????????????

◎聖教新聞より2020.6.28

●青年の心で価値ある人生を 
池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」

【写真の説明】みずみずしい緑。右手に、大相撲で知られる両国国技館(東京・墨田区)が見える。2017年(平成29年)6月、池田大作先生が撮影した。
 この付近には、かつて日大講堂があった。32歳の池田先生が第3代会長に就任した地であり、1万数千人の青年たちの前で「日中国交正常化提言」を発表した場でもある。先生は「ここから、広布の使命を自覚した、いかに多くの青年たちが、世界へ羽ばたいていったことか」と。
 一人の青年が立ち上がれば、勇気の炎は燃え広がり、時代が動く。来る6月30日は学生部の結成記念日。そして7月11日は男子部、同19日は女子部の結成記念日である。
 さあ、青年を先頭に、青年の心で励ましの光を広げよう!

 青年とは先駆者である。
 挑戦者である。
 開拓者である。
 すでに、
 でき上がった土台の上に、
 自分が
 花を咲かせるのではない。
 人のため、社会のため、
 あとに続く
 後輩たちのために、
 自分が礎となる――。
 この青年の
 誇り高き闘魂によって、
 道なき道が開かれる。

●寄稿「牧口先生の生誕の月に寄せて――世界が希求する“内なる変革”の教育」 創価大学・高橋強教授

1930年11月18日に第1巻が発刊された『創価教育学体系』。牧口先生の経験と理論を集大成した同書は、英語、スペイン語、中国語などで翻訳・出版されている
 さらに、「子どもたちにとって、最大の教育環境は教師自身である」とは池田先生が示された指針です。
 肇慶学院「池田大作研究所」副所長である蒋菊副教授は、この指針から「教師論」を展開します。
 「教師と子どもの生命と生命の触発こそが教育の原点である」とし、教師自身の人生観、教育観、人間観の確立をはじめとした“人間的成長”が大切であると結論付けました。

●未来に輝く知性の宝冠
――池田先生の名誉学術称号45周年
キューバ ハバナ大学
何よりも美しきは「人間」

マルティは言った。
 
 「祖国を代表し祖国をまえにしてその持っている一切のにくしみを捨てることを宣言する」(神代修訳『キューバ革命思想の基礎』理論社)
憎悪に対する戦争こそ、「唯一の戦争」であると考えたマルティは、あくまでも「平和革命」を志向していた。
 
 そして、人間の上に人間を置くことに警鐘を鳴らし、他の人々を利用しようとする野蛮性を、取り除く道を探っていった。

2007年に法人認可されたキューバ創価学会の同志も、“良き市民”となって社会貢献の道を歩む。
 
 「生きるということは世の中のために善を行うということである」(青木康征・柳沼孝一郎訳『ホセ・マルティ選集第2巻』日本経済評論社)
 
 マルティの言葉を抱き締めて、先生が築いた平和と教育と文化の橋を、多くの若人たちが渡っている。

●〈声〉 読者の投稿
  
大きな試練だからこそ、大きく自分を変えられる。思ったように進まなくても、祈って出た結果には必ず意味があると確信し、同じ病と闘うご夫妻に続けと、私たちも頑張ります。

思えば、入会前の私は自分に自信がなく、常に周りと自分を比べては、ねたんだり、さげすんだりして、一喜一憂する毎日でした。

 入会間もなく受験した任用試験で十界論を学習し、御書の一節「諂曲なるは修羅」(241ページ)を学んだ時のことは今でも忘れられません。

 “私がずっと悩み続け、変わりたくても変われないと絶望していたのはこのことだったのだ”と。


●イワシのみりん干しに懸けた46年〈信仰体験〉

周りの視線も冷たかった。「あの人、今に耐えきれんで、逃げて帰るやろう……」

 “私はよそ者扱いされとる。けど絶対に負けへん”

 込み上げる悔しさを闘志に変えていった。また、この地で草創から信心を貫く、婦人部の先輩が中西さんを励まし続けた。

 「大変な場所に来たね。けど、学会の旗を掲げて頑張らんとね。崩れん信心があれば、絶対に大丈夫」

 中西さんは前を向いた。“この信心で幸せをつかむんや!”

●パンデミックとインフォデミック
 政治家は、「われわれはウイルスとの戦いに必ず勝利する」と強い調子で演説しがちです。ヨーロッパでは14世紀にペストが流行しましたし、1918〜20年には第2波、第3波まで続いたスペイン風邪を経験しました。その深い傷痕が今でも記憶に残っているため、「ウイルスを“撲滅”させて勝利しよう」という「勝ち負け」の発想になるのです。

 そこには、キリスト教社会における「神が人間と自然をつくった。神の下にいる人間は、自然を制御して神の意志に従う」という発想が根っこにあるのかもしれません。

 戦争のときは、倒すべき敵が目の前に明確にいるわけです。でも今回は、守るべき人は目の前にいても、倒すべき敵は目には見えません。新型コロナウイルスを「倒すべき敵」と見るのではなく、「なんとか折り合いをつけていくべき少しばかり厄介な相手」と考えてみてはどうでしょう。

 「われわれはウイルスと全面戦争をやって勝つのだ」と息巻くと、なかなか勝利の先行きが見えず、どんどんストレスが溜まっていってしまいます。「今は“戦争中”なのに、公園でこんなにたくさん遊んでいる子どもがいる」といったように、他人に対する非寛容的態度も噴出するでしょう。これでは長続きしません。

 終息までは、どうしてもある程度の期間が必要です。流行の速度を遅らせつつ、集団免疫を獲得することに成功すれば、人類は新型コロナウイルスと折り合いをつけられます。人間同士だって、厄介な他人と折り合いをつけるまでには時間がかかるものです。最初は「とっつきにくくて嫌だな」と思っていても、あとになって「意外といいところもあるじゃないか」と認識が変わることもあるでしょう。

 心持ちをちょっと工夫するだけで、まだしばらく続く非常事態によって受けるストレスを軽減できます。ストレスに駆られて他者を攻撃する非寛容的な態度ではなく、寛容な心持ちでこれからの日々を過ごしていければよいと思います。


トラックバック

トラックバックURI:

コメント

名前: 

ホームページ:

コメント:

画像認証: