◎聖教新聞より
●〈危機の時代を生きる〉コロナ禍で見落とせない
「多様なリスク」への視点 立命館大学開沼博准教授
かつての日本社会は「貧・病・争」(貧乏・病気・争いなど)が、人々にとっての主要なリスクでした。ある意味では、分かりやすかった。その後、経済発展に伴い、国民全体の生活水準が高まると、人々の生活が多様になり、立ち現れるリスクも多様化・細分化されました。そのため、一般には“見えづらい”リスクが増えていったのです。
●経に云く「若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せざること無し」云云、文の心は此の経を持つ人は百人は百人ながら・千人は千人ながら・一人もかけず仏に成ると申す文なり(上野尼御前御返事、1580ページ)
●小説「新・人間革命」に学ぶ 第20巻 解説編
池田主任副会長の紙上講座
連載〈世界広布の大道〉
?中ソ和平への覚悟
?「懸け橋」の対話
?信念が花を開かせる
同巻のテーマの一つが、宗教否定のマルクス・レーニン主義を基調とする中国、ソ連と、日蓮仏法を基調とする創価学会の対話が、なぜ実現できたかということです。
「社会の制度やイデオロギーは異なっていようが、そこにいるのは同じ人間である」(64ページ)、「人間に会いに私は行くのです」(167ページ)、「人間の心と心に橋を架け、結ぶために行く」(168ページ)との伸一の信念が、中ソ和平の対話へと突き動かしたのです。
佐藤優氏は、週刊誌「AERA」(6月22日号)で連載されている「池田大作研究」で、先生の対話行動に言及しています。
「壁に突き当たった場合、政治革命家はその壁を壊そうとする。これに対して池田は、壁の向こう側の人に対話を呼びかける。対話によって、壁の向こう側にいる立場が異なる者の中に理解者を作ろうとする」
花はすぐ開くとは限りません。しかし、鉄のごとき強い信念を持ち続けながら、諦めずに行動すれば、必ず開花します。「大業とは、目立たぬ、忍耐強い作業の繰り返しによって、成就されるもの」(357ページ)なのです。
●〈読書〉『新・紫式部日記』夏山かほる著
「あわれなる人の情は止むにやまれぬ」
深い洞察力によって人間の性、心を描いた『源氏物語』。自ら描いた物語のうねりに突き動かされ、同化するように、紫式部も道長との不義の男児を産んでしまう。しかも、道長の野望のために、彰子の女児とすり替えられ皇子として育てられるのだ。この苦悩の展開が、日記を幾重にも重層化している。
「文には人を動かす力があります」との紫式部に対し、「よき草子や物語はよき支援者と読者がなければ」と応じる『枕草子』の清少納言。
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「現世安穏・後生善処」
の妙法。不退の信心を今。
乗り越えられぬ試練なし
◇
体内時計の乱れは心身の
健康悪化に。生活リズム
正しく。朝の祈り根本に
◇
コロナ関連詐欺が横行。
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カードも渡さず。要警戒
「たゆまざる 歩みおそろし かたつむり」
◎【創造する希望――池田先生の大学・学術機関講演に学ぶ】
アメリカ・ハーバード大学
「ソフト・パワーの時代と哲学――新たな日米関係を開くために」<1991年9月26日>
●「内発の力」で人間の絆を結べ
すなわち、歴史の動因として、かつては軍事力や権力、富といったハード・パワーが決定的要素であったが、最近はその比重が落ち、知識や情報、文化、イデオロギー、システムなどのソフト・パワーが、著しく力を増しつつあるということであります。
●「良心例学」めぐるパスカルの論難
例えばインドや中国における「良心例学」を、パスカルは、こう攻撃します。
「かれら(=ジェスイット)は偶像崇拝を、次のような巧妙なくふうをこらしてさえ、信者たちに許しているのです。衣服の下にイエス・キリストの御姿をかくしもたせ、公には釈迦や孔子の像を礼拝するとみせて、心のなかではイエス・キリストの御姿を礼拝するように教えているのです」(『プロヴァンシアル』中村雄二郎訳、『世界文学大系』13所収、筑摩書房)と。
彼は言います。「アメリカ連邦においてほどに、キリスト教が形式と儀礼と像とを少ししか含んでいない国は他にどこにもない。そしてまたここほどに、キリスト教が人間の精神に対して明確で単純な、そして一般的な理念をあらわしている国も、他のどこにも見られない」(同前)と。
●信仰心の衰弱を招く制度的側面の硬直化
にもかかわらず、ほとんどの宗教が陥ってきたのは、制度的な側面が硬直化することによって、制度が人間を拘束し、宗教本来の純粋な信仰心が失われてくるという本末転倒であります。制度や儀礼などの外発的な力が、信仰心という内発的な力を抑え込んでしまうわけであります。
●武士道の精神に“内発的な力が”
ご存じのように新渡戸は“太平洋に友好の虹をかけよう”と、揺籃期の日米関係の改善に奔走した人物でありますが、彼がベルギーの知人と宗教について話していたとき、「あなたのお国の学校には宗教教育はないのか」と聞かれ、内省の果てに見いだしたのが、宗教に代わって江戸期に形成され明治の末年まで日本人の精神形成にあずかって力あった武士道でした。そこで彼は『武士道 日本の魂』という本を著し、副題に「日本思想の解明」と銘打ったのであります。
●“個別性”よりも“関係性”を重視
人間だれしも他の生き物を犠牲にして食べなければ生きていけないことを論難しようと、ある時、怒りを秘めたバラモンが不殺生を説く釈尊にこう問いかけた。“いかなる生き物は殺してよく、いかなる生き物は殺してはならないのだろうか”と。だれもがジレンマに陥りやすい素朴な疑問ですが、これに対する釈尊の答えは(殺生の因となる)“怒りを殺せばよいのだ”というものであります(相応部経典)。釈尊の答えは、逃げ口上でもなければ、ごまかしでもありません。「縁起」観に基づく見事なる解答であります。
●自己規律、自己制御の心こそ現代に必要
「良心例学」にならって、ごく身近な例で言えば、私も仏法者として、この精神にのっとって、例えば離婚の問題で相談を受けたような場合、「離婚する、しないは、プライベートな問題で、当然、本人の自由です。しかし“他人の不幸のうえに自分の幸福を築く”という生き方は仏法にはない。それを基準に考えてください」と答えております。
最後に、私が青春時代に愛誦したエマーソンの、友情を謳い上げた美しい詩の一節を皆さま方に捧げ、私の話とさせていただきます。
私の胸は言った、おお友よ、
君ひとりゆえに空は晴れ、
君ゆえにバラは赤く、
万物は君ゆえに姿は気高く、
この世ならぬものに見える。
宿命の水車のみちも
君の貴さゆえに日輪の大道となる。
君の高潔さは私にも教えた
私の絶望を克服すべきことを、
秘められたわたしのいのちの泉は
君の友情ゆえに美しい。
(「友情」入江勇起男訳、『エマソン選集』2所収、日本教文社)
ご清聴、ありがとうございました。
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