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2020.6.7-2

2020年06月07日 (日) 00:21
2020.6.7-2

◎九州新幹線長崎ルート
「佐賀がだだをこねていると思われても困る」
――その通り!だだをこねているだけではないか?
佐賀県知事は相当におかしい! 
次の選挙で落とすべき?
それが一番の解決法?
佐賀県はすべてノンストップで素通りとすればいい。

◎米・オクラホマ州
失業保険の処理
Googleの協力を得て、1週間で6万件、30倍。
通常なら2年かかる処理を数日で。
日本は相当遅れている。
☆天下り先への委託だから余計に遅れる??

◎「コロナ国債膨張で金利は下がる」(産経)
………??
麻生氏「国債が増えても、借金が増えても金利が上がらないというのは普通私たちが習った経済学ではついていかないんだね」

田村氏「国債を増発しても何の問題もない………チコちゃん風に言うと『デフレ圧力が経済全体に加わっているから』」

☆金利を上げたら国家財政がもたないと思いますけどね。


◎コルベールは何を学んでいたのか
マザランがコベールを見出だしたことは、ルイ一四世にとって実に幸運だった。

言うまでもなく一七世紀のフランスはルネサンス期のイタリアではないから、いかに名家の出であろうと、商人が一国の支配者になることはない。フェリペ二世の血筋を受け継ぐ絶対君主と裕福な貴族に支配される社会では、野心的な銀行家や商人にとって出世の早道は、直接王家に仕えるか、有力貴族に仕えることだった。とりわけフロンドの乱が失敗に終わったあとでは、前者が最善の方法になっていた。

●ジャン・バティスト・コルベール(Jean-Baptiste Colbert, 1619年8月29日 - 1683年9月6日)は、17世紀のブルボン朝フランスの政治家。ルイ14世の財務総監(現在の大蔵大臣・財務大臣に相当するが、「省」レベルの規模の官庁を必ずしも指揮下に置かない)を長年務めた。

「国債は厄介者で、金利生活者るねパラサイトである」と述べ、1661年と1664年に債務の元利をざっくりカットした[1]。債権者側とおぼしき者に容赦なく罰金を課して、債券や担保を請負人に徴収させた。法定金利の引き下げ(5.56%から5%へ)も行っている。

●フロンドの乱
(フロンドのらん、フランス語: Fronde, 1648年 - 1653年)
17世紀フランスで起こった反乱。フランスにおける貴族の反乱としては最後のもので、貴族勢力は打倒され、絶対王政の確立につながった。フロンド(fronde)とは当時流行していた投石器を意味し、パリの民衆がマザラン邸をめがけて投石したことから呼ばれるようになったという。

●ジュール・マザラン(フランス語: Jules Mazarin, 1602年7月14日 - 1661年3月9日)は、17世紀フランス王国の政治家、枢機卿。イタリア人でイタリア名はジュリオ・マッツァリーノ(イタリア語: Giulio Mazarino)。

・外交・軍事面ではハプスブルク家との対抗を重視、三十年戦争への介入を続け、1648年、ヴェストファーレン条約でアルザスの大部分及びヴェルダン・メッツ・トゥールをフランス領に取り込んだ。

・1659年にはイングランド共和国の護国卿オリバー・クロムウェルと結んでフランス・スペイン戦争(西仏戦争)でスペインを破り、アルトワとルシヨンをフランス領に編入し(ピレネー条約)、翌1660年にはルイ14世とスペイン王女マリー・テレーズ(マリア・テレサ)との政略結婚を実現した。

・国内では、戦争継続のために重税を課したことによって、フロンドの乱(1648年 - 1653年)を招いたが、反乱側の内部分裂を利用してこれを鎮圧。結果として大貴族勢力を弱体化させ、王権を強化した。
財政面ではコルベールを登用して重商主義を推進した。


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