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2020.5.25-4

2020年05月25日 (月) 00:24
2020.5.25-

【寸鉄】
創価の青年こそ世界に大
きな貢献をなすと確信―
博士。今いる場所で輝け
     ◇
「愛知広布原点の日」35周
年。堅塁の柱は意気軒高。
さあ励ましの声を地域へ
     ◇
「苦をば苦とさとり楽を
ば楽とひらき」御書。何が
あろうと題目。幸の直道
     ◇
手を洗わないとダメより
洗えば大丈夫―感染対策
も言葉一つ。不安煽らず
     ◇
ごみ収集車の出火事故が
相次ぐ。スプレー缶等が
原因と。皆で分別を順守

◎名字の言 NBAで活躍する渡邊雄太選手の信条
「現時点でできることに集中する」――米プロバスケットボールNBAで2人目の日本人プレーヤーとなった、渡邊雄太選手の信条だ

▼膝の“成長痛”に悩まされた中学時代のこと。思うように練習できない自分に比べ、他の選手はどんどん上達していく。そこで、膝に負担を掛けない練習方法を考え抜いた。その一つが、高くジャンプせず、素早く正確なシュートを打つ練習。父に買ってもらった練習用のリングを使い、ひたすらシュートを打ち続けた

▼今、バスケットボールの本場アメリカで、自分よりはるかに背の高い選手と渡り合えるのは、この中学時代のシュート練習があったから、と渡邊選手。「現時点でできることに集中して取り組んでいれば、それは必ず将来生きてくる」と断言する(『「好き」を力にする』KADOKAWA)

▼夏の甲子園やインターハイ、各種コンクールなど、小・中学生、高校生の多くの大会が中止や延期となっている。練習の成果を発揮できない悔しさはあろうが、積み重ねた努力は決して消えない。一つ一つが人生の糧となる

▼池田先生は未来部の友に語った。「苦しんだ分だけ、将来、必ず大きな花が咲く」。奮闘する“未来の主役”たちに、真心のエールを送るのは大人の責任である。(巍)


◎紀元前240年5月25日
『史記』「秦始皇本紀」始皇帝7年条に「彗星先ず東方に出で、北方に見ゆ。五月西方に見ゆ」との記載がある。太陽に接近して見えなくなったのち、近日点通過後再び姿を現した状況までもが記載されている。明確な観測記録としては世界最古である。

◎堺焼き討ち(さかいやきうち)は、豊臣家と江戸幕府の間の大坂の陣(大坂の役)のうち、慶長20年(1615年)に発生した大坂夏の陣における戦いの一つ。この戦いで豊臣方の武将大野治胤が、徳川家に協力した報復として堺を焼き討ちしたとされている。戦後、江戸幕府は堺の復興に尽力したが、それまでのような繁栄は取り戻せなかったという。

堺焼き討ち
戦争:大坂の陣
年月日:慶長20年 4月28日 (1615年5月25日)
場所:和泉国、堺
結果:豊臣軍の勝利、堺全焼

◎岩戸景気(いわとけいき)
日本の経済史上で1958年(昭和33年)7月〜1961年(昭和36年)12月まで42か月間続いた高度経済成長時代の好景気の通称である。

神武景気、いざなぎ景気と並び、戦後高度成長時代の好景気の一つ。景気拡大期間が42か月と神武景気の31か月をしのぎ、神武景気を上回る好景気から、神武天皇よりさらに遡って「天照大神が天の岩戸に隠れて以来の好景気」として名付けられた。


【一年前】
朝、熱を図ったら37.5℃?

新規の月次法人の決算打合せ訪問

昼 35.9℃………あれ、今度は36℃ないやん
仕事して熱が下がったのかな?
冷蔵庫にオレンジみたいなのがあったから、
皮をむいてミキサーにかけ、オレンジジュースができた。

「二次相続」「三次相続」シミュレーション
やはり「配偶者が半分を相続」するのが一番有利。
明日引き渡す相続税申告書完成
相続人は二人とも兄弟姉妹で2割加算
相続税額は1600万円以上??

今日も仕事がさばけた。
三月決算たけなわだけど、
自分の仕事に専念できるのがありがたい。
?

【二年前】
◎アサイチで「こんな旦那でごめんなさい」
私「俺もこんな旦那でごめんなさい」
妻「いやいやとんでもごじゃりませんよ……
お父さんのお陰でご飯も食べさせて貰っているし、学会活動も思い存分させて貰っているし、ミキもマッサージも昨日は博多座にも行かせて貰ったし、いつもありがとうございます」
「あんまり上げすぎよ」
「………あ〜朝からきつか?」
?

【三年前】
◎中高同級生の相続税一件完了!
私「俺は税理士でも普通ではないから、料金も普通の半分の半分、4分の1!」
同級生「ありがとう!お前は中学と高校の時も普通じゃなかったけんな!」
?

☆その同級生が今度またお母さんが亡くなられたとのことで、二次相続を先日依頼してきた。ぎりぎりかからないかも。


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

開目抄 

第15章 多宝分身の証明を示す 0193.16〜0195.06

現代語訳

このような状態で、説法を聞く大衆は興冷めている時に、東方の宝浄世界から多宝如来が、高さ五百由旬・広さ二百五十由旬の大七宝塔に乗じて来場した。釈尊の人天大会では、釈迦仏の説法が前後相違したことを責めて釈尊があれこれと熱心に説明されても、不審がなお晴れそうもなく、もて扱いかねている時に、多宝の塔が大地より涌現して大空に打ち建てられた。たとえば闇夜に満月が東山より出てきたようであった。七宝の塔は大空にかかって、大地にもつかず、大空にもつかず、天中にかかり、その時、宝塔の中より大音声を出して歎めていわく、善きかな善きかな釈迦牟尼世尊よ、能く平等大慧・菩薩を救うる法・仏の護念するところの妙法華経を大衆のために説き給う。そのとおりである、そのとおりである。釈迦牟尼世尊の説くところは、皆これ真実である」と証明した。


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