【寸鉄】
有事の今こそ人々と絆を
強める学会に期待―日本
の識者。励ましの声益々
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「秋田の日」55周年。何が
あろうと師と共に!この
信心が日本海の雄の強さ
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感染防止の基本は?身体
的距離の確保?マスクの
着用?手洗い。皆で実践
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前向きな感情が幸福人生
の力―心理学者。自粛の
中でも聡明に成長の一歩
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テレビやスマホは過度に
見ると認知機能が低下―
研究。生活にメリハリを
◎名字の言 南アフリカのマンデラ氏を支えた詩
「私は我が運命の支配者 我が魂の指揮官なのだ」。これは19世紀イギリスの詩人ヘンリーの詩の一節。題名の「インビクタス」は、ラテン語で「不屈」を意味する▼ヘンリーは十代で結核に感染して、カリエスになり、片足を切断。そんな自分を励ますために作った詩だ。さらに彼の姿がモチーフとなって誕生したのが、小説『宝島』に登場する片足の海賊シルバー。友人であるスティーブンソンが創作したものという▼後年、南アフリカのマンデラ氏が人種差別と闘い、27年半もの間、牢獄にいた時、心の支えとしたのも、この詩だった。感染症との闘いから生まれた魂の継承劇として、ウイルス学者の加藤茂孝氏が自著『人類と感染症の歴史』でつづっている▼コロナ禍と闘う気高き友から連日、本紙に「声」が届く。ある配達員の方は「活動自粛の中でも、聖教新聞を配達できることに感謝しています」。医療に従事する方からは「全ての患者の皆さんの生命力を引き出せますようにと毎日、真剣に題目に挑戦しています」と▼「5歳の長男が『コロナの薬ができますように』と祈ってくれています」とのお母さんの声も。きょうは「こ(5)と(10)ば(8)の日」。「不屈の人」の胸には、いつも希望の言葉が生まれてくる。(進)
◎坂上 田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)は、平安時代の公卿、武官。名は田村麿とも書く。姓は忌寸のち大忌寸、大宿禰。父は左京大夫・坂上苅田麻呂。官位は大納言正三位兼右近衛大将兵部卿。勲二等。贈従二位。
4代の天皇に仕えて忠臣として名高く、桓武天皇の軍事と造作を支えた一人であり、二度にわたり征夷大将軍を勤めて蝦夷征討に功績を残した。薬子の変では大納言へと昇進して政変を鎮圧するなど活躍。死後は平安京の東に向かい、立ったまま柩に納めて埋葬され、「王城鎮護」「平安京の守護神」「将軍家の祖神」と称えられて武神や軍神として信仰の対象となる。現在は武芸の神や厄除の大神として親しまれ、後世に多くの田村語り並びに坂上田村麻呂伝説が創出された。
●阿弖流爲(あてるい)
または大墓公阿弖利爲(たも の きみ あてりい、?
- 延暦21年8月13日〈ユリウス暦802年9月13日、
先発グレゴリオ暦802年9月17日〉)
日本の奈良時代末期から平安時代初期の古代東北の人物。
8世紀末から9世紀初頭に陸奥国胆沢(現在の岩手県奥州市)で活動した蝦夷(えみし)の族長とされ、古代日本の律令国家(朝廷)による延暦八年の征夷のうち巣伏の戦いにおいて紀古佐美率いる官軍(朝廷軍)の記録中にはじめて名前がみえ、延暦二十年の征夷の後に胆沢城造営中の坂上田村麻呂に自ら降伏した。その後は平安京付近へと向かったものの、公卿会議で田村麻呂が陸奥へと返すよう申し出るが、公卿達の反対により盤具公母禮とともに河内国椙山で斬られた。
●征夷大将軍(せいいたいしょうぐん、旧字体:征夷大將軍)は、朝廷の令外官の一つである。「征夷」は、蝦夷を征討するという意味。
◎レジオンドヌール勲章(レジオンドヌールくんしょう、仏: L'ordre national de la légion d'honneur ロルドル・ナショナル・ド・ラ・レジオン・ドヌール、「名誉軍団国家勲章」)は、統領政府期にナポレオン・ボナパルトによって制定されたフランスの栄典制度である。レジオン・ドヌール勲章とも表記されている。現在もフランスの最高勲章として存在する。