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2020.5.19-3

2020年05月19日 (火) 01:02
2020.5.19-

◎佐久間 象山(さくま しょうざん/ぞうざん)
江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家。通称は修理(しゅり)、諱は国忠(くにただ)、のちに啓(ひらき)、字は子迪(してき)、後に子明(しめい)と称した。位階は贈正四位。象山神社の祭神。象山神社の隣が生家で、長野県の史跡に指定されている。松代三山の一人。

時代 江戸時代後期
生誕 文化8年2月28日(1811年3月22日)
死没 元治元年7月11日(1864年8月12日 (53歳没)

象山は大砲の鋳造に成功し西洋砲術家としての名声を轟かすと、蘭学を背景に、ガラスの製造や地震予知器の開発に成功し、更には牛痘種の導入も企図していたという。嘉永4年(1851年)には、再び江戸に移住して木挽町に「五月塾」を開き、砲術・兵学を教えた。ここに勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬ら後の俊才が続々と入門している。

嘉永6年(1853年)にペリーが浦賀に来航した時も、象山は藩の軍議役として浦賀の地を訪れた。この報告は江戸幕府老中阿部正弘に『急務十条』として奏上され、この機に松陰に暗に外国行きを勧めたとされる。

失脚からその死まで
嘉永7年(1854年)、門弟の吉田松陰が再び来航したペリーの艦隊で密航を企て失敗するという事件を起こした。松陰から相談をもちかけられた象山もこの事件に連座し、伝馬町牢屋敷に入獄する羽目となり、更にその後は文久2年(1862年)まで、松代での蟄居を余儀なくされる。

元治元年(1864年)、象山は一橋慶喜に招かれて上洛し、慶喜に公武合体論と開国論を説いた。しかし当時の京都は尊皇攘夷派の志士の潜伏拠点となっており、「西洋かぶれ」という印象を持たれていた象山には危険な行動であった(しかも京都の街を移動する時に供も連れなかった)。7月11日、三条木屋町で前田伊右衛門、河上彦斎等の手にかかり暗殺される。享年54。

◎ホセ・フリアン・マルティ・ペレス(José Julián Martí Pérez, 1853年1月28日 - 1895年5月19日)
キューバの著作家、革命家。19世紀後半のキューバ独立革命に参加し、キューバ史における英雄としてだけでなく、ラテンアメリカにおけるモデルニスモの先駆者としても名高い。

●モデルニスモ(スペイン語:Modernismo)
一般にスペイン語圏ラテンアメリカ文学(イスパノアメリカ文学)における近代主義(モダニズム)運動のこと。ルベン・ダリオをはじめとする作家たちにより、19世紀後半から20世紀初頭にわたって展開された。


【一年前】
◎朝の食卓
私「次は200万円くらいのベンツ」
妻「ベンツとか乗らんでよかー。
お父さんは中古が一番似合う。
見栄ばっかり張って」
私「見栄は張らんでも、いい車に乗りたいとたい。いい車にいい女」
妻「?」
娘「男はカッコつけるのよ。お父さんがカッコいいのではなく、車がカッコいいのよ」
妻「あはは!恵ちゃんよー言うた?
そんとおり?あははは( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆」

【二年前】
◎コンビニで
「お釣り貰う時、可愛い子のお手々にちょこっと触れてポーとなった」
妻「純情かね」
私「純情かよ?」
?

【三年前】
◎手荷物で夫婦言い合いっ子!
今月27(土)-28(日)の東京交流は、奥さんと娘は熊本の妹と羽田で合流し、私は飛行機もホテルも行動も別々。
私「飛行機に手荷物を預けた方が楽よ」
妻は「着いてから待っとかんなんでしょうが!」
私「今は自動チェックインで簡単だし、ちょっとトイレに行く時間くらいよ」
と言いますが平行線です。
夕食時、お互いどうでもいいことで言い合っておりました。夫婦共々、境涯がまだ低いです。
?



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開目抄 

第14章 般若経等の二乗訶責を示す 0193.02〜0193.15

現代語訳

これらの聖僧たちは、仏を除き奉っては人天の眼目であり一切衆生の導師であるとこそ思っていたのに、多くの人天大会の中で、このようにたびたびおおせられることは、まことに本意のないことである。ただ結局は、仏が、自分の弟子を責め殺さんとされるのであろうか。このほか牛乳と驢乳の譬え、瓦器と金器の譬え、螢火と日光の譬え等の無量の譬えを取って二乗を呵嘖せられた。一言・二言でない、一日・二日でない、一月・二月でない、一年・二年でない、一経・二経でない、四十余年も間、無量無辺の経々に、無量の大会の諸人に対して、一言も許し給うこともなく二乗をそしり給うたので、世尊はけっしてウソはいわないと、われも知る、人も知る、天地もこれを知っている。一人・二人に限らず、百千万人・三界の諸天・竜神・阿修羅・五天・四洲・六欲・色・無色等、みなこれを聞いた。おのおの国に還つて娑婆世界の釈尊の説法をそれぞれの国で一一に語ったであろうから、十方無辺の世界の一切衆生は、一人も残らず迦葉・舎利弗等の声聞の弟子は、永く成仏しない者で、供養しては悪いと知ったのである。


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