◎巨万の富を築いたトスカーナ商人・ダティーニ
フランチェスコ・ディ・マルコ・ダティーニ(Francesco di Marco Datini 1335年頃 - 1410年8月16日)はイタリア、プラート生まれの商人。
◎教皇庁との金融取引
◎秘密帳簿に書かれていた信実の取引
「大きな本」
◎銀行家と商人を悩ませた罪の意識
ダンテは、金貸しは正直者を貧困に追いやる泥棒であるとし、『神曲』の「地獄篇」では、首から下げた金袋のことが片時も頭から離れない人物として描いている。ユダヤ人は利子をとって金を貸すことを許されたが、旧約聖書では、同胞には利子をとってはならないとした。
しかし毎度のことながら、聖職者は方便に長けている。
「公正価格」
「最後の清算」
「心の借り」
富と信心の両方を追求するする中世の商人にとって、利益は悩ましい問題だった。
◎聖マタイが残した矛盾したメッセージ
「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」
「人の生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出(い)づるすべての言(ことば)に由る」
「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」
聖マタイは、銀行家、税吏、会計士、調香師の守護聖人だが、富に関して矛盾する言葉を残し、キリスト教世界を大いに混乱に陥れた。金儲けは道徳に反するのか、反しないのか。マタイは富を賢く正直に扱うよう教えつつも、富そのものは現世では罪であるとした。富を巡るこのような倫理的な曖昧さは、今日もなお解決されていない。
「命の書」
神はいわば帳簿をつけていて、天国へ行く者と地獄へ落ちる者との最後の審判を下す。
「人間の罪を贖(あがな)うために、キリストは十字架に懸けられるという代償を払った」
ペスト禍に見舞われ信仰に救いを求めたヨーロッパ
黙示録のイメージもけっして荒唐無稽ではなかった。
『デカメロン』の中で、ペストに覆い尽くされた一三四八年のフィレンチェの様子を描いている。
フランチェスコ・トラニイのフレスコ画『死の勝利』
ペストの惨禍が克明に………
ダンテやボッカチオ
人生の儚さ、不完全で罪深い人間
◎免罪符という発想
一四世紀になる頃には、信心と善行と罪は、帳簿によろしく消し込むことが可能になる。
………こうして教会は権力にものを言わせ、神の審判を前に個人の罪を取りなす役割を果たすことになったのである。
心の会計の借方と貸方と差引残高は、救済を得るにために欠かせない。
つまり帳簿は、利益を示すと同時に、罪の償いとして神に払うべきものも示していたのである。
(帳簿の世界史)
☆「家から一歩も出なかったのは何年ぶりだろう」
妻「よろしいよろしい」
◎「麒麟がくる」第15回
(4/26日放送分をやっと見た)
斎藤道三の息子は本当にどうしようもないアホ息子?
帰蝶「気のきかぬ兄に変わって………」
この一言がそれを言い表している。
明智光秀の娘・ガラシャは誰が演じることになるのか、
今から楽しみ?